『禍福はあざなえる縄のごとし』

といいますが、わたしの人生もまさにその通りです。貧乏から収入が伸びたり、仕事で辞めようかと頑張り抜いた先にとんでもない成功体験が起こったりします。収入や仕事が安定すると安逸に浸りきり怠けて、またどん底に落ちます。

そして、難病の人生の絶望のどん底で、霊的真理に出会うという、人生最大の幸福を神様がご用意してくださいました。そして、人生で初めて、神様を心底愛し信頼したいという信仰心が生まれました。

真の幸福は、物質的肉体的精神的な不幸や葛藤のなかでこそ、培われます。シルバーバーチは霊魂の神性は絶望のなかでこそ開く、というようなことを言っていますが、まさにその通りです。

平坦な浮き沈みのない楽な人生では、なかなか霊的進化の目覚めは得られないようです。人生楽をしようとするわたしに、神様はいつもタイミングよく適度に大きな試練と学びを下さいます。

わたしのような低きものでも、忘れずに神様は霊的更正の道を用意してくださいます。わたしは未熟ながら、隣人愛と奉仕と信仰でこれに応えていきたい、と心からそう思います。

貧しさを体験したわたしは貧しい方々のために、何かしなければいけない、と考えます。
難病や身体の苦しみ、精神の苦しみを経験したわたしは、苦しみや痛みの方々を癒したい、と考えます。

不幸のなかからは、必ず、学ぶべき慈悲と隣人愛と奉仕のプランがあります。地上生活の不幸のなかにこそ、実は光り輝く学びを神様は用意してくださるのです。そして、学びはわたしたちの霊的幸せに、必ず漏れなく繋がるのです。