二枚舌のイモ婆さんのキモさは異常
自分に言い聞かせてる独り言ブログにしか(笑)

バディなのか? バディでありたいのか?
魂の卒業旅行 ソウルバディジャーニー
https://ameblo.jp/twinflame1111/entry-12605512071.html
「自分たちがバディであると確信している人たちであっても「バディじゃない可能性を受け入れられるか?」というのは成長を進める上でとっても大きなキーポイントだと思います
この意地悪とも思える質問を私もすることがこのところ何度かありました
それで動揺してショックを受ける人は「バディであること」に依存しています
バディだからサイレントになっているバディだから必ず統合する
ここに依存していまうと本当の自分につながる軸を失いかねません
「バディじゃない可能性を受け入れられるか?」
私は確信してるけどどうせ証明はできないんだしもし違ったとしても学びと体験は始まっているから変わりなくこの道を楽しんで進むよというその受け入れエネルギーが成長に拍車をかけるのです
先日読者さまよりフィードバックをいただきました
「バディの概念が先行してしまい、自分の感じている寂しさや、もしかしたら相手から大切にされてないんじゃないかという心の小さな曇りを見て見ぬふりして、自分を軽んじてきたことも分かってきました。
それから、めいさんのブログに出会ったり、本を読んだりしている自分が「バディに出会っていない人より上、そして先に進んでいる」と思い上がっていた節もあることも見えてきました」
ものすごく大きな気づきだったと思います
勇気を持ってこのようなフィードバックを送ってくださった読者さまに感謝いたします
先に進んでいると思われていたそうですがバディに出逢ったからといってその人が特別というわけでも進んでいるというわけでもないのです
バディとの出逢いは単なるオプション
バディに出逢わずに魂をどんどん成長させて統合に向かう人たちもたくさんいます
そしてそういう人たちはバディを心の支えにしなくても自分軸を持って成長を続けられるのですからすごいパワーの持ち主だとも感じます
どっちが上とか下とかはないんですよね
魂それぞれのやり方やペースがある魂の自分に肉体の自分がどれだけ誠実であるのか?が大切なのだと思います」