神仏のような「キャラ」が本当に実在すると思っていたり、
氣なるものが実際に存在していると思い込んでいるあたりは
彼が見下している清水気功と同じ穴の貉でしかないよな。
だから序列大先生もまた旧タイプの伝統的気功に属する。

小周天、督脈任脈のルート自体がクリヤヨガから伝わったものが
伝言ゲーム的に間違えて伝えられてしまったもので、
本来のクリヤヨガでは脊柱内を空洞に「見立てて」、
そこをエネルギーに「見立てた」ものを呼吸に合わせて上下させる、
わけなんだけどね。

もちろんいいんだよ、仙道的な体表面を循環させるやり方でも。
でもオリジナルはクリヤヨガの手法だったということ。

神秘行、こういう密教的手法は、単に身体をメタファーとして使う、
方便としての行なのだということが理解できない人が多い。
だから、誰それは正しい、誰それは間違っている、
という無意味で不毛な論争に明け暮れることになる。

最初からチャクラだのナディだの経絡だのが存在しているのではなく、
そういう設定として、そういう体として、方便でやってるのが神秘行なわけでね。