真我とか人は神という感覚がわかりかけてきた気がする。
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なんとなくだけど、世界はすべてわたしのような感覚がわかりかけてきたような気がする。 人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会だ。
魂は、すべて知っている。隠されていることは何もないし、知らされていないこともない。
だが、知っているだけでは、充分ではない。魂は体験したがっている。
自分が寛大であることを知っていても、寛大さを示す何かをしなければ、概念にすぎない。
親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ、自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい。それが魂の唯一の望みだ。 彼らがわたしの一部であることを知らせる方法がひとつある。単純にそう告げることだ。
わたしはそうした。だが、神、あるいは神の子、王国の後継者(その他、神話ではさまざまな言い方をしているが、どれでもいい)とただ知らされても、彼らは、満足はできなかった。
何かを知ることと体験することとはべつのものだ。子供たちは自らを体験的に知りたがった。 知識として知るだけでは、あなたがたにはものたりなかった。そこで、わたしは計画を立てた。
その計画のもとで、純粋な霊であるあなたがたは、創造されたばかりの物質的な宇宙に入る。
概念として知っていることを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかないからだ。そもそも、物質的な宇宙秩序を創った理由はそこにあった。
宇宙を律する相対性のシステムを創った理由も、すべての創造行為の理由もそこにある。 物質的な宇宙に入れば、自らについて知っていることを体験できる。
それには、まず、対極を知らなければならない。
簡単に言えば、背が低いということを知らなければ、背が高いということはわからない。やせているということを知らなければ、太っているということはわからない。
自分が何であるかを知るためには、自分でないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。
自分自身を定義するのは、自分ではないものによってなのだ。 あなたがたはもともと、神の子供純粋な、創造的ないのち≠ネのだから、自分でなくなることなどできない。
そこで、あなたがたは次善の方法をとった。自分が本当は何者であるかを忘れたのだ。
物質的な宇宙に入ったとき、あなたがたは記憶を捨てた。忘れることで、単に王国の城で目覚めるのではなく、自分が何者であるかを選べるようになった。
あなたは神であると聞かされるのではなく、神の一部としての生き方を自分で選びとる。
そうすればすべての選択肢を与えられたうえで、自らを体験することができる。 神が完璧であって、完全なる愛であるなら、どうして伝染病や飢餓、戦争、病気、地震や竜巻、といった天災、深い失望、災厄などを創ったのか。
愛を示すには、まず愛さないということが可能でなければならない。完全無欠の絶対世界では知識があるだけで体験がない。その領域だけでは、人類も神も満足できなかった。 あなたがたは自分を発見するのではなく、自分を新たに創造していく。だから、自分が何者であるかを知ろうとするのは、もうやめなさい。
そうではなく、何者になりたいかを考え、そうなろうと決意して努力しなさい。 もう充分に体験したし満足したから終わりにしたいです 言っておくが、規則を作るのも、指針を示すのもあなたがた自身だ。自分がどれだけ善良であったかを決めるのは自分自身だ。あなたが本当は何者であるか、何者になりたいかを決め、どこまで目的を果たせたかを決めるのも、あなただ。
肝心なのは、自分自身を発見し、真の自分、本当にそうありたい自分を創り出すことだ。しかし、「別の選択肢」もなければ、真の自分を選択して創り出すことはできない。
だから、選択肢の内のどれかを選んだからといって、罰したりするはずがない。そもそも、罰したりするなら選択肢を与えるだろうか。
報いを恐れず好きなことをしていい。だが行為の行き着く先の結果を心得ていた方がいい。
それは、「自分が起こした結果は、結局は自分が体験する」というものだ。
「他人に経験させた事は、必ず自分が体験する事になる」ということだよ。
だから、「自分にしてほしいと思うように、人にしてやりなさい」と、イエスは教えたのだ。 相対性の領域は、わたしが自らを体験するために創り出したものだが、相対性の領域が現実になるわけではない。
それはあなたがたとわたしが自分を体験的に知るために工夫した、そして今も工夫しつづけている、創られた現実(つまり幻想)だ。
不安や恐れは愛の対極である。
不安の場は現実ではない。地球に生まれた〈マスター〉たちはその相対性の秘密を発見した人たちであり、それが現実だと認めなかった人たちである。〈マスター〉たちは愛だけを選択したひとたちである。 あらゆる時に、あらゆる環境で、彼らは愛を選択した。自分たちが殺されても、殺害者を愛した。迫害されても、迫害者を愛した。
このことを理解するのは非常にむずかしいだろうし、まして見習うことはできにくいだろう。だが、〈マスター〉はすべてそうしてきた。 何があなたをこの文章に導いたと思うか? どうして、あなたがこの本を手にすることになったと思うか?
わたしが自分のしていることに気づかないとでも思うのか?
宇宙には偶然などというものはない。
わたしは、あなたの心の叫びを聞いた。あなたの魂の探求を見た。あなたがどんなに深く真実を求めているかを知っている。
あなたは苦しみのなかで叫び、喜びのなかで叫んだ。限りなく、わたしを求めた。わたしに現れてくれ、説明してくれ、真実を明かしてくれと呼びかけた。
そこでわたしはいま、こうしてやさしく、誤解しようのない言葉で答えている。簡単で、混乱しようのない言葉で答えている。平凡な、惑わされようのない言葉で話している。 あなたが耳を傾けるなら、話してあげる。
あなたが祈るなら、話を聞いてあげる。
あなたが招くなら、そばに行ってあげよう。
そして、いつもそこにいたことを教えてあげよう。あらゆる方法で。 このゲームに負けることはない。間違うことはない。それは計画に入っていない。あなたがめざしているところへ行き着かないことはありえない。
神があなたの目標でよかったね。神は大きいから、目標から外れたりはしないよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています