魂の年齢 霊格レベル 9
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乳児期 「今、ここ」を生きる。模倣する。
幼児期 文明構造をつくる。
若年期 権力問題。名声、金銭に関心がある。
成人期 感情的な学び。人間関係。自己、カルマとの取り組み。
老年期 日常的な感情問題を超越。知的な表現。人に教える才能がある。
超越期 高次のレベルとの結びつき。
無限期 すべてに気づく。
前スレ
魂の年齢 霊格レベル 8
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1551617998/l50 >>519
悪いけどあなたのはただの精神疾患だよ
病院行きなさい >>519
あなたが手に入れた悟りは、正確には、「悟り」ではあません。
ただし、自己コントロールの一つの方法なので、
自分が躁鬱の気分の場合には、有効活用できます。
なぜ、この能力が必要かといえば、
この能力は、柔道でいう「受け身」の意識なのです。
魂における悟りとは、全く逆事象で、
すべてと共存一体になるのには、非常に敏感な感性を鍛えることが必要なのです。
敏感であることは、自己存在rとしてはあ危険な状態であるため、
いつでも、自己の肉体に戻れる準備と能力が必要なのです。
この能力を、あなたは「悟り」と勘違いしています。
この能力は、自他一体ではなく、自他の完全分離なのです。 >>522
未熟な魂にとって、誰でも起こる体験です。
この体験の解釈を間違うと、精神疾患で一生苦しむことになります。 ◆いろいろ場神秘体験
今までに、いろいろな神秘体験をしました。
@ 天から光が下りるの見る
A 体の頭から恥骨に、雷のような電気が走る。
B 1週間食べなくても、体重が減らない。
C 公園などで、はっきりと気の流れがわかる。
....などなど
これらの体験は、魂の成長にとってほとんど無意味であり
それを求めることは、精神にとって悪いことばかりです。
つまり、これらの事象体験は、
普段の人の通常認識は、ある限られた範囲での感性でいきている。
それだけのことで、それ以上の感性は不要であるという法則を知るだけのことです。
これらの体験と生きる目的とは、無関係といえます。 >>526
妬みで高慢なご忠告、ありがとうございます。
誰でも高慢にならない用心は、いつも必要です。 >>519
神秘体験で知りえた事感じた事を通じて
同じ経験を持つ人と魂で通じ合える権利が手に入った事になるよ
そのチケットをどうするかは本人次第 >>513
私も似たような経験をしました。
そして、誰もわかってくれないと思って心が折れる経験もしました(笑)
随分前にここで紹介されていたYouTube『ブッタかずひさ』って人の体験が1番近かったです。
コメントで散々、病気だと言われていたので「まぁ、そう思うよね」って。
でもあなたの経験、言いたいことよくわかりました。 学び・霊性の向上とは一体なんのか分からない
そもそも、それが必要とも思わないし霊性を向上しないと幸せになれないとも思えない
むしろ霊性なるものを向上し解脱し高次の存在になってもまた新たなステージでの
苦しみや試練があるんじゃないかと思う
よってオレの今の結論としては、今この物質次元でどう生きて自分なりの幸せを追うか
という事であり、霊性だとか学びだとかクソ食らえだと考えている
それはオレ自信がこのオレの宇宙の中心だからだ
因果応報とかカルマとかもオレ自信が有ると思えば有るし無いと思えば無い 神秘の世界を実際に身をもって経験すると怖いし不安になるよ
まあでもそういった事は現実の出来事として普通に起こる事でもある
経験した人はその部分はそうでない人と違って
ほんとにあったよな、ああそうだよなで話が通じる まぁ、あるあるな所もあるにはあるけども。
体験自体は人それぞれで変わるだろうし。
そこを比較して品評してもしょうがないんじゃないのかな?
超越期ならば同類と意識が繋がっているから、常時チャネリングみたいになると思っていますが、
その性質は人間の性格が千差万別であるのと同じで、単に先輩格であるだけでもあります。
常に何と繋がっているのか?自己審神者が必要です。
送られてきた情報は常に検討しないと、繋がっていたのは確かに超越期級ではあっても、実はとんでもないヤバイ性格の存在である事もあり得ます。
ご注意ください。
貴重な体験を語ってくださってありがとうございます。 瞑想その他の何かで神秘経験があった人
あなたのその経験は紛れもなく本当の事
その経験をどうするかはあなた次第
理性の手綱をしっかり握って善く生きますよう やっべ
ブッダかずひさって人の名前上がってたからユーチューブで見たら
そういうのあったら何か笑いが起こってくるって言ってるのは
まさにオレもそうだった ブッダかずひさって人の動画。
嬉しそうにしゃべってるから、見てるだけで楽しくなりますねぇ。
今日は良い子に試聴しまふ。 ◆ 3段階の目的
1 生まれる前の計画と使命........自由意志
2 生まれた時点の環境適合..... 恵まれた環境ならで可能
3 生きるという、時の流れでの目的達成... 努力しても、かなりの知識と知恵がいる。 すっかり壊れたねこのスレ。パオーってのが来てから。
とりあえず自演乙。
そうやっておままごとやってたいなら別のスレでやりな。
もはやふざけてるとしか思えないんだが。
最初から遊び気分でこのスレ来たのかな?
チャネリングでもやりな。
瞑想だったかな?オポポノだっけ?
そりゃあ迷信だよ。
どうせチャネリングやる勇気すらないんだろうね。
どんな教育受けたらこんなカスができるだろうか、まったく。
親の顔が見てたいわ。 人は自分の意志で現世へと下りて、魂を磨くために人生を生きる。
その一つの人生だけでも様々な出来事を経験する。人生をぞんざいに扱う者は愚かなり。
そして、自殺、事故、寿命などで死を迎え、死後の世界、つまり天国へと行く。自殺した人もだ。
今は楽観的時代だが、老年期前までは完全にこの世は地獄だった。
魂レベルは上がるにつれ、段々それぞれの人生に深みが増していく。
こうして35ー400回の多彩な人生を経験し、やっと輪廻転生を卒業する。
至ってシンプルだ。
死ぬまでなんて一瞬だ。しかし、人生は長い。しかし、充実すれば短い。
つまり、今生の人生、今を如何にどう楽しむかがサイクル解脱のカギだ。
そして魂は永遠。
死んだとしても本質である魂は不変だし、無限。
だからどの段階にいようと急かす必要はないのだ。 神の真理
神の求める未来幸福は、個の理想とする幸福ではない。
部分と全体とは、共存関係として成立するが、
多くの場合、多くの場合対立というバランスによって調和する。
個における幸福や罪や罰に関して、神は一切か関与しない。
神によって指示される、個の生きる目的(義務)は
すべて個の幸せの達成はない。
神の法則として
引き寄せの法則は、個の意識に作用しその目的達成の補助を行うが、
個同志の目的達成は、互いの自己達成の矛盾によって崩壊する。
「縁」の法則は、「全体の関係性」によってその作用が生まれるため、
その有効性は非常に曖昧であるが、全体意識の成長と少数意見の普遍化によって
縁は各時代の特性を作り出す。
>>541
自己の理想とする目的達成は、できない。 ブッダかずひさ。
実は昨日彼の動画をはじめてみたばかり。
シンクロが起こりました。
彼の悟りは第1段階。
わたしは15年前にすでにその段階の悟りを経験した。
彼はある本を読んで悟りが起こったと言ったが、
わたしもある本を読んで、その悟りが起こった。
この悟りは真理を知ることで世界観が変化することで起こる。
物質中心主義的価値観から、霊的真理の価値観へ移行したときに起こる。
この第一段階の悟りは、闇から光へ、無知から叡智へ。
その日を境に、世界が明るく楽しいものに感じられ、
人々がとても愛に満ち溢れたように見え、
世界は美しく輝いて見える。
まるで赤ちゃんがはじめてこの世界を見るときのような新鮮味がある。
しかしこの悟りは本当の悟りではない。
なぜならブッダのいう悟りとは、
悟りが起こる前期間で神通力が起こる期間が必ずあるから。
実はこの第一段階の悟りのあとに、神通力が出てくるようになる。
そして第二段階のわたしが経験した、自我の消滅、カルマ終焉の悟りをむかえる。 第一段階の悟り。
すべてが輝いて見え、楽しく、明るく感じる。
その13年後わたしは神通力が使えるようになる。
そして15年後、わたしは自我の消滅が起こり、カルマが終わる本当の悟りをする。
この日を境に、この世から色が消えた。
すべてに現実感がない。
この世が平面に見えるのだ。
次元が違う感覚がする。次元が違うのだ。
この世は実在しないと感じる。人々も実在しない。
この第二段階の悟りを境に、わたしは無になった。
それまでは真理の知識を溜め込むように生きていた。
その日を境に、わたしは一切の真理を捨てた。
学ぶことをやめた。もう真理を探究する意欲もなくなった。
もうすでに知ってしまったから。
すべてが終わったから。
真理の一切を放棄し、学ぶことをやめたのに、
真理はわたしの無の中から自然発生的に出てくる。
その言葉は悟る前に学んだ知識から出る言葉よりも、
より高い真理が内在されている。
わたしは真理だったのだ。真理そのものだったのだ。 ブッダかずひさは、その悟りを開いたことで
見るものすべてが輝いて新鮮で楽しく美しく感じられることだろう。
わたしもその時期があった。
その感覚は今でも変わらない。
覚醒は消えることがないから。
しかし彼はたぶん、探究の終わりを感じてはいないだろう。
すべてが終わったという感覚、もう学ぶべきことは1つもないのだという感覚。
そして心に感じる無限の安らぎと静けさと穏やかさ。
この感覚は自我が消滅しないと感じられない。
彼はまだ感じていないだろう。
そして誰も感じたことがない。
誰も通ったことがない道をわたしはただ1人歩んできたのだ。 にしても若年期は複雑にして単純だねー。
自分の利益しか考えない。
他人に優しくしたとしても洗脳してカモにするための自己利益しか考えない。
本物のクズだわ。
マジで死んだ方がいいって
いない方がマシ。 パオーに続いてまた別の統失患者に張り付かれたか…
本当に終わったなこのスレ ブッダかずひさが動画の中で言っていた、
悟りが起こると笑う動画、
あなたたちはどのことを言っているかわかるまい。
わたしは知っている。
覚者ムージの動画のことを言っている。
彼が探究者に対して、それは誰が感じてるんだ?誰が気づいてるんだ?
と問答する中で、質問者が笑いだすシーンをまとめた映像集がある。
その動画を彼は見て、自分と同じような悟りをしたんだろうと思ったんだろう。
ムージの動画の中にバンド演奏生ライブの映像がある。
それを見てみてほしい。
そこに映る出席者達、演奏家達、観客達の瞳の輝き方を。
ブッダかずひさとまったく同じ瞳をしている。
真理探究者特有の純粋に輝く瞳。
そしてOshoやラマナマハルシ の瞳を見てほしい。
すこし違うことに気づくだろう?
真理探究者つまり本当の悟りを開いてない者と、
本当の悟りを開いて覚醒した者との違いを。
その違いすら感じ取れないのであればまだまだ修行がたりない。
その違いを感じ取れたのであれば、悟りを開いたブッダかずひさの悟りが本物かどうかわかるだろう。 >>551
身内の不幸で目が覚めたんじゃなかったの?
また自我肥大じゃないの。
真の悟りはあなたが以前に挫折し憎む方法でしか達成されないんだよ。 Oshoやクリシュナムルティーやグルジェフやエックハルトトールの瞳。
彼らの瞳と、ムージの動画に出てくる探究者の瞳とブッダかずひさの瞳を比べてみてほしい。
その違いがわかるとき、あなたは一段階霊格が上がるのです。 493さんに質問です。
ブッダかずひささんは自分の悟りはブッダと同じ物ですと言っていましたがブッダと同格だと思いますか?
動画ではチラッと何段階目かはわからないとか言ってたのも気になりますが・・・ >>554
あなたは今までのわたしのレスを読んでくれただろうか?
そして魂の年齢でブッダは何期かわかっているであろうか?
わたしは彼の悟りを一段階目と指摘した。
魂の年齢で、ブッダは無限期の魂だったとされる。
ブッダの無限期の魂と、ブッダかずひさの成人期が老年期になった程度の覚醒とを一緒にするか?
もしブッダかずひさがブッダと同じ覚醒段階に至るなら、
彼は今後数千年に残るくらいの真理を伝道する使命があるということ、
しかしそうはならないのは誰が見てもわかるだろう。
それが彼の段階なのだ。
彼はまだ真理に目覚めたばかりの段階でしかない。
真理探究者として一歩を踏み出したレベルでしかない。
そこからまだ長い真理探究の道は続く。
その過程で必ず霊能力超能力が出てきて使えるようになる。
さらに進むと自我が消滅する体験が起こる。
カルマが終焉する過程が起こる。
その先はわたしにはわからない。誰もわからない。
ブッダにはわかるだろう。でもブッダかずひさにはわからないだろう。
それが答えだ。 493さん、そうでしたね。
すいません。
かずひささんは「自分は悟ったので輪廻終了確定なんですウヘヘ」みたいな事を言ってましたが、一段階目でも輪廻から解脱するのですか? 悪人には悪人特有の瞳の輝きがあるだろう。
性犯罪者には性犯罪者特有の瞳があるだろう。
詐欺師には詐欺師特有の瞳があるだろう。
真理探究者には真理探究者特有の瞳がある。
ブッダかずひさはこの瞳にみえる。
悟り開いた覚者は覚者特有の瞳があるだろう。
その瞳はブッダかずひさと違うことがわかるか。 それが何なの(笑)
瞳なんざ死んで焼かれておしまいだよ。 493さん、わかりません。
かずひささんは悟ってるんじゃないの?
どっちなの? >>558
もっとよく洞察するべきです。
本当に悟りを開いた者が、ユーチューバーとして動画にするでしょうか?
悟りを開いたというワードで、視聴者数を稼ごうとしてるエゴが見えませんか?
そのエゴこそ自我なんです。自我がある時点でカルマがあるので、カルマがある以上、輪廻は終わらないのです。
そして彼は結婚しています。
輪廻を終了する者は独身が多いです。
一概には言えませんが。
キリスト、ブッダ、そのほかの覚者や聖者と言われる人たち皆独身でした。
ブッダかずひさの奥さんを見てください。
その動画の中にエネルギーヴァンパイアについての動画があります。
自己犠牲的な人とか太った人とか、そういう人を決めつけて発言してますが、
それが彼女自身の霊格レベルを物語っています。
顔つきや瞳からしてもけして性格の良い方ではなく、すこしけんのある方です。
波長の法則により、その奥さんと同じ霊格であるブッダかずひさ。
そこから彼の霊格を推測してみてください。
本当に輪廻転生を終了する者が、公の前でそのように言うでしょうか?
本当に悟りを開いた者こそそういうことは隠そうとします。
クリシュナムルティーやラマナマハルシ でさえ自分の霊能力超能力をけして公にしませんでした。
しかもそれらを価値のないものと断言しました。
彼らはこう言うでしょう。悟りなど価値はない。と。
真の覚者、悟りを開いた者はそう言いいます。
ブッダかずひさのように、わたしはブッダと同じ悟りを開いた、
輪廻を終えた、ブッダのようにこれから伝道するなどとはけして言いません。 493さん、やはりそうなんですね。
ありがとうございます。 >>562
勇気ある、すばらしい意見です。正論です。☆☆☆
>>549
前世と来世は顔が似るし、
日月神示にも霊体の姿が肉体に反映してるみたいなことかいてあったから、
整形してコンプレックスから脱却しないと
来世もブサイクのまんまかもしれないよ
それなりの容姿である方がブサイクよりストレスを減らせる面もあると思う
自分は整形してないけど整形する人は沢山お金を貯めたり払ったりして、
また手術後は痛いし我慢しないといけないし、
失敗してお金をドブにすてるかもしれない恐怖とも戦って、
またそのままだとブスだと言われるのに整形したらしたで整形したって周りからヒソヒソされる、でも覚悟を決めてやってるわけで
整形する人は若年期と決めつけて下に見るのはなんなのさ? >>569
顔がブスでもスタイルが良くてメイクやヘアセットが上手ければ、
なんとか彼氏もできるし結婚もできる
デブでも顔が美人ならマニアにウケるし
デブスでも積極的でおしゃれやメイクが上手ければ
結婚して肝っ玉母ちゃんになってる人もいる
でもデブスで、積極的受け身タイプで、
メイクも活かしにくいような顔立ちだったら
恋できないやん
それで彼氏も結婚も諦めてひっそり過ごしてる方数人見たことある
こういう人こそ整形はすべきだと思うの
まぶた重くて視力どんどん悪くなってるし
性格はとても穏やかでいい人達ばかりなのに >>570
すばらしい。そうですね、正論です。☆
ただ、私なら、断食してダイエットする方が、簡単だと思います。 >>551
いくつか動画を見て、ブッダかずひささんが悟った〜伝達せねば〜と、空とは〜って喜んでいる動画は見てて面白かったですよ。
悟ると目が変わる、顔が変わるというのは同じ体験ですね。
私は禁止を解除した時になりましたが、悟ったとは思ってないですが。
他にも表現こそは違えど、ああ、これはあの体験だね。
それはこの体験だねと結びつく事は多く、アルアル回想に浸れる動画ではありました。
悟りはゴールが見えるだけで、悟り自体には大した意味はないと彼も言っていて、世の中には悟った人なんて山ほどいるだろうとも言ってたけど、これが一番共感したかな〜。
もっとも彼曰く悟りには52段階あるらしいので、先に進めばまた違うのでしょうが。
体験談のような書き込みのみ、何かしら参考になる要素は含まれていますので、>>493さんの興味深く読ませていただいてます。 >>562
動画にして配信する事=エゴとは思いませんが、ここで気付きを垂れ流すのと同レベルですし。
ただ、悟り体験談以外のアセンションとか生霊とかスターシードなどのタイトル動画は、彼自身が知識を消化して再構築した動画では無いようですね。
基本、一般論の受け売り部分が多いみたいなので、あまり参考にはならなかったのは確かでしたねぇ。
やはり体験談こそ宝ですね。 動画配信も、一時の感動表現でしょう。
まだまだ、続くようであれば、病院のお世話になるでしょう。 自我が消滅した感覚がわかる者は誰もいない。
わたしだけが知っている。
自我が消えるとどうなるか。
自我の持つすべての特質が消える。
何が残るのか。
無が残る。
無とは何か。
それはすべてである。
それは真理である。
わたしは万物であり、真理であり、神だった。
これに気づく。
わたしは存在しない。
しかしすべての存在がわたしなのだ。
これが真理。
これが悟り。
わたしは静寂の中で安らぎ、永遠の涅槃の中に安住する。
そのような気持ちがわかるだろうか。
これが悟りを開いた者の心境なのだ。 >>575
それが悟りなのかって事には興味はないんだけど、私が神なのは私もわかるよ。
でも、唯一無二な訳ではなく、そんな人その辺にいるであろう事もわかる。
結局、自分一人が悟ったすごい人だって言いたいの?
それなら「すごい人」だと思うけど、誰かに理解されたいのはエゴだね。
ブッタが一番恐れていたことはみんなが悟りに憧れる事だと思うの。悟りたいと言うエゴから悟れない人がたくさんいると思うから。
みんなが悟れると良いなとは思うけど、悟ったと主張する事は無意味にも感じます。 >>575
個人の体験ですが、これは、真っ赤な嘘です。としかいえません。
いくら瞑想しても、実体験としてこのようなことは起こりません。
仏陀がヨガにおける修行を止めたのも、
修行によって悟りなど開くことがない。
このことを確信したからです。
そして、悟りによって苦しみから逃れることも
解脱によって天国に行くこともないことを知ったのです。
もし、神との一体によってのみ、苦しんでいる人が救われないのなら
この世は、生きることすべてが地獄になります。
しかし、少女によって与えられたいっぱいのミルクによって
どのような人であって、大いなる力によって生かされ守られている。
ということに気づいただけです。
つまり、人間という動物は、自己という強固な意志によって
「自己利益の閉ざされた世界の中」でしか生きられないことに気づいたのです。
この自己意識を捨てない限り、自己というカルマから解放されないのです。
しかし、これを捨てることは、いかなる聖人であっても不可能であり
「自己を捨てる」という真意を伝えることが不可能に思えたのです。 >>575
これらの言葉は、後世の賢者が、自らの立場を権威づけした創作寓話であり。
その内容は、生きる目的とは、全く無関係です。 「私は〜」って書いてる時点で、自我残ってますよねぇ。
ワンネス視点での書き込みなら、この世に存在する全ての人々が自我を消滅させている事になります。
「私だけ〜」とはなりません。
「私」を満足させる表現しか認めないならば、「私だけ〜」となります。
空の視点なら、自我が意識のネットワークに埋没し、俯瞰したら個人の自我が見えない状態を指しているのかもしれません。
その視点だと自我も他我も根源一体として共存していて、あくまでも1つだけの個人の意識ではない、事を指します。
悟りの第1段階が老年期のどこかと仮定して、全ての段階を終えたゴールが無限期だとしても、まだまだ探求の道は長そうです。 老人期ならまだしも、超越期を自称する覚醒したつもりの奴なんてまず間違いなくキチガイメンヘラだよ 老年期→超越期へ人生の間に成長する人は、エドガーケイシーを参考にすれば1.5%程度。
日本だけでも187万人程度になるので、特に珍しい存在と言う訳でもなさそうですが。
格付けランカーとして身分制の視点で時期を解釈する人が多いから、自衛策として言わない人は多そうですね。
例え老年期であっても、乳児期であっても人間の本質的な価値は同じなのですが。 >>562
正直にこれは感じたな
エネルギーヴァンパイアの動画は途中でやめた 超越期の人間ならこんなとこにいないんじゃない?
ある意味自分のことにしか興味がなく、毎日目の前で起こることを楽しんでニヤニヤしながら生きてるように思う >>583
そんな気がしますねぇ。
意識ネットワークの情報をニヤニヤ受信しているのが、彼らにとっては一番楽そうですし。 悟り云々はいいとしても
自分の事を神だと思う人はさすがにちょっと…
麻原彰晃と何ら変わらんと思う 霊格レベルを学ぶ目的が
自己満足や他者との比較や自慢になると情けない。
また、投稿者の意識レベルの低さに驚く。 >>585
自分が神だと思うことが問題なのではない。
その人の「神の定義」とその意識によって
自分と社会の未来をどのように考えるのかが問題です。 >>562
>そして彼は結婚しています。
>輪廻を終了する者は独身が多いです。
>一概には言えませんが。
>キリスト、ブッダ、そのほかの覚者や聖者と言われる人たち皆独身でした。
ここんところは、あーやっぱりー?って感じですごい納得行く
(もちろん自分がキリストブッダクラスだと言いたいわけじゃなくてねw)
自分の今生では結婚子育てといった一般的コースを選択しないようになってるようで、全くそこへの執着が無い
特に羨ましいともなんとも思わない、かと言って痩せ我慢でもなく、あってもなくても良いよねくらいのフラットな感覚
恋愛には一途で熱心なのにその先の事には自分でも不思議なほど関心も執着なくて、何でなんだろう?って思ってたけど
要は過去生で経験済みなので自分にとっては目新しいこと、積極的に体験したい部類のことでは無い、
それらのある人生も普通に良いとは思うんだけど既に経験済みだし、せっかくまた生まれるんなら今生ではもっと別なこと、
なかなかできないマイノリティ側の苦しさを体験するために生まれて来てるらしい 例のルサンチマンなアラフォー君はそれらの揃った「普通の人生」への執着が激しいあまり、今の己の身を不幸としか捉えられず
「神が自分に意地悪してるんだ」っていうところに固執してしまってるようだけど、やっぱりそれは魂の段階がまだまだ若いということなんだろう
おそらく自分もそのルサンチマン君に匹敵するほど「普通」のない波乱万丈な人生を歩んできてるんだけど
だからって恨みや嫉妬の感情などは全然無いんだよね
全て自分でそれを選んできてるのだから腹も立たない、それらの代わりに社会的弱者や障害者側など
あらゆる意味でのマイノリティ側に立つという得難い貴重な経験をできているのだし、何もかも全部入りを望むことの方があり得ないわけだから
この人生で何も間違いは無い、これで正解という悟りのようなものが自分の中に出来てるんだよね >>588
検討議題そのものが、話にならないほど幼稚...
おまえは、幼児期かと疑いたくなる。
この程度の意識が、スピリチュアルに関心のある人の平均とは思いたくない。 ちなみに自分は以前別板で、高位の存在とチャネリングして(?)透視か霊視のようなものが出来るという人に
シッティング形式=事前情報を一切与えない形で視てもらったことがあるんだけど(現在は依頼を受けてない様子)
やはり自分の魂の目標は豊かな経験を積んだものになるためってことで、人生を愛する、ゲーム攻略として楽しむ才能があるという
これも思わず膝を打ちたくなるほど納得のいくものだった
魂レベルではそろそろ輪廻転生を終えたいと思ってるのかどうか?それはちょっとわからないけども
多数派の集団からは昔からいつも一定の距離をとり、常に周りより少しずつ年上のような老成した視点で
なぜみんなそんなにも子供っぽい、正義に反する、理屈に合わない行動をやめないのだろうと観察&啓蒙を続けて来たような感覚があるから
これ以上に老成目線な状態でまた生まれて来るというのはなかなかキツい気がする
しかし本当にこれっきりでヒトを生きるのを卒業してしまうのはもったいないような気持ちもある >>591
自分の都合のいいように信じたい。
褒められるとうれしい。
このような低レベルの自慢話を、投稿したいという自己中の魂を
なぜ、自覚できないのでしょうか。 情けなくて溜息ものです。
それそのものが、幼稚である わたしはだれとも議論しない。
わたしの内容をどう感じようとあなたの勝手だ。
わたしは超越期として
どのような感覚がするのか
どのような叡智があるのか
それを伝えているにすぎない。
これはすべての真理探究者のためである。 根拠のない妄想や目的のない自己満足の段階では、
議論しないのではなく、議論などできないが事実。 >>591
要所要所で共感できるよ
俺は昔から熟成されたとは言えないレベルで自己中で、早期に結婚・育児も経験したが不倫が原因で離婚し、地位も名誉も仕事も家も全部失った
過去に幾多も犯してきた自らの過ちや醜態に再悩まされつつ数年を過ごし、ミニマム不就労生活の今に至る
今はまさに安寧
安心できる人は、今も一緒にいる元不倫相手の彼女だけだわ
普通の生活では得られないような経験も沢山したし、それらを失う際の痛手も、シナリオかよwと思うほど綺麗に収束した
ものすごい回り道だったけど、その全てを経験するために生まれてきたのかなと思う 真理を悟るとわたしの物など何一つないことを知る。
この肉体さえわたしの物ではないのだ。
一切のものから自由になる。
解放される。
超越する。
それが超越期なのだ。
超越期とは生きながら死んでいるようなもの。
しかし本当の意味で生きているのだ。
ほかの者たちこそ死んでいるのだ。
この真理をわかれ。
ほかの者たちはすべてを手に入れたつもりですべてを失っている。
わたしは何も手に入れずにすべてを手に入れる。
この意味がわかるだろうか。
老年期の者にもこの真理を理解することは難しいだろう。
何も持たない者こそすべてを手にいれている者なのだ。
あらゆる物を持つものこそ、何一つ持たざるものなのだ。
わたしはすべてを持たない。何一つわたしのものなどない。
ゆえにわたしはすべてを得たのだ。
すべてを知るものとなったのだ。 >>593
自我肥大→身内、病気等の不幸で悟りなんてなんの役にもたたないと気づく→自我肥大
あなたはこのループだろうね。
ただひたすら部屋で瞑想して思考停止させるだけじゃ真の悟りは来ないよ。 >>598
認知をねじ曲げて妄想に逃げ込むタイプの典型的なメンヘラだわな
瞑想やってるとたまにこうなるのがいる
躁病的でもあって非常に危険な状態 >>597
自己陶酔...病気にならないように... 愛とは何だろう。
優しさとは何か。
それらと怒りや憎しみは同じだと気付いているだろうか。
自我に付随したそれらは自我の消滅によって失うことになる。
それらはしょせん人間という動物の本能でしかなかったのだ。
それはまったく霊的なものではない。
しかし愚かな者たちはその愛を慈悲と言い、
その優しさを神の心と定義した。
自我消滅によってわたしはそれらも失った。
わたしにあるのは永遠の涅槃の境地のみである。
わたしは絶対的な利己主義者であり、
絶対的な利他主義者である。
慈悲というものがどういう感覚のものなのかわかるか。
それはすべてを包括する意識感覚そのものなのだ。
その大いなる意識感覚こそが慈悲といわれるものである。
そこには動物的肉体に依存する心で感じる愛のようなものはなく、
無限ともいえる自己意識の感覚なのである。
この感覚を感じることはまだ自我の残る老年期の者には理解できまい。
この感覚は自我が消滅したことで得られる感覚なのである。
愚かな人々は自分たちの解釈で慈悲を定義してきた。
彼らは何もわかっていない。
なにも理解していない。 >>600
いやすでに病気だからこうなってんだよ
悟りという名の錯覚、妄想 宇宙の真理は、
無から有へ。そしてまた無へと戻っていく。
太陽や月の満ち引き。四季のサイクル。
海の波のように来ては戻る。
生まれては死ぬ。死んでは生まれる。
これが宇宙の真理である。
宇宙は無からビッグバンによって無限に広がった。
そしてまた無へと戻っていく。
魂も同じ道をたどる。
無から有であるこの世のすべてを経験する。
そしてこの世のすべてを失いふたたび無へと戻る。
無とは神である。
無とはすべてである。
この世のすべてを失うものは、無というすべてを手に入れるのである。
これが真理である。 あの世じゃ思念は創造力を持つが
この世は実践のプロセスがないと意味をなさない
忘れずに。 ここで、ああだこうだ論議遊びしてる連中より
介護とか人的社会的貢献の捧げてる人の方が
よっぽど霊格が高い。 老年期はその下の時期のすべてを理解するとはどういうことか。
乳児期のようなサバイバル生活を楽しむこともできる。
幼児期のように集団に属する楽しみも感じることができる。
若年期のようにお金や地位に魅力を感じることもできる。
成人期のように人間関係や感情的に生きることもできる。
老年期のように人生の叡智や大自然の叡智を楽しむこともできる。
しかし超越期の感覚を楽しむことはできない。
彼らにはまだ未知の領域だからである。
わたしは超越期のように永遠の安らぎと涅槃の中で、
無からすべての有を楽しみ、無から現れるすべての真理を楽しむ。
わたしは何者でもなくあらゆるものであることを楽しむ。
永遠の瞑想の中に安住する。
これが超越期の感覚である。 ゆえにわたしはすべての年代の心境を理解する。
どんな悪人や犯罪者の気持ちもわかる。
どんな聖人や覚者の気持ちもわかる。
どんな境遇の人の気持ちもわかる。
しかしわたしはそれらのどれでもない。
わたしは無そのものだからだ。
その無こそが神なのだ。
神はすべてを知る者とはこういうことだったのだ。 オームというインドの神聖なる言葉を知っているか。
帰依という意味がある。
南無という意味も帰依である。
無に帰するのだ。
無とは神なのだ。
仏に帰依する。
それは無に帰するということなのだ。
自我が消滅し、自分を失い世界を失ったとき、
無のみが現れる。
それが神なのだ。
神は無でありすべてなのだ。
すべてを知るには無にならなければならないのだ。
無になるには自我を失うしかないのだ。
修行者は家族を捨て世俗を捨て持ち物すべてを捨て
頭髪さえ捨て、最後には命さえ捨てて無になろうと死ぬ気持ちで修行した。
すべてを失うことによって神を見つけようとしたのだ。
わたしは今や無になった。
わたしは無だったのだ。
わたしは存在しなかったのだ。
世界も存在しなかったのだ。
無のみがあったのだ。
それは神だったのだ。 >>610
誰それは若年期だとか老年期だとか勝手に決めつけるその態度
その精神はとても危険だ、人は人の進捗度合いを決められる存在ではない
いや、それを決める事ができる存在などいない
なぜなら、すでに皆がそれを知っているからだ、本質的に知っている
ただ今この現実世界でそれを知らないふりをしているだけだ
個別の目的の為に知らないふりをしている、自分で自分に催眠をかけている
この宇宙はビッグバンで始まっただと?笑わせるな
そもそも始まりなどない、よって終わりもない、そしてそんな事はどうでも良いことだ
起点などない、強いて言うならば「今」こそ起点であり全てだ 超越期のわたしが他人をみる。
わたしは他人をまるで自分のことのようには思わない。
他人は他人でしかない。
ここを多くの探究者は誤解している。
悟りを開き慈悲心が出れば、他人やすべての人が自分のことのように思え
愛の気持ちが起こると。
それは違う。
他人を認識する感覚は悟る前とまったく変わらない。
他人は他人でしかない。
もしそのような気持ちが芽生えるなら、まだ自我を超越していないことになる。
なぜなら親近感や他者への情愛というものは動物的肉体に付随した自我によって起こるから。
他人は他人である。
無慈悲なほどよそよそしい。
よそよそしいばかりか、目に見える他人が人形のようなロボットにさえ見える。
他人など実は存在しないのだ。
あるのはわたしの内側に存在する。
わたしの内側にすべての存在があるだけなのである。
これが真理である。
わたしが目をとじ内面に意識を向けると、
そこには無が存在する。
それはすべてとの繋がりであり、真理であり、宇宙である。
それのみがすべてなのである。
目に見える世界や他人は実は存在しないのだ。
真理とは相対的なものではなく、絶対的なものなのだ。
慈悲とは外の他人と自分の間に起こるものではなく、
自分の内側に感じられる意識感覚そのものなのだ。 >>611
自分の主張を押し通すために
他人をバカ扱いするのは違うと思う わたしは一切の他人に対して無慈悲である。
だれも寄せ付けない。
わたしは外界に対して無関心である。
外で何が起ころうとまったくどうでもいい。
災害で誰が死のうが、だれが生存しようが、
まったくどうでもいい。
関心を寄せることも無関心でいることも、
同じことでしかないことを知っているから。
生きることも死ぬことも同じなのだ。
善良な行いも悪どい行いも、同じことなのだ。
どちらも同じコインの表裏でしかない。
一本の棒の両極でしかない。
それ自体に意味などないのだ。
すべてに意味はないのだ。
この世は無常なのだ。
この世に価値あるものなど一つもないのだ。
それが無ということなのだ。
そして無こそすべてであるのだ。
わたしは無関心でいることで関心をよせ、
無慈悲でいることで慈悲を注ぐ。
この態度こそ超越期のあり方である。
老年期のように善良に生き、奉仕に生きるのとは違うのだ。
超越期は善であることも悪であることも、関心を持たない。
それを超えたところに安住するのだ。 悟るほど他人は他人でしかないのは間違いないな
かといって自分の中で分断されるわけじゃなく
森羅万象と一つになりながらも他人は他人になってゆく 自我を無くすということは自分の存在を無くすことじゃない
他者への興味を無くせば他者が消えるわけじゃないのと同じに
そこのところを混同している人たちが悟りという言葉を弄んでいる
私だけが悟っている時、私だけが悟っているのだ あなたは全なるものに還ったことがありますか?
無いなら神の真理とかのたまわないように。
なぜなら、それはあなたをとても不幸にします。 >>617
そろそろ、妄想もネタ切れですか..トホホ >>618
それを妄想と断じてる時点で君には真理を語れないんだよ。
悟ったことがない人が真理を語っても、それこそ妄想だからね。
君は自分が妄想を語っていただけだと自ら表明してしまったんだよ。 神の真理が、なぜ真実であると断定できるのか。
その理由は、
@ 宇宙のすべて法則と合致すること
A 体系的であり、すべての関係を網羅している
この2つです。
そして、
B 誰も否定できない絶対事実
C 全てが平等に従う法則
によって構成されているからです。 >>620
このため、あまりにも、その意識レベルが違っています。
法則は空想ではなく、絶対的な自然制約なのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています