いろんな人がいろんなことを言う中、なにを信じるも自由ですが、この信じると言う判断をすると、それ以外は信じないと言う制限が生じます

これからどんどん制限を外して意識を拡大していくフェーズで、自ら制限を作ってしまうのは避けたいところです

592で、私は「神話は史実だと知っている」と書きました
「信じている」ではなく、「知っている」のです
なぜならそう知らされた圧倒的な体験があったからです
なので、私にとって「神話はフィクション」と言っている人は、ただ単に「まだ知らない人」で、「これから知ることになるであろう人」でしかありません

今どうなのかわからないことは、色々な人の意見を聞くより、いずれその答えを知ることとなる、自分にもたらされる圧倒的な体験を待てば良いように思います