テレビで報道されている森友問題をずっとウォッチングしています。
原因究明は事件の事実背景や、誰の責任かに焦点が当たっていますが、霊的に見ればポイントがずれているように思われます。

わたしは、問題はやはり個人個人の内面の世界の美しさにあると思います。
何のために、政治や役所があるのかというと、国民の幸せのためです。

他人様の幸せを思わず、権力や役所や体面だけのために仕事する利己的な生き方とその内面に問題点があると思います。
他人様の幸せに奉仕する愛の気持ちがあれば、このような不正の問題は起きようがありません。

わたしもかつて、世のためや他人様の幸せのためではなく、会社組織のためや自分の虚栄心や義務感や責任感といったものに執着していました。そして、難病となりました。わたしの隣人愛の足りなさ、霊的未熟さゆえなのです。

わたしは自分の経験から、まじめであればあるほど、責任感に押し潰され、考えすぎて働きすぎて疲弊し追い込まれてしまいます。自殺された財務省の方も責任感が強く、罪悪感に苛まれ、まじめな方だったのでしょうね。

仕事も家事も奉仕も、他人様の幸せのために行えば、たとえ肉体は疲労しても霊的には愛で満たされ幸せに包まれます。不正も入り込む余地がないでしょう。

他人様の幸せを願い、お互いに愛を込めて奉仕しあいながら、生きることが、社会には今もっとも必要なのだと思います。

すべては、わたしたちの一人一人の内面の世界、すなわち想念が事実を作り出していきます。愛が少なければ、愛の少ない現実を生み出すのです?