宗教や占いに行く人は努力を重ねて一歩ずつ自分の足で成長の道を登っていくよりも
“偉大なる神人” “奇跡的な大開運”
などを信奉して付き従うことを欲する傾向がある

しかし、それでは依存心が強まるばかりで、本人の成長は阻害されてしまう

偉大な教祖様をどれほど熱心に信仰しようと、それがそのまま本人の力になるわけではない
なるべく楽をして偉くなりたいという低能者の集団になってしまうのだ

また、教祖の言葉をそのまま垂れ流すだけの壊れた機械になりがちでもある

よく考えて欲しい
社会で尊敬されている人や、だれからも愛される魅力的な人、あるいは歴史に残る宗教家などは例外なく
たった一人でも苦闘を続けてきた人間ばかりで、
イスに座って他人に霊を救ってもらった回数によって偉くなった人間などはどこを探してもいないのだ