霊的心理 友の会3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
霊的真理を話し合いましょう。
霊的真理を語り合い、励まし合いましょう。
様々な出版社から霊界の話を知る手がかりを得る事ができます。
ですが、信頼できる出版社・内容のものが良いでしょう。
霊的真理を学ぶには様々な本を読まなければなりません。
近くにあれば、読書会などに参加すると良いでしょう。
慈愛・寛容・奉仕の心がけを持つ事が大事です。
他人のために尽くす事を心がける事も大事です。
これがこのスレの前提です。
自己満足に終わる事無く、
他人のために尽くせる方法を一緒に考えましょう。
できれば度を過ぎた行為は控えて、中庸を目指しましょう。 >>253
こんにちは。
返信が遅くなりました。
そうですか。やはり自分はスピリチュアリズムに関係する人生を送ることになりそうですね。
方向性もなんとなくわかるような気がします。
なるほど…。覚悟せねばなりませんね。そのような人と関わるときには。
ご忠告ありがとうございます。
憑依の話は、除霊をするような番組でしばしばその霊が術者に話しかけられるときに「この人の中が心地よいんだよね。でも、いつまでもこのままじゃダメよ。」と言われていることが連想されたからです。
まあ、間違っているかもしれないですね。
自分で書いておいてなんですがあまり気にしないでくださいw。 >>262
それこそ、無私の愛です。
無私の愛は限りなく美しく、すべてをなげうっても手に入れたい、きっと至福の幸せであり、喜びなのですよ。
隣人愛こそ、生きとしいけるものへの無私の愛こそ、純粋に美しく、内面の実体を磨きあげ光輝かせるのでしょう。
わたしたちが神様の子であるがゆえに。 >>263
人生楽しみながら探求されるとよいですね("⌒∇⌒")。霊的真理があれぱ、人生のカルマの苦難も学びと達観できますよ。
憑依は、すべては波長の法則なので、憑依されるということは、憑依霊に近い居心地のよい波長であるか、前世に因縁があるからだそうです。
いずれにせよ、因縁自体が霊魂同士の学びになりますので、すべて必然ですね。解決法は、隣人愛と奉仕に生きれば何も問題ありませんね。 人生っていろいろと面白いですね。
愛で満たされた世界になると
良いですね( ´∀`) そうなんですよ。
自分が、愛で満たされること、何でこんな簡単なことに今まで気付かなかったんだろう、という感じです。
自分の心の内面が愛に溢れれば幸せになるのに、かつては、外部の環境や地位やお金やモノに幸せを求めた愚かなわたしでした。お恥ずかしい。
痛い目見て初めて気付くんですよね。
自分の視野の狭さに。世の中の物的幻想に。
他人様や他の生き物の幸せがわたしの幸せになることに。まさにパラドックスであり、コペルニクス的人生観の逆転です。
霊魂が目覚めると、いかに神様が偉大であるかが実感しますよ。 いろいろな経験をして
愛の価値に気付いて
愛で生きるようになるのかもしれませんね。
それが幸せに生きることでも
あると思います( ´∀`) https://youtu.be/1NTrNwCN0vw
わたしたちの実体とは、霊魂であり、人格です。
人格の向上とは、隣人愛=与える愛であり、思いやりであり、優しさであり、親切です。
そして、そこに本当の幸せと、神様の愛の安らぎがあります。地上生活には愛を肉体という苦難のなかで学び、磨くために生まれて来たのです。 江原啓之の本も、今の日本の状況に合わせていっているので読む価値はあると想います。 わたしも江原さんは、とても良いことおっしゃっていると思いますよ。励まされている方々も沢山いらっしゃるのも事実です。 おはようございます🎵
わたしは、昔から他人様の良くないところは見ないようにしてます。出来る限り良いところを見るようにしています。良くないところは、反面教師にして、自分はすまい、と学びます。
また、自分の良くないところは、出来る限り表面に出さないように心がけます。表に出せばあとで、後悔するからです。でも、良くないところは自分がわかってますから、いずれ無理なく自然に克服したいと考えています。
『わたしは嫌いな人に会ったことがない』
映画評論家 淀川長治
わたしの子供のころからの座右の銘です。
たとえ、他人様にどんな酷い仕打ちにあっても、わたしは嫌いになったことはありません。しかし、そのような方々をすべて愛することができたかというと、波長合わず苦手意識もありまだまだです。わたしの隣人愛の課題ですね。 わたしには、沢山の人間的欠点があります。
わたしには、沢山の心の弱さ醜さがあります。
どうして、他人様だけ責められるでしょうか。
出来る限りの寛容さと謙虚さは、隣人愛と同じく大切であると、わたしのハートは言っています。 わたしたちは、みな未熟な神様の子供です。
地上生活や霊界で神様の作り出した、因果応報のサイクルの中で、霊魂を磨きあげながら、隣人愛と忍耐を学びます。
霊的に向上し、神様のお手伝いをするために、わたしたちはいます。なぜならば、わたしたちは神様のミニチュアであり、永遠の霊的存在だからです。
どなたも、その本性は、貴い方々なのです。 失敗も過ちも霊的成長への糧です。
完璧なる神様の仕組みである因果応報により自ら作り出した痛みと苦しみにより、更正しいずれ善に向かいます。
ですので、自分や他人様の過ちは、すべてよし、です。いずれ克服されますから、あまり咎めず裁かず、くよくよも、しないことです。
それよりも、毎日、日常生活で前向きに隣人愛と善意で生きることに、気持ちを集中し、愛の喜びと笑顔で生きることです。与える愛、奉仕ほど美しく、歓喜の涙になるものはありません。 人間誰しも、謙虚で寛容な無私の隣人愛の高級我と、肉体的金銭的欲望や自尊心や不安恐怖などの低級我を持っています。
どちらも、善いとか悪いとかではなく、地上生活の霊的進化のためには両方必要です。なくてはならないものです。
低級我や肉体的本能は地上生活では誰しも持っており、卑下するものでも、忌むべきものでもありません。むしろ、肉体的に生きるため、維持するため、自己防衛には、ある程度は必要なのです。
しかし、わたしたちは自然に低級我を少しずつ小さくして、高級我を目覚めさせ大きくしてこそ、霊的成長します。
高級我は、わたしたち霊魂の本当の至福です。他人様の幸せに尽くす隣人愛にこそ、わたしたちの本当の幸せがあります。
なぜ、世の中に愛と善意の塊のように、お金も身も投げ出し無私で他人様に尽くすことが出来る方々がいるのかというと、彼らは隣人愛の至福にいるのでしょうね。 >>271
TOKYO FMで、毎週日曜22時から放送をしていますね。
あれ聴くのが楽しみなのですが、よく聞き忘れをしています。 >>277
わたしはYouTube専門ですね。
自分が気になったお題について、江原さんの霊的人生観をは、参考にどきどきしていますね。良いとこどりです。 https://youtu.be/j5Put8i83mk
世界中にはこんな無私の隣人愛の美しさの幸せにいらっしゃる方々がいます。霊性が光輝いていて、本当に憧れますね。
いろんな形の隣人愛の幸せを、動画でも紹介できればと思います。 本当に、愛すること、与える愛、そして感謝は、何と美しく素晴らしいことか‼
まったく、その純粋で光輝く美しさは、わたしには言葉では表現出来ません。
ただ、ただ、歓喜の涙しかないのです。
わたしたちの霊魂の、心の中にある、美しい神性を目の当たりにすると。 堀江って方が菜食主義の人に対していろいろ言ってますね笑
しかし人間の霊性が進化していけばシルバーバーチも言ってるように自然と菜食が大半になっていくでしょうね。利他の意識が高まりますからね。
それが人間だけでなく動物まで広がっていくのでしょう。まずは人間に近い哺乳類から食べなくなって(殺さなくなる)いくんでょうか。これは長いスパンで見ないといけない話。進化はゆっくりですからね。
1000年後には少しはマシな世界になっているんでしょうか(゜▽゜) そうですね。ゆっくりだと思います。
まずは、人間同士の思いやりや隣人愛が醸成しないと、急には菜食は難しいでしょうね。
知的進化に霊的進化がまだ全然及ばないのが、わたしたち人類ですから。まずは、霊的真理の普及から、生命に対する霊的価値観の浸透が大切ですね。 https://youtu.be/jdTbvEzt-SU
現実を知り、隣人愛で今、自分に何ができるか?
