>>46
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
気持ちが挫けるのは心が弱いわけではありませんので、大丈夫だと思います。
未来には、いかにご自身が強かったのかを感じられる時がくるでしょう。

人生に何を成せばいいか分からないと迷う人は、自身に対する「無価値感」と闘っています。
これは人生におけるもっとも過酷な闘いの一つの数えられるものでして、使命感や目標があって、ただ寝食を忘れ突き進む方が遥かに楽です。

これは多くの人が様々な形で経験するであろう、「潜在的な傲慢さ」を消すための荒行なのですが、これを経験するほど、未来が大きく開けていきます。

僕自身、「他者への貢献をしてはいけない」と、3年ほど前から当時としては意味不明な心(実体)の声が湧きおこりました。
その後、情報を得る事も、誰かへの貢献(寄付も含め)も封じられ、日々を何もしないで座るだけで過ごすことになりました。
(育児だけはしていて、自営業の仕事は中断せざるえなくなりました)

中々過酷な日々でしたが、それで得たものは大きかったです。
お陰で少しは傲慢さを減らすことができたと思います。

始めの頃は、人への貢献をしてそれを自信にしても良いのですが、必ず、潜在的な傲慢さを克服しなければいけない時が誰しも来ます。
”自我(自分)による貢献に拘る心”があると、より大きな貢献ができないためです。
現時点では、日々、モヤモヤするだけに感じるかもしれませんが、46様は素晴らしい修行をされておられると僕は思います。

そのような時のもっとも良い乗り越え方は、「何もしないこと」だと思います。
座って何もしない時間を多く取るようにします。
ただ、周囲の人の幸せを願う祈りなどは実践されるのは良いかもしれません。

精神成長と共に起こってくる困難の性質が変化していくと思います。
それで、
>>今は困難や苦悩などとは無縁に過ごされていらっしゃるのでしょうか?
のご質問についてです。

精神的には苦難とは感じ無いのですが、物的な意味での苦難は続いています。
僕の場合では、苦難の大部分は育児に関するものだと思います。

僕の師匠は家の娘でして、自閉症の特徴なのか何なのか分かりませんが、
親のエゴ(不安、焦り、怒り)が対応に少しでも見えればすぐに不穏になります。
ですので、娘との関りを通じて自分のエゴを減らし、同時に、娘の世界観により良い影響を与える....というのが、僕の毎日です。
娘は外の人間にはほとんど怒らないわりに、家族に対しては尋常じゃなく気難しいです。

ただ、それを苦難と感じることが難しくなっていて、日々、「どのように関われば娘の未来に最高の結果を出せるか?」を、
心に投げかけ、潜在意識(実体)から知恵を引き出し、対応していくのが楽しいです。

特に、育児は世界に与える影響が大きいですので、大きな仕事をしている実感が日々得られて嬉しいです。
(ただ、人生に育児が必須というわけではありません。育児を経験しない運命を持つ人もおられ、仮に育児に似た経験が必要であれば、
精神成長と共に、誰かを育てたり見守ったりする機会が得られます)

ただ、無価値感との闘いが無ければ、
このスレで誰かを喜ばせられたこと一つとっても
「僕だから出来た」とか、育児一つとっても「僕が親だから娘は安泰だな」とか、
ロクな事を考えなかったと思います。
すると、その時点で、僕の活動は関わる人々の進歩の足枷になってしまうでしょう。

自身に対する無価値感を乗り越えた日々が、
未来に世界のためになるとは、その時、到底思えないと思います。

ただ、映画のフィルムを回した回数の多さ(上映回数・貢献回数)が、
多くの人を喜ばせられるかを決めるわけではないように、
フィルムそのものの内容を改良する期間が必要です。

無価値感との闘いはそのような性質のものだと思います。
あらゆる人生の闘いの中でも、かなり本質的で奥の方が成長できる機会となっています。