自我がなくなったのなら誰が何を気にしているのかなと見ていて思うかな
ある何かとそうでない何かを頭の中に作り出してものの見方に巻き込まれているようには見える

まあ非二元的にはただの現れに過ぎないと見抜けていれば自我があってもいいんだけど
マインドフルネスでいえば自我もただの観察対象になって巻き込まれてなければただ変化する世界でどうでもいいこと

第五身体がどうとかは「秘教の心理学」もいいけど「奇跡の探求U七身体の神秘」のほうがわかりやすいんじゃないかな
でもああいうのは自分の道が進んだとき答え合わせで見るもので知識としてあまり持っておくものでもないと思うけど
それこそ自我が自分が体験した様子を本に書いてる説明と強引に合わせてしまいがちだよね
ああ私の体験したことがここに書いてある、やはり私は素晴らしい体験をしたんだ、ってさ
ある体験とそうでない体験を自分の観点で分けて体験内容と体験者の自分がいるように錯覚しているだけなのに