http://hissi.org/read.php/occult/20171110/ampMTXM1a2Iw.html
631 :本当にあった怖い名無し[sage]:2017/11/10(金) 00:20:23.09 ID:jjLMs5kb0
多くの人たちが無意識にやっていることを説明すると、こういうことになる。

過去に”今”より発せられた意図が、自我という観念の塊を通して、思考や感情としてアウトプットされて、それがタイムラグを経て現実に投影されている。
その投影された過去の映像を見て、それに反応する形で”今”から意図が発せられて、同じ要領でまた新たな現実が創造されていく。
これを延々と繰り返しているわけだから、そりゃいつまで経っても現実の延長線上で頑張り続けて疲弊するしかない。
それが楽しい内は、これはとてつもなくよくできた遊びなんだけど、いつの間にかそれが幻想に過ぎないこと忘れてしまったのが現代の私たちだね。
だから、ムキになって現実という映像に執着したところで、柳に風でどこまでも過去に意図したものの延長で遊ばれ続けることになる。

じゃあ、”今”にフォーカスするとはどういうことかというと、つまりそれは一切に関係性を持たせないということなんだ。
先の肉食の話で、菜食主義を徹底しても、その人の内面次第では、逆に健康を損ねてしまうことがある、ということを言ったよね。
これはなぜそうなってしまうかというと、「肉食を絶てば健康になる」という”今”にではなく”観念”にフォーカスしているからだ。
一見すると違いが分からないかもしれないけれど、この観念というのもそもそも”今”からの意図をメンタル体という機構が変換したものであって、”今”そのものではない。
すべてはエネルギーということも先に言ったけど、メンタル体もエネルギーならば、そこから生まれる思考や観念もエネルギーであって、他と同様に波動に過ぎない。
そして波動というのは、発せられたその瞬間に正負の両方が生まれるという原則があって、それによって常に万物はバランスを取っている。
だから、「肉食を絶てば健康になる」という観念は、「肉食を絶てば健康にならない」という観念と常にセットで、どちらの立場に立つかが運命を分けるわけだ。

話が少し逸れてきているが、次で”今”にフォーカスするということを説明する。

632 :本当にあった怖い名無し[sage]:2017/11/10(金) 00:32:44.17 ID:jjLMs5kb0
これが多くの人たちが引き寄せを失敗させる理由で、「肉食を絶てば健康になる」という方を見ているということは、自然とその反対の側に立っていることになってしまうんだ。
しかし、ネガティブな方に立っているんだから、願えば願うほどに、それはただの執着へと変わっていって、いつまで経っても叶わない。
だって、フォーカスと言いながら、実際は「肉食を絶てば健康にならない」という観念の側に立って、「肉食を絶てば健康になる」という観念を見つめているだけだから当然だよね。

でも、ここで”今”にフォーカス、つまり自分の立ち位置をニュートラルにしたらどうなるだろう。
こうすると、正負に分離した両方を同じ視点で見れるから、何の気負いもなくどちらも自由に選択することが可能となるんだ。
だから、意識的にであれ、無意識的にであれ、この状態で「肉食を絶てば健康になる」という観念を見続ければ、当然現実もそのように具現化されるわけだね。

ここで話を最初に戻すけれど、>>628の最初に言ったことをもう一回読んでみてね。
>>625は、”今”にフォーカスしているつもりだったけど、なぜか自分の波動、振動数が低くなったように感じている。

まず、”今”にフォーカスするから振動数が高くなるわけじゃないということ。
”今”にフォーカスして、振動数を上げると意図することで、初めて振動数が上がるんだ。

”今”にフォーカスしていない状態で、実は現実という過去の映像をただ見ているだけの状態で、「振動数を上げたい」という願いが湧いた。
これだけならば問題はなかったはずだけど、おそらくここで「”今”にフォーカス」という観念と「振動数を上げる」という観念が関係性を持ってしまったんだと思う。
>>631で、”今”にフォーカスするとは一切に関係性を持たせないということ、と言ったように、関係性を無意識にでも持たせるとそれが新たな観念となって意図がどんどんと曲げられていってしまうんだ。
そして観念が生まれるということは、その正負の両方が生まれているということを意味する