>>648

>自分を通して現象世界を変化させる」ということのみではない事情があるのではないでしょうか?

はい、その通りですよ。
上手くは言えませんが、たとえば自分の子供を「この子のこういうところが駄目だ」と思うとします。
それは自分の判断が正しいと思ってる、それを深くすれば、外からの知識や常識、概念的なもので判断しているとなります、もっと深くすると、「自分がそう思いたいから」となると思います。
つまり元は「自分が」です。物事にはいく通りの考えがあります。ネガティブにもポジティブにも捉えられます。もし周りを総て肯定的に捉えられることが出来れば外の世界が変わるのではないでしょうか?
心は自分の思いどおりになれたらいいと判断しています。
自分の意識が変われば世界が変わります、周りを変える必要はないと思います。

>現象世界における経験が自身(参照)に影響を与えることはすでに肯定されているように思えます。

当然私も生まれたときから霊的な勉強をしてきたわけではないです(笑)
いろんなことがありいろんな人からの影響で、観えない世界が影響しているのではと感じ、いろんな書物を読み、人の話を聞き師と出合い今も修行、と経験してます。
今でもまだ未熟ですので、その経験はやっていますよ

>決定的な矛盾のある行為をされているのだろうと、

すいません、もう少し詳しくおねがいします。
質問の解答になるかはわかりませんが、私はカルマは良いとか悪いとかではなく、自我意識の付属物と認識しています。
説明が難しいですが、愛には愛が、憎しみには憎しみが返る、内容はそれだけです。
苦しくなりたくないから何かを学ぶ、何かを実践する、これは一見普通に思いますが、自我意識(利己)をはたらかせています。その時点でカルマが返ります(重い軽いはあります)
「悪はやらない方法」の動機が自分に悪いことが起こらないようにという動機ならカルマを造るということです。自我意識でいる限りカルマはついてきます。
ややこしいですかね?
四六時中ではないですが、カルマイコール日常です。
趣旨が違ったら言って下さい
長々とすいません。