>>243
私のような 難病で苦しむ経験のまだない人間が言ってもなんの足しにもならないとは思いますが…。

奉仕の形態が少し違っていたのではないでしょうか。

あなたのおっしゃっている事業がおそらく大規模なものである、という仮定のもとに話をしますが、
大規模な救済よりも小規模な(もっと言えば個人レベルでの)救済をやることになっていたのでは(このようなご使命があるのではないか、ということです)…。

救済事業は大規模で一斉にやるよりも、
一度で助けられる人数は少ないかもしれませんが 小規模で行った方がその分 一人一人に対して愛情がたくさん行き届いた深い救済になるのではないかと思います。そして同時にあなたにとっても、大きなものが得られるのではないでしょうか。これに関しては次の例で書きますが。

例えば、大勢の人を看護しなければならない状況があった時、その人たちを自分一人で看るのは はっきり言って不可能です。そこで人を雇ってその人たちに看護をお願いすることになると思います。もっとも看護する人たちの報酬はあなたが出す、ということで。

でも、これよりも、たった1人か2人の人を、あなたがつきっきりで看護してあげた方が相手も喜び、そしてなによりもあなたが奉仕の喜びを感じられるのではないでしょうか。
相手と向き合って長い時間一緒にいるのでその分様々な奉仕の機会があるでしょう。

自殺志願者の相談を引き受けるとしても、その人たちの話を聞くのは他でもない「魂の友よりさん」ご自身ですよね。個人対個人の、まさに小規模で、かつ深い救済ですよね。
また、過去のスレで、あなたはヒーラーになるかもしれないと言われていましたよね。
ヒーリングって、あまり自分は詳しく知らないのですが、基本 個人対個人での奉仕(救済活動)ですよね。

ここで、難病というガイドレールによって強制的に方向転換をされたのではないでしょうか。
つまり、大規模で浅い奉仕から、小規模で深い奉仕へ。もしかしたら、奉仕の喜びを感じる、という意味もあったのかもしれません。

おまけに難病に遭われたことによって霊的真理への関心が高まったようですし。

結果オーライだと考えておけば少しは心が楽になれるのではないでしょうか…。