>>665
同感です。
涙と感激で魂がふるえる、歓喜の奉仕。

これがあれば、相手の見返りなどいりません。あるのは幸せです。そのためには未熟なわたしには、慈愛の心の高まりが必要なのだと思います。

わたしはそのために、難病のなか、慈悲、慈愛の奉仕の思いをひたすら魂に貯めています。魂が求めるのです。一挙に開放するとき、それは歓喜の雨あられになるでしょう。