>>301
根幹としては『人の痛みは千差万別』ですが、余りにも「私これだけ可哀想」ってやってる人を見るとつい反論してしまう癖があるみたいです……反省……
同じ立場に立って考えるようにはしていますが、どうしてもその「私が可哀想」に対する感情が先に来ると『いやお前より不幸な人間死ぬほどいるだろ』となるもので……
『下を見てみな。お前の不幸は不幸と言うほどでもないのだ、安心しろ。死にたいという意思は止めないがお前が死ぬほどの価値があるのかその不幸に。』というのに近いですかね。
励ましたい意思と私の感情とがごちゃまぜなので不快感の方が強く出てしまったので、誤解をさせてしまってすみません……。
神様が「これくらいでも辛いだろう?」という風に試練をくださるという意見は私も同じです!

私の不幸は誰かを勇気付けたり、誰かが傷付かないよう忠告をする為にあったのだと今なら思います、だからこそ開示しました。不快感を抱く方もいらっしゃいますでしょうが、それはもう仕方のないこと。
こちらこそ、まっすぐに生きてきただなんて言ってくださりありがとうございます、時に回り道もしながらのんびりと生きていきましょうね。