ワイさん。お久しぶりです。
あるヨギの自叙伝を半分ほど読みました。
ヨギ達は毎日8時間とか十数時間、瞑想しているそうです。
ヨガナンダの師匠とかマスターのヨギというのは、神我なんでしょうか?
真我だとしても、毎日数時間瞑想するっていうことですよね。
Oshoは真我から神我へは、何もすることができない、ただ在るでいるだけだ、
と言ってたらしいですが、
それは何もしないってことでしょうか?
それとも、ただ在ることでいるとは、瞑想の中でただ在るを感じていればいい、ということでしょうか?
もし真我から神我へは、何もする必要がないのであれば、
なぜヨギ達は毎日数時間も瞑想しているんでしょうか?
それともまだ彼らは真我にも至ってないということ?
悟りのために瞑想修行するのはわかります。
悟った後も、瞑想は必要なんでしょうか?
真我から神我へは瞑想が必要なんでしょうか?