一瞥体験って 要は一時的に自我(思考・想念・感情)が静止(短い間)して 

自己としての無心(肉体を含めた世界を純粋観照している意識=真我)に在る状態

ゆえに『自分が居なかった』『自分と世界は1つだった』のような体験が残るんやね

一時的に自己知に在る状態なんやないかなあ 一定時間が過ぎると 自我に思考・想念・感情が戻ってくる

OSHOは 思考と思考の間が無心とゆうてる その隙間が大きく広がった意識状態で悟りは起こるとゆうてる