知的好奇心を満たす事って良くないことなの?
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本の引用だけど、
「いまという時を浪費しないことだ。
人生の神秘を解き明かそうとして、いまという現実をむだにしてはいけない。
神秘が隠されているのには、理由がある。
自分とは何者か、何者になりたいのかを決め、全力をつくしてそうなりなさい。」
って書いてあって、俺は否定できない
誰か反論できる人いないか?
瞑想で気付きを得るのを楽しみにしてるんだけど、この文を見てから喉に魚の骨が刺さったようなモヤモヤ感がずっとある 深みを増す時期と、高みを増す時期があっていいんじゃないかな?
知的好奇心をみたしたなら、それを社会の役にたてないと。 >>2
いいのかな?
知的好奇心を満たすのは自己満足で完結しちゃってるなあ
その知識を行動に移す方法について模索するのが先決かな? 自分の為に活動するか、世の中や社会の為に活動するか、どちらを選んでもいいし、どちらも強制出来ない。
しかし、結局は世の中に生かされる。 スピリチュアルでも、どの分野でも、知ったら教えないと欲しいものが得られない場合がある。 他の人の為になる気付きを得るにはどんな要素を考慮したらいいんだろうか
例えば、
低燃費走行をしてる人多いけど、これが車間距離を詰めるのに繋がる事が多くて、怖いお兄さんが出てくる事に繋がることになる
とか、因果関係や人生の落とし穴について考えることが多い >>6
人生の落とし穴があるなら、むしろ自分から落ちていこう! >>7
ビビりだから難しいな
それより他者のためになる、行動に移せる気付きに至るのに念頭に置いた方がいい考えを知りたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています