愛や奉仕や利他愛に生きる人は、
過去生であらゆる両極の経験を学び終えていて、
すべての経験をしているのですべての人の気持ちがわかり
そのため自他の区別なく人を自分のように愛し受け入れるわけです。
それが利他愛です。自然な利他愛です。
彼らは意識せずとも普通に生きてるつもりで利他愛の生き方になります。
そこには無理がないです。不自然さがないです。
でもある信念をもちその教えが利他愛を実践するようにと言うから、
それで霊格が向上するからと行う利他愛はなにか不自然さみたいなものを感じます。
そのような生き方は信念に従う生きるとは何か?と学ぶ魂です。
そして来世はその信念を捨てて反対側の信念を持たない生き方をして両極の経験をします。
信念を持つこともなく、持たないこともなく。
信念を持つ生き方のなにが間違っているのか、たぶん理解できないだろうと思います。
それを理解するための転生もいつかします。
両方を経験するしか魂は成長ないんです。