>>642
自我の真我の分離の感覚は凸凹のような感覚として感じられた。
自我が凸で真我が凹。
ほんとそのようなイメージで感覚で感じられる。
この感覚がつかめるようになると、瞑想がどの程度できてるかとか、
真我がどういうものかというのがわかるようになる。
その分離の感覚が感じられないのは、たぶんそこまで瞑想がうまくできてないので
分離がまだおこなわれてないというふうに感じる。
最終的にその分離した自我は、真我の中に溶け込んで消滅した。
そして自我のあった部分に空虚感のような穴が空いたような感覚が感じられたとともに、
その部分にとてつもない安らぎと安心感と深海のような静けさとすべてに満たされた安心感のような、
今まで自我があってゴチャゴチャガヤガヤして見えなかったものが。
自我がなくなったことで、その真我の心を感じられるようになったのだと思う。