今回は僕が考える精神成長法(カルマ解消法)の一つ『無知対象を思考によって理解する』という方法を提案します。

現在のスレの流れでは、利他的な行為と内観法によるカルマ解消法で二分されている形ですが、ここにもう一つの観点を加えたいと思いました。

ご存じの通り、保身を破るような利他的な行為・精神的課題の克服などにより精神が成長するという理論をこのスレで僕はお伝えしてきました。
ちなみに、精神が成長するというのはカルマが解消される事(全体との精神上における分離が解消される事)と同じ意味です。

人が何かしらの困難を経るとき、その困難は”その人が理解できていないこと”を理解へと導くために起こされる事が多いです。
例えば、学歴の低い人に対して偏見があるなら、自身の学歴が役に立たないような環境・自身よりも知能の高い人の競争にさらされる立場が用意されやすいです。

そのため、自身に学歴の無いことへの偏見があることに気付いた段階で「学歴が無いことによる素晴らしい点」をより深く考察することにより、大きな困難を経ることなくカルマが解消”されやすく”なります。
困難による心理的な苦痛に大きな価値があるわけではなく、”無知を知る”ことに価値があるため、思考によってカルマ解消が行える事実があるのだと思います。

ちなみに、これを事実とする一つの根拠は「困難を克服した後と困難を克服する前の思考の変化」にあります。
学歴に囚われていた場合ですと、様々な困難を経た後に、学歴が低い・学歴が高いの両者に本質的な価値は無いという意識になりますが、これは思考によりその結論を導き出した場合でも同様という点に根拠を見出せます。

ただ、全く同様というわけではないのもまた事実です。

>>困難を経ることなくカルマが解消”されやすく”なります。

と書いた通り、思考により無知を無くしただけでカルマが解消されるわけではない事情もあります。
思考によって表面的に理解するのと、精神構造そのものが変わることは別という側面があるためです。

例えば、分かっちゃいるけど止められないというのは、偏見に対しても言えます。
相手を地位などで判断してはいけないと論理では分かりつつ、気が付いたら、そうしているというのは精神構造までは変わっていないためです。
この場合ですと、その”地位”に対する盲信が解かれるために、自身の関わる地位の高い人の発言・立ち振る舞いの矛盾点などを観察する機会(困難)が生じます。

ちなみに通常、精神構造を変えるほどの出来事となると、それなりに大きな負荷をともなうことが多いです。
『地位の高い異性と結婚したが、その異性の悪い面ばかりが結婚生活で見せられる』
といったものです。

ただ、思考により「無知対象への理解」が表面的にでもできると、精神構造を変えることに対し、真理により表面的自我(自分)による協力が得られるとみなされるため、経験する困難が軽いものになります。
上記の結婚生活を例に取るなら、辛い結婚生活をせずとも、地位の高い人とのトラブルを少し経験する中で「ああ、地位が良い面もあるけど悪い面もあるんだ」と意味付けて考えることができるためです。
それにより、表面的自我(自分)は一歩、自我の殻を抜けてより全体意識(普遍意識)へと近づいている状態です。

結婚生活にすでに突入していた場合でも、無知対象への理解を進めていくと、経験する困難は少なくなります。
地位の高い結婚相手(夫)が”養われている分際で”といった扱いをしてくる場合ですと、思考により、地位に対する本質的価値を知るほどに旦那の態度が軟化していきます。
態度が軟化する過程には様々なバリエーションがあるため、一概には言えないものだとも思います。

このように、思考により無知対象に対する理解をすることで、精神成長(カルマ解消)を加速させられるのは間違いありません。
僕自身、思考を重要視するのはこのような理由もあります。
誰かに対する偏見を自覚できたら「その人の素晴らしい点はどこだろう」「自分は何を盲信しているんだろう」と、と日々、考えることは精神成長に有益でしょう。

ただ、これは慣れればさほど難しくは無いのですが、『自身の課題点克服のための適切な願いを念じる』などの事よりは、難易度としては少し高めです。
また初めは自我による”あんな人に良い所なんてないだろ”という抵抗があるためやりにくいですが、それでも考えていくと、無知対象への理解に表面的自我も協力してくれやすくなります。