霊的真理 友の会 2
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霊的真理を話し合いましょう。
霊的真理を語り合い、励まし合いましょう。
様々な出版社から霊界の話を知る手がかりを得る事ができます。
ですが、信頼できる出版社・内容のものが良いでしょう。
霊的真理を学ぶには様々な本を読まなければなりません。
近くにあれば、読書会などに参加すると良いでしょう。
慈愛・寛容・奉仕の心がけを持つ事が大事です。
他人のために尽くす事を心がける事も大事です。
これがこのスレの前提です。
自己満足に終わる事無く、
他人のために尽くせる方法を一緒に考えましょう。
できれば度を過ぎた行為は控えて、中庸を目指しましょう。 おはようございます🌄
今日も愛の霊的真理について書き込みたいと思います。わたしは毎日、涙を流す感動体験をしています。その愛の波動も、波動をあげる体験とともに出来れば、お伝えします。("⌒∇⌒")
まずは、このスレの浄化の音楽から。
神への愛と感謝ではじめしょう。
https://youtu.be/yTyLafZeWX4 そして、霊的真理の基本的真理である、他人様や環境への『愛と奉仕』の歌で、再度、浄化させて頂きます。
https://youtu.be/c7GhyHbT3j0
皆様がお立場での出来る範囲の愛を込めた奉仕で、現在と将来の自らの愛の幸福を日々、築かれることを心よりお祈りします。
お辛い状態の方々は、その試練に耐えていくこと、それ自体が地球の波動を高める愛の奉仕ですので、ご無理はされませんように。
では、今日も、皆様に愛を込めて。 >>613
馬鹿は
自分が見たことのない世界を前提に、投稿する。
「とっと死ね」 シルバーバーチとホワイトイーグル、他の各種霊界通信は、霊的真理の基本をこのように語ります。
わたしたちとは、わたしたちが地上生活で日々の考えている想念であり、性格であると。肉体やお金や財産、地位などは、いずれ手放す一時的な単なる道具であります。
地上生活で、愛の想念や言葉や行為、性格の人々は、それがその人々自身で高い波動の世界で愛に満ちた生活をします。その愛の想念、行為に比例した世界に行きます。
また、愛の少ない方々はぎすぎすした、争いの絶えない生活をします。更正するまで、自らの暗やみの想念に苦しむ場合もあるようです。
霊界では、魂に刻んだ行為、想念、性格すべてを隠すことはできません。
わたしたちの地上生活で養った想念が身体であり、衣服であり、環境になります。
人は誰しも、愛の美しい心とそうでない心の両方をお持ちです。地上生活は愛の美しい心を高めるためのトレーニングセンターです。出来る限りの愛を発現することが、わたしたちの生まれてきた目的です。
わたしたちは神の子であり、このように、再生で失敗と苦しみと更正と褒美を繰り返しながら、成長して、愛と光に近づいていきます。 >>616
「馬鹿」という者が馬鹿である(真理の言葉w) 『愛と奉仕』を心がけるのはなぜよいか?
簡単に言うと、こうです。
一つには、個人個人の地上生活の幸福のためです。愛と奉仕に生きる方々は魂の波動が高まり、幸せになります。
周囲の人々はその方々の『愛と奉仕』で、『笑顔と感動と感謝』にあふれ、幸せが広がります。
二つには、霊界での至上の幸福のためです。
肉体も何もかも捨てた霊界とは、想念が実体化する世界です。地上生活で『愛と奉仕』を心がけた人々は、とてつもなく美しい幸福な世界を保証されます。
三つには、『愛と奉仕』で地球の波動が高まり、浄化されていきます。そして、浄化が進むと地球と人類の進化が進みます。人類の進化が進むと、他の生命も進化が進みます。
小さな『愛と奉仕』の一つ一つは、その愛の波動により、人類と地球の進化に寄与することになるのです。
以上が『愛と奉仕』で生きていく明確な理由です。国も言語も時代も違う、様々な多数の霊界通信が同じようなことを言っています。偶然であるわけがありません。
これが、明確な真実だからです。 家庭環境に恵まれない子供たちに無償で食事を提供し続ける女性、中本忠子さん。
そのきっかけはシンナーを吸うことをやめられない少年が語ったその理由。
「お腹が減ったのを忘れられるから」
中本さんは、家で食事を与えられていないというこの少年にこの日から毎日食事を出すようになり、やがて少年はシンナーをやめるこができました。
そして同じような境遇の友人たちを中本さんのもとへ連れてくるようになり、子供たちへの食事の提供は今も続けられているそうです。
こんな女性がいらっしゃったのですね。
まるで菩薩のように愛に溢れた方ですね。
http://www.imishin.jp/chikako-nakamoto/ >>620
ありがとうございます🎵
無私の奉仕の素晴らしさをみました。
わたしも今後の人生で少しでも、見習いたいです。心から他人様を愛することが、いかに美しく、尊いかよくわかります。
子供たちはこのかたの愛で助けられ、このかたは子供たちへの深い愛で、目には見えませんが霊的に、光輝いておられますね。
霊的な目でみると、自然とその光輝く愛の交換の美しさに涙が溢れてまいります。 今日のフィギュアスケート、羽生結弦選手のオリンピック連覇、感動しました。これまた、感動の涙です。
大きなケガを乗り越えて、最後まで滑りきった彼に心より祝福したいと思います。
彼の素晴らしいところは、大怪我しても決して、その痛みや苦しみを愚痴らず、頑張ってくれた足に感謝の念を送っているところです。
また、ファンや支えてくれている方々への愛の感謝で、常に満ち溢れているところです。
彼ら、スポーツ選手もスポーツという奉仕を通じて、人々に愛と感動と感謝を作っているのだと思います。
世の中での『愛と奉仕』は様々な形があるのだと感じます。それは、すべてどなたかを笑顔にしたいという想念の表現の現れだからです。 昔、淀川長治さんという映画評論家がいらっしゃいました。
この方の言葉に『わたしは嫌いな人に会った事がない』があります。
子供のころ、この言葉を知ったわたしは深く感銘を受けて、こう決意しました。
『よし、僕も誰も嫌いにならないことにしよう』
それから、今まで、幸いなことにわたしも嫌いな人には出会いませんでした。波長や考えが合わず苦手な人々はいますが、嫌いではありません。そのおかげで今に至るまで、他人様に怒りったり、喧嘩したりすることはほぼ皆無でした。
霊的真理を知った今は、子供のころ決意したことは、間違っていなかったと再確認できました。
霊界にいらっしゃる淀川長治さんには、本当に感謝です。 >>623
それは…、かなりすごいですね…。
自分には嫌いな人間がすでにこの年でいますね…。
まあ、今はそれほど気にならなくなりましたが。
ただ、何するかわからない人なので二度と会いたくはないですが。 >>624
世の中いろんな方々がいらっしゃいますよね。("⌒∇⌒")
優しさの少ない波長が合わない方々とは、わたしも無理に近寄る必要はないと思いますよ。ただ、反面教師として、学びにはなりますね。 >>625
たしかに、自分がされて嫌なことは人にしてはならない、という教訓を学べますね…。 おはようございます🌄
今日も良い日差しです。
神にすべてを感謝します。
さて、愛はいろんな愛があります。
憎しみや怒りも実は低級な愛だとシルバーバーチは言います。まぁ、他人様を傷つけたり、奪ったり、嫉妬する自己満足の幼稚な愛ですね。いずれ、更正のカルマが訪れます。
本当に高い愛は、自分よりも他人様の幸せを願い、ひたすら奉仕する愛です。他人様の幸せが自分の幸せになる愛です。
『幸せに喜んでくれればそれだけでいいんだよ』という無私の愛だと思われます。
また、相手の霊的成長を願い、決して過剰に甘やかさず、見守って、優しく導いてあげるのも高い愛です。
守護霊さまなどの高級霊は常にこれらの愛を実践されています。
わたしたちにも、地上生活で心がけ次第で実践できますので、他人様の幸せを自分の幸せに出来るよう、見習いたいですね。 『愛と奉仕』はなぜ幸せなのでしょうか?
