心の中に知らない人がいるんだけど
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板違いだったらごめんなさい。
自分でも確信がなくて辛いのですが、
ある日生まれてきた意味みたいなのを直感で知りました。
それは、ある人に会うためです。
仮に私はその人を「兄」と呼んでいます。
ところが、この人が私の中にいるような感じが最近しています。
外に探しに行くために生まれてきたのではなく、
内側に兄を探すために生まれてきたのでしょうか・・・。
同じような感覚を持っている方、いますか? 心の中に知らない人がいるとタイトルで書いたのは、
兄との思い出みたいなのが時々ふと思い出されるからです。
実際にはなかったことのように思うのですが、
はっきりとその情景がふと思い出されます。
ちなみに、実際に兄はいないはずです。 自分の中に兄がいると感じるときは、
ふと兄との出来事を思い出した時に、
「兄と過ごした自分」というものを感じた時や、
自分で自分の性欲を満たそうとした時です。
こんな話になってしまってごめんなさい・・・。
でも自分の性欲と兄とは切っても切り離せないような感じがあります。 陳腐な例えになってしまって、少し実際と離れてしまうような気がしますが、
運命の人が心の中にいた、みたいなことはあり得るのでしょうか?
あり得る、というか、同じような話を聞いたことがある方はいますか?
その人とは実際に会ったことはない。
でも、ないはずのその人との思い出を覚えている。
その人が心の中にいる感じがする、という…
ごめんなさい、上手に言語化することができていない気がします。 今ではないときに、そのすごく好きな兄と
いっそ一つになれたらと願ったことがあったように思います。
二つの体に分かれているのが辛くて、一つになれたらいつでも兄のことを感じられるし、
いつも一緒にいれると単純に考えたのだと思います。
でも実際に一つになってみると、兄の存在を感じることが難しくて
悲しくなってしまった…一心同体だと気付かずに外で探し出そうとしている…
みたいな、感じがするのですが、いまいち確信が持てません。 あれ・・・途中からIDが変わってしまっていますね・・・。
1から6レス目まで、スレ立てした私が書いています。
ごめんなさい、あんまり使い慣れてないです・・・。 1です。
時々、テレビの人やアニメの人をみて、
なんとなくこの感じ兄に似てるなーと思うことがあります。
この感じ好きだなータイプだなーとかではなく、
兄もこんな感じだったな、懐かしいな、という感じです。
でも実際に兄はいないしそういう存在の人もいないし、
似ている人もいません。
全然知らない人なのに、懐かしいと感じて凄く会いたくなります。 1です。
大事な兄をなくしてしまって、凄く喪失感を感じます。
もちろん、その「兄」は会ったこともないはずの知らない人で、
三次元にも二次元にも実在したのを見たことがありません。
完全に知らない人です。
でも、なくしてしまった兄を取り戻したいという気持ちが時々強くなり、
強すぎで涙が止まらなくなってしまいます。
ちなみに、精神の病は患っていません。
普段から思い詰めるタイプというわけでもありません。
人間関係や恋愛関係で過剰に期待したり幻想を抱いたりするタイプでもなく、
友人にも少しドライだと指摘される程度には、
強いていうならさっぱりしていると思います。
ただ、今ではその知らない人、「兄」を探すことが
人生のメインテーマになってしまっている感があり、
自分でも戸惑っています。 1です・・・なんで毎回ID変わってしまうんだろう・・・。 >>5
わたしはあなたのように兄ではなく神という存在でしたが(昔から漠然と誰か?何か?自分の中だけで求めていました。片思い設定が両思いになるような。最終的に神という存在に向いていきました)、
ある日とうとう衝撃的に出会い1つになった後、穏やかな歓喜と感動の日々を過ごす中で対象がいなくなってしまった喪失感を遥か彼方に懐かしく感じました。
微塵も悲しくはないのですが。
わたしの場合はその対象は「エゴ」だとその時に感じました。
エゴを遥か彼方の奥底に懐かしく愛しく思う感情がありました。
何か似てるなと思ったのでレスしてみました。
意味不明でしたらすみません。 >>10
レス嬉しいです、ありがとうございます。
もう少し聞いてみたいです。
衝撃的な出会いとは、どんなものだったのですか?
「神」と表現されていますが、
それはこの世の創造主と呼ばれるような存在のことを指していますか?
私の場合は、同じ存在で対等なものだと感じています。 兄に関して思い出すことや感じることがあると、日記のように書いています。
なんとなく今私が感じている、私の中にいる知らない人「兄」との関係を説明できそうなものを見つけたので
日記から抜粋してみます。でもかなり漠然としていて、暗中模索感がすごいのですが…。
===========
2019/07/11
私と兄は対で生まれてきて、片方を失えばもう片方もどうにかなってしまうのだろうか。
一緒にいないというのは命に関わる問題で、だから私は必死に探しているのにいないということをぎりぎりで認識できない、確信がないのだろうか。
いないということは、いたということだから、今一緒にいないという確信を持ってしまうと、私は死んでしまうからなのだろうか。
だけど、今一緒にいないと仮定しながら、いつもどこかで兄の存在というか面影というか、
そういうものを感じるのは、私の中に兄に関する何かがあるからなのだろうか。
例えば、記憶とか、存在そのものとか、その一部とか。
もし私と兄が、片方を失えば片方がどうにかなってしまう対の存在なら、
私を失った兄は今どうしているのだろうか。
兄は、私を失っていないのだろうか。
得ていないから、失ってもいないのだろうか。
何か、私が知らない枠組みがあって、それを用いれば、
私と兄の関係がもっとはっきりわかるような気がする。 >>11
衝撃的とは外側に求めていたものが
自分の内側から現れたからです。
その瞬間までわたしは自分の内側にそのような存在が在ることなど聞いたことがなく知らなかったのです。
青天の霹靂でした。 >>13
なるほど。
私の推測そのままの体験をされた部分があるのですね。
「エゴ」と表現されていますが、
それは概念のようなものということでしょうか?
私の場合のように、人格があってそれとの思い出が情景と共にある
というようなこととは別の感じなのでしょうか?
私の場合、ある特定の人物に関する記憶
あるいはそれにプラスしてその人物の人格
という表現がしっくりくる感じがしています。 1です。
似たテーマを扱っている文学作品などあれば、読んでみたいです。
どのように感じてどのように表現しているのか、
私とは違う人の感覚や言葉を知りたいです。
『失われた時を求めて』は、あらすじを読んだかぎり、近いような気がします。 1です。
兄に関してですが、知っているのになぜか存在していない、
みたいな感じがします。
私においても、知らないのになぜか覚えている、みたいな。
雷の音がしたので雷が鳴ったと知っているのに、
実際に雷の光が見えないので確信を持てないでいる…みたいな感じです。
わかりにくくてすみません…言葉にするのって難しいですね…。 1です。こうやって人に聞いてみようと思ったのは、
探そうとしてもどうやって探せばいいか分からず、
絶対いる、探し出すまでは独りで生きる、と思う一方で、
もしその「兄」が外に存在せず、私の心の中の存在なら
いくら外で探しても見つからないよなあと
堂々巡りに考えることから抜け出せないでいるからです。
もし私の他に「その人との記憶はあるけど知らない人」というのがいるという方がいれば、
お話を聞いてみたいというのと、
他の人から見たらどのような可能性があるように見えるのか
知りたいと思っています。 >>14
思い出があって情景が共にあるわけではないですが、その感情を内面の遥か奥底に認識した時に、それととても同調する歌がありました。
その中の「またあなたと共に映画のような 青く染まる町を眺めたいのに」という部分が特にその感情を表していると思いました。 >>18
もともと共にあったものなのですね…。
>>10で「穏やかな歓喜と感動の日々を過ごす中で対象がいなくなってしまった喪失感を遥か彼方に懐かしく感じました。」
とおっしゃっていますが、
自分の内側にそれを見つけた時に、
見つけた喜びがいっぱいだったということでしょうか?
喪失感というのは、内側に見つける前に感じていたものですか?
