>>515

解答ありがとうございます。
>少し前までは瞑想により無の境地に到達しようと考えていたのですが、現状の価値観と逆をする事により無の境地が出現するとは思いませんでした。

参考になれば、、、
「無」についてです。
これを「なにもない」と捉えてしまいますが、これは「総てが在る」状態を言います
この世に実在しているのは無限のエネルギーで在り、時間や空間もなく、方向や距離もないです。
総てがそこに「ただ在る」状態のことです。
善悪、上下、幸苦、憎愛、善があって悪が無いのではなく両方あります。
日頃私達は何気ない日常の感覚で「何かがある」というときには、その一部に無意識に焦点を合わせて見ています。
つまり全体ではなく、他のものと区別できるもの「個性」にピントが合う、言い方を変えると全体から色々なものを削除していって初めて現れるのです。
シルバーバーチの至言に「無限なるものに個性はありません」というのがあります。
太陽の光を機器を使い、分けていくと赤とか緑とか黄色という識別できる個性なのに対して、全部をひとつにすれば無色になるのと似ています。
この無色の状態、つまり総ての波動をもつことが大事です
善も悪も「在る」のです、そこに意味はないのです。
私の認識では普遍意識と表現したのはイエスです。普遍とは総てのものに当てはめられる意識の状態です。それには物事を肯定的に捉えることですね、メグさんのように、、、ね