霊的真理 友の会 2
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霊的真理を話し合いましょう。
霊的真理を語り合い、励まし合いましょう。
様々な出版社から霊界の話を知る手がかりを得る事ができます。
ですが、信頼できる出版社・内容のものが良いでしょう。
霊的真理を学ぶには様々な本を読まなければなりません。
近くにあれば、読書会などに参加すると良いでしょう。
慈愛・寛容・奉仕の心がけを持つ事が大事です。
他人のために尽くす事を心がける事も大事です。
これがこのスレの前提です。
自己満足に終わる事無く、
他人のために尽くせる方法を一緒に考えましょう。
できれば度を過ぎた行為は控えて、中庸を目指しましょう。 >>685
どうも。
パソコンの専用ブラウザからスレッドを立てましたが、
スマホの専ブラからでも立てられると思います。専ブラによるとは思いますが。
他に読めるものがあるのは幸せです。
私は活字が苦手になりました。随分しばらく読んでいません。 本当の美とは内面の美しさです。
内面が美しくなったときに、人は幸せに一歩近付きます。容姿の美しさはあまり関係ありません。
美しい想念、美しい言葉、美しい行為が霊魂を磨きます。美しい想念とは、隣人愛、無私の愛、困難のなかでも前向きな心、神への愛と感謝、寛容、などです。
日常生活では、優しさ思いやりや親切な言葉や行為、同情、共感、ポジティブに神に感謝して生きること、などが内面の美しさの具体的な行為だと思われます。 人は優しさや思いやりに感動し涙します。
人は無私の愛や行為に感動し涙します。
人は病や障害に負けじと懸命に生きる姿に、感動し、涙します。
人は何かしら=神に感謝するとき、感動し涙します。
人は困難を乗り越えたとき、感動し涙します。
人は他人様への愛に感動し、涙します。
人は奉仕の喜びに涙します。
なぜでしょう?それは、そこに内面の美しさの現れ=神を感じるからです。わたしたちは神の愛に触れるとき、涙します。
日常生活の感動の涙とは、わたしたちは気付いていませんが、わたしたちの中の神性が神のエネルギーにほんの少し触れたときです。
少しでも内面を美しくすることは、神と繋がりを強くすることです。神と繋がりを強くなれば、当然、幸せに一歩近付きます。愛を磨き、内面を美しくしていくことが、わたしたちの生まれてきた最大の課題だと思われます。 霊的真理は、従来の宗教とか、信仰とか、道徳とか、倫理とか、何かとらえどころのないぼんやりしたものを、霊的真理という真実であり現実であることを実証しました。
それは、人間とは、肉体ではなく、霊魂であり永遠に向上をつづける内面的な実体であることを、証明しています。そして神の偉大さも。
愛と優しさと善意の思念体であるわたしたちは、肉体という重苦しく不自由な牢獄で、一時的に愛の表しかたを学んでいるだけなのです。
だから、何があっても、大丈夫です。
牢獄の困苦でも、愛の波動を高める、内面の美しさを少しでも磨く、生き方、言葉、行為をすればよいだけです。
地上人生、酸いも甘いも楽しみましょう。本当の世界に帰るその日まで。 >>687
おはようございます。
今日はお休みです。
勇気ですか…。これは私はまだわかっていません。今後の活動で気づきたいですね。 >>688
おはようございます。
了解です…。
その時になったらやってみます。
読めるときになったらぼちぼち読めばいいのではないでしょうか。
もしくは、以前どなたかがおっしゃっていたかもしれませんが、音声を聴くのもいいのではないでしょうか。
読みたいものが本ではなくサイトであり、OSがWindows10なら読み上げ機能がありますので、それを利用するのも1つの手ではないでしょうか。 わたしたちの幸せとは、他人様の幸せとともにあります。根本的には、他人様の幸せなくして、わたしたちの幸せはありません。
地球上に紛争、格差、貧困、差別、暴力が有る限りは、わたしたち人類は誰もが真に幸せにはなれません。
この事実に早く人類は気付くべきだと感じます。
愛の霊的真理の中核には、『人類同胞』がありますが、宇宙では当たり前の基本的要素です。
まだまだ、わたしたち人類は霊的に遅れています。
愛の政治、愛の経済、愛の外交、愛の奉仕が霊的真理により、いつかは当たり前のように世界中に広まります。その日のために、社会の片隅で、少しずつでもわたしには、霊的真理の愛の波動を高める奉仕が必要です。 わたしの想像、想念のなかでは、『世界平和』『武力放棄』は達成されています。愛の政治外交で簡単に達成可能です。
人々はわたしを『お花畑』、『夢想家』、などと言うかも知れませんね。
しかし、霊的真理を知った今は、わたしの想念のなかでは揺るぎない事実であり現実です。
何故なら、全人類がわたしと同じ愛の思想、想念なら、即、実施されるからです。
達成されないのは、そうしたくない人々の思想や想念、疑念が地球上で優勢だからです。
わたしは懲りずに、強く愛の平和の想像、想念、言葉を毎日、出し続けます。その行為は地上の浄化に貢献するからです。これも奉仕です。
そして地上生活の毎日の思想、想念、言葉、行為が、自らの死後の世界の環境を決定します。 愛の政治とは何でしょう?
たとえば、すべての政策を隣人愛を基準に考えることです。
世界の上位8人の資産は、世界の35億人の人々の資産と等しいそうです。まるで、ブルゾンちえみみたいな話しですが("⌒∇⌒")
確か、660兆円だということです。
その資産を恵まれない方々の支援や生活向上に使えば、すぐにでも貧困や格差は世界からなくなるでしょうね。
もちろん、お金だけが幸せの基準ではありませんが、人間らしい生活が出来ていない方々が沢山いるのに、過剰に蓄財するのは隣人愛とは言えません。
それを正しい方向に持っていくのが愛の政治です。
外交も隣人愛と同じく隣国愛に基づいて、支えあうのが愛の政治です。教育も、競争を助長するのではなく助け合いを教えるのが愛の政治です。弱者中心で社会システムを構築していくのが愛の政治です。個人的な利己的な欲望は後回しです。
もちろん、軍事力や銃社会など無用の長物以外の何物でもありませんね。人類同胞なのですから。
霊的真理に基づいて、社会秩序を構築すれば、世界はパラダイスになるでしょうね。犯罪などほぼ消え去るでしょう。カルマはどんどん解消されます。
神は常に、すべての人々が幸せに生きられるように、豊かさを準備してくださっています。まだ、人類の霊性が、地球上の豊かさを使いこなせないていないだけのようです。 世界平和や、格差解消、動物愛護など、わたしたち一人一人ではいかんともしがたい問題は、地球上に沢山あります。地上生活では、物質の壁で出来ないことだらけです。
しかし、オススメなのが、何らかの奉仕活動の際に、たとえば『世界平和になりますように』、『動物が苦しみませんように』と祈りながら無心で奉仕してみてください。
ハートに愛の霊的エネルギーがぐぐっと入ってきます。わたしは涙もろいので、すぐ感動の涙が出ます。
誰もが、同じく感じるかはわたしにはわかりませんが、奉仕活動をしながら、もしくは仕事を無心にこなしながら、平和や他人様への祈りを胸に抱けば、霊的エネルギーが流れやすいように感じます。
たぶん、地球の浄化の奉仕にもなると思われます。ご参考までに。 おはようございます🎵
ホワイトイーグルは言います。
常に他人様に親切な愛の想念を持ちなさい。
たとえば、街中で苦しみの悩みの中にいる人や、テレビなどで気の毒な人、怒りに満ちた人に、愛と平和の想念を送りなさい。
その、想念はその人々の心の平和に必ず、貢献します。それは奉仕であると、おっしゃいます。 ホワイトイーグルは言います。
『他人様に怒ったりしてはいけません。
心を平和に保ちなさい。静寂を学びなさい。
そのことはあなたの試練であり、あなた以外の人は皆、師と思いなさい。』
驚きです。わたしの子供のころよりのの座右の銘、『我以外皆様我が師』とまったくおなじです。
めったに怒らない叱らないもわたしのポリシーでした。というか、生来の性格的に臆病で、他人様に怒るという行為に美しさがなく人を傷つけるのが苦手なので、そうしたくないのですが。
ホワイトイーグルには、再度高い学びをちょうだいしています。内面の世界の実体や波動や想念など、わたしたちの見えない宇宙の真理をもとで、合理的な説明を頂きます。有難いことです。 ホワイトイーグルは言います。
『不安や恐怖を持ってはいけません。それは一種の罪であると。そのとき闇の天使に繋がってしまいます。闇の天使はあなた方には見えませんが、とてもみじめで貧相な存在です。
逆に不安や恐怖に打ち勝ち、前向きに愛の想念で神に感謝するならば、光の天使に繋がり、愛の奉仕をしていることになります。』
わたしも、苦痛でついつい不安や恐怖を感じることがあります。しかし、これは試練です。
試練のなかで、神を愛して、感謝し愛の想念を高めるトレーニングなのでしょうね。 ホワイトイーグルは言います。
ホワイトイーグルは言います。
ホワイトイーグルは言います。
それが、どうしたの?
それが、どうしたの?
それが、どうしたの?
だから、無責任コピペは禁止ですよ すべてが信仰という、病気から始まる。
自己愛の病気は、一生不治なんです。 世界中に困っている人、苦しみのなかにいる方々はたくさんいらっしゃいます。
病気、障害、貧困、ケガ、差別、紛争、、、などで苦しみの中にある方々に手助けすることは、とても美しい行為です。
たとえ、僅かでも生活の身を削り募金や寄付したり、支援のボランティアや、呼び掛けなどは素晴らしい活動です。アジアやアフリカでは貧困から、見捨てられ孤児になり飢えや病気で死んでいく子供たちも沢山います。
また、何かしら物質的に具体的に出来なくとも、そういう方々の存在や置かれた状況に情報収集や意識を向けて、同情したり、幸せを願う愛の想念を送ることもできます。
わたしも、今のわたしに出来る限りのささやかな愛の行為と、愛の想念を、残りの人生命有る限り、続けていきたいと思います。そこには愛の美しさと、他人様の役に立つ本当の幸せがあります。
ここでの、書き込み活動も、ほんのわずかではありますが、読んで下さった方々の魂に、このわたしの愛の啓蒙が刻まれますことを願います。霊的には愛の行為は決して無駄にはされません。 以前にもお話ししましたが、わたしはある企業でサラリーマンとして働いていました。国内外のあらゆる部署で転勤働き、仕事が大好きでした。後輩からよく『何でそこまでやるんですか?』と言われましたが、楽しいからとしか言えません。
ただ、長年働いて何かしら会社だけでは、満たされないものを感じていました。なので、脱サラして独立しようと社会奉仕事業を企画しているときに難病に倒れました。わたしは、もっと世界中の困っている方々のお役に立ちたかったのですが。
難病の苦しみは地獄のような痛みと苦しみでしたが、それ以上に辛かったのは、寝たきりで好きな仕事が出来ず、社会との繋がりを断たれたことでした。日々、無為に過ごすことは、わたしには身体中の痛み以上に地獄でした。
たとえ、どんな形であれ仕事=奉仕を通じて、社会や他人様の役に立つことは、何と喜びなのでしょうか?何と有難いことなのでしょうか?かつての自分の尊大さ、感謝のなさを痛感させられました。
今は、吸殻拾いぐらいしかできませんが、少しでも他人様のお役に立てると思うと涙がでてきます。自分の身体中の痛みに構わず、他の障害の方やお年寄りに少しでもお手伝いできるだけで、愛の歓喜に身体中が震えます。
実は、他人様のお役に立てることとは、至福の喜びであり、歓喜なのです。これは、健常者では味わえない体験です。わたしは今は魂の奥から、愛の奉仕を望んでいます。仕事や奉仕に飢えて、魂が以前以上に熱誠に燃え上がっています。
愛の奉仕や仕事は歓喜であること。愛の心を込めれば、たとえ、些細なゴミ拾いでも、涙がでるほどの歓喜の幸せを味わえること。
わたしはこれらを難病という神様に頂戴したカルマから学ばせて頂きました。
仕事や奉仕は、その内容や成果が問題なのではありません。いかに、神さまと繋がり、愛と善意を込めて行うかがまず大事なのです。それは何とも至福と歓喜なのです。
わたしたちの故郷の霊界は想念が実体化する、内面の愛の美しさが波長として存在する世界なので、愛と善意を心底込めるのが当たり前といえば当たり前なのかもしれませんね。
どんどんわたしの難病は、霊的真理のおかげで改善しています。いずれ社会復帰するでしょう。
そのとき、わたしは歓喜の涙で日々、小さな仕事に奉仕に毎日を過ごすことになるでしょう。 簡単に言いますと、どんな些細な仕事や奉仕も、収入を得たり会社や周囲の人々のために働くだけではなく、神さまに感謝し心底魂から他人様への愛と善意を込めれば、歓喜に変わると申し上げたかったのです。
以前のわたしの仕事や奉仕に対する姿勢はとても軽かったということです。難病というカルマと、霊的真理の真実により、やった目を覚まされたということですね。
要は、わたしは未熟だったので、死ぬほどの痛い目を何度もみないと、神の偉大さと感謝がわたしの中には培われなったということです。 なので、わたしは自然と無性に奉仕活動にのめり込める方々をとても尊敬しています。
苦しみの中にある人々を無私の奉仕で救おうとする方々を、見たり聞いたりすると、尊敬します。
きっと彼らも、今のわたしのように前世か今世で、地獄の苦しみのなかで、愛の慈悲の心を磨いたのでしょう。そうでないと、世のため人のための無私の奉仕はなかなか、できるものではありません。
また、現在、世界中の貧困や難病、紛争の苦しみにある方々もとても尊敬します。彼らも、その人生の困難から愛の光をこれから会得する魂だからです。
世界中には、素晴らしい方々が老いも若きもたくさんいらっしゃいます。皆様、辛い人生のなかに、愛の喜びを見出だしながら、ゆっくりと愛の光の道を歩いておられます。
すべては、わたしたちには見えませんが、霊界の高級霊、愛の天使さまのご指導のもとです。神は完全でいらっしゃいます。 わたしの難病の克服は、単に、痛みや苦しみだけの克服だけではありません。
恐怖や不安、心配といった、有形無形の低級我の克服でもあります。
なぜなら、人は耐え難い肉体的痛みや苦しみを感じると、その責め苦のなかで将来への恐怖も感じます。仕事や生活、金銭、生きる望みやこのまま人間の尊厳を失うのではないかと、不安と恐怖のどん底に陥ります。
不安や恐怖は、すべては、低級我が作り出した幻影です。そして、それは霊界の低層界に繋がってしまいます。ホワイトイーグルが言うように、正体はみすぼらしく貧相な低級我と低級霊に想念がアクセスしてしまいます。
彼らはわたしたちの恐怖を煽り、自分たちとおなじ闇の苦しみを味わわせようとします。
霊的真理を知れば、肉体的苦しみや痛みは、一時的なものであり、神と他人様に愛と感謝でカルマを乗り切れば、不安も心配もないことがわかります。愛に生きれば必ず苦しみは報われます。
しかし、わたしの低級我はなかなか手強く、肉体的苦しみで辛いときや精神的に辛いことがあると、ついつい、ネガティブになってしまいます。
肉体的苦しみに引っ張られるので、とても忍耐力が必要です。
わたしの難病のカルマ克服は、わたしがどんな苦しみのなかでも、神に感謝し他人様に愛を捧げることができるかを試す試練でもあります。
どんな窮地、痛み、苦しみのなかでも、自らの高級我の愛の光を輝かせるための。
わたしと同じく、日々、苦しみと低級我を克服し、魂の愛の光を輝かせようと毎日、奮闘される皆様に心からの愛と敬意の念をお送りします。
わたしたちは共に光の道を歩む同士なのです。 何度も申し上げますが、愛の霊的真理は他人様を愛に導き、励ますためにあります。
因果応報の責任や罪で脅し、カルマの恐怖に縛るためでも、無理な禁欲を進めるためではありません。
なぜなら、神は寛大なる愛そのものだからです。
因果応報もカルマもわたしたちに学びを与えるための神の愛です。試験問題です。
お互いの人生を愛で励ましあい、助け合い、時にはカルマに苦しみの人を乗り切りやすくするためにあるのが、霊的真理なのです。皆様、同じく霊的真理の光の道を悩みながら歩く同士です。
愛の喜び、奉仕の歓喜、優しい語りかけと言葉、など、愛に満ちた生活の幸せを目的としています。永遠の魂の進化の道を歩む、皆様がわたしにとっての魂の友なのです。 わたしが書き込みする目的も、皆様にわたしの辛い難病克服とリアルタイムな霊的体験をもとに励ましたいからです。愛の喜びの奉仕です。
また、わたしも書き込みすることにより、自分のなかの霊的真理に対する熱誠を高め、確認できます。自分の霊的弱さや、新たな学びも毎日発見できます。 『苦しいときこそ、登り坂』
これは、わたしがサラリーマン時代の座右の銘でした。業績向上のための経験値のない難しいミッションをやり抜くために、同僚や取引先や自分を鼓舞するために、よくこの言葉を使ったものです。
この言葉は、実は霊的真理でもありました。
人間は苦難に会えばあうほど、カルマ解消をし、霊魂の諸媒体を浄化していきます。そして、魂がどんどん純化されていきます。
この時こそ、真の愛を学ぶチャンスです。他人様への愛や奉仕、神への愛や感謝を学ぶチャンスです。そうすれば、愛の波動が高まり、高級霊界に繋がりやすくなります。高級我を発揮しやすくなるのです。
苦難の裏側には、実は、霊魂の真の幸せが隠れています。これは、シルバーバーチやホワイトイーグルなどの霊的真理がいつも述べているところですよね。 https://youtu.be/PKaTNcmiBPg
浄化の音楽を一つ。
とても、波動の高い昔ながらのアニメの音楽です。わたしは聞くと涙がでます。("⌒∇⌒")
愛の偉大さ、優しさ、思いやり、神の無限の慈悲などが音楽を通じて、わたしの霊的感性に訴えます。 人生とはロールプレイイングゲームのようです。
苦難や災難というボスキャラに出会い、
克服するたびに、経験値が上がり、魂のレベルが上がっていきます。
わたしの場合は、子供の頃喘息の病弱のうえ、貧困で、猛勉強して高校、大学は特待生となり働きながら苦学して、何とか社会に進みました。第1ステージのボスキャラでした。
そして、社会の荒波で揉まれ、人を傷つける波動の荒々しい怒りに満ちた人やいじめや嫌味を平気で言う方々がいることを知り驚きましたが、それに流されず、自分らしく優しく誰にでも人に接することに心がけました。
第2ステージのボスキャラでした。
そして、仕事が忙しくなり責任感とストレスから、肺に穴があいて、幾度も死線を越え手術したりしながらも、国内外で難しい仕事や人間関係に取り組みました。
第3ステージのボスキャラでした。
そして、一念発起、脱サラと社会奉仕事業を計画した矢先に複数の難病を突然、発症し絶望と地獄苦しみに蹴落とされました。その際、シルバーバーチの本に出会い、霊的真理の愛の光に救われました。
第4ステージのボスキャラです。
今は、ちょうど人生半ばで、まだまだ第4ステージをクリアしている最中です。
今までの人生でボスキャラとの戦いで、わたしの肉体と精神はたくさん傷つきましたが、永遠の霊は傷つきません。わたしの霊魂は様々な激しい苦難や絶望から立ち上がるたびに、徐々にレベルアップしていると感じます。
愛と善と優しさの光の道へ、未熟さから失敗とヘマで傷つきながらもゆっくりですが、誰もが向上の道を歩んでいます。 障害者の方々は、わたしたちに愛と絆と思いやりを教えてくださる世の光です。それが、彼らの使命であり、生まれながらの奉仕なのだと思います。
わたしたちの社会は決して障害者を粗末にあつかったり、資本主義的競争社会の餌食にしてはならないと感じます。
皆様、同じ神さまの光の子として、お互いに生き甲斐と向上心とふれあいのもてる、愛のある環境を構築していくことが大切だと思います。 >>713
やあ。
障碍者だからと言って、全員が全員思って居るような人では無いよ。
自分もボランティアで障碍者施設の館内引っ越しの手伝いに行った事がある。
自分も精神障碍者だけど、体は動くから。
確かにそういうところの人は、心が清かったと思う。ベッドを運んだら、お礼言われて嬉しかった。
翻って、我らが精神障碍者を見ると、メンヘル板やメンサロ板を見ると具合が悪くなってくるほど
どろどろとした闇の世界に住んでいる人が居ます。
なのでどの分野でもそうですが、人を仕分ける枠で見るのでは無く、
その人個人で見なければいけません。
ちなみに知的障害も知り合いに居ますが、車に乗せたら社債品ぶっ壊しても、
何食わぬ顔をして出て行きました。 あとホワイトイーグルを参照しているけども、参照先は「自己を癒やす道」でいいのかな?
それから専用ブラウザのJREのカプセル化で、数ヶ月間難儀した投稿文章編集が遅いと言うのは
直りました。 >>714
こんばんは。友よ。("⌒∇⌒")
おっしゃる通りだと思います。
障害者も人それぞれでしょう。
ただ、社会はハンディキャップへの配慮やサポートを通じて、愛や思いやりを自らの魂の中に、見つけることを学ばねばならないでしょうね。
闇の中にいる方々には、少しずつ愛の光の言葉に触れてもらうしかないのかも知れませんね。いつの日にかは気付いて、勇気を出して闇の想念から脱出できるように。 >>716
ホワイトイーグルは『自己を癒す道』のほか、『霊性進化の道』、『秘技への道』、『ホワイトイーグル霊言集』、ほか、数冊を参照しています。
不思議なことに、その時々のわたしのテーマにぴったりの言葉がページをめくると、その都度出てきます。まるで、ホワイトイーグルさんとお話ししているようです。
以前、ホワイトイーグルさんらしき霊的エネルギーを感じましたので、このスレに書き込むために、教えてくださっているのかも知れませんね。
ちなみに、わたしの文章は、わたしがわかりやすく簡潔に主旨をまとめたりしてますので、一字一句同じ文章ではありませんよ。 >>718
色々読んでいますね。
私も集中力の問題がなければ、あとは重要なのめり込みすぎない問題が無ければ、
読めていたのかも知れません。
今日は喉が痛いです。風邪では無いのですが。 私の親族に他害のある自閉症の男性がいます
体も大きく力も強く、一度パニックになると手がつけられません
ストレスから走行中の車に石を投げたり、性欲むき出しで女性に近づき怖がらせることも
やるせない気持ちでいっぱいになるときがあります
一体どうしてと
周りの人間にとっては、間違いなく修行ですが、つらいです あぁあと、人のものを平気で盗る、というのもありました
本人は自分のやりたいようにやっているだけなんですけどね
人にどれだけ迷惑をかけ、傷つけているか彼はわからないんだろうなあと思うと悲しいです
魂レベルでは理解しているのかな
私も通ってきた道なのかな
色々考えます
愛するって難しいです本当に >>721
うちの義弟も知的ありの自閉症だよ
でも性格は優しくて穏やか
同じ障害もちでも、魂のレベルが高くての修行の場合とカルマによるものが気がするよ
ちなみに、義母も精神障害があって旦那は小さい頃虐待されたりして大変だったみたい。そんな家族環境だったからか旦那は聖人みたいな人間だわ。
息子も発達が遅くてもしかしたら障害があるかもしれないんだけど、旦那は気にしてないし、受け入れる覚悟ができていて凄い。 >>711
私も昔からジブリのナウシカやらラピュタやトトロは音楽も映像も大好きですね。
なんか観るだけで、凄く癒しやスピリチュアルな事を感じさせてくれる良作ですね。
>>721
本当に大変ですね。
でも、そのぶん周りの方々はとても高い学びをされています。お辛いぶん、きっといつか歓喜で報われますよ。まさに愛の試練ですね。すべてに無駄はありませんよ。
なぜでしょう?この文章を書きながら、霊界から暖かい愛のエネルギーを感じて、涙が流れます。 >>722
なるほど、そうですね。
ヘレン・ケラーなどは、高級霊がわたしたちに愛を教えてくださりに来ているようでしたし。
逆に、障害により、過去のカルマを一挙に解消し、浄化しようという意図もあるでしょうね。まあ、肉体の牢獄にて本当の霊的視野のないわたしたちには判断できませんが。 >>723
そうですね。("⌒∇⌒")
わたしは宮崎駿さんと久石譲さんは霊界のご指導で作品を作っておられると感じます。
まさに、彼らの作品はわたしたちに、霊魂の内面の美しさを、わたしたちの実体とは何かを知らしめるためにあるように思われますね。 わたしたちは、日常の毎日の愛の想念や行為が、消えると思っています。
もちろん、地上生活では記憶からいつしか、消えてしまいます。
しかし、本当は違います。愛は永遠に魂に深く深く刻みこまれるのです。たとえ、どんなに些細な愛の励ましや親切であっても、魂に刻まれます。そしてわたしたちの霊界での生活での美しい環境となるのです。
地上生活で毎日を愛と親切の想念と行為で埋め尽くしましょう。死後の実在の世界は美しく、豊かな幸せに色どられます。地上生活の困難や辛い中に耐えて行う愛や親切ほど、格段の耀きを放ちます。幸せになります。
なので、地上生活での困難や苦しみは必ず報われます。愛の気持ちと、神への感謝を忘れずに辛抱すれば、とてつもない至福がわたしたちを待ち受けています。
これは霊界通信での、真実です。
逆に、怒りや憎しみ、意地悪、などばかりの人生を送ると、醜い貧相な世界と自分を作り上げてしまいます。まあ、失敗はだれにでも多少はありますので仕方ないですが、ほどほどにしましょうね。 >>722
同じ障害でも様々なんでしょうね。
本能むき出しの彼と開き直っている(ようにみえる)姑をどうしても好きになれません
きっと私は一生かけて、隣人を愛することを学んでいくのでしょう
うちの夫も聖人のようです
寛大で謙虚で愛に溢れています
何度も転生をしてきた古い魂だと思います
私も夫もひどい家庭環境だったのに、生き様がまるで違います
夫のために私は何もできないのがつらいですが、魂の成長のために勉強させてもらっているのだと信じています >>728
ご主人は障害のある弟さんを受け入れて結婚してくれたあなたに感謝してると思いますよ。世の中、身内の障害が原因で結婚が破談したというケースも沢山ありますし。
何も出来てないとおっしゃってますが、そんな事はないと思いますよ。既に苦労を分かち合ってるではないですか。
辛い事が多いと思いますが、笑顔でいて下さい。幸せそうにしていて下さい。あなたがそうしている自体がご主人の救いになっていると思いますよ。
あなたの文面からは優しさを感じます。あなたもきっと進化した魂でしょうね。
あなたなら大丈夫ですよ。 >>729
愛に溢れた励ましのお言葉ありがとうございます
心に染みて涙が溢れました
不思議ですね、夫も私のことを太陽だと言うのです
あなた様も霊感と愛に溢れた素晴らしい進化を遂げた魂の方なのでしょう
実は、好きな人が出来てしまいました
手にすら触れず、ろくに言葉も交わさないまま離れました
身を引き裂かれる思いでボロボロでしたが、お互いの家族のことを考えると、どうすることもできませんでした
修羅場をくぐってきた夫と、障害を抱えたその方の奥さんと、お子さんを傷つけることは、とてもできませんでした
これを読んで不快に思う人がいらっしゃったら、すみません
あなた様からのメッセージ、守護霊様からの贈り物のような気がしてなりません
これでよかったんだよと
辛くなったら、繰り返し読ませていただきます
本当に嬉しかった
ありがとうございます >>730
あなたの救いに少しでもなれたなら幸いです。
好きな人ができたとの事ですが、人間ですから仕方のないことだと思います。それよりも、身を退かれたのは、あなたのご主人を思う気持ち、相手の奥さまを想う気持ちがあったわけですよね。そこには愛があるじゃないですか。
私は普段はロム専で書き込みって殆どしないんです。でも、あなたのレスを読んで心のなかに言葉が沸いてきて、どうしても伝えなくてはと思ったんです。
もしかしたら、本当にあなたの守護霊様が言葉を書かせたのかもしれませんね。
また、言葉が心にわいてきたので書かせてもらいます。
そんなに自分を責めないで。光はすぐ側にありますよ。 皆様の優しい励まし合いと感謝のやり取りで、このスレの愛の波動がとても上がっておりますね。("⌒∇⌒")
ありがとうございます❤
人生辛いこともありますが、愛と優しさと思いやりと奉仕と寛容さと謙虚と優しい言葉と親切などの、美しい行為と想念を心がけるようになれば、きっと幸せな素晴らしい人生ですよ。 霊的真理によると、わたしたちの実体とは、性格であり思想であり想念であります。
毎日の生活での『思想や想念や言葉や行為』でわたしたちは、自分の実体を作り上げています。
愛と優しさと思いやりと謙虚さと寛容さを身に付ければ身に付けるほど、その性格は波動が高まり、美しく光耀きます。
逆だと、当然、貧しい実体を作り上げ、貧しい波動の世界に住みます。
まさに、わたしたちは、日々の『行為と言葉と思想と想念』の愛の美しさの度合いで自分自身を作り上げているのです。 わたしたちは前世と霊界での反省と、再生するときの課題や使命を覚えていません。
なぜでしょうか?
それは神さまは、わたしたちが地上生活の困苦で霊的に成長することを望んでおられるからです。なので、前世の記憶や課題を知っていると、試験問題の答えを事前に知っていることになり、霊魂の成長に繋がらないからでしょう。
因果応報の法則により、罪や失敗をおかしながら、カルマで解消して痛い目に会って、霊魂を磨きながら、愛を学び成長していくしかないようですね。
但し、霊界の高級霊ら天使さまたちにより、霊的真理という、ガイドラインを示してくださいました。それは、隣人愛と奉仕と寛容と謙虚と神への愛と感謝という、生き方のガイドラインです。
このガイドラインを自分自身の境遇や人生にあてはめながら、点検し、軌道修正していくことが、神のご意志のようです。 霊的真理は時代や国、言語、などの違う様々な多数の霊界通信が同じように述べており、その客観的事実から、まさに真実の真理であります。
わたしたちが、霊魂であり、永遠の生命体であることや、因果応報とカルマの法則、地上生活は愛の訓練所であり、愛と奉仕と優しさのある人間ほど美しい世界に行き逆の人間は貧相な世界に行くこと、などは、共通しています。
地上生活は愛の訓練のための、一瞬の有限の仮の影世界であり、わたしたちの本当の実体生活は霊界にあるとのことです。
『シルバーバーチ』、『ホワイトイーグル』、『霊訓』、『永遠の大道』、『霊の書』、『天国と地獄』、『ベールの彼方の生活』、『人間の生き方』、『ジュリアの通信』、、、、。
などなど、みな同じように述べています。
国や言語、時代や職業もバラバラな霊界通信です。ネットもないし、翻訳など簡単に出来ない時代です。これらがすべて、同じような内容なのは偶然であるわけがありません。
また、世界中に霊的真理を証明する霊的ヒーリングがいまなおずっと続いています。
ゆえに、愛の霊的真理はまったくの真実です。わたしたちの本当の実体は霊魂という想念体であり神の子であります。わたしたちの地上生活の愛と優しさの心がけと行為が、本当の永遠の世界の死後の生活を決定していくのです。 >>731
ありがとうございます
素敵なお言葉をいただけて本当に嬉しいです
守護霊様のお導きに感謝します
ここ最近泣いてばかりいましたが、そろそろ次のステージへいく勇気が沸いてきました
私を助けてくださったあなた様の魂はよりいっそう輝かれることでしょう
心に沸いたインスピレーションを大切に、愛と奉仕に溢れたあなた様によりいっそうの幸せが舞い込んできますように。 このスレには善霊の方々の加護があります。わたしも難病の回復中に守護霊さまにこちらのスレに導かれました。もともと5チャンネルなどにはまったく縁も興味もない人間でした。
スレ主の青い鳥さんが温かくわたしを迎えてくださり、いつしか、友となりました。
そして、このスレで様々な境遇の皆様と励まし合いながら、霊的真理の光りを浴びあっています。
皆様、ROMの方々も荒らしの方々も、このスレに来られる方々はすべて偶然ではありません。皆様、霊界で繋がり、守護霊さまにこのスレに導かれています。おそらく、前世で皆様、何か因縁があるのでしょうね。
わたしも今は多数、書き込みしていますが、半分は難病回復までの奉仕ですが、半分は霊界の道具として通路として、指が突き動かされるように書き込みしています。このスレは霊界の霊的真理普及と地上浄化計画の一つです。
わたしは難病で痛みと苦しみと呼吸困難のなか、寝たきりでシルバーバーチに出会い、毎日、『わたしに愛の奉仕をさせてください』と、苦痛にもがきながら祈りました。その霊界の答えの一つを頂いたと感じています。
すべては偶然ではなく必然であります。
このスレの波動を下げないために、非常に微力ですが、光の言葉を書き込み続けるのも、わたしの役割の一つです。
お互いに光の道に歩むために励まし会いましょう。誰もが、失敗しながらも、苦難に会いながらも霊的向上の道を歩む神の子です。 自分のちょっと好きなアイドルグループの一人が「死」についてのブログを書いてました。内容は死んだら終わり、死んだ人とはもう会えない悲しい的なものでした。なんだかもどかしい気持ちになり、やっぱり霊的真理を知ることは大事だと思いました。 >>738
そうですね。たしかに、死に関連することのときには、ブログに限らずテレビでも、よく観る〜さんお別れ会のような時に必ず1人はそのようなことを言いますよね。
でも、そんな訳はないですよね。
霊なくして我々のことは語れないと私は思っておりますので。そもそも物質から意識はうまれないと思いますので。
これが自分が霊の存在する根拠の1つだと私は思っていますし、何よりも、死んでそれですべて終わり、なら今までの人生なんも意味のなかったものになってしまうじゃないですか。
こんなのは悲しいですよね。 オリンピックでスピードスケートの日本の小平選手が、韓国のライバル選手への愛の思いやりの優しさを見て、その私心の無い美しさにわたしは涙が止まりませんでした。
その程度のことで、なぜ泣くのか?とおっしゃる方々もいらっしゃるでしょうが、愛とは頭で考えることではなく、ハートで感じるものだからです。無私の優しさとは内面の美しさであり、いずれそれがわたしたちの実体となります。
個人レベルでは、わたしたちはこれ程美しく波動の高い愛の行為ができるのに、なぜ国家レベルになると利害と打算とプライドという、霊的ながらくたばかりが前に立つのでしょうか?
霊的真理による、人類同胞と隣国愛に溢れた世界を、わたしは愛の想念でいつも描きたいと思います。 愛の形はたくさんあります。
シルバーバーチは怒りや恨みや嫉妬なども、低級な愛の形だと言っています。
欲しがる愛は、所有や独占などの欲望か、怒りや嫉妬などの低級な感情になり、苦しみとなります。
与える愛は美しく、清々しく、霊魂の波動を高めます。相手や他人様の幸せが、自分の幸せになります。親が子に持つ愛はこれに近いのではないでしょうか?
高級な愛とは、与える愛、他人様の幸せや笑顔だけを願い、出来るならば奉仕する愛なのだと思います。
その時、人はこの世のものではない、至上の愛の幸福を感じます。 与える愛は至上の幸福です。
しかし、なにも難しくありません。
ホワイトイーグルは言います。
『日常の一つ一つの行為に神の御心を現しなさい。霊的真理を、霊の光を込めなさい。』
日常の一つ一つの行為に、『神様に感謝すること』『他人様の幸せを願い』『他人様の笑顔を願い』行動し、言葉を発し、想念を発すれば、それは与える愛です。愛の心を込めることが、与える愛です。
『与える愛』とは、換言すれば、『隣人愛』です。ほんの些細な小さなことで結構です。他人様に微笑みかける仕草でもそうです。真心と愛を込めればそれは『与える愛』であり、『隣人愛』であり、『奉仕』なのです。
見返りを求めず、愛の心で行為すれば、『与える愛』『奉仕』であり、オーラは光耀き、その美しさに恍惚となり人は至福を体験します。 与える愛の至福の体験は、霊魂に愛の感動と神への感謝で一杯になり、止めない涙となってときに溢れてまいります。
わたしたちの魂に内在する、与える愛=心を込めた無私の愛の表現や思いやりの気持ちほど、わたしはこの世に美しく光耀くものを、わたしは知りません。
霊界はこの数十倍?の愛の美しさということですから、あまりの美しさに呆然となり、歓喜のあまり失神するようです。確か、『ベールの彼方の生活』などでは述べていますね。 わたしはサラリーマン時代、会社の対外的交渉事を担当していました。
交渉事ですので、会社の利益と取引先の利益をうまくバランスさせながら、理性と経済的合理性の両面から慎重に行わなければなりません。
また、法的な問題や、社内の協力体制意見の統一など、理と情の双方必要です。ビジネスとは、社内外の何百何千のたくさんの関係者の協力で成り立つものであり、決して独り善がりでは前に進みません。
ですので、わたしは他人様への情を重要視する一方で、合理的に正確に多面的に物事を理解しないとすまない性分でもあります。
霊的真理はわたしのハートへの愛の影響や自身の霊的体験だけではなく、その論理的合理性にも申し分ありません。
わたしたちが神の子であり、永遠の想念体であり、地上生活はトレーニングセンターであり、わたしたちは愛を発現するために生まれてきたこと、因果応報の法則やカルマ解消による学びと成長、神とは宇宙であり法則であること、、、。
霊的真理は学べば学ぶほど、合理性があり、人間の理性と良心に合致しており、人生の苦しみと更正の苦味のうらに隠れた愛と喜びと勇気を与えてくれます。わたしたちに新たな正しい視野からの人生観を提供してくれます。
もちろん、学ぶほど耳の痛い内容もたくさんありますが、静かに受け入れて徐々に更正する勇気が必要です。何故なら、その向こうに真の光耀く愛の幸福を神が用意してくださっているからです。
わたしは、霊的真理の本は数十冊繰り返し読んでいます。時代や言語のすべて違う書物ですが、述べている内容の要点はほとんど一緒です。何度も言いますが、霊的真理は真実であると考えるのが、当然なのです。
『スピリディズムによる福音』というアランカルデックの本は霊的真理の多面的理解にオススメです。
キリスト教の聖書のわかりにくい内容を霊的真理の視点と解釈から、様々な高級霊が解説してくれています。
高級神霊イエスの本当の真意がよくわかり、霊的真理の理解がとても深まります。 会社の交渉事と言っても、商談をまとめるようなカッコいい仕事ばかりではありませんでした。
むしろ、人が嫌がる金銭面の支払い催促や、取引の停止の交渉などが大多数です。当然、そういう交渉は相手から嫌がられます。
しかし、内容いかんによっては、相手の経営や他人様の雇用などに影響を与えるような重要な交渉でもありますので、相手への配慮と慎重かつ計画的に誠意をもって交渉しなければならないことでした。
わたしは社内でもいつも嫌な仕事を請け負う担当でした。どうもかつてのクレーム担当といい、頭を下げるそういう仕事は好きなようです。というのは、難しい利害のやりとりには人間の内面の美しさがよく現れるからです。
怒鳴られることも有りましたが、お取引先に自分の誠意が通じれば最後には、『世話になったあなたがそこまで言うのだから仕方ない』とおっしゃってくださる方々が少なからずいたのも事実です。有り難くて涙が出そうでした。
ビジネスの場面ですので、もちろん社員として会社の利益や経済的合理性は大切なのですが、やはりお互いに苦しいときは理解と助け合いと尊敬であり、隣人愛が必要なのだと感じますね。
霊的真理を知ったいまなら、もっと愛のあるお互いにとっての良い方向にもっていけると思われます。
すべての道は霊的真理に通じると思われます。 そういえばまったく関係ない話なのですが、今から何年後かに大地震が来るとか来ないとか…。
で、以前ヒーラーの話をしたじゃないですか。
なんか関連していなくもない、ような気がしてビビりました。風呂入ってる時にふと浮かんだことなのですが。 >>747
ああ、まあ、それはそうなのですが…。
地震によって傷ついた人を癒す、ということがあったりするのかな…、と思っただけです。
もちろん魂は死なないので大丈夫といえば大丈夫なのですが…。
いや、本当にこんなことがあるのかどうかわかりませんがね。ただ昨日ふと思い浮かんだだけです…。 >>748
3.11から学ぶこともたくさんありましたね^ ^ 11つながりで、9.11から学ぶ事もありましたよ。
日本は今から40年くらい前の70年代には、敗戦国の記憶がありましたが、そこから今は40年。
果たして敗戦国、あいつらやばい奴らじゃんと言う、だから国連に敵国条項が残っている事実を
忘れています。いま偉そうな国になって、外国からちくちくと嫌な事をされて、それが続いたら、
平和主義者もタカ派に同調して、「仇なす国を攻めよかし」などと昔と同じことをするかも知れません。
それをデビルマンは40年前に伝えています。
https://twitter.com/nogemoge/status/968279380764995586 >>750
事件や事故、戦争など、苦しい想いも生まれますが、そこから学べることもたくさんありますね。 >>751
一度の大失敗は、繰り返さないという教訓に使うべきでですね。
阪神淡路や東日本大震災その他震災の教訓も決して無駄にしてはいけないと思うのです。 世の中に苦難にあい、明日をも知れぬ絶望の縁に立たされている方々が大勢いらっしゃいます。
その方々に霊的真理の光により、希望を見いださせてあげたい気持ちで一杯です。
『あなたは永遠の生命体であり、死はありませんよ。たとえ、明日肉体は滅んでも、霊体をまとい新たな栄光の生活が始まるのです。』
と教えて差し上げたいです。
そして、愉快な気持ちと楽しみと将来の希望を差し上げたいですね。
わたしは難病で絶望にあった身として心の底からそう思います。出来うるならば、残りの人生はそうやって、人々を勇気づけたいです。
霊的真理は光てあり、希望であり、勇気であります。けっ 続き
決して、知識自慢や言葉遊びではありません。
事実であり、真理であるからこそ、単純かつ明快にして、人々の心を打ちます。
霊的真理には、生きる力があるのです。
霊的真理は励まし、勇気を与え、将来への大いなり希望と歓喜に変わるのです。 わたしの一番の望みは、世のため他人様のため愛のため光のために尽くしたいということです。
わたしの霊魂が望んでいることです。夢にも見ます。それは地上生活であっても霊界であっても同じことです。
他人様の喜ぶ笑顔が何よりのわたしの癒しです。 >>749
言われてみれば…あったかもしれません…。
当時小学生のガキだったので、まだよくわかっていなかったですね。最近地震の霊的な意味を知った、と言う感じですね…。
とはいえ、それがはっきりとそういうことなんだ、と実感したわけではありませんが…。 >>750
9.11は自分はそのような事件があった、ということしか知らないですね。
なかなか難しいですね。なんだか敗戦したこと自体が元凶みたいな感じですが…。 わたしは未熟で、誘惑に弱く、臆病な人間です。
私自身はわたしが一番よく知っています。欠点だらけであることを。
しかし、わたしの中には美しく光耀く宝石があることもまた、わたしは知っています。神を愛し、世の中の他人様をこよなく愛し、笑顔と歓喜に溢れた神性が魂の奥に隠れていることを、難病による絶望の底に知りました。
それは、高級我とも言い、触れると愛の深さに涙が止まらないほどの至福の歓喜に包まれます。
ただ、わたしにはほんの一瞬のわずかしか触れることはまだ出来ません。まだまだ幾世代かの修行が必要なのです。
シルバーバーチとホワイトイーグルは言います。
わたしたちの地上生活の人格とは、氷山の一角であり、わたしの幾度の転生で得た光耀く善性の個性ほんの一粒であると。
わたしたち一人一人は神の子であり、地上生活では未熟な一人の肉体に囲われた霊ではありますが、どなたも無限の進歩の可能性を秘めた光なのです。どの方々も等しく尊く敬うべき存在です。『我以外皆様我が師』なのです。 シルバーバーチとホワイトイーグルはいいます。
シルバーバーチとホワイトイーグルはいいます。
シルバーバーチとホワイトイーグルはいいます。
シルバーバーチとホワイトイーグルはいいます。
うざい。うざい。うざい。うざい。うざい。うざい。
自分の言葉がない。虚 嘘 他人への責任転嫁、
自己愛の塊か.. 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 今日は愛と善行について、考えていました。
愛のある善行とは何なのでしょう。
それはやはり見返りを期待しない善行のようです。
高い愛は見返りを求めない、ただ他人様が喜んでもらえればそれでよいという愛です。これは、以前申し上げました。
善行も同じですね。感謝されまいが、うまずたゆまずただひたすらに、愛の気持ちから行う善行です。他人様の嫌がる素朴な仕事を誰にも感謝されず、ただひたすら、皆様の役に立ちたいという愛の奉仕を行うことですね。
たとえば、だれにも感謝されない評価されない掃除や片付け、残務処理、単純作業、肉体作業などは高い愛の善行だと思われます。家事労働もそうかも知れませんね。
確かに、わたしもサラリーマン時代もそういう仕事は上司の評価や成績には繋がらず、かえってバカにされたりしましたが、縁の下の仕事で気持ちのなかは清々しいものでした。
しがないサラリーマンの事例を思い出ばなしで一つ致します。
若い頃、一日中、離れの倉庫で1人て地味な商品梱包作業して、夜中にフラフラで職場に帰ると、職場の先輩皆様帰宅後で、顧客との約束で今日中に処理しないといけない社内で自分にしかできない修理加工の仕事が幾つかのこされていました。
わたしは会社の非常灯の暗がりのなかで職場の皆様が助かるならと、汗だくで一人加工作業をしました。不思議と清々しい気持ちで、自宅への帰りは終電で一時間半乗り継いで爆睡しながらも充実感に溢れて幸せだったのを覚えています。
その時のわたしは会社や上司の見返りや感謝ではなく、ただお客様や職場の人の役に立ちたいという思いだけでした。サービス残業もサービス出勤も自発的にしていました。もちろん、ブラック企業を擁護するわけではありませんよ("⌒∇⌒")。
皆様にも大なり小なり似たような経験はあるのではないでしょうか?素直な気持ちで感謝されずとも、報酬なくとも、誰かの役に立ちたい、そうすればただただ嬉しい、それは、実は結構高い愛だと思います。
自己満足ではありませんよ。見返りを求めず、他人様のただ役に立ちたいという一心の子どものような素直な愛なのですから。
神様はすべて見ていらっしゃいます。
だれにも感謝されずに終わる、素直な気持ちの愛や善行や仕事ほど霊的な評価は高いということは、各種霊的真理は述べています。 https://youtu.be/qYgOFGLjwLQ
高い波動の愛の歌を一つ。
他人様の幸せを笑顔を、ひたすら願い、役に立ちたいという愛の幸せを感じるわたしの大好きな歌です。
いつも感動で涙します。
こういうアニメの歌がヒットするのも、霊界からの愛のご指導だと思います。地球上が徐々に波動が高まっているのかも知れませんね。 >>758
9.11は世界を変えるに十分な出来事でした。
どれだけ変わったか、時間をかけてゆっくり知ってください。
家族にあまりにもとんちんかんな事を言われると、いらいらして、
親切にできなくなってしまいます。自分としては優しくしたいだけなのに。 今日はお風呂にも入って、掃除もして、髪も切れてサッパリしました^_^ >>763
友よ、だれにもそういう時はありますよ。
わたしもイライラや不安たくさんありますよ。ここには、あまり敢えて書き込みませんが。
霊的真理の言うように、心に愛があれば失敗は気にしないことですよ。すべて何度ものトレーニングですよ。 >>765
友よ、ありがとう。
せめて家族には優しくしたのです。生まれてこの方、普通に落ち着いて話をした事がなかったので。
いまでも病のせいで、落ち着いているのか分からないのだけれどもね。
あと友よ。
この前犯罪者が死んでから意識の地獄に落ちるとか書いていたけど、あれ自殺者ね。
間違った事を書いてはいけないよ。
友より。 >>766
友よ、それは失礼しました。
書き込みすぎて、どれかわからなかくなりましたが。("⌒∇⌒")
霊界を『地獄』という表現はしたかどうかは覚えてませんが、霊界自体が想念が実体化するので、闇の想念に囚われるという表現はしたかもしれませんね。ただ、犯罪というより日常生活でどんな思想想念なのかが大事だと言ったつもりでした。
仮に誤って犯罪を犯しても、因果応報のカルマの同じような苦しみで更正すればよいのだと思います。仮に犯罪者でもカルマ解消すれば普段の生活が美しい想念ならば、闇の想念に囚われることはないのではないでしょうか?
問題は、普段日常生活でどのような想念で生活し、行動しているかだと思います。優しい愛の想念を心がければその波長の世界に行き、怒りや憎しみが多ければその波長の生活に行くそうです。
また、頑固な唯物論、狂信的宗教関係者、自殺者、怒り恨みに生きた人などなどは、そのしばらくは自分の作った闇の想念に取り込まれてしまうようです。地獄などなく、すべては自分の作り出した実体化した想念のようです。
霊界通信では、地上の法律の犯罪を犯しても美しい魂もあれば、地上の犯罪を犯していないのに汚れた魂もあると語っています。極端な話、犯罪者であってもなかには、霊格の高い人物は存在するのだと思います。 >>767
霊界では自然法しか守るものがなくて、それが命を奪わない、なんだろうかね?
なので地上に於いて犯罪しても、心が美しければ、あるいはカルマの法則で更正すれば
救済されるってのは賛成する意見です。
私は誰でも救済される事を目指しているので。
ナザレのイエスは金持ちが天国に行くのは楽だが針の穴を通るより難しいと言いましたが、
多分「当時の」金持ちは(いまはどうか知りませんが)、風紀が乱れていたのでしょうね。
よく分かりませんが、聖書は当時はどうだったのか考えないといけない古典ですから、難しいですね。
19世紀や20世紀の霊界通信は、言葉が近いので分かりやすいです。
誰でも救済されるというのは、どんなに酷い事をしても、霊としての永遠の命は誰にも奪えないと言う事ですね。
アドルフ・ヒトラーはこれまた評価が最悪な人ですが、自殺したので「想念の地獄」(私が勝手に付けた)で
苦しんでいる事かと思います。でも、いまではもう本来の地上の寿命も終わって、生まれ変わった事と思います。
何回生まれ変わるか分かりませんが、早いところ救済されて欲しいと思って居ます。それが転生100回としても。
「想念(意識)の地獄」ですが、私が勝手に付けたものですので、友よ、あなたの言葉ではありません。あしからず。
それで想念の地獄と、友よ、あなたの言う状態を読んだのですが、苦しいから地獄と書きました。
あながち間違っていないと思います。自分もそれは嫌なので、誰にデモは今のところ無理ですが、
誰かには親切にしたいと思います。
しかし身近な家族にも優しくできないのは、友よ、あなたもイライラする事があるようですが、なかなかに難しいですね。。。 自分は誤字をしていますね。改めて読んで、ATOK使っていてこれかと、情けなく思いました。
まず、楽だが針の穴を通るより難しい、は、「ラクダが針の穴を通るより」です。
有名な、聖書の基本的な話ですね。
あとは、「想念の地獄」(自分の作った言葉)のところで、
誰にデモは今のところというのは、民主主義のためデモをするのはいい事ですが、
それでは無く、「誰にでもは、今のところ、親切にするのは難しい」という意味合いです。
入院中に寂しいお年寄りに名前をしつこく呼ばれた事がありますが、10年ちょっと前の話とはいえ、
うっとうしかった覚えがあります。いまでは別の対応ができるでしょうか?
自分が寂しくなった時に、構ったくれる人を求めるかも知れません。
あまり親切では無いですね、自分は。
そんな感じです。
まだまだ学ぶ事の多い今生の人生だと思います。
最後に一つ。「かな漢字変換は難しい。」 >>769
友よ、あなたが他人様に親切にしづらい理由の一つが、あなたの落ち着かない病にあるなら、神様はきっとその分は差し引いて下さいます。
シルバーバーチも、確か理由があれば考慮されると言っていますから。あまり、気になさらないで下さい。それでも、病に負けずに親切に努力されるあなたの姿が美しいのですよ。何度でも立ち上がればよいのです。
そして、わたしには出会ってからいつも親切にしてくださっています。わたしは、涙が出るほど嬉しかったのですよ。感謝しておりますよ。 >>768
因果応報のカルマの苦しみも、想念の檻も、どちらも、罰というより、神様の愛の更正施設だとホワイトイーグルなどは言っていますね。
やはり、素直に更正し、出来うる限り愛に優しく生きるのが間違いありませんね。 やあ。日付が変わったけど、日が昇ってから見てね。こちらは夜更かしします。
>>770,771
ありがたい話です。
落ち着かないのは、理由があるかも知れません。分かりません。
頭の処理能力が自分の状況・状態を説明するのに向いていないのです。困りますよね。
ですが、大霊は見てくれているでしょう。自分が言い返せない人間だとしても、
必ず埋め合わせがあると思えば、何ら恐れる事はありません。
さて、他人様に親切にできない事ですが、寂しい老人に親切にできなかった入院中ですが、
初めてであまりに驚いたので、何か否定的な感想を漏らしました。「うるさいなあ」かも知れません。
こんなのでは全く大霊の意志に従っていないですよね。寂しい老人には愛を与えよというのが、
恐らく大霊の医師です。10年前、シルバーバーチの霊訓も、ホワイトイーグルも読んでいない頃です。
いまは障害を負った、名前だけ知っていた先輩のために、何かできないかと思案している所です。
先輩はもう、やる気をなくして、酒ばかり飲んでいます。 >>771
愛の更正施設ですか・・・
どのような者か理解できません。
ただ、幻聴や不安恐怖に苦しんだ自分としては、あまり苦しい事を誰にもして欲しくないと思います。 どうでもいい話を一つ。
食事する時に、いつも焦っています。寄って早く早く食べるようにしています。
食欲亢進の副作用がある薬を飲んでいたのですが、それを飲んで糖尿病の恐れがある状態になりました。
飲んでわずか1-2年です。その後、6年も飲まされていたので、多分いまは糖尿病でしょう。
医師も酷いものですね。何度糖尿だと訴えても、無駄でした。
さて、いつの間にか焦って早く食べる癖が付いたわけですが、どうも良くありませんね。
これで膵臓に負荷がかかります。なので、その内に良くない事が起こるでしょう。
これは至上命令のようなもので、必ずゆっくり食べないといけません。
落ち着いて物事を達成せねば、そういう状態になければ、霊的真理の学習もあり得ないと思うのです。 この早く食べるは、ずっと昔からなので、一朝一夕には直りませんね。 >>763
学ぶ機会をありがとうございます。
調べてみようと思います。
親切にできない、ということについてですが、あまり考えなくてもいいのではないでしょうか。
意識してしっかりやろうとするということによって、予測し難い事態が生じるとやりづらくなる、ということも原因の1つではないでしょうか…。
違ってたらごめんなさい。自分はそう思った、ということです。
無意識、といってはおかしいですが、あまり意識せずにフッとやってみるのがいいのではないでしょうか…。
このニュアンスが伝わればいいのですが…。
でも、魂の友よりさんもおっしゃっている通り、優しくしよう、というその想いは素晴らしいと思います。
自分はそれがまだ不十分、というか…、自分が人に何かしてあげようと思ったとき、心はほとんどこもっておらず形式的になっているところが多々あります。
自分の状況と青い鳥さんの状況を足して2で割ればちょうどいい感じになりそうですねw。
今自分は、親切だけでなく、いろんなことをもう少し心を込めてやることをできるようになるためバイトで修行中です。
バイトを始めた動機は「隣人愛を感じてみる」、「それからの 純粋に相手を想って行う奉仕の喜び」を学ぶためです。
正直今はまだ形式的になってしまっていることが多々あります。これを改善したいと思っております。
あと、この曲はとても落ち着く曲です。イライラしたときに無心になって(音楽に集中して)聴いてみると多少は落ち着くかと…。
自分もイライラが収まらないときはこのような音楽を聴いて癒されております。
よろしかったら聴いてみてください。
この曲は後半が癒されます。
https://m.youtube.com/watch?v=JiLXcYGQ8Fc >>773
わたしもかつての苦しみの絶望には落ちたくはありませんね。("⌒∇⌒")
しかし、やはり振り返ると、カルマの苦しみのおかげで様々な試練から愛や忍耐や謙虚さなどを学び、飛躍的に霊的成長を遂げた自分がいます。
友もおそらく、すごい成長されているのではないですか?このスレを立ち上げたこと自体が、立派な霊界の道具としての証だと思います。
カルマ解消は成長の時期が、来た人にしか訪れません。飛躍的な成長のチャンスであり、神様の慈愛なのだとホワイトイーグルは言ってますね。
わたしも友も、つらければ辛い分だけ、これからは、霊的に価値のある仕事を任されるはずです。カルマ解消はその試験問題なのでしょうね。霊的にはむしろ感謝し、神様に喜ぶべきことのようです。 >>764
親に言われたのでこれから私も掃除をしますw。
髪を切る、という行為は霊的な意味がなくもない…、みたいですね。
ググったら。
ほんとかどうかわかりませんがw。 >>774
薬の副作用は辛いですね。
長期的にもやはり身体に負担ありますしね。
わたしは、そのために薬は医師の反対を押し切り、思いきって止めました。
出来れば、複数のセカンドオピニオンなどを取り入れて、減薬を模索してはどうでしょうか?医師との信頼関係も大切ですが、自分の体調がやはり最優先でしょうし。
早食いもあまり気になさいませんように。
わたしは、人より食べるのが、極端に遅く、いつも周りが早くて追い付こうと焦っていたくちですが、、、。("⌒∇⌒")
逆に早食いできるのが、羨ましく思えますよ(笑) >>779
早食いすると、腹が減りやすいのですよ。
それは大食いに繋がります。良くない連鎖なのですよ。これは断ち切りたい事です。 >>778
掃除良いですね^ ^
髪は霊的なセンサーの役割もあって、髪が長いと色々な想念をキャッチしやすくなります。
そして、自分の想念や他人の想念が蓄積されていきますので、髪を切るとサッパリします。
女性が失恋して気持ちを切り替えたい時に髪を切るのは理にかなってますね。
ちなみに私は10年ほどスキンヘッドです 笑 >>780
ゆっくり味わって食べると、美味しい時間が長く楽しめますね^ ^ >>781
そうだったのですか!
それは興味深いですね。
初めて知りました。 >>783
インディアンが軍に入隊して髪を切ると、第六感が働くなくなるという研究結果もあるみたいですよ^ ^ ホワイトイーグルは言います。
『罪悪感は今世も前世の分もこれっぽっちも抱いてはいけません。すべては神の慈悲慈愛だと思いなさい。『起こることすべてよし』の意識ですべてを神に任せなさい。』
わたしたちは、自分の成した善行や仕事、苦難を乗り越えた経験など、善いことをした経験はすぐ忘れますが、失敗や過ちは強烈に覚えておりそれだけに固執しクヨクヨしてしまいます。
しかし、まったくその必要はありません。人生に過ちはあって当たり前です。自他の過ちには寛容になりましょう。失敗して倒れても、また立ち上がればよいだけです。隣人愛と親切に生きればよいのです。
皆様も自分の過去の失敗と現在の欠点にくよくよしませんように。わたしもついしがちなので、すべては神の愛だと信じていきます。
明るく、楽しく、隣人愛に生きていきましょう。
このスレでは励まし合いましょう。 魂の友よりさんは、好きな食べ物は最後に残しておく派ですか? >>786
なぜ、わかるんですか?
その通りです。("⌒∇⌒") ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています