【私はいない】ノンデュアリティ ・ティーチャー総合3【無断転載禁止】©2ch.net
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自己肯定感
I'm okay
調和するところに
命の息吹がある。
それがブラフマン。 【私はいない】ノンデュアリティ は、一種の通過課程感覚でしかない。
ノンデュアリティ に留まっていてはいけない。 無我夢中。
自分を忘れ夢中になる。
雑念( 余計なもの )が無く
感性を活かしている状態かな。。 この状態の時は
雑念 ( 余計なもの )が無くなります。 >>27-28
そこなんですよね。
前のスレの対談動画の話ですよね。
あの坊さんにはアホか!と突っ込みました。 Mさんはどのような経緯で至高を体験しましたか?その前に自分を捨てる、というような契機がありましたか? >>36
昔、喧嘩の仲裁で我を忘れた時
日頃全く使わない
「 愛 」って言葉がいきなり出てきて
「 今の愛って言葉は何なんだ 」
と、唖然としたことがありました。
そんな経験、ありませんか 。
僕はその時
意識って不思議だなぁ。。と思いました。
後は
雑念というものは
自分の思い込みで抑制をかけていた
自分の影の部分だとわかったので
抑制をやめました。 ユングは
シャドウの中に黄金がある
と言い
日月神示では
最後の一厘は悪の中に隠してある
と書かれているので
シャドウに気づき
自分が何にとらわれているのかがわかれば
雑念も段々無くなっていくんだろうな。。と思います。 >>40
あなたのように優れた人は孤独を味わうことが多かったのではないでしょうか
そしてもしも、若いならば、この世界のなかで惨めになるでしょう
しかし神は、常に道にあなたを誘うだろう
あなたは必ず達成者になる 一人一人
魂が属している類魂集団があり
それは
霊統、集合的無意識とも言われていますが
雑念を取るということは
障壁を取るということになると思います。
僕はまだ雑念が多いなぁ。。と
自覚してます。 集中している時に
直感力が高まると言われますが
障壁となる雑念 ( 余計なもの )が無いからです。 将棋の羽生さんが
「 直感力 」という本を出されています。 >>37
喧嘩の仲裁で我を忘れた時は、身の危険という自我と捨て身で他者を助けなければという間で揺れたけど後者を選択した、という感じですか?
私もこのような時がありその瞬間に真我を見ました。とてつもない感動でした。人間には考えられないほどの純粋な愛、それゆえ神と呼ばれるのだと思いました。そんなこと考えたこともなかったので調べて調べてそのうち超集中状態へと入っていきました。 >>46
僕も真我には
共生という神の摂理が入っているのかな。。
と思いました。 >>47
真我と言いましたが内在神ですね。
目前に現れました。 >>49
Mさんはどのくらいの時間対面しましたか?同じような話を他に聞いたことありますか?宜しければ教えてください。 対面も何も世界が丸ごとそれ
世界がまるごと、自分の胸にある
そこから流出している
そして、この意識は完全に自己とずれない
霊的な光が、己に差し込むのではない
その光自体が己なのだ 溶け合うというのは、元々の次元に戻ることであって、これから己が溶けるわけではない
頭の中のつっかえ棒がとれることを言っているだけのことである
しかし、それは最終ではない
最終は、わたしにも、まだ見えない 非二元で恨みをどう解消すればよいか?
さしあたっては、自分の中の恨みを徹底的に認めて可愛がってあげることか?
恨みを否定して捨てようと、排除しようとしても逆効果、恨みは強くなるだけだな >>51
最初に守護霊と霊太陽を見たのは
体外離脱の時ですが
時間はわからないです。
守護霊と書いていますが
その時はわかりませんでした。
白いシンプルな
宗教絵画で見るような装いで
体の全てが光っていて
兎に角、美しい方だなぁ。。と見惚れてました。
その方の背後にある放射状の光に包まれ
今まで経験したことのない至福を感じました。
その時にその方が
悔い改めを仰りました。
僕の実家は古神道ですが
親の意向で宗教は知らずに育ちましたので
その時は「 悔い改め 」の
言葉の意味が分かりませんでした。
同じ様な光の体験をされた方を
やはり調べて
いらっしゃった時は
何だか、ほっとしました。 >>55続き
体外離脱をする前は
ゾロ目をよく見ていました。
体外離脱の後も
何だかよく分からず
あまり気にせず過ごしていたのですが
クンダリニー があり
守護霊であったことが分かりました。 気になったのは
その方の装いで
後で調べたのですが
白の麻布と言われるものでした。 迷惑顧みず自分勝手に個人のブログ化して連投して、何がノンデュアリティなんだか
キチガイめ クンダリーニ
守護霊
体外離脱
ノンデュアリティとはスレ違い ユング心理学では
顕在意識は氷山の一角で
その下に潜在意識があると言われていて
潜在意識には
個人的無意識と
その下に
集合的無意識があると言われています。
顕在意識
潜在意識 個人的無意識
潜在意識 集合的無意識
クンダリニー では
顕在意識と集合的無意識の間にある
個人的無意識の中の
習慣や思い癖と言われている
雑念のもとになるものを見せられました。
自分で気づいていない
でも多少は気づいていたものを
まざまざと見せられ
かなりキツかったです。 >>61
よくわかります。
Mさんはここで続けられますか?
新しくスレを立てられても良いと思います。 全てを失った時に全てを回復する。
臨死体験と同じですよね。 Mはいくら書いても書いてもキリがない、際限なく書きたいことが湧いてくる病気、
欲望の奴隷となっていることを ”よく眺めたほうがいい” >>63
調べている時に
臨死体験の方が書かれているものを読んで
似ているな。。と思いました。
色即是空 空即是色は
波動の法則で
空は波動の層かな。。と思います。 >>65
Mの独白スレじゃねえよ、いちいち思ったとか書く必要がない
ノンデュアリティから一番ずれてることばかり書いてる 結局、Mは観念の牢獄に閉じ込められてがんじがらめになっているだけ、
いくら書いても書いても、観念の強化、己の地獄を強化しているだけということ
まあ理解できないだろうな w ユングは
シャドウの中に黄金があると言われました。
雑念から
いろんなヒントを得られると思います。 >>68
雑念にエネルギーや価値を与えて、自ら牢獄に向かう気か
あんた理解力ないね、 まあスレタイに関係ない書きこみは控えたほうがいいよね 個人のブログじゃないんだから書き込むのをやめろということを守れないのは、
脳に障害のある人か、痴呆老人のいずれかなんだよな >>61
無意識の領域にある個人的傾向に向き合うのはかなりキツイですね
例えば考えない傾向や、動作に戸惑うこと、ズレたプライドなどなどの、無意識的発露がわたしにはあるようです
これらが対人関係上の問題を形成している
この中間のつっかえ、まあ、塞ぐものとでも呼べそうな層を融和へもっていくにはどうするべきであるのか
ここがまだまだ解決されないところです
やはり頻繁に覗かれる状況にシフトしつつ、この問題解決に当たらねばならない
感情は非常に根が深いものであると感じる 個人的傾向に向き合ってるのは 誰?
無意識的発露がわたしにはあるようです と言ってるのは 誰?
ここがまだまだ解決されないところです って誰が言ってるの?
問題解決に当たらねばならない と言ってるのは 誰?
根が深いものであると感じる のは 誰?
いいか
個人的傾向エネルギー
わたしにはあるようです、という一時的なわたしエネルギー
まだまだ解決されない、と言っている一時的なエネルギー
問題解決しなければならないエネルギー
根が深いと感じてるエネルギー
これらのエネルギーが何でもないものを一時的に通過しているだけなんだよ
だから、そのエネルギーを楽しんだり、俯瞰して見るだけでいい、たったそれだけのこと
怒りのエネルギーは怒りのエネルギーそのものに同一化すると
他者の怒り、自分の怒りと、本来存在しない自分と他者の間を飛び回って、怒りを伝搬するだけ
怒りの引き寄せがここで発生するだけのこと
しかしその怒りも、単なる一時的なエネルギーだから、俯瞰して見ればそれだけでいつか消える
人生喜んでなんかやってれば、喜びそのものになる
まあそれも俯瞰して見てもいいし、喜びに同一化して楽しんでみるのもいいだけ >>75
その方向で行くなら、すべては起こっているということになりますね
なるほどなあ
でも、やはり抵抗してるような気がするが、それもまた起こっているとww
そうなると感情の問題解消に取り組むのも、起こっていることになるので問題ないのでは わたしはわたしがいないが、あなたは私がいるなと言うことはありえなくなるでしょう
誰がしているのという問いは無意味になりますよ、その方向で考えていくと
しかし、問いには、あなたは、わたしがいるじゃないかという批判が含まれてませんか?
相手に個人を見るなら、すべてがエネルギーの現れ論法はどうなるでしょう
微妙なラインです
苦しみをめっそうとすることが、あるならそれはそうあるとなりませんか 頭の理屈でそうだ思えるのと
全く疑いなく本当にそうだとしか実感できないのでは
どちらも理解しているといえるが全く違う
他人が言うことを、なるほどなあと思っても
ほとんどの場合頭の理屈でそうだと思えているだけで
本当の意味ではまるで何も理解できていない >>80
わたしは個人の無意識的な傾向性、作られてきた習癖の瓦解について書いたのです
それに対して、それをしているのは誰ですかと批判的にも受け取れる意見があったのですね
そこで、そうなると、個人の習癖、傾向が瓦解していく過程がなく、すべてがエネルギーの現れとなりませんか?
その時に自己は見ないが相手は見るというのは、どうでしょうかね
本能の意味の理解とはなんでしょうか
すべてがエネルギーの現れなら理解など個人とはなんの関係もなくなります
むしろ、わたしの主張は、個人を問題視しているのです 内容がどうであるかは関係なく、
相手を理解するのではなく、
相手を理解しようとしてできない自分を理解するしかないという話
相手を理解できるのではなく、
誰しも自分しか理解できないという話
探求にとって相手はただの自分の鏡でしかないという話
対話に関して相手など「いない」 >>82
自分と相手が分かれるのは、個人の集積されてきた癖があるからだと感じるのです
そこには勘違いのプライドや動作における迷い、考えることがないということが、わたしにはあるということです
これらの無意識的な反応が、境界線、鎧と例えてもいいですが、そのような分離の壁を形成して対立を生むのです
現に、いま、あなたとわたしは不二であるのに個人の感情問題で苦しんでいるのです
私にとってはの話ですが、それを否定するなら、すべてが個人とは関係なくなります
そうなると、あなたは、存在しないものに何を説いているのかとなりませんか? 誰かに説いているとしたら誰しも自分の鏡としての誰かに説いているだけ
ちなみにあなたに別に説いてないよ
あなたの内容もまともに読んでない
アンカもつけてないでしょ
あなたの書いてるコト、それは全部あなたの感想だよね >>84
そうでしたか
勘違いしていました
わたしの意見が批判的に受け取られたように感じてしまったのです
わたしの感想というよりも、わたしが世界(他者)との間に作り上げている個人の傾向性が問題だと感じているので書いたのです
顕在意識と集合的無意識の間にあるというのがわたしと同じかはわかりません
この世界と仏の間に挟まった、わたしから言わせれば、頭の中のつっかえ棒が抜けることが、社会、世界、他者と、自己の統一であり、ノンデュアリティであると、わたしは見るのです まあ好きなことを何でも言えばいいけど
誰しも自分が思ったことや考えたことを口に出しているだけだよね >>86
もちろんそうです
わたしが他者の意見に、わたし自身の経験を投影して、わたしの思いを書いたのです
しかし、その元を辿れば、わたしの思いというのも他者の意見によるのかもしれません 何が対立を生むでしょうか
相手をわたしと感じないからでしょう
その分離の原因は個人の様々な心理傾向があるためではないでしょうか
それが相手を批判するのは、相手(意識の内容物かもしれませんが)をわたしとは離れた部外者とするからなのです
そこに愛はなく、怒りが出るのです 他者が批判的であるのは今日に始まったことではありませんし、批判がなくなることもあり得ませんので問題ありません
問題は、私個人の側が、その批判的攻撃に対して無意識の壁によって反応して苦しんでいるということであるのです
そうなので、ひとつあるには、自然だけではなく意識や世界やハートだけでもなく、他者の存在を許せるかどうかが非常に重要です
わたしにとってはの話ですよww
この問題は、勘違いのプライド、動作における迷い、考えないことにあるのです
さらに深く観ると、この、自己の反応は、なんらかの無意識的なもの、何かわからないが、そのプライドがなければならないものが、潜んでいるようである
その正体は知らないが、この抵抗を繰り返す私を滅することが、自己の不在であり、自由ではないかと感じているのです
それが正しいかどうかまでは、わかりません 方法として意志の停止した状況で現れてくるものを維持しようと再び意欲が志向性を見せるところを捨て続けていくことだと思います
ノンデュアリティの教えは方法を否定するかのように言いますが、実質の変化なくして、私の不在の、確信など訪れるでしょうか
有名な方も、表面上の解体との言葉で、変化を肯定的に捉えていると思われます
またムージも真我に留まり続けることを推奨しています マハルシは正に個人の傾向性が抜けるまで真我に留まりなさいと言ったと思います
真我は現れない隠されたものでありながらも、それが全体としての世界を写しているものであるのではないですか
空のようなものでしょう
そして、その真我は沈黙で表されてます
この沈黙点にあることが、表現の世界においては光輝を生み出し至福を体感させるのです
しかし、この光輝や至福、つまり世界と自己の同一性、主客一体、もしくは、クンダリニーの上昇による梵天との融合でもいいですが、このような現れの瞬間点を過去の記憶にイメージとして持ち歩き、維持しようという意志的活動が始まれば、たちまち苦しみに落ちるのです
つまり、私の側に、まだ、個人としての実感が残っているので、その働きを剥いでいくことがどうしても必要になるのではないでしょうか? わたし・自分が可愛いと思うと、苦が生じる
わたし・自分が可愛いと思うと、正当性を主張する
わたし・自分が可愛いと思うと、全体から分離する
わたし・自分なんて ”ない”のだから >>91 >>92
「クンダリニーの上昇による梵天との融合」
早いとこ入院したほうがいいんじゃないですか?
非二元はあんたは無理
まず医者に行くことが先決でしょ
頭が正常だったら、不特定多数相手にネットの匿名掲示板で自論の主張なんかしないんだよ 聞かれてもないのに自分の考えを他人に話すのは
自分を他人に認めてもらいたい思いの表れだろうね >>93
そうでしょうか
自分を愛せなければ人を愛せない
人間は自分自身が一番大切である
このように聞くこともあります
苦しくなるのは他人が苦しんでいる時のような気がします >>94
入院ですか、、、
クンダリニーの上昇という言葉が神秘主義的でおかしな人に映ったのですね
すいません
わたしはノンデュアリティのことを書くのは、どのようなことが興味あるのかわかるからなのかもしれません
とりあえず、わたしの考えは病人のように映るということもあるということのようです この世界が意識であり、その意識はハートにあるというのもトッピな思想だと思いますよ
また、ニンゲンは誰も実体がないなどというのも、もちろんありえない主張でしょう
しかし受け入れる人もいます
わたしは単に個人と世界の融合を書いたのであって、それよりも格段に低い状況に思えるのですが、それでもやはりおかしな人ですよね
そう思われても仕方ありません 人に認められたい欲求はもちろんありますよ
特にこのような好きな分野なら尚更です
しかし、まあ光とか書き出したら、そりゃあおかしな人に思われても仕方がないのもわかりますww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています