>>667

どうもです
>自分の思考”だけを基準にした場合、反省できずにそのまま暴走していく人も多いと思います。

説明しにくいです(^ー^)
そう捉えられては身も蓋もありません
人生上におけるいろんな判断は内側の叡知が、唯一つの正しい選択を掲示し続けてます。
単文では無理です、例えばです、ある作曲家に「なぜそのような素晴らしい曲が出来るのですか?」と問うと「空から降って来るのです」
と答えました
ほとんどの人は作曲家ではないですが、空(内側)から掲示されているのですが、自分自身が執着している固定観念や概念利己的な都合や、その他諸々が蓋をして本人が感じないのです。
「自分の思考だけで、、、」私はそれを言ってます。

>自身に足りないもの”を探ることはあられるのでしょうか

そう聞かれると、ないです、その足りないは良いところですか?悪いところですか?自分は欠点がないという意味ではないですよ

>人が悪いことをするのを止めるのは成長の邪魔をすることになるのでそれは良くない】
という思想をお持ちなのに、

やっと見つけました
>確かに反省するのは大事かもしれませんが、それをするたびにひとつカルマを増やしていますよ、不調和なことをやったイコール自分が悪ではないです、

これですか?
誤解され過ぎなので細かく書きますね
自分が今苦しい状況なのは過去のあれがいけなかったとか、あれかな?とかうじうじ必要以上に反省する行為にもカルマが生じます。「なにか悪いことをしたからこうなったのだ」その程度の反省は当然ありですよと、
地上での出会いもちゃんと仕組まれていて(総てではないですよ)人を騙せば、カルマとして騙される、その騙す側も仕組まれているケースがあるということです。その仕組みを崩してしまう可能性もあるということです。


>自分に悪い事が起こっても構わない”という心情と違うのでしょうか?

メグさんと私は多分カルマの法則の根本が違うと思います
以前メグさんはカルマが自我を造るというような発言がありましたが、私の捉え方は反対です「僕が」「私が」の時点で軽い重いに関わらずカルマを造ってるという捉え方です、自我意識ですから、これも説明すれば長くなります。
愛を表現すれば、その波長のゆらぎの分愛が返るです、だからカルマを無くすには自我意識をなくなさい限り無理です、以前にも書きましたがカルマは自我意識の付属物であり、その揺らぎを愛には愛が、憎しみには憎しみがに創造したのは「神の御業」という捉え方です。
したがって「自分に悪いことが起こってもかまわない」もカルマが生じています。(良いカルマかもしれないですよ)
短く説明するのは難しいです