>>275
ヒーリングというのは…

相手がどのように苦しんでいるか、それを自分が身をもって体験してわかるからこそできることなのではないでしょうか。

ヒーリングを受ける側も、自分の苦しみを知らない者から受けるよりも、身をもって体験されて知っている者から受けた方が、自分の苦しみをわかってくれていると思い、ずーっと安心して受けられると思います。

自分だって、何か困っている話をするときに誰に話すかというと、やはり自分と同じことで困っていて今は解決された人に話したいと思います。

深い苦しみを経験された、ということは、それだけ多くの人の(苦しみが少ない人から多い人まで。
ただし、少ないとは言えどもヒーリングによる助けを必要としている人を指します)苦しみをわかってあげられると思います。それに関連してヒーリングも「真心から」になるのではないでしょうか。

ヒーリングにはエネルギーがどうのこうのってよく言われるようですが、術者がいくらエネルギーが高くたって、そんなのただ体が熱くなるだけなのではないでしょうか。

まあ、もっとも単純にエネルギーが欲しい、という人にとってはそれで良いのでしょうが。
しかし、ヒーリングって自分が思うに、術者のエネルギーがどんなに低いとしても、
受けている人を助けたい、というその熱意があればそれが膨大な愛情を生み出すのではないでしょうか。
そしてその愛情が相手に伝わって相手にいい影響を及ぼすのではないでしょうか。
(すいません。自分はヒーリングを受けたことがないのでヒーリングを受けた話などを少しだけ参考にして自分の言葉で書いています。なので間違っているかもしれないです。

何言ってんだと思ったらここはスルーしてください…。自分で書いておいて申し訳ないですが…。)

つまり、あなたはそれだけの苦しみの体験(肺が左右とも潰れるなんて恐ろしくて自分には想像したくないです。さらに呼吸困難、内臓の激痛というはじめの部分の苦しみだけで私は耐えられないと思います。
加えて精神的恐怖なんて私は多分それ以上生きられないと思います。)がおありなのですから、
多くの人を「深い愛情で」救う、という重大なご使命のためにこのような想像を絶する苦しみを体験されたのではないでしょうか。

どこぞの霊能者の、前世は処刑執行人だなんてそんなたわごと信じても何もいいことはないと思います。
ただ、もしどうしても気になるのでしたら、処刑をやったことに対してあなたは霊界で猛省し、そしてその苦しみが如何なるものであったのかを心から感じ、次転生するときは
「絶対にこんなことはしない。いや、その決心だけでは処刑した人にいくら謝っても謝りきれない。だからその人たちのためにも何か人の役に立つことをしよう。
そうだ!人に苦しみを与えた経験から自分に苦しみをあたえよう。そうすればその経験によってカルマを解消できる。
そればかりか人を救うことさえできるようになる。辛いがこのくらいのことはしてもいいだろう。」
とお考えになられ、そして無事今世に転生をなされたのである、とお考えになられたら少しは気も紛れるのでは…。

人を救うという本当の意味で立派なご使命のためにそのような苦しみの体験があったのだと私は思います。
先程申し上げたヒーリングの形態の変化(小規模で深い奉仕というのを、深くてできるだけ多くの、ただし大規模である必要はないと訂正します)、そしてあなたがおっしゃっている「霊的真理の普及、そして『霊的真理による』人助け」のためにも。