>>177
その方と僕をこうして仲介をされ、とてもお優しいのですね。
美しいその心に敬意を表します。

それで、人生の苦難の最中、このような形でご縁を頂いた事に感謝いたします。

始めにお伝えすると、寿命に関する情報は僕には得られません。
知ってしまうと、その人の人生上の学びに悪影響が大きすぎる案件であるために、実体からの情報提供が無いのです。

僕に分かる(ことがある)のは、
【その人が人生を実りある物にするために何をした方がいいか?】
という事に関してです。
寿命に対する考えは事故や病気と同様だと思っています。
精神向上にとって必要があればそれが起き、それを通じて学ぶものだと思います。

事故で足を怪我したなら松葉杖生活など様々な生活の不便を通し、精神向上へと必要な事を学びます。
同様に、死によってもたらされた”新しい世界”を通して、精神向上へと必要な事を学びます。
それが自死であれ病死であれ他殺であれ、その見方は変わりません。

ただ、その「死の質」を決めるにあたって問題なのはその死がもたらされた背景です。
カルマの法則では行為による影響の大きさは、”本質的成長の機会を与えた・損失させた度合い”で割り出されることが多いです。
動機しだいですが、ほとんどの自死の場合ですと、自身の命を自分で奪うことで「成長の機会を損失した」という事で、停滞を前提とした世界に足を踏み入れることになります。
多くの場合、それは永遠に続くかと思えるような長い悪夢のようなもので、ただただ暗黒・出口の無い迷路・暗い森の中・決して出られない自宅の部屋の中など、その人の精神構造に合わせ、様々な形がとられます。
共通するのは出口が無いという事で、そこを抜けるには時間が経つのを待つしかありません。
まさに停滞を前提とする世界です。

寿命を知りたいとおっしゃる方に関して言えば、伝えられることは、
【本質的に判断すれば、寿命という概念はあまり意味が無い】ということです。
この世もあの世も地続きでして、この世であってもあの世であっても自身の精神構造が環境に投影されています。

ただ、違う所があるとすれば、この世の1年は大体においてあの世よりも密度が濃いという点です。
例えば、ロウソクの火を手で一瞬でかすめるだけなら大して熱くないですが、10分かけて通過させれば地獄の苦しみになります。
この世での時間の価値は一瞬で火の上を通過するか如きものです。

ですので、わざわざ死して業火の中に身を投じずとも、この世で、熱い地点を通り過ぎる方が良いと思います。
この世においては”ほんの少しの意識の持ち方”だけで人生やその後の未来を変える事が出来ますから。