考えることからスタートです。
何も大したこと出来なくとも、ハートで感じ、他人様への隣人愛の想念で満ちることです。
他人様の幸せを考えると、結局は自分の内面が美しくなり、至福の幸せに近づくと感じます。 『きれいごと』『お花畑』『理想論』
これらすべて、わたしには非常に有り難い誉め言葉です。これこそ、内面の美しさの現れだからです。
物的現実の暗い重い低い波長のなかで、少しでも光輝く美しい隣人愛の理想を常に思い描き、日常で努力することが、本当の幸せには大切です。
イエスがおっしゃった、『心の中に神の国を求めなさい』はこのことです。
隣人愛の内面の美しさがその方の人格であり、実体です。そして、死後の霊界は内面の世界の美しさで決まります。地上生活とは、隣人愛と奉仕で、いかに内面の世界、神の国、神性を磨きあげるかのトレーニングです。
常に『お花畑』で、『理想主義』であることは、隣人愛の幸せには大切な要素だと思いますよ。
そして、その『お花畑』の想念が日々、世界を平和と幸せに変えるのですから。
一人一人の愛の想念は、地球の波動を高め、浄化に貢献する奉仕活動でもあります。小さなことでも、大きな愛と幸せをこめて。 他人様の境遇に『同情』する行為は、とても美しい隣人愛の行為です。いずれどこかで。行う無私の奉仕の入り口にも原動力にもなります。
すぐに、何かしてあげられなくても、気にやまないで下さい。他人様に『同情』して、涙を流すときに、あなたの内面の愛の心は光輝きはじめています。
霊性進化のために、慈悲心を磨いているのです。
その気持ちを冷めさせず、大切にしてほしいのです。 おはようございます。
今マイケルジャクソンの歌を聴いていて自分の中ではかなり上位のものが流れたので貼っておきます。割といいと思います。
https://m.youtube.com/watch?v=Nk16yJ5ekuQ いつも、善を行うとき『これって、自己満足で、良い子に思われたいという、自分の偽善かも?』と二の足踏んでいませんか?善をしない理由にしていませんか?『人前で恥ずかしい』から止めていませんか?
わたしもかつて、そうでした。やるべきことをせず、自分の小さな羞恥心や他人様の目を気にする打算的な思考、急いでいるの理由などの、低級我に負けていました。本当に、わたしは、お恥ずかしい利己主義な霊的小人です。
でも、よく考えてください。日常的な善意に理由などいるでしょうか?相手のことを思って素直にするなら、偽善でもよいではありませんか?多少、おせっかいでもよいではありませんか?
どんどん、人助けしましょう。道を譲りましょう。家事しましょう。あいさつしましょう。ありがとうございます、て笑顔でいいましょう。ゴミ拾いましょう。つらそうな方々に大丈夫ですか?ときいてみましょう。小さな募金しましょう。
どんどん、自分が善いと思うことすればよいです。失敗したら、また、やり方を変えればよいです。たとえ、冷たく拒否や無視されてもこちらの美しい愛の善意は傷つきませんよ。
恩着せがましく感謝や見返りを期待しないなら、どんな善意もわたしはOKだと思いますよ("⌒∇⌒")もちろん、自分が身体や懐が、無理なく出来る範囲ですのでね。いやいやは意味ありませんよ。
すべては日常的に、笑顔でいること、助けあうこと、尽くしあうこと、が大切です。
一つ一つの行為や言葉や想念が内面を美しく磨いていきます。
偽善?、大いにOKです。そんな意見は気にしない。小さなプライドや羞恥心や見栄は捨て去ることだと思います。 https://youtu.be/01g3ahwQ-ds
かなり長い動画ですので、飛ばし見して頂けますと幸いです。
日本は再生可能エネルギー後進国です。
世界の潮流についていけず、逆行しています。
原子力で国土を大きく汚染しながら、気付けません。
日本は軍事大国です。
敗戦で国土を焦土としても、気付けません。
日本は閉鎖的です。
寛容な多民族国家とはとてもいえません。
格差や社会的弱者に対する意識も政策も低いです。いじめ、自殺も多いです。
しつけや親切などで日本人のよいところも、もちろん多少はありますが、決して特段霊的に高いわけではありません。かなり、物質的金銭的利己主義です。もちろん、わたしも含めての話しです。
愛と善意と奉仕と寛容の和が日本を精神的に、美しくすると思います。『お花畑』『理想主義』が
これからは必要である、とわたしは思いますよ。
社会の改善にも、霊的真理普及はやはり必要なんですね。 最近、過去スレをよく見ております。
過去の自分がなかなかいいことに気づいていたり、言っていたりすることがあります。
そして他の方がいいことを書いておられたりします。
それらを見て少し成長したなあ、とか考えが変わったなあ、と過去の自分と比較するのも面白いですw。 皆様、愛情深くきっと成長なさっていますよ。
その辺の大学生さんも、障害者補助のアルバイトの経験などからも、学ばれたのではないですか?
すべては学びのための必然だと思われます。
このスレは励まし合う霊的交流の場ですよ。 >>290
おはようございます。
うーん…、たしかに愛を感じる、ということについては学んだ気がします。
しかし、利用者さん以外の人にも愛情深くなれたかというとそんなことはないと思います。
身の回りの人すべてに対して愛情深くなるのはもう少し鍛錬と時間が必要ですね。
それよりも、昨日風呂に入っているときに自分の本当の使命がおそらくわかりました。
今までも何回か使命がわかったと思うことがありましたが、それらは二次的なもので、主体は昨日見つけたことだと思います。 思ったのですが、障がいのある方って、この物質世界のくだらないことにあまり触れないように生きることができる、と思いました。
外にでて周りにその方ひとりぼっちの環境はあまりないような気がします。ほとんど家から出ると施設や特別支援学校など、同じように障がいをもった方が集まったところに行かれると思います。
このことは物質世界における汚い想念からはほとんど隔離された環境で過ごせる、ということだと思います。
彼らは裏表がなく、素直に感情を出します。嫌なことは嫌、楽しいことは楽しい、というように。表現が難しい方もいらっしゃいますが表情に変化があるような気がします。
ほとんど多くの普通の人間と違い、だれかと共謀してあまりよく思わない人をいじめたり攻撃したり、ということをしません。
もっとも彼らなりの意思表示の一環として自分の好きなようにさせてくれない(行動を制限する必要があるとき)人などには暴力的な行動が出ることもなくはないと思いますが。
というのも、彼ら同士でのコミュニケーションが難しいことが結果的に共謀して何かを企む、ということが自動的にできないようになっている気がします。
もっとも、普通の人も障がいのある人も個人レベルで何か良くないことを企む、ということはあるかもしれません。しかし彼らと普通の人間との違いは、集団で何かやるかやらないか、ということだと思います。
集団でそういうことをやり始めたらもうどうしようもありません。多くの例があるように。
コミュニケーションが難しい、というのは言い換えれば「基本何事も1人で」ということだと思います。施設ではみんなと一緒に作業をやろうとしますが。
これが上記のいじめなどが発生しにくい要因になっていると思います。
(これはどちらの立場も障がいのある方に限っての話です。職員がそのようなことを利用者さんに対してやるような場合は含まれていません。)
そのような意味で、障がい、というのは必ずしも悪いことだけでなく(カルマ解消はもちろんのこと)、新たにカルマを作らせないようにする働きがあると思いました。
1ヶ月ちょっとしか経験してない若造が何を生意気な、と思われたら申し訳ありません。
もっとも、自分がいた施設しかしらないので例外はあると思います。それはご了承ください。 >>292
生意気なんて、とんでもないです。
もっと、感じたこと教えてくださいね。
隣人愛に年齢や社会的地位は関係ありませんよ。
障害の理由はわかりませんが、障害者の方々が自ら選択して、生まれて来たことは確かです。
自らのカルマ解消かも知れませんし、霊性高い方々が周囲に愛を学ばせる奉仕で生まれたのかも知れません。極めて本来の個性の表現が限られている方々は、カルマを作りようがないのも確かですね。
いずれにせよ、皆様、懸命に自らの過酷な境遇に耐えておられるのは確かですので、社会で最大限支えて頂きたいですね。 シルバーバーチは、知的障害の方々は前世で、知性を乱用した方々が多いと言ってますね。一例として、宗教裁判官などをあげています。
本来は、とても優秀で魂の知性の高い方々が多く、あえてその高い知性を封じてわたしたちの霊性喚起に貢献しようと、隣人愛に燃えて生まれて来たのかも知れませんね。
いずれにせよ、わたしたちは彼らを精一杯愛し、支援し、奉仕することですね。それが神様のご意志です。
わたしも子供の頃に知的障害の友だちがいましたが、とても記憶力が良くてびっくりしました。トランプの神経衰弱は勝てなかったです。彼が大好きでしたし、尊敬してましたね。
本来は、皆様、すごい知性的な方々かも知れませんよ。 非常に知性の高かったホーキング博士という方は生前死後の世界を否定していたようですが、今ごろどうしているんでしょうね。
自分が死んだことに気づいていないのか、あの世があったことに驚愕しているのか、はたまた強情を張っているのか、伝えてたいことがあるのか自分には解りません。
しかし、知性の高さ故に陥った唯物思想…自分のように凡人だが直観的にあの世を確信している者…何とも皮肉な話(>_<) あまりにも、知性が高すぎるとやや高慢にもなりうるのかも知れませんね。バランスが大切ですね。
https://youtu.be/DJ0gXnZYAPE
この動画の56分からの30分強ほどの動画ですが、見る価値がありますので、ご興味ございましたらご覧下さい。本当の霊魂の奉仕の幸せが感じられる動画です。
霊性と知性と人間性と忍耐力の凄まじいすごい方の動画です。とても、わたしはこのような人にはなれませんが、隣人愛とはいかなる苦難をも幸せに変えるエネルギーであるかと感嘆します。
他人様の幸せは、すべて何十倍もの自分の幸せにかえってくるという、証左となる記録です。
奉仕することこそが、実はわたしたち霊魂の至福の幸せなのでしょう。
また、他人様のために無私の不屈の努力には、霊界の加護があると信じさせて下さいます。 >>294
そうだったのですか!これは初めて知りました。
そういえば、自分の担当しなかったところに、人の名前を一度聞いて一回で記憶できる方がいらっしゃるときき、すごいと思いました。
自分は最低3回くらい聞かねば覚えられませんw。 https://youtu.be/cXmzh2spJOA
スーパーフライの『ビューティフル』という歌で、わたしの大好きな歌です。
『美しい心になることを信じて』
それまで紆余曲折で遠回りしても、いいのです。
困難に、同情に、美しい涙を流しながら、懸命に生きていきましょう。お互いに尽くしあいながら。
世界に輝く一つだけの光になれ!
皆様、神の子なのですから。愛されているのです。すべて、許されているのです。
だから、内面の心をゆっくり、美しく、光輝かせましょう。どんな人も愛せるようになりましょう。寛容に優しくなりましょう。 https://youtu.be/dJ9ve_EGYmw
美しい内面の心でいたいですね。
たとえ、主義主張や考え方が違う方や、傷つけられた酷い人でも寛容に包み込むように受け入れて、共に愛しながら生きていきたいです。
どんな方でも、人というだけで受け入れて、支えて、尽くして愛すること、わたしはこれからもそんな風に美しい内面で生きていきたいです。
誰にでも優しく愛せれば、わたしはどんな目にあっても後悔しないでしょう。 優しい相手に優しく接するのは簡単。
辛い方に優しく接するのは簡単。
でも私に意地の悪い見方をしてくる方には……_| ̄|○
体調に異変を来した為に離れましたが、皆様はどうされていますか?
今の私に無理は禁物と肝に銘じながらも、参考までにお聞かせくださいませm(_ _)m >>300
仕事や義務で無ければ、相性合わない人間とは遠慮なく離れるようにしてます。
何らかの仕事や義務の相手なら、表面上は我慢するだけはして、陰で理不尽にはボロカス文句言いまくってストレス発散させますw
それでも我慢出来ないなら、その場を離れよという神様のサインと思い、無理せず離れますw
何も無理に耐えるだけが善や愛ではないと思いますからね。
とにかく御自愛されて下さいね。 もちろん、簡単ではありませんね。
わたしも、サラリーマン時代、隣人愛の優しさを貫こうとして、決して怒らず誰をも好きになろうと努力して、胃潰瘍や肺に穴が開きました。今の難病もそのせいかも知れませんね。でも、わたしは後悔していません。
なぜなら、それは、わたしの隣人愛が足りなかったからです。大病した今ならわかります。わたしは自分が可愛くて、誰からもよく思われたいという気持ちが強かったのです。その当時の利己的なわたしには、とても難しい試練でした。
本当の無私の隣人愛の波動は、周囲の人々を幸せにします。他人様を分け隔てなど出来ません。
毅然と愛と謙虚さと寛容さを貫けます。
>>296の動画の方のように、本当に隣人愛と信念のある方は人々のためになると思えば、尽くす方々から馬鹿にされ愛されずとも自分の愛を貫き、困難を乗り越え、いつかは周囲の方々をその強い隣人愛で感化し、とても幸せそうです。
わたしの考えでは、底抜けの無私の隣人愛を持つことだと思っています。そしてそこに本当の幸せがあると。もちろん、難しいですし、挫折をまたするかも知れませんね。でも、再度、愛のチャレンジしたくてワクワクしています。
わたしが経験した地獄の難病生活に比べたら、かつてわたしに向けられた、他人様の他愛ない憎悪など蚊に刺されたみたいなものです。
無理はもちろん禁物ですがね("⌒∇⌒") 難病の痛みと苦しみのなか、今ならわたしは思います。
今までの人生で出会ったどなたも愛しいと思います。寝たきりの激痛と呼吸困難のなか、すべての方々が懐かしく感じました。地獄の淵で人生のどん底で、ようやく気付きます。もっともっと精一杯、すべての人を愛するべきだったと。
そう、たとえどんな酷く傷つける人も神様の与えてくださったご縁であり、有り難いものなのです。実は心より愛すべき方々なのです。
しかし、当時、霊的視野を持たないわたしには、それがわかりませんでした。その方々の表面的な未熟な人格だけで、そのなかの光輝く霊魂を見ていませんでした。
日本で言う、一期一会とはこのことです。
わたしはこれからも人生で出会うすべての方々を愛したい、その方々の幸せを願いたい尽くしたい、と、わたしのハートが霊魂が言っています。
たぶん、それがわたしたち霊魂の本当の至福の幸せなのでしょうね。 https://youtu.be/Uj29uK8uh-0
『ジュピター』 平原綾香
この歌は高級霊界のインスピレーションで、生まれた歌であることは、間違いないでしょう。
まるで、ホワイトイーグルの教訓を歌にしたかのような、高い無私の愛の波動をこの歌にわたしは感じます。
わたしたちは、皆様、霊性進化の道を歩む霊的家族です。すべては神様の摂理のもとに奥底で愛でつながっています。
たとえどのような方々であっても、すべて愛し、受け入れ、優しくしあうのが神様の意思であり、わたしたち霊魂の本質です。
『愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなどありはしない』
この歌詞にあるように、
わたしも苦しみと激痛とみじめさと孤独の絶望のなかで、どんな酷い傷つけられた方々でも愛しい家族であり、魂の友なのだと頭ではなくハートで悟りました。
苦しみとは悲しみとは絶望とは、愛を学ぶために神様が授けて下さった恩恵です。すべてに意味があります。
出会う方々、自分に出来る精一杯の愛と笑顔で接して尽くすことが、本当の内面の心の美しさであり、わたしたちが死後霊界に持っていける実体なのです。 福島のコメのことを調べて、自分が下した結論は、日本人は科学的な判断ができないのでは?
と言う感想です。原発事後の当時、他県の児童が非難して福島人を小さい子どもが、
からかうという出来事です。
しかし福島のコメは、世界一安全基準が厳しい検査を受けて出荷するとありました。
これだけ証明され、また精神世界の話を信じないと言うのですから、どうなっているのでしょうか。
ああ、雰囲気だけで買い物をするのね、と悲しくなりました。
ところで福島で何が作付けされているのか分かりません・・・ 世界一の安全基準がなされてていても福島=放射能というイメージに国民はなってしまったんじゃないかと思われます。
今は森友問題で改竄が当たり前のように行われそういったデータなども改竄されているんじゃないかと疑いの念を持ってらっしゃる方もいます。 あなたがたは死ぬ前に死んだ事があるだろうか?
あなたはいない。そして全てがあなただ。
誰もいないしあなただけが在る。
私が断言しよう。世界は幻想だ。
ただ在るという真実だけがある。
何も心配する事はないのだよ。
死ぬがいい。
あなたは死後かつてないほど生きはじめる。 https://youtu.be/yPewNZFbPdw
アニメのワンピースの現在の主題歌ですが、
霊的にとても高い波長です。
安室奈美恵さんが歌っていますね。
この歌には、わたしたち霊魂の永遠に続く霊性進化と、霊魂同士の切っても切り離せない絆や、お互いに助けあう隣人愛への熱い思いが歌詞に、実は歌われています。
地上生活のあらゆる作品に、霊的真理のエネルギーが知らぬ間に流れています。霊的真理とは堅苦しいものでは、ありません。優しく楽しくワクワクとした笑顔と隣人愛の希望に溢れているものです。
わたしは霊的エネルギーに敏感ですので、多少感じます。霊的エネルギーとは、愛の歓喜の涙が流れるほど優しく温かいものです。
教条的な厳しい側面ばかりを語るのは、真理の一面でしかないとわたしは感じます。高級霊界からの愛のエネルギーはそこかしこに流れ、美しい内面の浄化に貢献しています。
アニメではジブリや、歌謡では中島みゆき、本田美奈子、美空ひばり、スーパーフライ、、、スポーツ分野、政治分野、CM、、などあらゆる分野作品に及んでいます。よく、内面の心で観察してみると面白いですよ。
まだまだありますので動画見つけたら、その都度紹介していきますね❤。 アニメソングならドラゴンボールZのエンディング曲、影山ヒロノブの「僕達は天使だった」も爽やかないい曲ですね。
あとまんが日本昔話の「にんげんっていいな」も涙が出そうになります。編曲は久石譲さんみたいです。 https://youtu.be/P434at7a4kQ
『やさしさで溢れるように』
JUJU
わたしは毎日、祈ります。世界中のすべての方々が、愛で包まれますように。
すべての方々が幸せでありますように。
すべての方々が優しさに包まれますように。
すべての方々が愛の笑顔でありますように。
『あなたを包むすべてが優しさで溢れるように』 >>309
久石譲さんはすごいですね。
あの方のジブリの曲は、波長の高さで魂の奥底を揺さぶります。まさに、無私の愛のメロディです。 愛には区別がない
彼は愛だ。彼だけが愛なのだ
彼なくしては世界もないだろう
彼は私であり、彼はあなただ
彼を掴もうとしても無駄だ
彼を掴もうと必死にもがくあなたこそが彼だ
そして悲しみに暮れるあなたこそが私だ
我に返ってみるものの彼は何処にもいない
愛だけが残る
これが無限なる愛の神秘だ https://youtu.be/PrRyJBo7VEw
辛い日々を過ごしている、会えない世界中の魂の友たちよ、お元気でしょうか?
なにが起ころうとも、今を懸命に『生きてこそ』、愛と忍耐を学びいずれ歓喜に至るのです。
シルバーバーチは、苦難にはすべて埋め合わせの法則が働くと言っています。苦しみの何倍もの霊的報酬が待ち受けています。一つの痛みたりとも見過ごされることはありません。
ともに、愛し、励ましあい、寄り添いながら生きていきましょう。わたしは、あなたを心より愛しています。決して見捨てたりしません。わたしたちは魂の友であり、家族だからです。
今は、肉体の牢獄に阻まれて、気付かないだけです。霊的に目覚めればわかります。わたしたちはみなさん、霊的血縁関係であり、愛しあうよう神様に意図されているのです。 https://youtu.be/4wVU7JxKZgg
人間とは心の弱いものです。
わたしもそうです。
つい、利己的な生き方を選択します。
わたしもそうでした。同じ、人類として、家族として、他人様の苦難をみてみぬふりして生きてきました。
わたしは、内面の美しさを磨きたいです。
内面の美しさとは無私の愛であり、与える愛であり、人格の高さであり、霊的な強さです。
無私の愛と奉仕こそが、内面を磨き、人を強くし、光輝かせます。
理屈ではありません。ハートで感じるものです。
なぜなら、それは神様の属性であり、わたしたちの神性はハートに存在するからです。 >>314
報酬を期待してはならない。
既にあなたは完全だ。
あなたから分離して在るものなど何ひとつない
私が保証しよう。あなたは「在る」
これが至福だ。尽きる事のない泉だ。 本当の幸せとは、内面の美しさです。
無私の愛の強さです。
どんな方々も、魂の友として、家族として、仲間として、無条件に受け入れる強い優しさです。
たとえ、拒否されようとも、愛することのできる強さです。
わたしは、いつかそういう人間になりたいです。
強い、無私の太陽のように暖かい人間になりたいです。自分を愛の炎で美しく燃やして、他人様を暖めるような、霊的に強く美しくなりたいです。
それが本当の歓喜の幸せなのでしょうね。
霊的視野でみると、ハートでそう感じます。 https://youtu.be/z2bVk_nP9JM
わたしの人生で、わたしのような未熟な者と出会って下さった、すべての方々にわたしは『ありがとう』と伝えたいです。
わたしは、激痛と絶望の死の淵で心から、そう思いました。隣人とはすべて、たとえ、傷つけられても、愛すべき大切な人々だとその時わたしはハートで感じました。
わたしにとっては、人生で出会った皆様すべて、叫びたいほどに愛しい方々なのです。もっともっと、今までもこれからも、愛したいのです。
この歌はそんな時に、わたしの心に染み込んだ素晴らしい歌です。何もしてあげられなくとも、奉仕できなくとも、せめて出来る限り、笑顔で『ありがとう』『すみません』と愛の気持ちを伝えたいのですね。 >>300です。
301さん、302さん、お返事ありがとうございます。
お気遣いにも感謝ですm(_ _)m
自分はまだまだ未熟者とわきまえて、一旦離れたままにしつつ、
他の方々との穏やかな結びつきを大事にして行くことに致しました。
心身が整い次第、また改めて…悪意向けてくる方はともかく、
それに関連して連絡が出来なくなった方達との親交を結び直したいと考えております。
もう誰も憎みたくありません。
まずは人を見掛けで判断せずに、出会う全ての方に笑顔を。
そしたら、子連れなこともあり、知らない方から筍を頂きました(笑)
自分が綺麗な道を歩きたいが為に少しだけやってたゴミ拾いを知り合いのご年配の方に見られ、褒められ、
でも褒められたい!って欲求よりもご年配の方達のお散歩が楽しくなるように続けよう!と思えました。
私に出来ることは少ないですが、少しずつ貢献して行こうと思います。 >>309
久石譲さんだったんですか⁉驚きです(笑)
書いて下さってありがとうございます。
アニメソングも、あと特撮モノ?も勇気が出るいい歌詞のものが多いですよね^ ^ >>319
お心がけ素晴らしいと思いますよ。
お言葉からは、とても謙虚で美しい波長を感じます。
たとえ、小さなことでも、大きな愛でされると、すべて美しい内面の心の糧になりますよ。
すべて神様はご存知ですし、美しい行為や苦難はすべて埋め合わせがあります。神様は完全に公正です。起こることすべてよし、です。
お辛い目に会われたようですが、わたしなどと同じく、霊魂を浄化し高めるための試練かと思われます。あなたの幸せを心より、お祈り申し上げます。 https://youtu.be/deE4LmizrdU
笑顔とは神様の恩恵です。
そして、なにもできなくでも、他人様に笑顔で優しく接するだけで、それは愛の奉仕です。
出会う人、出会う人に、出来る限りの笑顔を振り撒きましょう。笑顔は他人様を癒します。笑顔は他人様にポジティブにします。笑顔は他人様を楽しくします。笑顔は他人様を元気にします。
だから、愛の笑顔は奉仕です。
わたしは、昔から、他人様を笑顔にするのが大好きです。他人様の笑顔が嬉しくて仕方ありません。笑顔の奉仕は欠かせません。
わたしには、辛いときほど、痛み苦しいときほど、笑顔で他人様に奉仕する行為は、大したことがなにも出来ないわたしには、美しく崇高な奉仕であり、自然な日常です。
他人様に愛で笑いかけるとき、わたしの内面が少し光輝くのを感じます。 >>319
そうですか、良かったですね (^^)
本来、全ての出会う人は神による意味あるセッティングなので、
理想は、もちろん全ての人を愛するようになれることですが、
どうしても無理な時は、まず御自身の身体を優先して考えて下さいね (^^)
私も、どうしても愛せない人は、せめて、その人と出会った意味(機能性)に着目するようにはしています。
おそらく成長かカルマ解消のどちらかだと思いますが w https://youtu.be/mZlmLYsXoOc
心で聴くと、霊界の高い波長が感じられます。
愛と感動と神様の気宇壮大を感じます。
人生の過酷な苦難に、心美しく立ち向かおうと、勇気を下さいます。
久石譲さんの音楽はどれも、高い愛の波長の受け入れ体制にある霊魂を揺さぶる素晴らしさがあります。
わたしのような未熟で低く小さなものでも、高貴な愛でとても満たされ励まされる曲です。
これも理屈ではなく、ハートで感じるものですね。霊的体験の歓喜とは特別ではなく、とても日常的なものです。 自分の心の弱さ、醜さ、利己的さを認め、経験しないと、他人様の弱さや利己的さを笑って愛で許すことが出来ません。
自分が痛みや苦しみを経験しないと、他人様の痛みや苦しみがわからず、やむにやまれぬ叫びのような他人様への慈悲は育まれません。
自分が不自由な経験をして、はじめて、他人様の不自由がわかり、何とかしてあげたい、手助けしたい、という強い優しさが生まれます。
自分が貧乏でひもじく、惨めな思いをしたからこそ、他人様の貧しさ、いじらしさに涙を流せます。
他人様を傷つけられたからこそ、他人様を決して傷つけまいと、怒るまいと、憎むまいと、決意できます。
わたしは、このように、人生で沢山の大小の苦難を経験しましたが、すべてがわたしの人格と隣人愛を高めるための勲章です。一つ一つの経験に愛の気持ちで感謝しています。
苦難なくして、歓喜も向上も幸せもありえません。また、自分の心の弱さを認めてこそ、自分の無知を知ってこそ、他人様の心の弱さや無知に寛容に謙虚になれるのだと思われます。
人生の、世の中の明るい部分だけではなく、暗い部分にこそ、愛の美しさと隣人愛の幸せの種が隠れているのです。 真の隣人愛とは隣人があなただと知る事ではないだろうか?
あなたなしで隣人があり得るだろうか? あなたが言っている事は美しくもあるが同時に痛ましくもある。
美しくあろうとする事があなたの重荷となる
荷物を捨てなさい。
そして自由になりなさい。 そうですね。
そういうお考えは、今の世の中では一般的なのでしょうね。
しかし、霊的真理に目覚めた霊魂は、わたしのようなもの未熟なものでさえ、少しでも美しい隣人愛の奉仕に生きようとするものです。
なぜなら、他人様の幸せや笑顔が、自分の幸せになると、ハートで霊的に自覚するからです。
もちろん、自分のできる範囲のことです。
結局は、それが自分の美しさ、強さ、幸せにつながりますのです。 そして無私とは、「私と他者」や「あれとこれ」、「あの世とこの世」といった境界が全て抜け落ちる事だ。
あなたが「かわいそうな私」というストーリーの主人公である限り解放はない。
死後に想いを馳せずともたったいま、あなたは自由だ。
あなたが無私であるなら「これが私」といったような私は何処にも存在せず、実体のない、しかし、ありありとした存在の輝きが「いまここに在る」という感覚として沸き起こる。
「それ」は開かれ自由で新鮮だ。
そしてあなたは、ずっと「それ」が、「それ」であった事を知る。
「それ」があなただ。 他人様の幸せや笑顔が自分の幸せになる≫と
あなたは自覚している。
つまり他人様とは他の誰でもなくあなたなのだ
ひとごとの様に言ってはならない。
そして私はあなただ。
あなたの幸せが私の幸せだ。
これが無私の愛だ。 あなたの幸せと笑顔は、わたしの幸せでもあります。それは同じですよ("⌒∇⌒")
そして、他人様への隣人愛と奉仕により、霊魂である内面の美しさ、強さは磨かれ幸せになります。
良かったですね。
あなたの幸せを心よりお祈り申し上げます。
そして、死後の世界はありますよ。
というより、死後の世界が、わたしたちの実体の世界です。地上生活は愛や忍耐を学ぶためのトレーニングセンターです。一時的に肉体に霊魂が宿っているだけです。
ほんのつかの間の地上生活です。人生の幾多の困難を乗り越えて、霊魂を内面の美しさを光輝かせるために生まれてきたのです。
内面の美しさと人格が、実体化するのが死後の世界です。わたしたちとは、わたしたちの性格であり、人格です。また、わたしたちは人格である霊魂という、れっきとした実体ですよ。
わたしたちは、毎日隣人愛と奉仕で、心の内面の美しさを磨きながら、死後の世界のわたしたちの実体と環境を作り出しているのです。美しい内面の人間ほど美しく歓喜の幸せの世界に近づきます。
あなたとわたしは、霊的につながっている霊的家族ではありますが、まったく違う個性であり、違う人格であり、違う霊魂なのです。
しかし、本質的には、わたしたちは誰もが同じ光輝く神性を持つ神様の子供であることには、変わりありません。
これは、数多の霊界通信による、真理であり事実なのですよ。 死後もまた実体と呼べるものはないだろう
生も死も幻想だ。
存在だけが在る。
それは分割不可能で形なく不変だ。
万物の根源であり真理だ。
愛の源泉だ。
あなたが違いをみる限り善と悪、愛と憎しみ
希望と絶望、快楽と苦痛、物事はオセロの様に簡単にひっくり返る
いずれにせよあなたがいま幸せなら何も言う事はない。
ただ単に私にはあなたが苦しんでいる様にみえただけだ。
あなたの信じる道を行きなさい。
それに何の間違いもない。 霊魂は実体ですよ。
肉体は一時的な乗り物ですが、霊は本当の実体であり、神様の未熟なる分身です。わたしたちの本来の存在は霊です。
そして、未熟なる霊魂を光輝かせ、向上させ、至福に至る道は隣人愛と奉仕、困難への忍耐と克服以外にありません。
重苦しい肉体のなか、人格を少しずつでも、たとえわずかずつでも、善いことや他人様に尽くすことによって磨くことが、結局は至福への道です。
早道はありません。一歩一歩しか、すすめませんし、ときには過ち、怠け、後戻りもするでしょう。しかし、たとえ小さな小さな善行や仕事も奉仕も思いやりも、神様は見逃しません。必ず、報われます。
どなた方々にも程度の差はあれ、苦難のない人生はありませんし、未熟なわたしに苦しみがあるのは事実です。わたしの苦しみや苦難はわたしが選んだ道なので、向上のために忍耐と努力が必要なのです。
あなたのいうような、一瞬で悟れ、苦難から逃れるような早道は人生にはありません。
困難や苦しみに耐え、隣人愛を学び内面を美しく磨き、他人様や社会に尽くし、人格を向上することだけが、至福の歓喜の道です。
正に、わたしたちが生まれてきた目的、本当の幸せはそこにあります。そこにこそ、生きがいや歓喜や幸せがあります。大小の苦しみや苦難の克服なくして、歓喜や幸せはありません。
苦難の忍耐や克服のなかに、小さな学びや悟り、人格の向上、歓喜の種子があります。避けて通れないものです。わたしたちの挑戦課題なのです。
神様はそのようにわたしたちに学ばせておいでなのです。
わたしもとても未熟ながら、少しずつ向上しようと努力しているのです。お気遣いはありがとうございます❤
霊的真理は真実であり、あなたにも知って頂きたいです。よろしければ、シルバーバーチやホワイトイーグルなどの霊界通信のいくつかを読まれることをオススメします。
あなたの幸せを心よりお祈り申し上げます。 https://youtu.be/jnDv873q5zs
久石譲さんの『ホープアンドレガシー』
という曲です。
フィギュアスケートの羽生結弦選手の演技の曲としても有名です。
とても、波長の高い曲で、繊細と壮大、静けさと激しさ、優しさと力強さなど感じられる、大自然の限りなき美しさを表現した曲です。
魂の純粋な美しさを呼びさますような、そんな曲です。
羽生結弦選手自体も、お若いながら隣人愛に溢れ、いつも周囲やファンに謙虚に感謝しており、優しさと思いやりに溢れたとても人間性に優れた美しい内面の方ではないかと思われます。 https://youtu.be/56daQ4qrsAw
わたしたち以外に、過酷な環境や境遇で、苦しむ方々が世界中にたくさんいます。
お互いに助けあいながら、少しでも力になりたい、という、やむにやまれぬ美しい隣人愛がわたしたちの霊魂には備わっています。
他人様を無私に愛することの美しさ以上に、美しいものをわたしは知りません。
常に、誰かの役に立ちたい、苦しむ人を励ましたい、わたしは思っています。たとえ今すぐに、物質的になにも出来なくても、美しい想念は放ち続けます。
一人一人の愛の美しい想念が地球を浄化し、美しいパラダイスへと変えていくと確信しているからです。 私は生きながらにして死んでいる。
苦難から逃げたわけではない。
私の人生は苦渋に満ちていた。
私は苦しみを避ける事が出来ない程に追いつめられていた。
私は私に絶望し、これ以上私である事に耐えられなかった。
私は何も持たず私は私自身を失ったのだよ。
そして私が知ったのは絶望の淵には光りしかなかったという事だ。
私は私が考えているようなものではなかった。
それだけだ。
あなたの愛に感謝しよう。
ありがとう。 こちらこそありがとうございます❤
あなたもお辛い経験をお持ちなのですね。
お察しします。
しかし、すべての辛い経験の克服には、素晴らしい学びを神様は用意してくださいます。それはあなたのおっしゃる通りです。
絶望の極致には、光輝く希望を。
苦しみ、痛みの極致には、やむにやまれぬあった慈悲の心と優しさを。
孤独の極致には、誰でも強く愛する寛容な隣人愛の大切さを。
惨めさの極致には、自らの無知や愚かさを知る謙虚さを。
どのような辛く苦しい体験もすべて、神様がわたしたちにぴったりの用意して下さったものですから。地上生活で愛と忍耐と芯の強さを学ばせていただけるのですよ。
霊的真理を知ることにより、生きる意味、苦しみの意味、本当の幸せとは何かが、少しずつ理解できるようになるのだと思います。 霊的真理を知ることにより、わたしは初めて『奉仕』の大切さと概念を知りました。
わたしは貧しい家庭で育ったせいか、苦学して社会で一人前になろうとが若い時分から、がむしゃらに働きました。そのために様々なストレスからたびたび大病を患いました。
シルバーバーチも現代社会の心身の病は忙しすぎるのが原因とも言っています。
過労死も多い日本ですが、わたしも休みの日や食事中やトイレの中や移動でも、仕事のことで頭が一杯なことが多かったように思います。
一生懸命働くことも隣人愛の『奉仕』であり、世の中に役に立つことなのに、それが原因で大病するのは本末転倒です。
いくら沢山、奉仕しても、隣人愛の心で余裕を持って行わなければなりませんね。
会社への責任感やお金や地位や評価のためではなく、世のため人のために働かないとやはり、神様の摂理から外れてしまうのでしょうね。
子供の頃から、義務教育で霊的真理を学べば、もっと違う人生を歩めたでしょう。
もともと、正義感に強く喧嘩の仲裁や、まとめ役など買ってでるほうでしたから。