それともそのあとに感じたものなのでしょうか。 >>19
自分の中から現れ出て認識し再度ひとつになった後は魂の悲願を達成した喜びでいっぱいでした。
その前は存在も知らなかったので喪失感もなかったと思います。
ひとつになってしまってから対象がなくなった不思議な感覚がありました。
それからその深い意識の奥に何かを失ったような懐かしさを感じたのでした。 あくまでも一個の可能性としてですが前世に何か強い惹きつけがあった人の記憶の断片かもしれないですね
だからといって相手は強い結び付きのあった人やいわゆる運命の人とは限らなくてあなたからの思いが一方的に強かった相手である可能性もあるし
イマジナリーフレンド的な人格があなたの中に知らず知らずの内に形成されてた可能性もあると思います
あなたが作ったものかもというと、自分ではこんなこと思いつかないですとおっしゃるかも知れないですが、人間の作り出す想像の世界は突拍子もないことだらけです
他の方がおっしゃっているようにどちらにしろエゴやこだわりの感情ならない方がいいものなので、繰り返し思いをめぐらせるのはよいことだとは言えないと思います
現実的な対処としては人と出会いまくること、そうすれば気の合う人や縁のある人とも出会えるし特定の相手に懸想することを減らせるので
自分に中にだけある存在にこだわると都合のいい相手像が作られてしまう可能性もあって浮世離れしてしまうしあまりよくないと思います
スピ板なので言いますが、本当に縁がある人には会えますよ、でももし会えても、自分の思いや自分の中にあるイメージや記憶を元に相手に何かを求めちゃダメですよ
過去生でストーカーのように追いかけていた相手の可能性もあります、あなたが感じるからそれが正しい答えであるということにならないのはスピリチュアルの世界でも同じです
余談ですが、人間にはみんな共通した感覚があって、不思議なことに経験もしていないのに自分の中にそれを感じることがあるそうです
具体例でいうと日本育ちの日本人なのに初めて見る外国の景色にノスタルジーを感じるとかですね
母親像や父親像の原型や運命の人のイメージも誰の中にも大抵あるもので、多くの人が心の中に描くその像にはたくさんの共通点があったりします >>20
不思議な話だね
>>21
色々あるんですね 兄か、同じ設定で自分にも同じような感覚があった
性欲って部分とか対の関係からして、多分分かる
外に、いるのか俺も確かめてはいない
実際に俺の場合は三次元にいる(いた)けど、今も会ってはいない、他人だしね だから自分の中にいるのと対峙して、そういった体験をしてた、てか今もしてるけどね
うーんと、ある一つの設定があってさ、俺はテンプレと呼んでるんだけど、それを使って何か自分を変える?目的でやっていた、今もしてるけど そのテンプレ、設定とは、兄と妹の物語で、ルシフェル兄妹のお話でもある
物語的には兄と妹は結ばれない、いや、自分の体験的に言えば結ばれてた?のかな
取り敢えず兄と妹の間には矛盾が無かったから、何とも言えない
俺がついて行けなくて離れちゃったからな
兄も妹も自分達がルシフェルであると言っていたが、
俺はルシフェルじゃないので、独立する事にした
因みに兄とはそれまでの自分でもあった んで、左右と上下の軸という感覚があって
横軸の左右が人格や個人を表すもので、左に妹(あなた)と右に兄(わたし)となっている
んで実は左右の間にもう一人いるんだけど、それが今の自分
それは今は解決した
んで、縦軸の上下はエネルギーとかになっていて、上が男性エネルギー、下が女性エネルギー、となっていて、これがややこしいんだけど、ここでも相手とお話なりやり取りが出来る
本来であれば自分自身のパロメーターみたいになると思うのだけれどね...
んでここで俺は悩んでいる まず、上にいる男には生き方があって、男以外を黙らせて自分一人だけで生きようとするやり方
男の住む場所は人間の身体で言えば頭で、女を黙らせるワンマンプレー
んで、下にいる女の生き方は、みんなが揃っているのだけど、自分が全てを統括し支配するやり方
女の住む場所は人間の身体で言えば腹で、男を無力化し、自分の望むように生きてほしい
この作用はそのまま人間の生き方に影響を及ぼす
で、左右で間があったわけだから、上下にもあるやろってなっているのが今の現時点の自分 少し話を戻すと、兄と妹、左右の話は、どちらか片方しかいないはず
何故なら、相手は鏡に映った自分自身だから
つまり、そこに性欲を感じるのは、単なるオナニーだという事だ...
まぁ、俺も外にいるその妹とやらに会ってないから、何とも言えないけど、
概念的にはそう言う事だと思ってる 胎児の時に胎内で融合してしまった兄弟か、
親から知らされてない胎内で亡くなった兄がいるのでは…? 1はもう来ないのかな
俺も映画やアニメや人や動物、色んなところに妹を感じるし、それが物語として分かる
それがメンドくさくて嫌だったし、妹もキライだし、俺はルシフェルじゃないのに
せっかく兄と分離して自分になったのに、今度は俺に兄の役を押し付けてくるし、甘えてくるからマジで勘弁だわ
ひとつになるより、早く別れたい ん?俺か?
厨二病になりたくないから必死に戦った結果だよ
でも感覚としては確かに存在しているし、それを乗り越えて得た結果もある
やりたくないし、見たくもない、でも事故や災害を100%回避できないだろ?
だから仕方ないと思ってやっているよ 俺の人生は今回に限った話じゃない
こんな事散々やってきた、その度に俺の人生は思うように行かないまま終わってしまった
これ以上はもう、思うようにさせたくないし
今回負けたらお終いだ 左右と上下じゃ難易度が違うな
全く間が見つからないどころか、化け物みたいな奴まで出てきた 『兄』と感じる人は、前世で好きだった人、片想いだった人
とかでは?
ソウルメイトですね。
>兄を探すことが人生のメインテーマ
前世で結ばれなかったから、今世に持ち越した
と思います。
ただ単に、持ち越したカルマだと思いますよ。
相手は、?という感じになると思いますよ。
私も、前世からの感情(カルマ)が分かりました。 >>34
よくわからないけど、
負けるな頑張れー!
たくさん転生して人生体験してきた人なのね
個人的に、加工食品避けてタンパク質意識して摂取して、
運動もそれなりにやって健康的に過ごしたら、
スピリチュアル的な変な要因で悩むことが
減る気がする。
肉体の防壁を強くするのだ。
運は、合う神社に行くといいよ。
なんかおるわ。
もしくはご先祖様大事にとかか…
よくわからんけど、君もここのスレ主さんも、
中にもう1人いる謎状況改善できるといいねぇ。
ストレスから、解離性障害みたいなのなってる可能性も思わなくもないので
無理せんでね >>37
いや、普通の人間なんで前世とか知りません
こういった事を今までもこの人生の中でしてきたって事ね
謎というか、仕組みは大体自分の中で体系化出来てるから謎ってわけでもない 女性のエネルギーソースはやはり相手がいて成り立つ存在だと分かる
男性を封印したのは、やはりうまくいかないからだ
で、替え玉というか別の男が必要になる
だから腹と間が繋がってる現状なんだね
例えると、主導権を握りたい年増女と、草食系の若者男子みたいな感じか
本来なら男性エネルギーと調和するべきだが、悲しいね 鏡のアナタはワタシを映し出す
ルシフェルであると分かるのは、アナタがいるから
鏡に映った自分を見るから
でも鏡に映った自分を見て、こんなの自分じゃない!
と、アナタは言われたら、悲しいだろう
という話から始まるのが今回なのである 自分を否定されても、ついて行きたい
だから、ルシフェルさえ捨てても...
悲しい物語でござるよ しかーし、現実は甘くないのだ
新世代が爆誕する流れになれば、そんな事もいってらんない
第三世代はそんな事を気にする連中ではないのだ 自分が何者か?知った事じゃない
そもそも自分ですら無くなった連中だ こいつらが生まれるために、アナタとワタシの間に溝が出来た
てことでこいつら生み出す流れ早よ出て来いや ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
近年では地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。
そこで宇宙の法を理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 蓮の花は泥沼から咲く♪
〜世界と人間のシステム〜
◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。
◆この世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、
ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。
どんなに高次の存在がいたとしても、それも人間同様にプログラムで動いていると思われる。
◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに
自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。
◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、倫理上も法律上も仕方のないこと。
◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。
ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。
◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強烈な力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける)
ケースが稀にあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業するといわれる。
◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ
を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ)
◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブ現象においては
それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たなネガティブデータが保存されやすい。
◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、
おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越されると思われる。 ◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)
のようなものは存在しないと思われる(創造の原理は存在する)。
◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。
◆全ての二極性は表裏一体であり、輪廻の中にあるあらゆる二極性の状況は時間の中でバランスをとる。
◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて
解脱する(真我に目覚める)のはごく稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。
◆しかしこれは仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないと確信してそのことをよく考え抜き、
自我に根ざした行為を控え、ハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、
真我は不生不滅でありこの仮想世界とそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、
死後に輪廻を卒業してニルヴァーナにずっといた荘厳なる至高の実在に目覚めると思われる。
しかし本当はそれは誰にとっても今この瞬間に存在する。眉間の後ろのほう(脳の中心部)とハートの中心に
全てである真我(≒無)への入り口があるが、その入り口の感触はたいてい味気なく感じられよく無視される。
幼い純粋な子供はその入り口の感触を知っている。そこから仮想意識とその中に時間と空間がいま現れる。
ただ現時点で多くの人間は我欲を主体として、宇宙の法に従った生き方をしないために至高の真我が無視され、
延々と輪廻(幻想)の海を漂ってる可能性が高い。 なお、宇宙の法は人生の境遇が悪ければ悪いほど甘くなる。
◆このような世界観を直感的に確信し受け入れて賢く生きれば、仮に死後に輪廻したとしても、
深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。
◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、
死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性がある。
自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく欲望・執着を捨てて、
あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。 ◆人生を例えるなら、人間は既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもの。
我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。
その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる。
つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。
自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、
実際には真我の霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が
動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。
◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、
仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さい(ほとんど私は人間だとは感じられない)ものとなり、
自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。
あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。
メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、
常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、非常に慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。
精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。
自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。
肉体的(物理的)な痛みは、肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じるが、
同時に真我の位置からの観照が起こる。 さて、もしかしたら負けるかも知れないな
頭腹奥というコテが前にオカ板にいたが、そいつの言ってた通りになるかも知んない
まあこの手の話の大体の連中が同じような事言ってるし、俺もそれでいいのかなーと思えてくる 女は多分身代わりが欲しいだけになった
というか、自分の思い通りの世界で男を自由にしたかったんだろうな 女無き世界で男が思い通り、というか自分一人で生きてきたわけだから
突然女が現れても受け入れられるわけない
で、男を消した
そしてその身代わりに人間を自分の思い通りにしたがっている 自分の影響力で腑抜けにして、中まで思うままにしていくつもりだろう
ただの指人形遊びになった時に、女は果たして満足するのかね 男というのは一人、究極に収束していく
女は多数、故に色んな精神がそこから派生している
ただソースは一つ、つまりその意思に拘束された精神
女の指人形達というわけだな 一つ物語、これはルシフェルではなく、もっと抽象的なものに思える
その女はもう壊れている、救えない心の病気になってる
男も男で多分問題がある、暴力的でわがままなような
で、この男は多分、個ではない?のではないかな
そんでルシフェルがその女を救おうとするんだけど、
結局無理だったみたい こういう話がルシフェル視点から沢山あるんだけど、
どこをソースとして感じているのか分からないから
基本信用はしていないので、まぁこんな話もあるよ程度に あとは、まぁ妹は残念な事に、女をソースとしている
そんで女は男がいないと全てを支配する怪物になる
いい抑止力になってるわけだな、男が
多分本来なら男と女は共存できた、というやり方もあったんだと思う
今の状態が正常だとはとても思えない 2つ、調和、というやり方がある
対極通しが仲良くハッピーに暮らす世界
ただそれは身代わりと一緒に作るものじゃない
悲しい事に、現状は1つ、統合というこれまでのやり方、男だけの世界と全く同じになってしまった
やはり、身代わりではダメなんだよね 長文自分語りで会話のキャッチボールしてないからレスに困り、1は去ったんでしょ。空気読みなよ。1の話が聞きたいのに。 それはすまんな
俺が来たのは1が去ってからだな
まぁ折角だからここで自分語りしながら気長に1を待ってたんだよ 1さん自身が作り上げたことなんだけど思いますが
何かネガティブな心理によるものとか決めつけることは私には出来ません
例えば、知らされなかっただけで流産してしまったお兄さんが居たりすると
ご両親の心にそのお兄さんは居ますから
その喪失感や慈しむ気持ち、1さんにお兄さんの分まで生きてほしい
といった気持ちが言外に伝わってきて、条件付けられることがあります
というのも、大人になって母も亡くなってから知りましたが
私には二人、水子の兄が居ます
彼らがいつも一家団欒の中に居たことを感じていたのをよく覚えてます
肉体としての存在を知らされてない兄たちです
子供の私は不思議といつも彼らがどこに居るのかと探してるようなところがありました
水子の兄たちのことを知らないのに
つまり世俗的には妄想ということになりますが
人の命というのはそうして生まれも死にもせずに存在するのだと思います
たまたま、私達は生まれてきてしまっただけで
私と同じか似たケースで形作られたお兄さんなのかもしれないなと思いました
だとすれば供養するなりするといいかもしれませんが…
肉体を持って生まれたほうが苦しいわけですしw
けれど見えないだけでお兄さんは生きていると思いますよ
決して形あるものとしては見ることの出来ないお兄さんなのだから
肉体でなく限りない慈しみの気持ちを向けてあげると良いと思います
お兄さんが宿っている1さん、ご両親、ご兄弟、みえないお兄さん
同じ様に慈しんで差し上げたら良いと思います >>60
水子なんてものはそもそもない
胎児には魂が入ってないからあり得ない 現実的な対処法にならないなら空論
他者否定したいだけのお前の欲求を晒してるだけだぞ @「現場写真観て
見事にブスばっかやないかい
と驚愕
それがある意味リアルなのかな
今日もいいお天気
みんながんばりましょー」
A「デブだろうがブスだろうが
人に何言われても
結局は
自分の気の持ちよう
私いい女(*´・ω・`)bでいいよね 」
B「ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
C「しつこい笑
ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
@だけでなくCまで全部同じ元AV女優のツイ
こんなのがスピリチュアルとかほざいてもね 私も魂の兄的存在います
色々と悩みましたが、どうせ死んだ後
会える、と思ったら気持ちが楽に
なりました
兄的存在は今も生きてるし元気だと
思います
死んだ後が楽しみです
魂の交ざりがめっちゃ楽しみ ひとつめはあなたが夢見がちなお姫さま体質。
ふたつめはツインソウル存在ですね。
自分のインターネット
検索履歴キーワードなんかを見ている時に。
たまに自分の考えを見直そうとしますね。
これは良心や理性、咎。
生まれつき人間が持ち得たパートナー、
即ちソウルメイトが、生きた形
存在するからですね。 >>70のうちどちらも、はあり得ません。
スーッとした気分の日に、
何か自分に取って良い出来事があれば。
後者の可能性は高いのかも、わかりません。 @「現場写真観て
見事にブスばっかやないかい
と驚愕
それがある意味リアルなのかな
今日もいいお天気
みんながんばりましょー」
A「デブだろうがブスだろうが
人に何言われても
結局は
自分の気の持ちよう
私いい女(*´・ω・`)bでいいよね 」
B「ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
C「しつこい笑
ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
@だけでなく何とABCも全部同じ
女のツイ(元AV女優)
@で言葉の暴力
ABCで偉そうに持論を展開
@の経緯は説明できないという 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして授業をサボって遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪されたのにも関わらず
芸大を受験する資格すらないのに"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています