霊的真理 友の会 4
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霊的真理を話し合いましょう。
霊的真理を語り合い、励まし合いましょう。
様々な出版社から霊界の話を知る手がかりを得る事ができます。
ですが、信頼できる出版社・内容のものが良いでしょう。
霊的真理を学ぶには様々な本を読まなければなりません。
近くにあれば、読書会などに参加すると良いでしょう。
慈愛・寛容・奉仕の心がけを持つ事が大事です。
他人のために尽くす事を心がける事も大事です。
これがこのスレの前提です。
自己満足に終わる事無く、
他人のために尽くせる方法を一緒に考えましょう。
できれば度を過ぎた行為は控えて、中庸を目指しましょう。 悟り開いてから、喜びを感じなくなった。
楽しみも感じなくなった。
悲しみも、苦しみも感じなくなった。
ただ永遠の至福がずっとここにあって、その中に安住してるような感じ。
なので、奉仕の喜びとか、人を愛する喜びみたいなのも消えた。
たぶんそれらも自我による感情なんだと思う。
自我がなくなれば自然に消えると思う。
悟り開いてから、人を愛そうとしなくなった。
奉仕しようとしなくなった。善良であろうとしなくなった。
謙虚で親切でいようとしなくなった。
なのに誰よりも慈悲があり、
誰よりも謙虚で親切になってしまう。
自我が無くなるとそういう資質そのものになってしまう。
まるで植物のように空気のように川のように存在してるけど、
それが慈悲で親切で謙虚そのものという感じ。
それはすべて真我そのものの資質だから。自我が消えれば真我が現れる。
真我のみの自分になるとき、神の資質はわたしそのものとなる。
そこには無理がなく、誰よりも自然体でいられる。
自然体そのものが慈悲で親切で謙虚なんて、なんとすばらしいか。 地上生活の経験により、わたしたちは霊魂を磨き、霊的に進化していきます。
喜びも苦しみも痛みも楽しみも悲しみも、あらゆる経験が大切な神様からの贈り物です。
そういう地上生活の経験を通じて、わたしたちは愛すること、愛されることを学んでいくのです。
愛は宇宙最大のパワーです。
わたしたちは、常に尋常ならざる神様の愛に包まれています。神様はわたしたち一人一人の霊性進化の計画をお持ちです。
霊的真理の述べるところです。 https://youtu.be/sh0ZRN-FYDI
以前にも紹介しましたが、
タイの感動CM3本です。
人を愛すること、善行の、素晴らしさ、喜び、感動に溢れています。
ご参考までに。 地上生活によって霊的に進化する意味わかりますか。
一言で言えば、自我をそぎ落とす作業です。
人間関係、艱難辛苦、病気、それらすべて自我をそぎ落とすために存在します。
自我をそぎ落として純粋な魂の意識となるべく、地上に生まれてきました。
なので自然に生きてれば誰しも艱難辛苦は起こるため、自然に自我は弱まり霊的成長が起こる原理なのです。
しかし霊的にさらなる成長を求める人は、霊的探求者は、神秘主義者は、
スピリチュアリストは、どのようにして霊的成長をしていくのか。
瞑想です。日々の瞑想によって自我はそぎ落とされ魂が目覚めてまいります。
そのためどの宗教も瞑想や祈りの行があるのです。
どの霊的指導者も瞑想をすすめます。瞑想により霊的探求をしていきなさいと皆口をそろえて言います。
瞑想のみが唯一の霊的探求の方法なのです。
それ以外に方法がないんです。
奉仕や利他行でも霊的成長が得られると思うでしょう?
自己犠牲的奉仕は自我をそぎ落とす必要があるので、奉仕をするためには必然的に自我を滅ぼそうとします。
それ自体が自我をそぎ落とす作業なのです。
とてもシンプルなことですね。この世に生まれてきた意味は、自我をそぎ落とすため。
自我が完全にそぎ落とされることを、悟りといいます。
自我の死、自我の消滅、それです。そうなれば輪廻転生を解脱します。
なぜならもはや消す自我が存在しないので、生まれてくる必要がないんです。 愛とは何でしょうか。
慈悲や隣人愛と言われるものと、動物的本能による愛は別として考えねばなりません。
まず動物的本能による愛は、家族愛や友人や恋愛のようなもの。
動物が我が子や群れを愛し守ろうとするのと同じもの。
本能によるもの。仲間意識もそう。友達とか親友という愛情もそうです。
それらは捨て去ってください。仏陀も修行僧もなぜ家族や恋人を捨てて、1人出家するのか
その意味をもっとよく理解してください。
霊的探求者は動物的本能による自我の愛、動物的な愛を捨てるのです。
そして慈悲や隣人愛というものを求めます。
それは一体どういうものでしょうか?
慈悲や隣人愛というものは、対象を必要としません。
つまり相手がいてその相手を愛するという感覚ではないのです。
慈悲や隣人愛というのは、自分の意識が拡大した真我意識そのものの感覚のことなんです。
それは自分も他人も愛することではない、
大いなる意識の感覚そのものが慈悲や隣人愛と言われているもの。
意識が神のような視点になり、その宇宙的意識から自他万物すべてをありのまま見るとき、
それが慈悲といわれるものです。
こうやって説明してみると、慈悲と言われるものと、人々が愛とイメージするものとまったく違うことがわかるでしょう。
そうなのです。
人間的な愛には憎しみや嫉妬などの苦しみが付きまといますが、
慈悲にはその苦しみが一切起こらないのはこのためです。
まったく別物だからです。
愛のより深く大きなものが慈悲と思っている人多いですが、大きな誤解です。
慈悲とは大いなる真我の意識感覚そのもののことだったんです。
慈悲心を手に入れるにはどうするか?
自我をそぎ落として真我の純粋意識の魂に目覚めるしか方法がありません。
家族を愛そう、友達を愛そう、学校職場の人を愛そう、道歩いてる人を愛そうと思って
生活している人、それは間違っています。
動物的本能の愛をいくら増やしたところで、それは慈悲とはまったく関係ありません。 家族愛も隣人愛も、愛は人生最大の喜びであり、もっとも大切なものです。
わたしは捨てるつもりはありませんよ。
("⌒∇⌒") 説明を省くけど、頑迷なふりをして生活費かな・・・。一文字いくらなのだろう。 自分はあまり真面目に考えすぎると息苦しくなるので、
この物質世界は奉仕による徳、特に陰徳積みゲームの世界だと考えている。
だから、もちろん自分は善人ではないし、ただ逆境の中でも絶望せず前向きに、なるべく多くの徳ポイントを積んで死後世界や来世で幸せに生きたいだけの欲人だと自覚して生きている。 逆境のなか、前向きに陰徳を積まれているのは、
素晴らしいことです。
わたしも見習い、頑張ります。 >>545
霊能者江原啓之神社神道神主が、陰徳ポイントのために自分の霊的利益の為に偽善を行うと悪いカルマを積むことになると言っていました。 ちょっとでも自分のためにやったらほんとの愛じゃないんだー!とかよく言われるけど
少なくとも私は親切にしてくれたら内心はどうあれ嬉しいよ
大切なのは人様の役に立つことでしょう
それに親切って自分の中に理由がなきゃ続かないよ 霊的進化向上や死後のために、善行や親切、徳積みするのは利己的ではありません。
それは『向上心』です。神様に近づく行為です。
霊的に高い世界を目指したいという霊魂の願望です。
悪いはずがありません。
隣人愛、奉仕、善行、親切は、喜びであり、愛の行為です。
お互いに愛しあうこと、助け合うことが、神様の望む道です。
霊的真理の述べるところです。 わざと老人席を占領したり、ゴミを散らかしたりしてみるとどんなカルマ悪徳天罰が下るか試しています。どうでしょうか? >>550
昔、酒飲んでるとき人生の不満から、
家の神札を手にとってペンペンしたり噛んだりしながら、
もし本当に神がいるなら、おれの宝物である飼ってるペットのウサギを殺してみろ!
と神を試したことあったんだ。
そしたらその3日後。
そのペットのウサギは、お尻から大量の血を吹いて壮絶な死に方をした。
その時おれは思った。
神は間違いなくいる。もう二度と神を試すような真似はしないでおこう。
正しく生きていれば神はちゃんと見てくれているんだ。
だから誠実に生きていこう、と誓った。そのウサギの死がおれに教えてくれたんだ。
命を引き換えに。 >>551
俺は今のところ悪行ゲリラを積んでも天罰無し。善行貯金が貯まってんのかな? >>552
おめ、それ溜まりに溜まった分が一気にくるやつ、無慈悲にな
震えて待て >>553
だから、善行で徳をつんで少しでも相殺しといた方がよいぞ、小出しで返ってない分がタイムラグもあってどんな形で現れるかはわからんけど寸分違わぬものがくるから 必ずしもこの世で報いが来るわけじゃないって
身勝手に人を殺しながら支援者に囲まれて幸せに暮らす人がたくさんいる時点で分かるだろ
自分自身がそんなクズでいるのは嫌だから私はやらないけど >>555
本人の心の内が平穏なわけねーだろ
内面は生き地獄や >>555
その通り。
神の思惑は非常に深くて、因果応報は即時には返ってこない事が多いからこそ悪行を積むのは怖いし、だからこそ人生も深い。
これは世界の現実を冷静に見渡せば分かると思う。 >>554
可愛い女子高生をジロジロ見ちゃうのも悪徳になりますか? >>560
女子高生がトラウマにならない程度なら大丈夫です、触れてはなりませんが家に帰って思い出して自分でする分には悪徳にはなりませんので
頑張ってもよいですわ、ポッ 来世ジロジロ見られる女子高生に生まれ変わる可能性があるかもしれないね。それはそれで嬉しい。 病気で自殺をすると、また、自殺をするような病気の環境に生まれ変わって自殺を繰り返すと言う。江原啓之が言っていたけど本当かな。 >>562
来世に自分が生まれ変わるかも知れないと思って他人に接していく発想は素晴らしい
それで陰徳を実践できるといいですね >>563
江原さんが本物かどうか見極めてから考えればいいんじゃないですか、すべてにおいて本物だと見切れば信じればよいし、そうでなければ自分でいろいろ調べてみればいいんじゃないですか?他人の言葉を信じるのも自己責任ですよ でも前世で積んだ因果と性格(自我)はそのまま備えて生まれ変わってくるので、記憶は無くとも他人事ではないと思いますよ。 最近人が話すマイナスな言葉が心に刺さって、敏感になる。
特に死ねとか言う言葉は冗談でもきつくてその場から離れたくなる >>540
まじめに質問です。悟りとか一瞥体験とかすると、性欲はどうなるのでしょう。あと商売とか人間関係とか普通に続けていけるのでしょうか >>552
わりい、見間違えた、お前手遅れだったわ、
せめてあのスレで詫びいれとけ、な アダルトビデオを沢山視聴してる男子は多数だと思うが、陰徳カルマ因果応報で、来世再来世はアダルトビデオ女優に何本も出る羽目になるのでは無いかと心配してるがどうですか? スレ主さん、スレ民さん突然荒らした形になってごめんなさいこれで最後です >>569
性欲はありますよ。
仕事も人間関係も悟る前と変わりません。
ただ違うのは、それをしている本人がいないということ。
性欲でいえば自慰をしますね。それをするとき、している本人がいないんです。
人間関係では、職場で誰かと話しますね。
その話しているわたしがいない感覚なんです。
行為はあるんですが、行為者がいないんです。そして観察者がいるだけなんです。
つまり悟りにより、自我が消滅してしまったので、
その主体的自我が存在せず、客観視する観察者の意識のみが客観的にその行為を見ている感じです。
しかし、悟り体験直後から、欲が消え失せたような感覚もしたので、
欲は無くなったと言えるかもしれません。性欲や食欲は肉体を持つ以上不可欠なものなので、
習慣的に行なっているような気もします。 悟りを開くことは神と同義語じゃないですよ。
悟りなんてそんな特別すごいことじゃありません。
自我を失うというだけのこと。
それだけでしかありません。
なので普通に性欲ありますし、寝ますし食べます。
肉も美味しいです。大好物です。
禁欲主義菜食主義を信念として生きるのは実は自我によるものです。
自我が消えればそれらさえこだわらなくなります。
つまりなんでもありになるのです。
したければすればいいのです。食べたければ食べればいいのです。
それはカルマにならないと知りました。
自我消滅によって一切のカルマが存在しませんが、それにもかかわらず快楽に生きれています。
不思議ですね。
自分のような快楽主義者が、悟りを開き解脱するのに、
禁欲主義の修行僧がいつまでたっても解脱できないのはどういうことでしょう?
つまりそれは、禁欲主義の信念こそ彼を解脱から遠ざけてしまっているのです。
わたしのように一切の信念を捨て去った者のほうが、到達しやすいんでしょうか。 >>576
カルマが存在しない理由はどういう仕組みで無いと言い切れるのでしょうか?
また、釈迦の教団は禁欲主義ではありませんか? >>577
悟り体験をした直後に感覚として感じられました。
自我の消滅とそれに伴うカルマの終焉を。
つまりカルマは自我に付いているんです。自我が消えればカルマも消えます。
カルマが消えると輪廻転生を解脱します。
それが悟りを開くと解脱する原理です。
釈迦の当時の禁欲主義というのは女性と交わることをしないということでしょう。
それはカルマになると思いますよ。
なので風俗に行くこともカルマになる気がします。
そこに相手がいるときにカルマは発生します。
自分のみなら因果は起こりようがないです。
なので動画を見ようが、戦争ゲームをしようがカルマにはならないです。 >>579
悟る前に自我にカルマが付いている感覚ありましたか?
私はその感覚がわかりません。宗教家が言うので信じているだけですので。 >>579
反社会勢力に加担して女性を辱しめ、食肉生産業を通して惨いやり方で動物を屠るのが君だよ。 >>579
釈迦が悟り自我とカルマが関係なくなったのにもかかわらず、禁欲主義をやめなかったのはなぜでしょうか? 何か掲示板の形式が今日から変わりましたね。
やりにくいです。
慣れるしかありませんね。 >>533
マントラで自我を消せるなら祭囃子の踊りでも可能でしょうか? 肉体の死は、人生の終わりではなく、出発なのです。地上生活で、隣人愛と奉仕と善行と苦難を乗り越えるように生きていれば、素晴らしい死後生活が待っています。
早道はありません。
愛しあうこと、助け合うこと、人の役に立つこと、日常生活の善意の生活がすべてです。 >>584
それを意識的に行うのであれば可能かもしれない。
ただ、瞑想は静寂が必要なので、
なぜなら静寂の中でのほうが思考は観察しやすいので。 >>586
基本的な質問で申し訳ないのですが、思考とは具体的には何を意味しますか? >>586
美輪明宏という霊能者が戦争時代や障害者よりも幸せと瞑想する事で幸せになると言いましたが、悟るには良い瞑想でしょうか? >>587
思考とは、無意識のうちにしてしまっている考え事みたいなものです。
食べながら、歩きながら、何かしながら人は色々なことを考えています。
昨日のこと、今日のこと、明日のこと、これからのこと。
それらすべて思考です。
悩みもすべて思考です。
生活して動いているときは、その思考に気づきませんが、
瞑想で目をつむってみると、多分1分も無思考の状態を保てないと思います。
次から次へと思考想念は浮かんでくると思います。
その思考が一切無くなるために瞑想をします。
それが無心というものです。
自我は思考から生じるので、思考が止まれば一時的に真我の純粋意識になります。
その純粋意識を感じてみてください。
それが真実のあなたです。
>>588
質問の内容が理解できませんでした。 >>589
宗教でよく言われる小欲知足、足るを知るという事が瞑想に役に立つかどうかを質問しました。障害者や戦時者よりも幸せと数えると楽になるので。 >>588
誰かよりも勝ってると思うことは、
誰かよりも劣ってると思うことと同じこと。
瞑想とはそのどちらでもない場所の発見です。
二元性を超えたところにある、絶対的なもの。
幸福と不幸を超えたところにある、至福というもの。
瞑想者はそこに住まねばなりません。 >>589
性欲の質問をしたものです。ご回答ありがとうございました。
更に質問で申し訳ないのですが、例えば仕事で納期に間に合わず顧客に叱責されたり、ミスをしても心に悩みや焦りが生じないでいられるということでしょうか? 因果応報カルマの法則が厳然と働くと言う事ならば、3万円の賄賂を受けて国に1億円の損害を与えたらカルマの法則でやがて1億円の損害を自分が被ると言うことになる。
割りにあいませなんだ。悪事は辞めておこう。 因果応報の法則は単純かつ絶対的公平。
ここにこそ神の揺るぎなき愛があるし、神や人生を信じるに足る根拠がある。 >>594
因果応報はあると言うふうに確信に至った特別な体験と言うものはありますか? 対人恐怖や社交不安障害やパニック発作障害を治す禅の森田療法というのがある。
森田では不安に反対して取り去ろうと願った瞬間地獄に落ちるとする。
不安に反対せず不安は不安だけという境地はストレスが無く天国。
摩訶不思議な療法。 因果やカルマの法則は過去から現在の結果(宿命)でしかない。
人間の恨みや現環境が、それらによって支配されてはいますが
未来について(運命)は、全く無関係です。、
>>595
実経験でいうと、自分の場合、4代前の先祖が非常に稀な悪を為した(加害者)記録があり、
自分自身が現世でその非常に稀な悪の被害を受けた(被害者)ことがあることですね。
この体験から転生と因果応報の厳然さを悟り、生き方に気をつけるようにしています。 >>592
怒られたり、焦りがあっても
それを体験しているわたしが存在しないんです。
観察者の意識のみが存在していて、その意識は外的環境がどうであろうと、
永遠の至福の中に安住している感じです。
これは感覚的なものなので言葉で説明するのは難しいですが、
悟り後からは明らかに変化はありました。
喜怒哀楽が消えてしまったような、自分はこの物質世界とは別の世界に存在していて、
その意識からこの世界を眺め生きているような。
なので次元のズレのような感覚がします。
いくら怒る人が目の前にいようと、仕事で大きなミスをしようと、
それはまるで自分の世界の出来事のようには思わないんです。
まるでゲームの中でミスしてしまったような感覚です。 瞑想の意味とは、この観察者の意識に目覚めることです。
思考が止まり想念が消えた純粋な意識のみのそれ。
それが観察者です。本当の自分です。真我というものです。
魂です。
これは今すでにあなたはそれなのですが、自我があるため
思考や想念という汚れによってその透明性が失われている状態です。
瞑想で思考を消し、無心となっているときに、その純粋意識、観察者
すべてに気づいている者、その意識を感じるようにするんです。
しばらく続けていると、自我と真我の分離が起こってきます。
最終的には自我は消滅し真我のみの意識となります。
これが悟りというものです。 >>599
ありがとうございます。大体自分が知識で想定してる感じです。
ただ実体験がないので感覚が掴めないですが。自分は似たもので離人症になったことがあります。あれは今となっては面白い経験でしたが、
まるで自分が水槽の中でスポットライトで照らされた自分が出ている劇を見ているような感覚は味わった事があります。あれはネガティブな感覚でしたが。 >>600
なぜ自我のようなものがあるのでしょうか?
魂初期には悟らずに自我と共に生きる時期が必要なのでしょうか? 自分は600さんではないけれど、
もともと本来の真我(神)と一体化している状態は最高に素晴らしいけれど、その状態では体験できないもの(自由意志での努力や愛施による喜び体験)があるから、自我として分離して当物質的世界に来ているのだと思います。
ただし自由意志があるがゆえに自分の因果に苦しむ事もあるのですが、それも当物質的世界でしか経験できない貴重な学びや体験なのだと思います。
もちろん当物質的世界にいる間に、本来の自分は常に真我(神)と繋がっている永遠不死の存在であることを自覚できていると、現世での様々な大変な体験も少し引いた目で客観化できて相当に楽になれるのかもしれません。 >>600 どこかで汚染された思い込み知識
>>604 真理に近いけれど
客観とは自己を消滅した世界ではない。そのような世界体験できません。
また、真我も自己を消滅した世界ではありません。 霊能者美輪明宏氏が真の幸せについて言及。
YouTube https://www.youtube.com/ で下記動画を検索してみると良い。
「美輪明宏が「永遠に幸せでいられる方法」を伝授!「幸せって何?」」
または、
「有名人(美輪さん)と語る 丹波哲郎 心からのメッセージ4 あかるく、すなおに、あたたかく(来世研究会)」
↑ただし、丸1番が最初に出るが、丸4番の美輪明宏さんの動画。 >>602
そうですね。
でも無理にする必要はありませんよ。
すべき時期がくればしたくてしょうがなくなります。
今自分は一番何がしたいのか。
その純粋な気持ちに素直に従ってみてください。
そのように守護霊は導いています。
>>603
神は己自身を知るために物質世界を創り、そこに宿ることで自分自身を知ろうとしました。
鉱物、植物、虫、動物、そして人間へと転生を繰り返し、意識はだんだん大きくなり
自分とは何なのか知ろうと探求しつづけてきました。
虫や動物の段階では自分という存在が理解できません。なぜなら彼らには自意識がないからです。
人間には自意識があり自分は誰なのか、理解することができます。
人間には宇宙の存在を理解することができ、神を想うこともできます。
ようやく自身が神であると知ることができる段階にきたのです。
人間となり自我を持つことで、ようやく神は神自身を発見することができるようになるのです。
そして人間を卒業する間近にいる人たちは、
人間の自我を脱ぎ捨てます。自身は神と知るためにはそれ以外に方法がないからです。
そしてようやく自我の消滅が起こり、真我に目覚めたとき、人間の卒業となります。
それが悟りと言われるものです。
悟りとは、動物の魂が初めて人間となるように、ある種のイニシエーションです。
人間の魂から人間を超えた魂へとなることが悟りです。
彼らは二度と転生しません。二度と肉体を持ちません。
霊界での学びが始まり、神界へむけて神へ向けて登っていきます。 >>607
全然洗脳されたままじゃん。
自我消滅してないよ、それ。 オ○ムの信者が似たようなことになってたね
瞑想してて良い気分になったり不思議なものを見たりするのはよくあることで
瞑想者が特別なわけでもなんでもないのに勘違いしちゃうんだって 霊性進化に早道はありません。
人生の苦難に耐えること、隣人愛と奉仕と善行をすること。愛しあうこと、助け合うこと、親切にすること、恵まれない方々に力になること、
など、愛の行為により、性格も人格も霊性も向上していくのです。
そのさきに悟りがあります。霊性進化があります。
日常生活をどう生きるかが、全てです。
霊的真理の述べるところです。 >>611
でもそう言う瞑想状態に入るだけでも羨ましいよ。オ◯ムもヨガ道場だけやってればよかったのに。最新鋭の宗教だったなぁ。 オウムの不思議な体験はLSDなりの合成薬物によるものじゃなかったの? >>614
瞑想者たるもの一度は試したかったが非合法ですね。そこで、L◯D並みに深く瞑想入りシャーマニズムで使うと言う当時合法だったナチュラルドラックのマジックマッシュルームを試した。あくまでも合法の範囲で。
確かに宇宙との一体感や冴える哲学思考回路を得たが、だから何?としか言えない。でも宗教者なら一度はどんなものか合法な麻薬を体験するのは脳や魂にこう言う裏モードがある、ならば悟ればもっと凄いんだろうなとはげみになるかもしれない。
そう言う意味ではオ◯ムのやり方は一理あったのに、テロリズムのサリンなんか作るから、勿体ない。あそこまで修行体系を分かりやすくした団体は初だと思う。 >>615
当時もL◯Dは非合法か。ならばオ◯ムも合法ドラックで合法範囲内でやれば良かった。サリンもL◯Dもダメ絶対だ。 善行を積み、親切で優しく、隣人愛に富む心の美しい人は、死後美しい環境に住むことになります。
心がけが悪く、心が汚く、利己的であれば、死後の環境は悪くなります。
日常生活が大切なのです。 無心さえ無くす無無心を提唱する無明庵だが、その幅広い悟り哲学は良好なのに、瞑想に完全に失敗した場合は自殺も良いと言うのが残念。その点霊能者江原啓之神社神道神主は自殺は無限地獄に入ると断言するので良い感じ。 >>621
低級霊と高級霊の見分け方ありますでしょうか? >>616 - >>618
>神秘体験や霊現象を求める真理探求は間違い。
探求する心、探求しようとする思いは本能で、すばらしいことです。
その本能をこの世で、いかに活用し本来の目的達成に至るかです。
このため問題はその方法にあり、
@ 自我(自己のコントール内)である在ること。
A 脳などの神経細胞(肉体)を変質させないこと。
この世で正常な意識は、健康な肉体(脳細胞)の下での精神であるからです。
これは、他者との共存にとって絶対条件なのです。 >>621
低級霊は自分を神だとか歴史的人物の生まれ変わりだとか名乗る。
不思議現象を多発させ信用させようとする。
高級霊は正体を名乗らない。 日月神事示や出口王仁三郎も言ってる高級神霊ほど現世に作用する力は
感応は弱い。逆に低次の存在ほど現界に近いので一見派手になる >>626
するとオーラの泉に出演していた江原啓之や美輪明宏など派手に霊能力ショーをテレビ公開していた輩は低級霊ですか? 神社古神道の勅使河原大鵬先生の書籍だったか、反天皇派に加担して戦死した霊
が苦海(地獄)に落とされているのを弔って祈り救出する話がありました。
選挙は馬鹿にできないです。現代の合戦だからです。親日も反日も棄権も全て魂に
書き込まれて死後、国や天皇に役に立つ政治を支持したかどうか調査されるのでは
ないでしょうか。間違っても、共●党には入れない方がよいでしょう。
共産主義は王制、天皇制排除革命が最終目的だから。
日本は神の国、下手は打てない。天皇神の天照大神に反する行為を慎む。 読書感想をするネット上のサークルにしようと思ったら、恐ろしい思想統制をする化け物どもの巣窟に
しようとする扇動者が出てきた。
政治だの社会だのの枠組みでは救われない魂の救済が、社会の枠組みの外側にある「神の国」とやらの
存在意義だと思うのだけれども。 社会の枠組みも含み、それよりも大きな集合と言う意味。 わたしたちは、常に神様の無限の愛に包まれています。
わたしたち一人一人の霊性進化の計画を神様はお持ちです。
自分の最善を尽くして、それ以上のことは神様にお任せすればよいのです? >>626
八神邦建先生によると、「日本神話にも「天地とともに天皇・皇室は窮まりなく
栄え続ける」と「天壌無窮」の神勅を、天照大御神が宣していらっしゃる。」ので、
「盲目的に信じていた「(出口王仁三郎)大本神諭」「日月神示」の「建て替え立
て直し」「ぐれんとひっくり返る」などの文言について、それらはまったくの虚偽
であることをここに明言する。」とあります。
自分も日月神事示や出口王仁三郎よりも古事記、日本書紀の日本神話日本神典の方が
正しいと思います。
>>629
神界にも幽政秩序があり、天照大神と大国主神との間の邪推や国譲り取引あり、
天使と悪魔の戦争あり、神兵ありですよ。意外と宗教はお花畑一色ではない。
ところで明治天皇の玄孫にして韓国嫌いで右翼神社神道の大家竹田恒泰先生の
座敷わらし霊体験のYouTube動画が面白かった。
また、地元地域の神社を忘れて隣町の大神社に参っていた武士が恩知らずとして
神様の嫉妬を被り出世しなかった話などもあり、日本の神様の人間っぽさとも。 >>632
どんな大善人でも、親方を間違えたらダメですよ。何でもかんでも、神様にお任せすれば良いのであるとは行かない。
オ◯ム真理教に入ったり天皇制反対カルト宗教や政党に入ったりしたらどんな善人でもまとめて地獄行きです。
心から善人でもまとめて罰せられると聞きました。 例えば神道政治を選んだ信長は昇格している。堕落した寺を無慈悲にも焼いた織田信長や神政治のために子供に切腹を命じた武将は、死後は神界に昇格などがある。何でもかんでもただ優しい善い人間であれば何でも良いわけではない。神界や宗教は甘くはない。 >>633
八神さんという方はあまり知らなかったのですが、問題のある方だったみたいですね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています