体験内容と体験者という主客関係から本当に離れたことのない人には非二元はわからない
体験の中で無我だのなんだのという体験をする
ただそれはどんなものであっても体験内容に過ぎない
体験内容と体験者という主客関係から離れて初めて体験内容はどうでもいいことだったとわかる

わかりやすいように言えば、体験内容は最終段階だと思える体験をしてもまだその先があると感じる
何故なら体験者にとって体験は相対の世界で無限だから
それだと終わりはないし相対世界から解放されることはない

けれど体験内容と体験者という関係性から離れるともう相対性はなくなるので求めることはなくなる
そのとき初めて自分は何かと何かを比べてその内容を体験内容としていたのだとわかる
体験内容と体験者という主客関係の中で無我だのなんだのという体験をしていたのだとわかる

まあでも人は自分が信じたいものを信じてるだけだから好きにしたらいいと思うよ
それがあなたの道なんだろうし
自分や自分の体験を本当に疑えたらそのとき何かわかるかもしれないけど