歎異抄やアドラーの心理学においては、
最低でも、哲学として基になる思想がしっかりしているので、

それを2流の学者が解釈しても、それなりの成果が得られるのですが、
シルバーバーチの霊訓になると、表現そのものが未熟である以上に、
それを解釈しようとする馬鹿の欲が強欲なので、
まったく話にならないのが実状のようです。