サティを「気づき」と言うと誤解する人がたまにいる。
日常的な意味の「気づき」、何か見つけて「あっ」と思うような瞬間は、サティの一部でしかない。
サティは「気づき」よりもどちらかと言えば「注意」「留意」に近い(結果として気づきやすくなるが)。
仏典によれば、これが正しく身に付くと煩悩に流されないようになる。
なので悟りにも近づく。

「気づき」という訳が出てきたのは、sati の英語での説明に awareness の語がよく用いられたから。
「意識にある」「気がついている」という意味合いだが、日本語に訳されたとき「気づき」となった。
これを見て noticing 的な意味に受け取る人がいた。