>>811
人は快いものを求める。
しかしそれは不快を避ける為の手段でしかない
つまり快いものが幸せで不快なものが不幸となる。不快を避けようとするその恐れが欲望だ。欲望の果てには不快しかない。
何故ならあなたは自ら不快という名の絨毯を敷き、その上で幸せを掴もうとしているからだ。
あなたが快も不快も同等のものだと俯瞰して観た時、欲望は止む。
それが出来なければ欲に溺れるがいい。
絶望は最高の恩寵となる。