こんにちは!中々訪れられない日々が続いてます、サーモスやニトリのタンブラーの話など私も参加したいのですが、ちょっと置いといて(笑)

占いチャンネルの様な所から、こんなメールが届きました。
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【約束された 魂の片割れという「ツインレイ」】

あの有名なアダムとイヴの物語。
男と女を神が生み出した 神聖なる物語。
人間の欲によって楽園から追放されてしまった男と女の物語。
失楽園から、永い永い時期が経ち、私達はいつも心のどこかで、運命のお相手という「魂の片割れでもある
「ツインレイ」魂の宿命のお相手を探し続けている事でしょう。

本来恋愛とは、愛し愛される喜びや幸福感を得る為に、それらの素晴らしい愛を体験する為に、2つの性別との「恋」というものが始まりました―――――。
恋に焦がれたら、恋に溺れてしまったら、私達は本当に人生がだめになってしまうのでしょうか。
本当に恋愛とは、人間のコントロールを失わせるものなのでしょうか。
そのような恋愛も確かに存在し、自分という人間の理性を抑えられないくらいの、盲目な恋愛をしてみたいと、
そこまで一人の男女を心から愛し、愛し尽くしてみたい。

そんな恋愛をしてみたいと、人間である私達は、一度は思った事がある事でしょう。
ですがその恋も初めは麻薬の様に、美しそうな恋愛も、時間の関係の経過と共に、
こんな筈ではなかった。こんなに傷つく恋愛をするんじゃなかったと、
心に今も癒える事のない愛の傷を抱えたまま、次の恋に恐れを抱くようになり、
人を愛する事に抵抗を感じ、それが更なる心の孤独へと闇のような道が続いていくように、そうなると錯覚さえ覚えた事があることでしょう。

新しい時代。 そして「新しい愛の時代」は始まりました―。
もうその囚われから放たれていい時代になったのです。
私達はもう、素直に心のままに、幸せとなる蓮あ愛をしていいのです。
運命の宿命のお相手ほど本当に苦しいものなのでしょうか。
本当に幸せになれないのでしょうか。
好きすぎて、いつも悩ましてしまうものなのでしょうか。

本来は恋愛とは、愛の素晴らしさを体験し、愛の偉大な力を知る為に、
離れた者同士が「ひとつになれる喜び」を体験する為にあるものとなります。
駆け引きやテクニックというものは、扱う必要はなく、
それを扱わないといけないお相手を選ぶからこそ、苦し想いや繋がり合えていない不安感、そして自分の心を自ら傷つけてしまいます。
小さい頃、幼い頃にただ相手を好きだったあの頃の想い。
離れてしまう事よりも、ただ好き同士になれたらいいな、という淡いけれど、とても心温まる気持ち。
何故みんな懐かしい記憶として残るのでしょうか。
何故いつまでも心に残り想い出すと、ちょっと心がほころぶ感覚になれるのでしょうか。
それは純粋である芯からくる恋の心であるからです。

真実の「ツインレイ」のお相手とはそのように、
心が温まる包まれるような、ただお相手の幸せを想いながら、でも自己犠牲をする事もなく
不安からくる束縛もなく、制限をかける事もなく、ただ愛を与え合う者同士の「光」の人生を歩むものとなります。
ただ私達はその感覚を忘れてしまっているだけであり、
今からでも、過去の経験など関係なく、その純真な恋愛を体験する事ができるのです。
愛されたい。愛されている事を自覚したい…。

それは自分を愛せていないから。
自分が小さい頃の、子供だからこその ただ 今この瞬間も「好き」だと「大好き」な気持ちを ただ 感じる。
「愛の幸福感」とは、すぐ手にいれる事が、本当はできるのものなのです。
愛をみようとした者が、愛を選び生きてきた者が、愛を与え、その愛がまた本人の元に与えられる事となります。

「全ては自分自身」 すべては自分次第。ただ目の前にいる人を ただ 愛し ただ 愛を実感して欲しい。
言葉がなかったとしても、素直に表現する事ができなかったとしても、「ただ愛は通じる。と信じている感覚」。
どんなお相手と付き合うかではなく、自分がどんな愛を伝え 与えていきたいか、
どんな愛を表現し どんな愛を二人でつくっていきたいか、それだけです。