霊的心理 友の会3
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霊的真理を話し合いましょう。
霊的真理を語り合い、励まし合いましょう。
様々な出版社から霊界の話を知る手がかりを得る事ができます。
ですが、信頼できる出版社・内容のものが良いでしょう。
霊的真理を学ぶには様々な本を読まなければなりません。
近くにあれば、読書会などに参加すると良いでしょう。
慈愛・寛容・奉仕の心がけを持つ事が大事です。
他人のために尽くす事を心がける事も大事です。
これがこのスレの前提です。
自己満足に終わる事無く、
他人のために尽くせる方法を一緒に考えましょう。
できれば度を過ぎた行為は控えて、中庸を目指しましょう。 >>974->>976
ここに書かれたことは、
@ 個人の自由意志(自由さ)を奪い、
A 神という名によって、他者を支配し、
B 成長という言葉によって、その思考を制限する。
悪魔という低級霊、もっとも好む行動です。
ゾンビ仲間で慰め合うのは、その人自由ですが、
試練や愛という妄想、他者をゾンビ仲間にしてはいけません。、 最悪なのは、この仲間には、
それが悪であることをも十分に知りながら
ゾンビの手先として行動してる者がいるようです。
恐ろしい環境ですね。
意味不明なのは、
どうして、他者の自由を奪うことに喜びを感じてるのか。
ゾンビで生きることを否定しない神が、
ゾンビ仲間にならない事への憎しみなのか? そのグループの中で
ある高慢な地位が与えられると、
その地位の中で生きること使命として、
悪魔の手先となって生きる喜びにしてしまうのか。
それほどの能力があれば、悪魔の手先にならなくても
自由に自己選択できるのに、やはり恐怖と特権によって支配されてしまうようです。 しかし、このような意思決定さえも、許す傍観者として神。
どうすれば、
これほどのやさしさと自信が得られるのか、
それとも、それは、やさしさでも自信でもなく
ただ「空の世界」に住む者の宿命なのか、
なるほど、この神の行動に怒った悪魔が、神の敵になったということは
悪魔の方が、人間に近い愛の心を信じているかもしれませんね。 そうですか。
自分で何を仰っているか気付けていますか?
その3項目の真逆を並べてみますね。
@個人とは無規律に自由に振る舞って良いものだ。
A他者の自由を尊重するために神を蔑ろにし、
B自由に生きられるのなら成長等考えなくても良い。
書けば書くほど自分の首を絞めることになっていますね。如何にも低級霊が好みそうな理屈です。
寧ろご自分の自己紹介をして下さっている。
もっとこう、良い意味で感心させられる内容を示して下さい。
ご自慢の神の真理を心の拠り所としているようですが、それではご両親を納得させることは出来ませんよ。
プライベートな事なのでここまでにしておきますが。
この様な神事、あなたがスピ等と呼んでいるジャンルは己の趣味であるとか自己顕示欲を満たすために利用すると足下を掬われます。
何を言おうとしているかは解りますね?
それで生活の糧を得よう等としているとしたら取り返しの付かないことになります。既にその兆候は充分現れていますよ。 物事を成し遂げるには、
善という名目の、偏ったエネルギ―が必要なのでしょうね。
そのエネルギ―が得られという麻薬によって
正しい行為という判断基準にする弱者がいるようです。 >>952
どこにでもよく使う否定手法の
笑うしかないない投稿は結構です。 このような手法は、
論理学で2000年も前から行わrています。
仮説にない論理、目的のない論理の無意味さ
中論によって十分すぎるほど研究されていますよ。 人間として与えられた、個として存在目的は、
個の自由と可能性をどれだけ保持し表現できるのか
また
そのための環境をいかにすれば共有実現できるかしかない。 自由の代償に得られるものは、やはり自由でしかなく、
それは、時に裏切りや憎しみを生み出すかもしれない。 あなた達が、
自分の心に響く言葉を、選択の判断基準にしてはいけません。、
そのような言葉など存在せず
存在するのは、自己中の悪魔の言葉であると知れ。 なぜなら、
悪魔には悪魔の言葉しか理解できず、
神の言葉など、一切無視するであろう。
もし神の言葉が理解できrのであれば、
それは苦痛を伴うため、拒否するであろう。 >>990
あなたが言う言葉が神の言葉だとするのなら私には必要ありませんね。
他者を罵り、悪魔だのなんだのありもしないラベルを貼り付けようとする。
そんな低俗な者が神だというのなら喜んで捨てます。今後一切関わらなくても苦になりません。さようなら。 すべての者は、
自己形成ものを、自己崩壊させることができない。
それは、自己にとって自殺を意味する。
このような自殺は、魂によって
最大の屈辱であり、また最大の救いの喜びであるが、
なぜこの連中、
哲学の思考の道を選ばす、自己愛の思考に溺れてしまったのか?
そして、自己の思考自由を、どうして自分で制限してしまったのか、
そこには、他者からの賛同という誘惑があったのか? 自己愛という価値観によって、
自己の存在を確認したものは、
共存の喜びの蜜によって、自己の自由意志や判断さえも放棄する。 と、ここまでがおよそ2000年前のイエスとラビとの口論の再現です。 哲学の思考の道だけじゃないんだよ?
なぜパオー君は理解できないのかね。
自分で経験がないから理解不能だとしてもヴェーダとか勉強してんでしょ?
書いてあるでしょうが。 私の教師は、私の中にしかいません。
なので、一般知識はありません。
>>995
その話。おもしろそうですね、
どこに書いてますか?
>>996
ヴェーダのどこに書いてますか? >>996
スピリチュアリズムがイエスの系譜だとするとパオーさんは正にラビ。
これは当時の再現ですね。彼は自ら悪役を買って出てくれている尊い方なんです。
当時イエス達はこの様な想いをしていたわけです。 このスレッドは1000を超えました。
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