今回は、人間の想念の力について書きます。
このスレの9番で、現象がうまれる因果関係の上位に想念がある、といった趣旨のことを書きました。
想念とは意図的に念じたことも含め、無意識に信じていることまで、幅広く多岐に渡っています。

それで、想念について理解するのに分かりやすいのが、
【なぜか、相手の見たとおりに振る舞ってしまう原理】ではないでしょうか。

例えば、自分を信じていない上司や親の前では、なぜかミスばかりをしてしまうことってあると思います。
「〇〇さんの前ではついこんな風にふるまっちゃうんだよな....」ということです。

これは相手の想念が自身に影響したのが大きな原因の一つです。
人間は人それぞれ世界観を持っていて、それは、世界全体に大きな影響力があります。

例えば、人間は優しいものと固く信じていれば、優しい人に出会いやすくなり、出会った人を優しくしていくでしょう。
逆に、人間は裏切るものと固く信じていれば、裏切る人に出会いやすくなり、裏切るつもりの無かった人も裏切ってしまいやすくなります。

このように、意図的に念じた思い以外にも、無自覚に信じていることまでもが想念になっています。
世界観はその人の生まれ持った精神や肉体的性格・親類との関わりなど、様々なものが複合されて形作られます。

好むも好まないに関わらず、自身の世界観は世界に影響を及ぼしています。
そのため、大きな善行の一つに【自身の世界観を改善すること】があげられます。

寄付を人に役立てることや人の幸せを祈る事など、
様々なことで精神が成長した場合でも、世界観は改善していきます。

人の幸せを祈る事に関しては、その想いは相手の心にダイレクトに届きますし、
相手の精神(世界観)に徐々に影響を与える力があります。

人を嫌った際に、ほぼ確実に相手からも嫌われるのは、
自身と相手が同じ精神世界に存在しているからです。
想いが伝わった結果、そうなってしまいます。

ですので、人間関係を良くする場合でも、お世辞や会話術などは極めて表面的であり、
因果関係の上位にあたる想念のコントロールができないと無意味になってしまいます。

逆に言えば、想念のコントロールが出来るようになれば、
人間関係を良くするための知識や振る舞いはいらなくなります。
人生におけるもっとも大きな困難が人間関係だと思います。
その多くを成功させられるほど、想念のコントロールは大切な知識です。
人の幸せを祈る習慣が大切なのはこうした理由もあります。

ちなみに、悪い(ように見える)世界観を持っている人や自分を責めないことも大切です。
なぜなら、44番でもお伝えした通り、自我とはカルマのことです。
そのため、自我は自分に関わる人々のカルマ解消にとって必要な想いを湧かせます。

例えば、部下の些細なミスを許せない上司であれば、精神的欠点は「失敗を見守る心の広さが無いこと」です。
そのため、その上司の人生では心の広さをゴリゴリ広げられるような、許しがたい失敗をする人々が必要になります。
その上司の自我は無意識に「どうせ失敗するだろう」と想念を発し、相手を失敗に導きます。
これだけ聞くと、かなり気の毒な話なのですが、その上司に影響された相手もまた、失敗によって得なければいけない要素があります。
ですので、その上司には出会う必要がありました。
この過程をカルマの一致と僕は呼んでいます。

精神成長と共に、そうした上司と関わる必要が無ければ、いずれかの形で縁が絶たれます。
この場合、その上司の幸せを祈る想念は、その上司とのカルマを解消する速度を速める力があるでしょう。
またその上司との関わりで克服する必要があった精神的欠点も、より速い克服につながります。

こうした事情がありますので、人の幸せを祈ることには大きな力があります。
ちなみに、親の影響により多くの世界観は出来るのですが、親を責める必要はありません。
実際は、長期的視野にたつと最善の影響を受けられる親と出会っておりますので、
親に対しても幸せを祈る想いを持つことが大切だと思います。