理由は二つあります。
一つは、『愛と奉仕』は神の法ですので、生命の源である神と霊界から、愛の霊的エネルギーがハートに流れ込みます。なので、自然と愛のエネルギーが高まり、幸せになります。
二つは、『愛と奉仕』は他人様を幸せにします。
笑顔にします。喜ばせます。愛の霊的エネルギーが高まった方々は、他人様の幸せを自分の幸せに変換します。なので、霊魂は、自分と他人様の幸せだらけのパラダイスになります。
この、自他への幸せと愛の高まりが、感動となり、感謝となり、愛の涙となり、さらに幸せのエクスタシーは高まります。
『愛と奉仕』で多くの他人様を幸せにすればするほど、幸せになり、無限大のしあわせを感じます。動物や他の生命への奉仕で、幸せにするのでもOKです。
難病のわたしが奉仕がしたくて、したくて、仕方ないのは、このような無限大の幸せがあることを霊的真理で、知ったからです。
地上生活でさえ、これだけの喜びと幸せがあるのですから、霊界では無尽蔵の凄まじい愛の歓喜なのでしょう。シルバーバーチやホワイトイーグルが熱弁するのも当たり前なのです。わたしたちの未来は愛と光の幸せに溢れています。
それは、すべて地上生活の『愛と奉仕』と自らの浄化により、得られるものなのでしょうね。 霊的真理を理解するということは、簡単に言えば、
『愛と奉仕』の先には、『究極の無尽蔵の幸せ』が待ち受けていることを直感し、心底悟ることだと思われます。
頭で、脳で、考えるのではなく、ハートで考えるようにと、ホワイトイーグルは言うのはこのことなのだと、わたしは思います。
その先には、すべての人に神の栄光が待ち受けているというようなことをホワイトイーグルは言います。わたしたちの想像ははるかに越えた生命の世界なのでしょうね。 毎日、毎日、書き込みのなかで新しい発見があります。わたしも毎日、成長させて頂いています。
このスレに書き込みすることは、すべて、わたしが霊的にハートで感じとったこと、すなわち、わたしの性格であり、内面の世界です。
もちろんわたしには良くない内面もありますが、それを表現する必要性はあまり感じません。
わたしの中で毎日毎日、すくすくと成長し続けて、光輝きを放つ光の内面世界を表現したいと思います。わたしは、日々、自らの霊魂を浄化し、わたしの内面を霊的に美しく光輝くものに変えて行きたいという強い欲求を感じます。
皆様への愛とともに、書き込み奉仕し、成長しながら、わたしの霊魂の光への更正に変えて行ければと考えております。 オリンピックで連覇を成し遂げた羽生結弦選手は
大怪我を乗り越えて、『スケートが滑れることが本当に幸せです。』と語っています。
彼にとっては、スケートが奉仕であり、愛であり、感謝であり、人々を笑顔にできる無上の幸せだからです。
他人様を笑顔にし、そして神に感謝する、そこに地上生活の歓喜の幸せがあるのです。
そして、その愛の奉仕は死後の生活にも続く永遠の幸せです。なぜなら、愛は霊魂に永遠に刻印されるからです。
お金やモノで得たと思う幸せは、幻であり、錯覚であり、いつかは苦しみに変わります。
その差は歴然です。 地上生活での貧困、病気、障害、苦難、事故などの不幸カルマはすべて霊魂の自動浄化作用であり、苦しみて奉仕し浄化することにより、更正し、愛の霊的エネルギーを高め、幸せになります。
また、他人様や神への愛や奉仕、仕事、家事などはすべて魂に愛として刻まれ、幸せを保証します。
また、地上生活での傲慢、蓄財、他人様を言葉や行為、想念で憎んだり、からかったり、傷つけたりする行為は、すべて不幸のカルマを蓄積し、地上生活もしくは霊界の低級界で苦しみ、浄化し、いずれ愛の幸せにいたります。
最終的には、皆様、愛と善と幸せに至るようになります。早く幸せに至るには、社会生活で霊的真理の愛と奉仕に生きることです。それ以外の道はありません。
神は完全でいらっしゃいます。 神の愛に感謝し、神を愛することは、神の子である人間には自然なことであり、神と、霊的エネルギーで繋がりやすくなります。
それは、キリスト教だろうが仏教だろうがイスラム教だろうが関係ありません。完全なる神には宗派は関係ないことです。
宗派の違いや間違った教義で戦争したり、差別したり、分断したりすることは、いかにも愚かだとよくわかります。神のもとに、『何をどう拝むか何を食べるか』ではなく、『いかに愛しあうか』が大事なのです。 より高い愛やより高い霊性の歓喜の幸せを身に付けるためには、必ず試練があります。
地上生活でも、無私の愛や人助けに生きる方々は必ず、今世か前世で苦難でカルマを解消しています。
なぜなら、他人様の苦しみや悩みを理解し手助けするには、自分が苦しみを引き受ける覚悟が必要だからです。痛みや苦しみの自らの浄化なしに、高い霊性と愛は身に付きません。
そのカルマを乗り越えた先には、他人様や神に奉仕する無上の歓喜の幸せが待ち受けています。
守護霊さまや高級霊たちも、わたしたちと同じく低級な地上生活の幾度もの苦難を経て、今があります。
だから、彼らは神から与えられた、わたしたちの守護や指導を行うだけの尊い資格や知恵があるわけです。 苦難があればあるほど、その方の愛や霊性は高まり、愛と奉仕に燃え上がる、幸せの人に近づきます。
羽生結弦選手もそのファンも日本中、連覇の歓喜に湧いていますが、その歓喜をさらに高めたのは大怪我にあっても前向きにめげず愚痴らず、霊的に美しくやり抜いた、彼の愛と奉仕と感謝の生き方が素晴らしかったからです。
苦難にあっても、いかに霊的に美しく生きて、愛と奉仕でそこから何を学びとるかが、大切です。
その苦難で学びとった霊性の学びは霊魂に永遠の愛を刻み込み、霊的宝石として光輝き幸せへと導きます。
羽生結弦選手は結果はともかくも、確実に人間として、霊的にも成長なさいました。 霊的真理の道は、決して苦行や修行や禁欲や秘技の道ではありません。
むしろ、わたしたちの地上生活に待ち受けてる苦難をどう楽々と通り抜けて、歓喜の幸せに至るかの単純素朴な教訓であります。
『神への感謝』『隣人愛と奉仕』のお互いの交換が人類にとっては、幸せと進化の道だと教えてくださっているのだと思われます。 霊的真理とやらは自分を慰めるオナニーとは違うんで、
こんな掲示板でひたすら悦に浸って演説しても無駄だぞ。
蘊蓄や説法を披歴するくらいなら外に出てゴミでも拾え。
莫迦が語る能書きほど無駄なものはないんだ。 ごく普通に親切に生きた人間、霊魂はまず、
サマーランドという、とても美しい世界に行きます。そこでは、地上生活で養った行為、言葉、想念が身体になり、衣服になり、環境になります。
そして、守護霊さまのご指導のもとに、『人生の生き方学校』に通い、次の再生の時まで学びながら、とても幸せな日々を過ごします。
その方々の霊性に応じた世界に生き、必要な人生の学科を学び続けることになるのです。
それは、とても美しい世界での幸せな体験なのです。すべては、愛と神を学ぶためです。 その霊界のサマーランドの『人生の生き方学校』で学んだことは、魂に刻み込まれ、次の再生の生き方をある程度左右します。
わたしの場合は、サマーランドで学んだことが
他人様を言葉や行為で傷つけないこと
他人様と和を保ち、仲良くすること
他人様を嫌いにならないこと
他人様をすべて師として学ぶこと
怒らないこと、恨まないこと、嫉妬しないこと
美しい言葉使いをすること
子供や障害者、お年寄りなど弱者に優しくすること
貧困など人助けに生きること
欲望に流されやすいので気をつけること
臆病で勇気がないので、勇気をつけること
苦難や病気で、忍耐力や慈悲をつけること
だと思われます。実際に、いままでの人生の歩みと、これから歩もうとする道だからです。だれにも教えられたわけではなく、幼少の頃からいろいろその都度決意していました。
サマーランドで学んだことが魂に刻み込まれて、幼少時に発現したのではないかと感じます。
子供の頃からの座右の銘が
『和をもって貴しとなす』
→聖徳太子の17条憲法 小学生のとき授業でなぜか感銘を受けて、レタリングして貼りました
『わたしは嫌いな人に会ったことはない』
→映画評論家 淀川長治 深く感銘を受けて他人様を嫌いにならない と決意しました
『我以外他人様皆我が師』
→出典忘れましたが、どんな人からも、謙虚に教師、反面教師として学ぼうと決意しました
子供のころ、海外の貧困を見て涙し、少しずつ支援するようになりました
あと、他人様や動物を傷つける可能性がある自家用車の運転はある時、止めました。
幼少時は前世や霊界の記憶が霊魂にかすかに残っており、当人の人生の方向や性格を決定すると言います。わたしはこのような感じでした。ただ、楽する欲望に負けて沢山、失敗やヘマもしました。
まだまだなので、これからも、少しずつ霊的に向上したいと考えます。 今は難病に倒れ、死ぬかと思う地獄の苦しみを味わいましたが、少しずつですが、霊的真理により奇跡的に改善に向かっています。
わたしのカルマ解消とサマーランド学びを生かして、再度世のため人のために働くことと、苦難による他人様への慈悲や、忍耐力、勇気を学ぶためだったのだと思われます。 言葉というのはとても大切だとわたしは思います。
子供のころから優しい言葉、丁寧な言葉、親しみのある言葉、思いやりのある言葉はわたしにとっての普通のことです。
わたしにとっては、行為で他人様を傷つけるのも、言葉で傷つけるのも大差ありません。経験として、むしろ時には言く葉のほうが他人様を深く傷つけることがあります。
他人様に何かしら指摘や指導してあげるときでも、会社の年下や部下にも、出来る限りの丁寧な優しい語りかけをします。
わたしには、神さまから見て、他人様への悪意の言葉の罪も行為の罪もあまり差がないように感じます。なので、わたしは基本的に汚い言葉は使いたくありません。
他人様が使われるのは、自由意志ですので、止めはしませんが、わたしには罵りや悪意の沢山のカルマを作られているような気がします。 わたしは他人様にたとえ汚い言葉や行為で傷つけられても、決して他人様を傷つけないと、子供のころに決意しました。なので、喧嘩があると仲裁する係でした。
ただ、人間ですのでつい、かっとなることで、余計な汚い一言はあるかも知れません。わたしも二十代までの若いときには、カッコつけたり勢いあまることもたまに、ありました。
そのときはすぐに謝ることです。すると、カルマは解消されると今は、わたしの霊魂の良心センサーは言っています。 >>643
自分は若い頃はよく他人に暴力を振るっていました。
ある日暴走族から集団リンチに遭ったのですが、その時に初めて、人から殴られると痛いんだ。
もう他人に暴力を振るうのはやめようと思いました。
この経験から、他人の痛みがわからない者には、痛みを与えて教えてあげることも必要だと考えています。 >>644
暴力を振るわないでどうやって他人の事痛みを与えるの?
肉体的ではなく精神的な事でしょうか?
それは他人から教えられる必要性あるかな? >>644
そうですか。
なるほど、難しいですね。
カシシさんの考えは、相手に痛みを与える動機が
『相手の更正』にあるので、罪とは言えず、むしろ良いことかもしれませんね。また、正当防衛も致し方ないとシルバーバーチも言っていますからね。
わたしは他人様を痛みを与えることが、自分の痛みより強く感じます。わたしには、カシシさんのような自分の波動を落としてでも、他人様を更正に導く方々のような勇気はありません。
どちらも、動機が正しければよいのかもしれませんね。シルバーバーチも愛の動機が大切だとおっしゃいますから。 >>645
相手がやってることをそのままやり返すって感じかな。
もういい歳なので周りに暴力を振るう人はいないから、言葉とか行為になるのかな。
自分はリンチされなきゃ気づけなかっただろうし、痛みを教えてもらったと思って感謝してるよ。 >>646
RPGゲームのようにそれぞれ役割があるのかもしれませんね。
私が戦士だとしたら、魂の友よりさんは白魔術師みたいな^ ^ カシシ、こいつほどヘドが出る想念を出してくるやつはいない
一番関わっちゃいけない存在 ホワイトイーグルは言います。
『他人様が光に背を向けて歩むのは、自由意志であり、妨害することはできない。すべてはその方々が背負っていくカルマの道なのだから』、と。
そして、『自らが許されるためには、他人様の罪をすべて許しなさい、イエスが裏切られ自分を売ったユダを許したように。そうすれば、カルマは断ち切られ、あなた方に神の祝福があるでしょう』と。
わたしに出来ることは、拙く未熟な霊界の通路として、霊的真理より得た光の言葉と、心よりの愛の波動のエネルギーを自分なりにお伝えすることだけです。
皆様とわたしの罪が許され、カルマが断ち切られ、光の幸せにともに導かれることを心より願います。わたしたちは皆様、同じように地上生活で愛を学ぶ、いずれは光輝く『神の子』であり、『魂の友』なのです。
皆様にわたしにできる、心からの愛をお届け致します。 幸せのキーワードは愛と喜びと感謝!
全ては完璧。全てはひとつ。
魂の友よりさん、いつも愛の書き込みありがとう!(*^◯^*) わたしが幼少時、小学生低学年のとき、わたしはクラスのまゆの少し太い女の子に、ついからかって、『ゲジゲジまゆげ』と言ってしまいました。
わたしは、内心『しまった』と思いました。
その女の子はわたしの言葉に笑いながら応答していましたが、わたしには彼女の悲しみの気持ちが伝わりました。わたしは、自分の放った言葉に心に痛みを感じましたが、心が狭くて彼女にすぐに謝ることが、できませんでした。
心の痛みを感じたまま、毎日がすぎて、わたしは家の引っ越しでその女の子と別れることになりました。わたしは、手紙を書いて渡して、『ゲジゲジまゆげと言ってごめんね』と謝りました。少しだけ、心がすっとしました。
出来れば、女の子を傷つけたその場で謝れば良かったのですが、心の狭いわたしには出来なかったのです。わたしは今でも、その子の笑顔に隠れた悲しみが忘れられず、トラウマとなっています。
それ以来、わたしは他人様を言葉で傷つけまい、自分と会う人には笑顔になってもらおう、と自然と心がけるようになりました。他人様を傷つけるほうが、自分の心の痛みややましさで、強く自分を苦しめると学んだのです。
わたしのこのトラウマのカルマは、他人様に優しく接するように子供のわたしに学びを与えてくれた、神さまの愛のカルマだったのだと思われます。霊界でのサマーランドでの学びの幼少時の発現ではないかと思われます。 >>651
こちらこそ、わたしもいつもカシシさんの強い愛に学んでおります。
カシシさんの霊魂は自ら、辛い家庭環境を選んで、心と肉体の痛みと苦しみを引き受けながら、他人様への愛と神への感謝に前向きに生きようとなさっています。
その辛いカルマに、懸命に立ち向かい、愛に生きる姿は美しく、わたしに勇気を与えてくれます。
ありがとうございます😆💕 さて…
本日見学に行ってまいりました。
明日から勤務です。責任重大ですね…。
自分にとってまったく初めてのところでしたので少々びっくりしてしまったところがありました。なので、この前薬局で感じたあの美しさは今日は感じることができませんでした。
この前の体験はとても素晴らしく美しいものでした。が、それは自分がそのような方に関わったことがなかったからかもしれない。
何もしらない状態でいたからこそそのようなものを感じることができたのかもしれない。
周りをボケっと見て感じることしかできないゴミではないと思いたいですがね。
実際に自分が彼らと関わっているときにその美しさなどを感じたいのですがね。これがこのバイトの目的です。
愛の美しさの再認識(隣人愛を感じてみる)、それからの奉仕の実践(奉仕ができる喜びを感じてみたい)、というのが目的なのですが。
出だしがこれじゃあ先が危ぶまれる。自分で言うのもなんですが。
少し前の魂の友よりさんがくださったレスに、「奉仕の最中に何か体験するかもしれない」ということを励みにして明日から頑張りたいと思います。 「世界!ニッポン行きたい人応援団」
オススメの番組です。
日本に憧れる外国人を日本に招待して望みを叶えてあげる。
感動と喜びと笑いの詰まった番組です^ ^ >>655
たとえ期待していた結果が得られなかったとしても、それは次へと繋がる貴重な体験になると思います^ ^
気張らず自然体で大学生さんの魅力が伝われば良いなと思います。
無理せず頑張ってください♪ >>657
ありがとうございます。
難しく考えずに、かつ確実にこなしていきたいと思います。
これは自分にとって初めての働く経験ですね…。 >>656
調べてみたけどなかなかよさそうな番組ですね。初めて知りました。
録画して観てみます。 >>658
素晴らしい体験ですね。
いろいろ大変だと思いますが、だからこそ、霊的に得られるものは大きい、とシルバーバーチなどは言っていますね。
難病のわたしには、喜びの奉仕できるあなたが少し羨ましいです。("⌒∇⌒")
わたしの愛の想念もあなたの愛の奉仕に、上乗せさせてくださいね。
一つだけ、アドバイスです。
時々、謙虚にこの言葉を唱えてみてください。
『神様、このような愛の奉仕の機会を頂き、有り難うございます。』
すると、目に見えませんが神様や高次霊界とつながり、きっとあなたのオーラ=霊性が少しずつ光輝きます。 地上生活の学びはたくさんあります。
物質の中でしか経験できないことが、たくさんあるからです。
失敗やヘマ、挫折や罪に痛み苦しみ、更正があって、初めて霊魂は喜びを見出だします。
わたしは、欠点だらけの人生ですが、とにかく、会う方々一人一人を全力で笑顔にすることが出来れば、それだけで幸せです。
それは、どなたでも、構いません。心が通じなくとも構いません。
家族だけではなく、わずかでもわたしなどの人生に関わって下さった皆様すべてがいとおしいのです。それは、わたしに辛く当たる方々もすべてです。
皆様の笑顔と幸せが、わたしの笑顔と幸せであり、わたしにとっての特上の愛なのです。
どなたからも、愛と学びを受け取ることができるのが、わたしの人生です。無駄な経験は何一つありません。
淀川長治映画評論家 『わたしは嫌いな人に会ったことがない』
人生とは、紆余曲折ですが、素晴らしきかな、神の完璧でいらっしゃいますことかな、です。愛の涙とともに今はそう感じます。 わたしにとっての他人様とは、霊的な魂の友であると同時に、わたしとは異なる性格と経験を持った、すべて尊敬すべき方々です。
皆様、どなたもわたしに持っていないものを必ず、持っていらっしゃいます。たとえ、どんなに利己的で残忍な方でも、そのように至る霊魂の環境や経緯があり、わたしには無い経験です。
教師であり、反面教師であり、同じ愛の道を歩く、同胞であります。親は一つ、神さまです。
『我以外皆様我が師』この言葉は、未熟なわたしの一生の宝物です。霊的真理を知って、確信しました。本当に有難いことです。 おはようございます😆💕
ホワイトイーグルは言います。
愛とは与えることです。
愛とは内面の美しさです。
愛とは他人の幸せも自分の幸せにすることです。
見返りを考えないのが本当の愛です。
わたしは、これが真の幸せの道だと思います。
人類が、お互いに与えあい、幸せを願いあえば、地球はパラダイスになるでしょうね。
わたしたちの一人一人の思想、想念、言葉、行為はその第一歩です。個人の愛の美しさの一つ一つが、地球の浄化に貢献しています。 >>660
ありがとうございます。
やってみました。たしかに、何か違いますね。
それにしても、彼らを見ていて思ったのですが、彼らは嘘とかそのようなものに無縁ですね。
とても正直な方々ですね。
そこらへんの人でこのような方はあまりいない気がしなくもないですね。もっとも、そのような事を言っている自分がそこらへんの人なのですが。 >>664
障害のある方々は、魂が浄化され、美しくなりつつあるのだと思われます。シルバーバーチもそう言っています。
なかには、そうでないワガママな方々も居るかも知れませんが、大きな心で接してあげれば、その辺の大学生さんの霊魂は喜び、光輝きますよ。
ちなみに、25日(日)のバリバラは、『ヘルパー不足解消大作戦』であります。わたしは今さっき、気付きましたよ。相変わらず、映画のときと言い、シンクロしますね。
わたしとその辺の大学生さんとは、お互いの背後霊さまで、学びあうように、連携しあっているのを強く感じます。
青い鳥さんも、カシシさんも、そうですが。
また、いろいろ教えてくださいね。
有り難うございます🎵 https://youtu.be/iUIAZs2Lq00
何度か貼り付けていますが、とても歌詞が奥深い霊界の歌なので、浄化に最適です。
霊的真理により、再生、罪、更正、光をみつける、過程を美しいメロディーで歌っています。
ジブリ作品はすべて、宮崎駿さんと久石譲さんが、霊界のご指導のもとに作られていると思われます。
その内容、音楽は、彼らの内面の美しさを表現しています。
なぜ、ジブリがヒットするのか?
いろいろあるでしょうけど、やはり、最大の要因はテーマがすべて『無私の愛』に行き着くからでしょうね。世界中の人々は、愛=内面の美しさを心の底で、霊魂が、希求しているからだと感じます。 毎日、愛の気持ちで自分のできる範囲の奉仕をすると同時に、日本中や世界中のあらゆる苦難にある方々の人助けや霊的真理の普及、平和貢献を毎日、シミュレーションしています。
このような、愛と善意の想像は無駄でしょうか?
わたしは、決してそうは思いません。
わたしの善意と愛は世界中に良い影響を与えて、浄化しています。あらゆる方々に愛の想念で影響を与えています。また、霊界にもすべて、届いています。
また、地上生活では、物質と距離の壁があり、できないことがたくさんあります。
しかし、霊界は想念が実体化する世界です。
わたしが地上生活で思い描いた、愛と善意の奉仕の夢は、霊界で必ず実現されるのです。
出来なかった奉仕の夢が霊界で、叶うとき、わたしは無上の幸せで歓喜するでしょう。人は地上生活の毎日の想念で死後の生活を作り出しているのです。 >>665
それは何とも不思議なことですね。
自分の経験が皆様の経験に 間接的にでもなれば素晴らしいことです。
バリバラは昨日、コミュニケーションに悩む女の子の話を見終わったところです。
ちょっと遅れてますね。早く観ないと…。
あと、1つ質問、というかコツをお聞きしたいのですが、やはり言葉がうまく話せない方が多くいらっしゃいます。そこで、視線の動きや首や手の動かし方を見て相手の思いを感じ取る、ということを教えていただいたのですが、それでも相手の意思を汲み取るのが難しいです。
自分がこのようなところで働く意味の1つに、言葉によらない 想念によるコミュニケーション能力を高める、というものがあると私は感じております。
そこで、相手の想念がわかるようになる方法、コツのようなものはありますか?なかなかこれが難しい、という感じなので…。 >>668
なるほど、想念のコミュニケーションですか。
難しいですね。
わたしには経験がないのでなんとも言えませんが、、、。
やはり、愛をこめて繰り返し、相手の立場に立ってみて、試行錯誤するしかないのかもしれませんね。心が通じあうのは、、、。 >>669
なるほど…。経験あるのみですかね。
愛を込めて行う、というのが自分でも大事だと思っております。
頑張ります。 >>670
愛の奉仕に魂の『喜び』を感じられるようになれば一番よいのではないでしょうか?
あなたが『喜び』で奉仕できるようになれば、相手様の霊魂も喜ばれて、魂同士の何らかの愛のコミュニケーションができるかもしれませんね。
おそらく、それは言語を越えた、魂の愛のコミュニケーションではないでしょうか?
と今、インスピレーションが湧きました。
例えば、動画や本でも、愛と喜びの本や動画は、とてもエネルギーが高いですから。それらは、霊界の高いところとアクセスしやすいからです。
高い波長で繋がりあうことかもしれませんね。 >>671
なるほど。自分のバイトの目的が結果的にその想念によるコミュニケーションを達成させることができるのですね。
言われてみればたしかに。気づきませんでした。
ありがとうございます。 >>672
相手の想念を知ろうとする時は、
・自分の思考を止める
・心を開いて相手とひとつになるようなイメージをする
という感じですかね。
言葉が浮かんだり、相手の感情が流れ込んできます。
常に自分の思考と感情を観察する癖をつけておくと、他人の想念の影響を受けた時に気付きやすくなりますね。
心を開くというのは、相手を愛して受け入れることにも繋がると思います。
頑張ってください^ ^ みんな元気?
ちょっと教えて欲しいのだけど、ググれば色々出て来て勉強はした。
しかし、自分が母親から言われてこれは修正せねばならないなと思ったのは、
「悪態をつく」だったか「人を小馬鹿にする」という口癖があるらしい。
政治家に意見を言うのも止めようと思っている。悪口の類いを言わないようにしようと。
それでも文章が読めないのはまだ続いていて、通院・買い物に車で行ける程度には回復したのだけども、
本が読めないのは相変わらず。
あとシルバーバーチなどは、それまでの霊に比べて高級霊としては喋りすぎではないか、
と言う意見に触れたのと、本来何かに傾倒するというのをしない自分なので、
いまはなにがしの霊訓系を控えているところです。
そもそも人を小馬鹿にするような人間が、偉そうに語る資格など無いのだけどね。
Part3のスレ立てると言いましたが、大学生さん、950くらいで立てられそうにないですか?
こういう待ちがいまの精神状態に非常に負荷が掛かるのです。 >>674
お久しぶりです。
なんとか元気にやっていますよ。
私も最近までは政治批判をガンガンしていたのですがやめました。
他人を批判したり優劣をつけるよりも、自分が喜ぶことや幸せを感じていることの方がずっと心地良いですからね。
今は本を読むよりも、自分の内面と向き合う時間ということで良いのではないでしょうか。
自分が心から楽しいと思えることは何だろうとか、それに向けて今出来ることは何だろうとか。
自分が大好きで得意なものをひとつでも身につけると、他人にどう思われようと社会がどうなろうと、気にならなくなると思いますよ。 >>675
カシシさん、こんばんは。ありがとうございます。
そうですね。読んで印象に残ったのは、
後半の自分の内面と向き合う、
また自分が心から楽しめる事は何か、それに今できる事は何か、
そして得意分野の芸を身に付ける事ですね。
いま本当に文章が読めなくなって、まあ今夜は酒を飲んだのもあるのですが、
(禁煙はしていますが、禁酒は無理だった。量は減らしているつもり)
文章が読めません。
実はこんな状態で、「早く働きたい〜」などとできもしない事を考えているので、苦しみが増します。
ちょっと調子が良くなると、有頂天になってしまいます。いけませんね。駄目だとは分かっているのですが。
だから駄目なのでしょうが。
しかし「人を馬鹿にするのを止める」で検索して出て来たサイトを軽く見ると、
優劣を付けないとか、比較しないとか、そういう事が出て来ますね。 >>676
そうですね。
他人との比較と優劣のジャッジをやめると、心がとても楽になります。
私は歌うことが好きで得意でもあるのですが、これからボイストレーニングに通って自分の声を磨き上げることに全力をかけたいと思っています♪ >>677
ボイトレいいですね。
こちらとしては、ビブラートができるように成りたいです。
それにしても、眠いのに寝たくないという変な感覚です。 >>674
おはようございます😆💕✨
友よ、お元気ですか?
いろいろ、気付きがあって良かったです。
しかし、あまり、思い詰めないようにしてください。
霊的真理を語り合うのに、何にも、資格はありませんよ。わたしたちは、皆さん光の子で、神の子ですから。誰しも愛の光である霊的真理を求めて当たり前で自然です。霊的真理で励まし合うのがこのスレの趣旨ですから。
本は読めないかも知れませんが、あなたの奉仕の書き込みを楽しみにしている仲間もいることは、忘れないでくださいね。もちろん、体調優先で結構です。 >>676
わたしは友の苦しみの分、霊的真理の愛の喜びが必ず待ち受けていると信じています。もちろん、わたしにもです。
ふたりは、霊的真理の愛の道を歩むために、神様から試練を頂戴して、肉体、精神、霊体を浄化しているのですよ。苦しみはあるのは仕方ないのです。
これが、今朝、霊界から頂いた、わたしのインスピレーションです。ふたりとも、愛の道に弟子入りした霊的進化の過程にいます。 『苦難や痛みの一つ一つはいずれ訪れる歓喜にかわります。』
これが、霊的真理です。
因果応報は、ここにもあります。すべての不幸、病気、事故、苦痛、苦難、失敗は、霊魂の諸媒体を浄化するためにあります。
浄化により、教訓を学び、素直に更正し、愛を知り、他人様に優しく寛容になり、そのうちに愛の奉仕に燃える美しい霊魂へと変身します。
美しい霊魂へと変身したわたしたちは、いずれ、神様の使徒、高級霊の霊界の道具として、更なる歓喜の奉仕を経験することになります。
霊的進化の更正と向上の道のりを歩む、すべてのわたしたちがこれから経験する道であります。そこに至る様々な通路と早いか遅いかの差があるだけです。
神は完全でいらっしゃいます。
すべては必然であり、無駄は一切ありません。
神をひたすら愛し、信じ、感謝することです。 人は、死後、普通に親切に生きた方々は、神がいかに完全であったのかを知ることになります。
地上生活での一つ一つの苦難や障害が、いかに霊的な幸せを与えてくれるものであったかを知ります。そして、地上で苦しみを与えて下さった神に感謝し、歓喜します。
地上生活での一つ一つの思いやりと親切な言葉や行為、奉仕、仕事がいかに、自分を高め、霊界で美しい世界と幸せを与えて下さったかに、満足します。
地上生活での一つ一つの無私の愛の想念がいかに、世界を浄化し、貢献するかを知って、霊界で歓喜します。
わたしたちは、地上生活で与えられた今の場所と肉体と条件で、愛の最善を尽くす、そうすれば、幸せは保証されているのです。多少のしくじりや苦しみはクヨクヨせず、前向きに愛で生きることです。
各種の霊的真理はこのように言っていますし、これは、厳正な事実です。わたしたちは今の環境や肉体、苦難を浄化と向上のためにわざわざ選んで、地上に再生しています。
すべては霊的進化のためです。ただ、今は肉体に覆われて忘れているだけです。それも修行だからです。 このような霊的真理は、今はどのような状況にあろうと、いずれ人は神の子、光の子として、歓喜の幸せに至るということです。
今からでも自分にできるだけの愛と奉仕と寛容に生きれば、間違いないということです。自分の置かれた状況でベストを尽くし、教訓を学べばよいということです。
人類の多数の苦しみの中にいる方々を、心の底から、慰めることができるのが、この霊的真理です。
何故なら、それは、真実であるからです。 >>673
カシシさん、ありがとうございます。勤務直前に見させていただいたのですが、時間がなかったもので返信がすぐにできませんでした。
今日少しそれをやってみたのですが、相手と一体になるイメージはなんとなくできたような気がするのですが、なかなかそう初めから簡単にはいきませんね。
それよりも、少し霊的なことができたのかもしれない、と思っています。真偽のほどは定かではありませんが…。
呼吸を鎮めて、体の中から何かが湧き上がるイメージをすると体が熱くなってくるんですよね。
で、相手の背中に手を添えながら一緒に歩いているときその湧き上がったものが相手の背中から流れ込むイメージをしてみたのですが、こういうのでも多少の霊的なエネルギーは相手に流れ込んでいるのでしょうかね。
自分としてはそんな感覚がなくもなかった気がするのですが。ただ、エネルギーを感知することができないと思うのでなんともいえないのですが。 >>674
青い鳥さん、お久しぶりです!あまり体調がよろしくないそうですね…。ですが、久しぶりに青い鳥さんからのレスを見て少し安心しました。
青い鳥さんはスレはどうやって立てられていらっしゃるのですか?スマホアプリですか、それともパソコンですか?
とりあえずチャレンジしてみようと思います。
私は各種霊訓はまだ読んでおりません。他に読んでるものがあるので。ただ、そのような霊的な通信に疑問を持たれるのは至極当然のことだとは思います。私も初めて見たとき(スピリチュアリズムのサイトを)なんじゃこりゃ、となりましたから。
ただ、これだけは言えると思います。
愛と感謝の念は素晴らしく偉大です。
これは自分で実感してわかったことです。
なのでそれに関わる生活を送れば自分も他人も幸せになることは間違いないと思います。 また一つ今日も感じたことなのですが、彼らは「奉仕をする機会を提供してくれている」と感じました。いつかどなたかがおっしゃっていたことだと思いますが。
今日それがわかりました。
それから彼らの魂が急速に浄化されている、ということの理由がわかった気がします。
彼らは、自ら苦しみを体験することによってカルマを解消したりいろんな人に助けられて愛を学んだり、加えて我々に奉仕の機会を提供するという一石二鳥といったらアレですが、一役でも演じるのが大変なのに二役も担っているからなのですね。 >>686
その辺の大学生さんはすごいですね。
それを頭ではなく、ハートで感じられるのは、素晴らしいです。尊敬しますよ。
あなたの使命は重要ですね。
彼らはわたしたちに、『奉仕の機会』と、『愛の教訓』と、『勇気』を与えて下さっています。
とても、尊敬すべき方々だとわたしは思います。 >>685
どうも。
パソコンの専用ブラウザからスレッドを立てましたが、
スマホの専ブラからでも立てられると思います。専ブラによるとは思いますが。
他に読めるものがあるのは幸せです。
私は活字が苦手になりました。随分しばらく読んでいません。 本当の美とは内面の美しさです。
内面が美しくなったときに、人は幸せに一歩近付きます。容姿の美しさはあまり関係ありません。
美しい想念、美しい言葉、美しい行為が霊魂を磨きます。美しい想念とは、隣人愛、無私の愛、困難のなかでも前向きな心、神への愛と感謝、寛容、などです。
日常生活では、優しさ思いやりや親切な言葉や行為、同情、共感、ポジティブに神に感謝して生きること、などが内面の美しさの具体的な行為だと思われます。 人は優しさや思いやりに感動し涙します。
人は無私の愛や行為に感動し涙します。
人は病や障害に負けじと懸命に生きる姿に、感動し、涙します。
人は何かしら=神に感謝するとき、感動し涙します。
人は困難を乗り越えたとき、感動し涙します。
人は他人様への愛に感動し、涙します。
人は奉仕の喜びに涙します。
なぜでしょう?それは、そこに内面の美しさの現れ=神を感じるからです。わたしたちは神の愛に触れるとき、涙します。
日常生活の感動の涙とは、わたしたちは気付いていませんが、わたしたちの中の神性が神のエネルギーにほんの少し触れたときです。
少しでも内面を美しくすることは、神と繋がりを強くすることです。神と繋がりを強くなれば、当然、幸せに一歩近付きます。愛を磨き、内面を美しくしていくことが、わたしたちの生まれてきた最大の課題だと思われます。 霊的真理は、従来の宗教とか、信仰とか、道徳とか、倫理とか、何かとらえどころのないぼんやりしたものを、霊的真理という真実であり現実であることを実証しました。
それは、人間とは、肉体ではなく、霊魂であり永遠に向上をつづける内面的な実体であることを、証明しています。そして神の偉大さも。
愛と優しさと善意の思念体であるわたしたちは、肉体という重苦しく不自由な牢獄で、一時的に愛の表しかたを学んでいるだけなのです。
だから、何があっても、大丈夫です。
牢獄の困苦でも、愛の波動を高める、内面の美しさを少しでも磨く、生き方、言葉、行為をすればよいだけです。
地上人生、酸いも甘いも楽しみましょう。本当の世界に帰るその日まで。 >>687
おはようございます。
今日はお休みです。
勇気ですか…。これは私はまだわかっていません。今後の活動で気づきたいですね。 >>688
おはようございます。
了解です…。
その時になったらやってみます。
読めるときになったらぼちぼち読めばいいのではないでしょうか。
もしくは、以前どなたかがおっしゃっていたかもしれませんが、音声を聴くのもいいのではないでしょうか。
読みたいものが本ではなくサイトであり、OSがWindows10なら読み上げ機能がありますので、それを利用するのも1つの手ではないでしょうか。 わたしたちの幸せとは、他人様の幸せとともにあります。根本的には、他人様の幸せなくして、わたしたちの幸せはありません。
地球上に紛争、格差、貧困、差別、暴力が有る限りは、わたしたち人類は誰もが真に幸せにはなれません。
この事実に早く人類は気付くべきだと感じます。
愛の霊的真理の中核には、『人類同胞』がありますが、宇宙では当たり前の基本的要素です。
まだまだ、わたしたち人類は霊的に遅れています。
愛の政治、愛の経済、愛の外交、愛の奉仕が霊的真理により、いつかは当たり前のように世界中に広まります。その日のために、社会の片隅で、少しずつでもわたしには、霊的真理の愛の波動を高める奉仕が必要です。 わたしの想像、想念のなかでは、『世界平和』『武力放棄』は達成されています。愛の政治外交で簡単に達成可能です。
人々はわたしを『お花畑』、『夢想家』、などと言うかも知れませんね。
しかし、霊的真理を知った今は、わたしの想念のなかでは揺るぎない事実であり現実です。
何故なら、全人類がわたしと同じ愛の思想、想念なら、即、実施されるからです。
達成されないのは、そうしたくない人々の思想や想念、疑念が地球上で優勢だからです。
わたしは懲りずに、強く愛の平和の想像、想念、言葉を毎日、出し続けます。その行為は地上の浄化に貢献するからです。これも奉仕です。
そして地上生活の毎日の思想、想念、言葉、行為が、自らの死後の世界の環境を決定します。 愛の政治とは何でしょう?
たとえば、すべての政策を隣人愛を基準に考えることです。
世界の上位8人の資産は、世界の35億人の人々の資産と等しいそうです。まるで、ブルゾンちえみみたいな話しですが("⌒∇⌒")
確か、660兆円だということです。
その資産を恵まれない方々の支援や生活向上に使えば、すぐにでも貧困や格差は世界からなくなるでしょうね。
もちろん、お金だけが幸せの基準ではありませんが、人間らしい生活が出来ていない方々が沢山いるのに、過剰に蓄財するのは隣人愛とは言えません。
それを正しい方向に持っていくのが愛の政治です。
外交も隣人愛と同じく隣国愛に基づいて、支えあうのが愛の政治です。教育も、競争を助長するのではなく助け合いを教えるのが愛の政治です。弱者中心で社会システムを構築していくのが愛の政治です。個人的な利己的な欲望は後回しです。
もちろん、軍事力や銃社会など無用の長物以外の何物でもありませんね。人類同胞なのですから。
霊的真理に基づいて、社会秩序を構築すれば、世界はパラダイスになるでしょうね。犯罪などほぼ消え去るでしょう。カルマはどんどん解消されます。
神は常に、すべての人々が幸せに生きられるように、豊かさを準備してくださっています。まだ、人類の霊性が、地球上の豊かさを使いこなせないていないだけのようです。 世界平和や、格差解消、動物愛護など、わたしたち一人一人ではいかんともしがたい問題は、地球上に沢山あります。地上生活では、物質の壁で出来ないことだらけです。
しかし、オススメなのが、何らかの奉仕活動の際に、たとえば『世界平和になりますように』、『動物が苦しみませんように』と祈りながら無心で奉仕してみてください。
ハートに愛の霊的エネルギーがぐぐっと入ってきます。わたしは涙もろいので、すぐ感動の涙が出ます。
誰もが、同じく感じるかはわたしにはわかりませんが、奉仕活動をしながら、もしくは仕事を無心にこなしながら、平和や他人様への祈りを胸に抱けば、霊的エネルギーが流れやすいように感じます。
たぶん、地球の浄化の奉仕にもなると思われます。ご参考までに。 おはようございます🎵
ホワイトイーグルは言います。
常に他人様に親切な愛の想念を持ちなさい。
たとえば、街中で苦しみの悩みの中にいる人や、テレビなどで気の毒な人、怒りに満ちた人に、愛と平和の想念を送りなさい。
その、想念はその人々の心の平和に必ず、貢献します。それは奉仕であると、おっしゃいます。 ホワイトイーグルは言います。
『他人様に怒ったりしてはいけません。
心を平和に保ちなさい。静寂を学びなさい。
そのことはあなたの試練であり、あなた以外の人は皆、師と思いなさい。』
驚きです。わたしの子供のころよりのの座右の銘、『我以外皆様我が師』とまったくおなじです。
めったに怒らない叱らないもわたしのポリシーでした。というか、生来の性格的に臆病で、他人様に怒るという行為に美しさがなく人を傷つけるのが苦手なので、そうしたくないのですが。
ホワイトイーグルには、再度高い学びをちょうだいしています。内面の世界の実体や波動や想念など、わたしたちの見えない宇宙の真理をもとで、合理的な説明を頂きます。有難いことです。 ホワイトイーグルは言います。
『不安や恐怖を持ってはいけません。それは一種の罪であると。そのとき闇の天使に繋がってしまいます。闇の天使はあなた方には見えませんが、とてもみじめで貧相な存在です。
逆に不安や恐怖に打ち勝ち、前向きに愛の想念で神に感謝するならば、光の天使に繋がり、愛の奉仕をしていることになります。』
わたしも、苦痛でついつい不安や恐怖を感じることがあります。しかし、これは試練です。
試練のなかで、神を愛して、感謝し愛の想念を高めるトレーニングなのでしょうね。 ホワイトイーグルは言います。
ホワイトイーグルは言います。
ホワイトイーグルは言います。
それが、どうしたの?
それが、どうしたの?
それが、どうしたの?
だから、無責任コピペは禁止ですよ すべてが信仰という、病気から始まる。
自己愛の病気は、一生不治なんです。 世界中に困っている人、苦しみのなかにいる方々はたくさんいらっしゃいます。
病気、障害、貧困、ケガ、差別、紛争、、、などで苦しみの中にある方々に手助けすることは、とても美しい行為です。
たとえ、僅かでも生活の身を削り募金や寄付したり、支援のボランティアや、呼び掛けなどは素晴らしい活動です。アジアやアフリカでは貧困から、見捨てられ孤児になり飢えや病気で死んでいく子供たちも沢山います。
また、何かしら物質的に具体的に出来なくとも、そういう方々の存在や置かれた状況に情報収集や意識を向けて、同情したり、幸せを願う愛の想念を送ることもできます。
わたしも、今のわたしに出来る限りのささやかな愛の行為と、愛の想念を、残りの人生命有る限り、続けていきたいと思います。そこには愛の美しさと、他人様の役に立つ本当の幸せがあります。
ここでの、書き込み活動も、ほんのわずかではありますが、読んで下さった方々の魂に、このわたしの愛の啓蒙が刻まれますことを願います。霊的には愛の行為は決して無駄にはされません。 以前にもお話ししましたが、わたしはある企業でサラリーマンとして働いていました。国内外のあらゆる部署で転勤働き、仕事が大好きでした。後輩からよく『何でそこまでやるんですか?』と言われましたが、楽しいからとしか言えません。
ただ、長年働いて何かしら会社だけでは、満たされないものを感じていました。なので、脱サラして独立しようと社会奉仕事業を企画しているときに難病に倒れました。わたしは、もっと世界中の困っている方々のお役に立ちたかったのですが。
難病の苦しみは地獄のような痛みと苦しみでしたが、それ以上に辛かったのは、寝たきりで好きな仕事が出来ず、社会との繋がりを断たれたことでした。日々、無為に過ごすことは、わたしには身体中の痛み以上に地獄でした。
たとえ、どんな形であれ仕事=奉仕を通じて、社会や他人様の役に立つことは、何と喜びなのでしょうか?何と有難いことなのでしょうか?かつての自分の尊大さ、感謝のなさを痛感させられました。
今は、吸殻拾いぐらいしかできませんが、少しでも他人様のお役に立てると思うと涙がでてきます。自分の身体中の痛みに構わず、他の障害の方やお年寄りに少しでもお手伝いできるだけで、愛の歓喜に身体中が震えます。
実は、他人様のお役に立てることとは、至福の喜びであり、歓喜なのです。これは、健常者では味わえない体験です。わたしは今は魂の奥から、愛の奉仕を望んでいます。仕事や奉仕に飢えて、魂が以前以上に熱誠に燃え上がっています。
愛の奉仕や仕事は歓喜であること。愛の心を込めれば、たとえ、些細なゴミ拾いでも、涙がでるほどの歓喜の幸せを味わえること。
わたしはこれらを難病という神様に頂戴したカルマから学ばせて頂きました。
仕事や奉仕は、その内容や成果が問題なのではありません。いかに、神さまと繋がり、愛と善意を込めて行うかがまず大事なのです。それは何とも至福と歓喜なのです。
わたしたちの故郷の霊界は想念が実体化する、内面の愛の美しさが波長として存在する世界なので、愛と善意を心底込めるのが当たり前といえば当たり前なのかもしれませんね。
どんどんわたしの難病は、霊的真理のおかげで改善しています。いずれ社会復帰するでしょう。
そのとき、わたしは歓喜の涙で日々、小さな仕事に奉仕に毎日を過ごすことになるでしょう。 簡単に言いますと、どんな些細な仕事や奉仕も、収入を得たり会社や周囲の人々のために働くだけではなく、神さまに感謝し心底魂から他人様への愛と善意を込めれば、歓喜に変わると申し上げたかったのです。
以前のわたしの仕事や奉仕に対する姿勢はとても軽かったということです。難病というカルマと、霊的真理の真実により、やった目を覚まされたということですね。
要は、わたしは未熟だったので、死ぬほどの痛い目を何度もみないと、神の偉大さと感謝がわたしの中には培われなったということです。 なので、わたしは自然と無性に奉仕活動にのめり込める方々をとても尊敬しています。
苦しみの中にある人々を無私の奉仕で救おうとする方々を、見たり聞いたりすると、尊敬します。
きっと彼らも、今のわたしのように前世か今世で、地獄の苦しみのなかで、愛の慈悲の心を磨いたのでしょう。そうでないと、世のため人のための無私の奉仕はなかなか、できるものではありません。
また、現在、世界中の貧困や難病、紛争の苦しみにある方々もとても尊敬します。彼らも、その人生の困難から愛の光をこれから会得する魂だからです。
世界中には、素晴らしい方々が老いも若きもたくさんいらっしゃいます。皆様、辛い人生のなかに、愛の喜びを見出だしながら、ゆっくりと愛の光の道を歩いておられます。
すべては、わたしたちには見えませんが、霊界の高級霊、愛の天使さまのご指導のもとです。神は完全でいらっしゃいます。 わたしの難病の克服は、単に、痛みや苦しみだけの克服だけではありません。
恐怖や不安、心配といった、有形無形の低級我の克服でもあります。
なぜなら、人は耐え難い肉体的痛みや苦しみを感じると、その責め苦のなかで将来への恐怖も感じます。仕事や生活、金銭、生きる望みやこのまま人間の尊厳を失うのではないかと、不安と恐怖のどん底に陥ります。
不安や恐怖は、すべては、低級我が作り出した幻影です。そして、それは霊界の低層界に繋がってしまいます。ホワイトイーグルが言うように、正体はみすぼらしく貧相な低級我と低級霊に想念がアクセスしてしまいます。
彼らはわたしたちの恐怖を煽り、自分たちとおなじ闇の苦しみを味わわせようとします。
霊的真理を知れば、肉体的苦しみや痛みは、一時的なものであり、神と他人様に愛と感謝でカルマを乗り切れば、不安も心配もないことがわかります。愛に生きれば必ず苦しみは報われます。
しかし、わたしの低級我はなかなか手強く、肉体的苦しみで辛いときや精神的に辛いことがあると、ついつい、ネガティブになってしまいます。
肉体的苦しみに引っ張られるので、とても忍耐力が必要です。
わたしの難病のカルマ克服は、わたしがどんな苦しみのなかでも、神に感謝し他人様に愛を捧げることができるかを試す試練でもあります。
どんな窮地、痛み、苦しみのなかでも、自らの高級我の愛の光を輝かせるための。
わたしと同じく、日々、苦しみと低級我を克服し、魂の愛の光を輝かせようと毎日、奮闘される皆様に心からの愛と敬意の念をお送りします。
わたしたちは共に光の道を歩む同士なのです。 何度も申し上げますが、愛の霊的真理は他人様を愛に導き、励ますためにあります。
因果応報の責任や罪で脅し、カルマの恐怖に縛るためでも、無理な禁欲を進めるためではありません。
なぜなら、神は寛大なる愛そのものだからです。
因果応報もカルマもわたしたちに学びを与えるための神の愛です。試験問題です。
お互いの人生を愛で励ましあい、助け合い、時にはカルマに苦しみの人を乗り切りやすくするためにあるのが、霊的真理なのです。皆様、同じく霊的真理の光の道を悩みながら歩く同士です。
愛の喜び、奉仕の歓喜、優しい語りかけと言葉、など、愛に満ちた生活の幸せを目的としています。永遠の魂の進化の道を歩む、皆様がわたしにとっての魂の友なのです。 わたしが書き込みする目的も、皆様にわたしの辛い難病克服とリアルタイムな霊的体験をもとに励ましたいからです。愛の喜びの奉仕です。
また、わたしも書き込みすることにより、自分のなかの霊的真理に対する熱誠を高め、確認できます。自分の霊的弱さや、新たな学びも毎日発見できます。 『苦しいときこそ、登り坂』
これは、わたしがサラリーマン時代の座右の銘でした。業績向上のための経験値のない難しいミッションをやり抜くために、同僚や取引先や自分を鼓舞するために、よくこの言葉を使ったものです。
この言葉は、実は霊的真理でもありました。
人間は苦難に会えばあうほど、カルマ解消をし、霊魂の諸媒体を浄化していきます。そして、魂がどんどん純化されていきます。
この時こそ、真の愛を学ぶチャンスです。他人様への愛や奉仕、神への愛や感謝を学ぶチャンスです。そうすれば、愛の波動が高まり、高級霊界に繋がりやすくなります。高級我を発揮しやすくなるのです。
苦難の裏側には、実は、霊魂の真の幸せが隠れています。これは、シルバーバーチやホワイトイーグルなどの霊的真理がいつも述べているところですよね。 https://youtu.be/PKaTNcmiBPg
浄化の音楽を一つ。
とても、波動の高い昔ながらのアニメの音楽です。わたしは聞くと涙がでます。("⌒∇⌒")
愛の偉大さ、優しさ、思いやり、神の無限の慈悲などが音楽を通じて、わたしの霊的感性に訴えます。 人生とはロールプレイイングゲームのようです。
苦難や災難というボスキャラに出会い、
克服するたびに、経験値が上がり、魂のレベルが上がっていきます。
わたしの場合は、子供の頃喘息の病弱のうえ、貧困で、猛勉強して高校、大学は特待生となり働きながら苦学して、何とか社会に進みました。第1ステージのボスキャラでした。
そして、社会の荒波で揉まれ、人を傷つける波動の荒々しい怒りに満ちた人やいじめや嫌味を平気で言う方々がいることを知り驚きましたが、それに流されず、自分らしく優しく誰にでも人に接することに心がけました。
第2ステージのボスキャラでした。
そして、仕事が忙しくなり責任感とストレスから、肺に穴があいて、幾度も死線を越え手術したりしながらも、国内外で難しい仕事や人間関係に取り組みました。
第3ステージのボスキャラでした。
そして、一念発起、脱サラと社会奉仕事業を計画した矢先に複数の難病を突然、発症し絶望と地獄苦しみに蹴落とされました。その際、シルバーバーチの本に出会い、霊的真理の愛の光に救われました。
第4ステージのボスキャラです。
今は、ちょうど人生半ばで、まだまだ第4ステージをクリアしている最中です。
今までの人生でボスキャラとの戦いで、わたしの肉体と精神はたくさん傷つきましたが、永遠の霊は傷つきません。わたしの霊魂は様々な激しい苦難や絶望から立ち上がるたびに、徐々にレベルアップしていると感じます。
愛と善と優しさの光の道へ、未熟さから失敗とヘマで傷つきながらもゆっくりですが、誰もが向上の道を歩んでいます。 障害者の方々は、わたしたちに愛と絆と思いやりを教えてくださる世の光です。それが、彼らの使命であり、生まれながらの奉仕なのだと思います。
わたしたちの社会は決して障害者を粗末にあつかったり、資本主義的競争社会の餌食にしてはならないと感じます。
皆様、同じ神さまの光の子として、お互いに生き甲斐と向上心とふれあいのもてる、愛のある環境を構築していくことが大切だと思います。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています