>>961
人によって捉え方も考え方も皆違うので、この考えを押し付けるつもりは毛頭ありませんが、
喜怒哀楽がありながらも平安を持ち続ける事・・・極端な例えで言えば、本を読んだり映画を見たり、
心揺さぶられる現実に触れた時、喜怒哀楽を感じながら、その喜怒哀楽を感じる自身の感性すらも
有ることが有り難く嬉しく思えましょう。
この現実に生きていて、喜怒哀楽を感じない心になったら、どれ程味気ない人生でしょうか。
肝心なのはその喜怒哀楽の感情に流され翻弄されも、それによって道を誤らない、自身の確たる
平衡感覚と言うか、心の基準点を持つこと。それが「平安な心」につながるかも知れません。

真に悟ったという心境がどのようなものか分かりませんが、悟ったといわれ、老師と呼ばれるような
禅僧も怒る時は怒りを顕に怒りますし、喜びの表情も見せます。
決して何時でも心静かに穏やかに淡々としている訳ではありません。