お金やモノでなく、隣人愛と奉仕の人生観で、世のため人のために役に立つこと、優しく親切に寛容に謙虚に霊的に生きることが幸せなことを、教育で行って欲しいです。
わたしは、将来、老後でもスピリチュアリズムの寺子屋を開きたいと考えています。
日本や海外などで子供たちに、本当の真理を広めたいですね。
僅かな海外仕事経験も多少は生かせるかもしれません。海外の貧しい孤児など育てながら、スピリチュアリズムを教えて隣人愛に溢れた幸せな人格の人を育てたいです。
わたしのささやかな夢なのですが、、、。 シルバーバーチが『動機』が大切、ホワイトイーグルが『想念』が大切だと言っているのは、このことだと思います。
いくら、一生懸命に仕事や奉仕をしても、自分の満足や優越感などのためばかりでは、やはり神様の摂理から外れてしまうのでしょう。懸命に生きてるのに勿体ない話です。
自己実現とは常に、世のため人のために仕事や奉仕し、隣人愛で行うことが大切です。
それが、人格の向上や内面の美しさ強さ、本当の幸せに繋がるのだと感じます。
利己的なことは、一見、物質的金銭的に幸せに見えますが、霊魂はまったく幸せではなく、神様の摂理から外れてしまうのだと、わたしは痛い目にあい気付きました。するべき無私の善行を逃し続けました。
何をしたかというより、どのような『動機』と『想念』であるかが、大切です。小さなことで良いのです。
目の前のことを隣人愛と心を込めて、最善を尽くすことなのでしょう。
素直な心の教育段階でこのことを子供たちに教えることが大切です。勝ち組負け組などの世俗的競争を煽るのではなく、何のために生きるのか、学ぶのか、働くのか、死後はどうなるのかの、基本的知識が子供たちに必要です。 https://youtu.be/OLgyoR76QLU
隣人愛に燃えて生きている方々は素晴らしい
ですね。少し長い動画ですが、この方も人間的に素晴らしい尊敬すべき方です。
いくつになっても、霊的真理に目覚めるのは遅いことはありません。
諦めかけてた生きがいや夢が広がります。
なぜなら、人生に無駄なことはなく、人助けには霊界の支援も必ずあるからです。
失敗もすべて糧です。それさえわかれば、何も怖くありません。
今は難病でカルマ解消中ですが、働きたくて、奉仕したくて、隣人愛の夢にチャレンジしたくて、子供のようにウズウズしています。
これまでの人生経験や仕事経験が生かせるからです。更に、苦しみの忍耐から愛の想念も身につけました。毎日のように歓喜の美しい涙が流れます。
そんな毎日がもどかしくて、仕方ありませんが、今は無理できない難病なので仕方ありませんね。
今は愛の気持ちを忍耐で溜め込む時期なのでしょう。 霊的真理に目覚めるということは、無限の夢と希望の奉仕に目覚めるということです。
なぜなら、隣人愛は無限のパワーでもあるからです。
思ったことが物理的できるできないより先に、霊的視野の広がりにより、愛の想念が内面の心に無限に広がります。幸せの隣人愛の風景が、心のなかに、満ち溢れます。
想念こそが、動機こそが、霊的には大切であり、本当は霊が主であり、物質は従でありますから。
霊界は内面の心の美しさと、想念が実体化する世界です。『お花畑』『平和ボケ』と言われてもよいのです。逆に『お花畑』や『平和』を描けないようでは、霊的には辛いことです。 もともと、わたしは脱サラして社会貢献事業を細々とやろうかなと計画していた矢先に、なぜかタイミング見計らったように難病に倒れました。
だから、やりたいアイデアはたくさんあります。
でも、その前に未熟なわたしには返すべき負債、カルマがあったのでしょうね。今世の利己的生活、前世のなんらかの負債があったのかもしれません。
もともとやりたい社会貢献や海外支援に加えて、今のわたしと同じような難病の方々のヒーリングや励ましながらの霊的真理の普及が自分のやりたいリストに加わりました。
特に、わたしの経験から、難病の方々の励ましや寄り添うこと、霊的真理による優しい精神的フォローがとても大切だと思います。わたしの絶望の寝たきり経験が生きるはずです。
沢山の方々は対処できませんが、少数密着で寄り添い奉仕して差し上げたいですね。
海外支援でも、大したことはできないかもしれませんね。しかし、例えば、ごみ山で裸足で働く子供の靴やサンダルの配布、有毒ガスから守るマスクなど、飲み水の浄化のお手伝いなど、小さなことからでもコツコツ支援したいです。
出来れば、海外現地の生活を経済的に支えるフェアトレードも何か支援したいです。
フェアトレード商品の仕入れ物販には、少しですがサラリーマン時代にも仕事で関わっていましたので。
すべて、まったくのとらぬ狸の皮算用ですが、わたしの善意の想念は変わりませんし、霊的真理によりさらに何十倍にパワーアップしました。
あとは、神様にいつか何らかのチャンスを頂けるように毎日祈ります。 https://youtu.be/t99xUJ7lJ0g
わたしも母子家庭出身で、子供から学生時代は貧しさや居候の肩身の狭さ、自尊心を傷つけられる惨めさや疎外感などを、多少は経験しましたが、世界にははるかに厳しい境遇の子供たちがいます。
世界上位8人の資産は、35億人の資産と同じという、異常な不均衡な格差がこの地上世界にはあります。しかし、金持ちが悪いとか犯人探しをする気はありません。
わたしも含めた人類の霊性の低さが生んだ残酷な事実ですし、同じ人類であるわたしにも責任の一端はあります。わたしも長い間見てみぬふりして生きてきた利己的な恥ずべき人間です。霊的真理の普及がここにも必要です。
自分が生きるため、働くのに精一杯という浅はかな理由で、気にはしながらも心に良心に蓋をして生きてきました。これも、難病の理由の一つかもしれません。
今、わたしにできることは、隣人愛の熱い涙を流すことと、ほんの僅かながらの募金です。
しかし、チャンスがあればもっと何かできないか、残りの人生かけて、探していきたいと思います。 自動車事故による、世界の死者は毎年100万人以上です。毎年、原爆10個ずつ世界に落としている計算になります。けが人含めれば被害は億単位かもしれませんね。
中東やアフリカの紛争や、世界中の犯罪よりも、自動車による死者は圧倒的に多いのです。
自動車は実は、世界最大の殺戮機械となってしまっています。
わたしも10年弱前から、必要性が低く、万一、人や動物を傷つける可能性のある自動車の運転は止めました。霊的真理を知る前ですが、直感的に自動車運転には危険と恐怖を感じていました。
だからといって、自動車自体が悪いわけではありません。わたしたち人類の運用ルールが極めて物質的利己的だからです。不必要な自家用車はいらないのでは?、とかの改善の議論が必要です。
霊的真理を広める意味はここにもあります。
肉食もそうです。
霊的には良くない習慣ですが、わたしたちは子供のころより、社会のシステムに組み込まれています。世界中の産業システムに組み込まれて沢山の方々の生活に馴染んでいます。
やみくもに肉食するのは良くないと批判し対立するのではなくて、ではどうすればよいのかの人類の幅広い議論が必要です。菜食しやすい仕組みづくり、産業システムの転換、動物愛護の精神の浸透などを、世界中で議論しなくてはなりません。
これにも、まずは霊的真理が真実として受け入れられていく土壌が必要です。誰もがお互いにリスペクトしあいながら、霊的真理の事実を理性で確認しあう作業がいります。
その上で、世界中の皆様と、人類の霊性の高まりと、隣人愛、地球環境への愛、を育み一歩一歩、個人と社会を改善していきたいですね。
わたしは、どなたも優しく傷つけあわず尊敬しあい、世界中の皆様と動物が仲良く笑顔で笑い愛しあう素晴らしい未来のパラダイスを霊的視野で、常に脳裏に浮かべています。わたしの想念は毎日、『お花畑』です。("⌒∇⌒") わたしは、人はだれもが、とてつもなく美しい善意の心を持っていると信じています。
なぜなら、この未熟なわたしでさえ、霊魂の奥底に極めて美しい歓喜の涙の美しい心があるからです。
しかし、人間の心とは、ともすれば弱いもので、環境に負けて、高慢にも攻撃的にも利己的にもなり、欲に負けてしまいます。
しかし、本当はどなたもわたしも神様の子であり、限りない無私の美しい心を秘めています。
霊性進化はゆっくりと、苦難と隣人愛という道具で霊魂を磨きあげることにあるのでしょう。
わたしはわたし以外のすべての方々を愛し、敬意を払います。その素晴らしい生命に。
『我以外皆様我が師』はわたしの昔からの座右の銘ですがやはり、霊的真理の隣人愛に通じると感じます。 よく、低級霊、自縛霊などと申しますが、わたし自身も不浄な低級霊なのかもしれませんね。
未熟で不浄であるがゆえに、地球に再生し、ふたたび人生に過ち、幾たびもの大病という苦難で浄化し、ようやく、霊魂が目覚めかけているのでしょうか?
そして、絶望の淵で霊的真理に劇的に出会い、霊的視野を養いつつ、自らの反省と人類の視点にたち、何か小さなことでも地球家族の苦難の方々のお役に立ちたいと、やむにやまれぬほど切に願うように自然となりました。
もしかしたら、霊界で低級霊であったときに少し真理を学び、具体的実践のため肉体再生を決意し、次こそは前世の負債のカルマ解消と霊的に生きようと神様に決意したのかもしれませんね。
しかし、前半生はやるべき善行をせずに苦しみのなかの方々を見てみぬふりして、利己的に過って生きてきましたが、折り返し地点で、ようやくカルマ解消で倒れて学べる段階まで霊性が高まってきたのかもしれません。
若い時に大病難病が来れば、霊的真理の学びをこれほど深く得ることは難しかったでしょう。後半生残した今なら人生社会経験知識も多く、苦難から学びながら思想と生き方を変えるにはある意味絶妙のタイミングですね。
ヒーラーの方々や気功家、霊的能力者などとも、数々出会い長短に学ばせていただき、霊界や気功などとも繋がりも出来つつあり、人助けの準備が整いつつあります。高い波長の霊的エネルギーには大変敏感になり涙が流れます。
まだまだ、わたしは不浄なので難病でカルマ解消は続いていますが、何か人生すべて霊界でのシナリオ通りである感覚がわたしにはあります。また、幼児記憶でもカルマ解消で倒れるイメージを前持って意識していました。
いずれにせよ、今世で霊的真理に出会い、ようやく、不浄霊、低級霊、自縛霊の段階から普通の善霊になれ幸せになれるのであれば、今世の苦難を越えて、無私の善行と優しく美しい内面つくりに励もうという気になりますね。
神様はこれまでの人生、常にわたしには最適の苦難と克服課題を与えて下さいます。
わたしにはまだまだ感謝の気持ちが足りませんのです。 隣人愛の隣人とはどういう意味でしょう?
むろん、隣人とは人類のことです。
人類はすべて霊的家族です。
他人だから傷つけてよい、貧しいでよい、病気でよい、ではないのです。なぜなら、他人様は皆様家族だからです。
いじめたり、傷つけたり、殺したりした相手が死後に霊界に行くと、実は前世では愛する家族であったりして激しい後悔に苛まれるようです。いわゆる悪因縁というのです。
たとえば、今、中東やアメリカ、ロシア、などの国々で殺しあいをしていますが、おそらく皆様、前世では家族であった可能性が高いでしょう。
ロシアやアメリカの大統領やその周辺の方々や中東の指導層も攻撃した国々の人たちに前世の家族がいるはずです。傷つける、攻撃する判断や行為には、必ずそれと同じの痛みがいずれ伴います。
そうやって、因果応報で波長の低い行為には、同等の報いが必ずやってきます。それはすべて、神様が作った隣人愛を学ぶ仕組みなのです。
自分の家族を愛することは、難しくありません。しかし地上生活では、わたしたちが他人様を家族と同じく愛せるように、神様は学ばせて下さっているのです。
自分たち家族や国民さえ良ければ、他人様や他の国々の人はどうでもよいという考え方は、捨てたほうがよいのです。そうすれば、世界平和に少しずつでも向かうのではないかとわたしは思います。
わたしも利己的なので、少しずつでも内面を隣人愛で美しく光輝かせたいです。 霊的真理を広める意味はここにもあります。
アメリカや中東、アフリカなどで、相手に銃口を向ける指導者や行為者は、立ち止まって考えて欲しいのです。相手がもしかしたら、前世では愛する家族だったかも知れないと。
学校や社会で、卑劣ないじめや攻撃しようとする方々は考えて欲しいのです。相手はもしかしたら、前世で愛する人だったかも知れないと。
自国の保身から軍隊を容認する方々に考えて欲しいのです。軍隊の銃口の先の隣国の方々は、自分の愛した家族だったかも知れないと。
霊的視野で物事を眺めないと、安易に他人様を傷つけたり、暴力組織を容認したり、する行為はいずれ、後悔することになるとわたしは感じます。 魂の友さんは素晴らしい悟りをされてますね。
そこまで愛と真理を悟られていたら、
もう8〜9割がたは既に救われておられると思いますよw(°o°)w >>348
ありがとうございます。("⌒∇⌒")
しかし、こちらの寛容なスレ主さんや友人たちに甘えて、書き放題しながら自分の隣人愛と奉仕の決意を揺るがぬように、記しています。まだまだ、悟りなどととんでもありません。
また、わたしと同じ難病や障害で苦しむ人や、人生に不安を感じている方々に是非、霊的真理を知って頂きたく、お役に立ちたいと思い励ましのつもりで書いています。
霊的真理は人類の希望の光だからです。 初めまして。シルバーバーチの霊訓の読者です。僕はいつも自分の守護霊に話しかけられますが他人の守護霊とは話せません。
僕は以下の自作のプリントをポストに配る予定です。
↓↓
動物がかわいそうなので肉を食べることをやめにしませんか。
動物たちに平和の中で暮らして行ける幸せを与えてあげませんか。
動物の命を奪うことは私たち人類がやめなければならないことです。
このプリントをパソコンでプリントアウトして知り合いやご近所に配ってください。
メールやラインやSNSでも拡散希望です。日本全国へ広めましょう。
また、動物愛護団体をネット検索して寄付するといいでしょう。
NPO法人アニマルライツセンターがいい団体です。
↑↑
ワードでコピペして文章1セットを何個か連ねてからからプリントアウトしてペーパーカッターでカットしてポストに大量配布してみてください。
ペーパーカッターはネット通販で安く手に入ります。僕が思うにこれが動物を救う最短の道だと思います。
文章は改行せずにつめたほうがいいと思います。もちろん自分の言葉に直してもいいと思います。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) https://youtu.be/yTyLafZeWX4
わたしたちは神様の子供です。
なので、わたしは神様を愛し、信じることが、わたしたちの自然な行為であり、拠り所であると感じます。
もちろん、神様を信じ愛したからといって、すぐ向上できるわけではありません。早道はありません。免罪符でもありません。
正しく神様を信じることにより、その子供である人類の家族すべてを愛し大切にしようという心がけがゆっくりと、芽生えます。
正しく神様を信じることにより、更正し少しずつ隣人愛に生きようとすることに、繋がるのではないかと思います。
神様を信じることは、免罪符ではなく、神様と繋がり向上への努力と向かう原動力であり、出発点なのだろうと思います。
あくまでも内面の世界の美しさと浄化には、本人の意志と努力と他人様への分け隔てない愛が必要です。そこにこそ、本当の幸せがあるのだろうと思います。 https://youtu.be/ufqYOXg5jCg
とても興味深く、ユニークな動画です。
わたしたちは、隣人愛の実践のために、偏見をすてて他人様のよいところのみを見ればよいのです。
なぜなら、それが一番幸せだからです。
神の子供として、他人様を出来る限り優しくし、裁かないことです。
『わたしは嫌いな人に会ったことがない』
映画評論家 淀川長治
子供のころ、この言葉に感動して、人を嫌いにならないことを決意したわたしは、どんな目に会っても幸い人を嫌いにはなりませんでした。それはわたしにとっては霊的試練であり、幸せであったのでしょう。
これからは、さらに進んで、どんな他人様も優しく愛せるように、内面の心を磨かなければなりませんね。("⌒∇⌒") https://youtu.be/hSuAQybvtHA
この方の動画は本当に面白いです。
わたしはこの方の理論に全面的に賛成しているわけではありません。
しかし、霊的真理の一面を言い当ててはいます。
物理学や量子力学、脳科学の各分野が霊的真理に少しずつ近くなってきたということでしょう。
わたしたちは、神様の未熟な子供であり、霊魂という意識エネルギー体であります。
物質や地上世界や肉体は、霊魂が宿った幻影であり、ほんの一時的な訓練の場です。
わたしたちはすべて波動であり、波動を精妙に高めることが人格の向上、内面の美しさの獲得、すなわち霊的に高まることです。隣人愛と奉仕と苦難で学ぶことが可能です。そこにこそ、本当の霊魂の幸せがあります。
これらの真理である霊的事実と、物質科学が明らかにしつつある仮説を組み合わせてこそ、本当の人類の進化があります。物質科学やお金に人類の霊性は支配されてはならないのです。
わたしは生まれてこのかた、宗教に縁はない人間でした。しかし、霊的真理は真理であり、事実であると、ハートが確信しています。これが幸せの道であると。
わたしは残りの人生で他人様を無私で深く愛することで、これを証明し、少しずつ愛の波動で霊的真理を広めていかねばなりません。愛は必ず伝染しますから。霊的真理は無私の美しい愛でしか、広まらないとわたしは感じます。 https://youtu.be/3Y2QqHoXR0k
世界中に貧しい方々が沢山います。
本当は、少数の富める方々による再分配が行われるとよいのですが、そこまで人類の霊性が高まっていないので仕方ありません。
わたしたち人類一人一人がまだまだ未熟なのです。せめて、今はわたし個人でささやかな寄付や募金、ネットでの隣人愛の掲示、愛の想念を送ることしかできません。
一方でフェアトレード購入という形で、貧しい海外現地の持続的な収入を得てもらうという手段もあります。貧しい他人様の自尊心を傷つけずに仕事に生きがいを見つけていただくのが、支援の在り方としては最上だと思うからです。
わたしも子供や苦学生のころに貧しい家庭環境で、世の中の風潮や心ない言葉に自尊心を傷つけられましたから。
申し上げましたが、わたしも以前、会社でフェアトレード商品を一部扱い、日本での仕入れや販売の責任者をしていました。しかし、わたしの仕事もやはり会社の利益中心にならざるおえないために、十分に力にはなれたようには思えません。
霊的真理に目覚める前でしたが、海外の貧しい方々に力になろうという気持ちはありました。しかしやはり、ビジネスの効率を優先していました。まだまだ、日本における認知も低いので難しい側面もあります。
わたし自身、今は難病のため、休職中なので、この機会にフェアトレードや海外支援について深く勉強しようと考えています。テレビでもNHKや情熱大陸、こんなところに日本人などで、たまに海外支援の奉仕に燃える方々から学んでいます。
いつか、様々なやむにやまれぬ愛の奉仕活動を通じて、霊的真理を広めるのがわたしの夢の一つです。霊魂とは大変な困難や隣人愛の交歓の感動で、目覚めはじめて、霊的真理を受け入れられるのではないでしょうか?
難病の身で何ができると笑われるかもしれません。しかし、わたしには神様から愛の想念で苦しむ方々のいろんな奉仕を、考え模索する機会をいただいたと前向きに捉えるようにしています。 シルバーバーチやホワイトイーグルは、取り越し苦労や心配、恐怖は、わたしたちにとって敵だと言っています。
しかし、仕事というのは、リスクの回避=取り越し苦労の連続でした。
情報収集→分析→仮説→計画→実施→検証→評価
のサイクルで仕事は通常やっていきます。
とくに、仮説段階ではいくつもシミュレーションして、最悪の事態も想定=取り越し苦労をしながら、仕事は行っていきます。なので、忙しさに加えて、責任感やストレスに押し潰されまいと、さらに働くことになります。
わたしがそうでした。几帳面で真面目で責任感が強いほど仕事に追い込まれます。
しかし、本来勤勉さは美徳ですが、それがストレスになり心身に取り越し苦労という神様の摂理違反に繋がることになります。
わたしは沢山の摂理違反者でした。毎日、朝起きてすぐ、頭のなかで仕事のシミュレーションして、話す言葉や論理のチェックをなんども、トイレのなかでも繰り返します。取り越し苦労の連続です。
やはり、ここに、霊的真理の普及の意味があります。霊的試練を身に付ければ、大きな失敗や損失もまた、学びであることがわかり、達観して仕事に余裕ができます。
また、世のため人のためという、隣人愛の動機に内面が溢れていれば、取り越し苦労や不安に心を占拠されることなく、悠々と満足感のなか働くことが出来るでしょう。人類への奉仕の気持ちほど、強いものはないからです。
シルバーバーチの隣人愛と奉仕が大事というのは、このことです。そうじや家事からビッグビジネスまで、どんな小さな仕事も隣人愛の奉仕、世のため人のための自覚があれば、同等の崇高なものになりうるのです。
わたしが難病になったのは、ストレスが原因でもあります。やはり、霊的真理の隣人愛と他人様の苦しみを知る慈悲心や強い忍耐を学ぶためなのだと思われます。
霊的真理こそ、すべてのネガティブな想念を取り払い、隣人愛と奉仕の本当の幸せへの道なのです。 ただ、摂理違反や因果応報のカルマを恐れたり罪悪感を持つのも、取り越し苦労と不安に心を支配させることになります。
人間生きているからには、違反し、罪は犯すものとある程度は、割りきるところも必要です。
摂理違反にびくびくしているよりも、他人様を愛し、親切に、寛容に、許し、受け入れる、優しさで心を満たして生きることだと思われます。
結局は、隣人愛と奉仕に善意で生きることで、少しずつ自然と摂理違反を少なくしていくことに繋がるはずです。
急に霊性は上がりませんので、一つ一つ、時にはカルマで痛い目もみながら、そこから愛と忍耐を学びながら、一歩一歩おおらかに、霊性進化の道を歩むのでよいのではないでしょうか? https://youtu.be/RTUcLHXbh8c
これもとても良い考え方ですね。
『自己肯定感の書き換え』により、ネガティブな恐れを脱するという考え方です。
波長の低い肉体にいる以上、煩悩や苦しみや過ちはある程度は避けられません。
霊的真理に照らしてみれば、わたしたちは神様の子供であり、永遠の霊魂というすごい存在です。
愛と忍耐を学ぶために、地上生活に生まれてきました。どんな境遇も恐れず、神様に感謝してワクワク生きることてす。
起こることすべてよし、です。
過ちも試練もすべて霊的成長の糧だからです。
隣人愛と笑顔と感動の涙で人生を彩ることだと思われます。 https://youtu.be/1NIHEC0zj4U
この動画は高級霊界からのメッセージです。
この動画の方も実は霊界の道具であるとわたしは確信しました。脳科学の分野から、知性で死後の世界を証明するために生まれてきた方かもしれませんね。
『プルーフオブヘブン』により、死後の世界の存在は脳科学的にも証明されたのです。また、この作者もどうやら霊界の使者のようです。
わたしは霊的に敏感なのでこの動画から、高い霊的エネルギーをひしひしと感じて、全身鳥肌状態です。霊的に敏感な方なら感じられるかもしれませんね。
霊的真理は間違いない事実なのですよ。 https://youtu.be/k8rgaGj9c88
この子達もみな、わたしの霊的家族です。
苦難の現状をなんとかしてあげたい、という気持ちが無性に沸き上がり、隣人愛の涙に溢れます。
難病で休職中で自分の生活さえままならない今は、わたしにできることは、強い隣人愛の想念とわずかな寄付金だけです。
しかし、いつかはもっと、子供たちのために何かしたい、とりわけ、孤児となった子供たちの支援がしたいとふつふつと沸き起こります。
『人生のピンチは神様のチャンス』と言います。
こういう場でこそ、愛の霊的真理の種子をまくチャンスだと思われます。 >>355
友よ、こんばんは
>シルバーバーチやホワイトイーグルは、
>取り越し苦労や心配、恐怖は、わたしたちにとって敵だと言っています。
そうですね。確かにそう書いてありました。「言っていました」ですか。
>>359
立派な心持ちだと思います。
私はどうもまだそこまでの人類愛に目覚めていないのかも知れません。
そこまで行ければ、今生の目的が果たせそうですが・・・、よく分かりませんが。 こんばんは。
友よ、愛を強く感じる方向や進化の道は人それぞれですから。
ただ、お互いに辛い境遇で、苦しみの中から少しずつ霊的な成長しているのだけは間違いありませんよ。
友のおかげで、霊的真理の書き込みのチャンスをいただき、わたしはいつも大変感謝していますよ。("⌒∇⌒")あなたにこのスレで、出会えてわたしは幸せです。 ランドール氏が司会をする招霊会で、かつてと畜を仕事としていた人間の霊が霊媒に憑(かか)ってきました。その時点ではランドール氏には何の予備知識もありません。いかなる素性の霊であるかは分からないのです。
ランドール「これまであなたが置かれていた状況を教えてください」
霊「動物の目と鳴き叫ぶ声に取り囲まれていました。そのほかには何も……あたり一面が目なのです。何千、何万もの目に見つめられ続けて……その恐ろしい状況を想像してみてください!」
ランドール「多分それはあなたがと畜した動物の目ではないでしょうか」
霊「そうです。私は三十年間、清肉包装工場で働いておりました」
ランドール「一頭を殺すたびに、あなたはその目を見ていたのではないですか」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています