肉体である自我は猿。
魂である真我は神。
人間は、猿のような肉体に神の魂が宿ったようなもの。
肉体の我や本能が強く出れば、肉主霊従に、
魂の神性や美が強く出れば、霊主肉従に。

瞑想も霊的修行も、苦行も滝行も、すべてはこの猿のような肉体を弱らせることで、
内在の神のような魂を目覚めさせようとする原理。
もちろん人生の艱難辛苦によっても弱められる。
病気や挫折や死別などでも肉体自我は弱められ、それによって自然に真我が現れるようになる。
でも苦しみは嫌でしょう。
それ以外の方法はというと、瞑想しかないのです。
瞑想以外に方法が存在しないんです。
自己犠牲的奉仕でもなるかもしれませんが、それも苦しみはありますからね。

人は猿から神へとなっていかねばならないのです。
野蛮で攻撃的で利己主義で欲のままに生きる猿みたいな人間から、
慈悲と隣人愛と利他主義と静寂と美と清らかな神へと。