今、わたしは1日に何度も泣きます。
悲しいから泣くのではありません。愛の感動のなかで自然に泣けてくるのです。

大人になってから、サラリーマン時代はほとんど泣くことはありませんでした。だから、何でこんなにいちいち泣けるのか?今まで一向にわかりませんでした。

いまは、このスレで皆さまの優しさや思いやりの言葉と、皆さまへのわたしの友愛の思いにしょっちゅう泣いています。

食事中に、食べ物や水を作ってくださる方の愛や、その命を思うと泣けてきます。

優しいヒーラーさんのいたわりの言葉や優しさ、励まし、寛容さに泣けてきます。

テレビのドキュメンタリーで苦しむ人に何とかしてあげたい優しい心が押さえきれず、号泣します。

ドラマにも泣きます。陸王にも。ワンピース読んでも優しい場面で泣きます。(笑)

猫や子供の純粋無垢さに泣けてきます。

お年寄りが弱い足腰で、必死に歩いている姿を見て支えてあげたい、と泣けてきます。
今は、自分を支えるのが精一杯で残念です。

これらは、愛と優しさの涙です。自分や他人のなかに愛と優しさの中に、わたしは神=大霊の限り無き愛を感じて、涙がでるのです。

なぜ、こんなに涙がでるのか?今ようやくわかりました。わたしは難病になり絶望と苦しみのなかに、霊的真理に目覚め、自分の魂のなかに大霊の愛を見て、泣いたのです。

そして、魂が感じるようになったのです。日常は大霊の愛で溢れかえっているのです。皆さまの優しさや励ましのなかに、わたしは大霊の愛を感じて、泣いてしまうのです。

愛は決して弱いものではありません。なぜなら、それは大霊だからです。わたしを生命たらしめているもの、難病を回復へと向かわせているもの、
未来の奉仕への希望に燃え立たせてくれるもの、それは、素晴らしい愛の力です。

わたしの難病というカルマも愛を学ぶための、大霊の愛に気付くためのレッスンのようです。やっとわかりました。だから、自然に涙が出まくるんです(笑)

ホワイトイーグルを読んで、それに気付かせてくださいました。
わたしは実は常に周囲を愛に包まれています。だから、毎日、涙があふれるのです。

やっと、涙の意味がわかりました。
わたしはもう、迷いません。苦しみのなかにこそ、愛が見いだされます。ひたすら、隣人愛に生き抜いていきます。

わたしの周りの皆さまお一人お一人が大霊の子なのですから。感謝しかありません。

慈愛、奉仕、隣人愛、寛容、感謝、謙虚、これらが美しく、心を温かくさせ、感動させるのは、これが大霊の属性だからなんですね。