年長者・エルダースピリット
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
愛と愛でないものを分けるのは愛ではないとクリシュナムルティが言ってましたな >>574
クリシュナムルティは 死ぬ前に 私の話しを聞いても悟れないよと欺いたんだよね。 高名なグルであるラマナマハルシも
「来て去る神は神ではない」と述べた。
生憎彼は、すでにこの世から去ったわけだが。 マザーテレサについても同様だ。
彼女は信仰を具体化したが、その裏には
キリストへの絶望と心の渇きがあったことが
後に明らかになった。 クリシュナムルティは病的な嘘つきだった。
バグワンラジニーシは最終的に、アメリカから
強制退去させられた犯罪者だった。 現実的に考えて、ナザレのイエスは不義密通によって
生まれた子供であっただろう。
ブッダは自分の国を守らなかった。妻も民も、
彼の身勝手な知性主義の犠牲となった。 人は自分の目に見えるものだけを見ようとするものだ。 不毛だよ、こんなことは。
何を信じ、何を解するか。
それは私たちの心に委ねられているのだ。
もしあなたが賢い人なら、心を開いておくがいい。
それは実り多い。
だが自分の知る事実と他人の知る事実に
食い違いが
あるからと言って、それを一致させようなどとは
思わないことだ。
何が真実で何が偽りか。それを自分自身の中で
見極められたなら、それだけで十分ではないか。 EO氏イズム...びっくり、何これ..
こんな言葉あるの。。知ってる奴は、病気ですね。 >>582
あんたも充分 病気だよ、自覚なしか。笑笑 EOというよりダイジっぽい
別にいいけど
でも道半ばの人が惑うような言い方はしない方がいいかな 愛を否定するものは 真実の愛に達していない証拠だ。愛に到達できたものは愛を決して否定しない。何故なら 愛そのものが実在でそれ以外は何も無いのだから。 わたしもあなたも無い、無いも無い、だが、愛だけが在る。 ちょっと聞いていいですか?
愛が在るということを、ごんさんと名無しの方が使用していますが
これは何かの本に書いてあったのですか? >>588
体験でしかない。
体験でしか説明不可能、
霊的太陽が向かい入れたとき 貴方は消え去る。
だが、また再び 夢に引き戻される、肉体と言う
檻がある限り。 >>589
どもです。
体験ですか
でも、体験からなら同じ「愛が在る」という言葉にで表現するとも限らない気がするんですが
体験するとみなさん愛が在るという言葉を使用するんですかね
別の表現方法も考えられる気がするんですが >>590
閃光な白光体とでも言えるかな、
ダイヤモンドの原石とでも言える。 愛という言葉の定義も人それぞれ違うし、愛が在ると言っても同じことを言ってるのかわからないよね
別に愛という言葉を使わなくてもいいし、愛が在るとき愛が在るなんて言わなくてもいいかもしれない >>591
なるほど。ありがとうございます。
変な質問してすんませんw >>592
ネットの文章だけじゃ本当にわかってるのか?ってのが率直なところです。
必ずしも言葉にできる人だけが知ってるわけでもないでしょうし。 わかってないで言ってる人も多いでしょ
他人の言葉を自分のことのように言いたかったり、自分の願望から言ってしまったり
その人の体験、境地からその言葉を言ってるとしても、体験境地にも違いや深さがあるよね
体験が浅いのに言ってしまってる人の言葉は、そこを通過してる人にはわかるもんだよね 今も、NHKでシリア難民の放送があった。
多くの子供が殺されている。
愛情主義者ども、お前はどうするの...
神様に祈って、解決すればいいのに...
わたしは、愛に包まれたと喜ぶ時間があったら、
虐殺された子供の魂を、天国へ成仏させてやれ...
無意味な自己愛を放棄しなさい >>596
それは 私たちがどうこう出来るものでもないし、関与するものでもない。
そう見せられて 何とかしなければならないと
思い込ませられているだけだ、
貴方はその現場をその場で見て来たのか?
それこそ 無惨だ、可哀想だ、と言う自己愛ではないのか?だったら、まず 自分を救ってから言え。 >>588
万教同根という言葉がある。
教えは数多あるが、真理はひとつ。
あらゆる宗教道徳神秘は、突き詰めれば
同じ所に行き着く。
愛については、キリスト教に知見が多い。
聖書にもある。預言者が神に名を尋ねると、
神は答えた。「私は"在る"というものだ」
ヒンドゥ教の経典の中でも愛は重視される。
ヨーガの偉大なグル達は愛を「あるがまま」という
言葉で表す。
仏教徒は欲望を嫌うので、愛を隠そうとするが
最終的には
様々な教えが愛について語る。
それはつまり、真理だから。 おや?
仏教徒も最終的には入鄽垂手ということになる。
まあ方便としては、そんなことはない、と
言わざるを得ないが。 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、
内心はさながら夜叉。
常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。
ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。
これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、
それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。 >>600
素晴らしいじゃないか、うぬぼれと高慢だと言う思いを貴方にみせてくれている。
その概念が貴方の中にあると言う鏡の役目を果たしてくれている。
それに気づいていればいいだけだろう。
何かそこに問題でもあるのか? 俺とお前では、天と地の差があるな。
悔しかろ?だが事実だぜ。 >>604
俺とお前ともは、天と地の差がある。
知識はゴンが上ですが... >>598
宗教のlことよく知らないので助かります。
どれも行き着く先は同じなんですね。 ◆ 本物と偽物の世界とその違い
死後の世界そのものが、非常に疑問です。
「愛」「死後の世界」「天国」「地獄」これらはすべて
人間の「欲と支配」「恐怖」「エゴ」のよって作り出された
思いの濃い、妄想世界。
「神の真理」の言葉は
「未来」「可能性」「自由」「制約」「工夫」「共同」「成長」「慈悲」「関連」
によって作られた、創造と自由に満たされたな、思いの純粋な無色透明な世界。
この違いわかりますか。
つまり偽物言葉を使う人は要注意です。
◆ 嘘をつく利益と損失
自分につく嘘は、一生自分を苦しめる。
神につく嘘は、無意味でなんら効力がない。
他人につく嘘は、場合によって利益を得るが、得た利益は短期的に消えやすい。、
その嘘がバレることから不安が生まれ、嘘がさらに嘘を生む肥大化が起こる
そして、
逆に他人から与えられた真理の言葉さえ疑うようになり、
そのことで、生じる無駄な時間の損失は、非常に膨大になる。 >>608
貴方は本物と偽物と区切る時点で二元の視点で分離して物事を見ている、それぞれの認識の差はあれど、そこに区切りなどないんだよ。
天国と地獄の境もないの、 >>609
これも思考でものごとを判断している。
ジャッジは二元の視点だ。 損失だろうが、利益だろうが、嘘だろうが 誠であろうが、全てが学びだろ。嘘があるから真実があるんだろ。騙されて 本物を知るんだろ?
分けようがない。判断するのは思考だ。 >>610
本物、偽物という言葉を定義することを恐れる、おバカさん。
二元論を否定する自分に酔っていることに気づけ。
その心は、悟り、空、中道という言葉によって支配され
それに反することを恐れている。.....
3流の悟りとは、悟りという言葉に恐れ、そこから離れる自分に恐れる。
◆ 認識という真理を知れ
考察とは、2点の意味の対峙によって意識され、
3店の関係によってその性質’存在)が明らかになり、
4点の三角錐によって3次元の立体構となりることを知れ。
◆ 認識の真理を知れ
意識を高めることは無になることではない。
無や空という言葉、
現実の実態は、いつも変化することを述べたに過ぎない。
実際の思考において、その変化がかに生じるかを
誰一人、(道元さえ)明らかにできなかった。
そのため、間違った欲望意識が、幽霊のように彷徨う。
すべては、1 に始まり
2 によって、互いに引かれ、反発し
3 によって、一つの関係、弱い結合と強い結合が生まれる。
4 によって、はじめて空間で機能が生まれ
多次元の関係によって、その価値は決定する。
価値の変化は、この結合の崩壊と再結合によって生まれるもので、
基準点そのものは消滅しない、 囲碁を学び強くなると、この意味が思考体験として認識できる。 横暴を振るものに対しては、横暴が許される。
それだけだよ。
ここは匿名掲示板だから、その場に相応しい
コミュニケーションというのはある程度定まってくるだろう。
リアルと5ちゃんねるは違うし、そうだなぁ、
例えば5ちゃんねると爆サイも違うよね。
相応しい場所を選びな。君がよほど好きものでないのなら。
他人のことなんか気にしてると、時間を無駄にするよ。 >>610
天国、地獄..
人間の欲望と恐怖が作った言葉...
存在しない言葉は、真理の考察から除外せよ。(創造の場合は使用OK) >>613
ちゃんと読めよ。二元論を否定してなどいない、貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけと書いただけ。
無とか空は言葉ではないぞ?善悪と言うのは
全てが学びであって、判断するのは思考であって 全て許された世界なんだ。
わかるか?だから 良いも悪いも境界線と言うのはないの。頭が堅いぞ。 わかるか?とは書いたがわかれとは言ってないぞ。笑笑 貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけ >>623
頭が堅いぞが二元と言いたいのか?私が頭が
柔らかいと言うならそうだろうな。
だが そこにも表裏一体で少しも別れてないだろう。 頭が堅い、柔らかいに 何の差も無いだろう。
頭が堅いのが悪か?頭が柔らかいのが善か?
じゃあ 頭の堅い基準てどこから?
頭が柔らかい基準てどこからなんだ? >>623 >>624
個々の価値観で、個々が言い合っている。...無意味
二元論の是非を。三元論、正反合は三元論の一部でしかない。
価値という意識の基本原理を議論しなさい。
認識とは、言葉の曼陀羅であることを考えなさい。 >>626
価値観なんてないよ。言葉のキャッチボール。
意識は価値じゃないしね。 具体的な修養方法。
呼吸について。
吸った空気を足下側へ押し付けて、下腹を膨らませる。
次に下腹部を凹ませながら、それを吐き出す。
すると随意的な筋肉で呼吸をサポートする形になる。
精神が動揺すると、人間は胸で浅い呼吸をするようになる。
酸素の供給量が減り、重心が高くなって、身体が落ち着かなくなる。
その逆。重心を足下側へ降ろしておく。
一日数回意識して、下腹部で呼吸すると良い。
すぐにクセが付くだろう。 胸で吸う、下に押し付ける、腹を凹ませる。
この3ステップ。
あまり長い時間呼吸を止めるのは良くない。
自律神経のバランスが乱れるから。 急性期の統合失調症へのアプローチについて。
キリスト教的な枠組みで考えれば、有益と思えるのは
悪魔祓いだ。恐らく、外部から意図的に超自我を増強し
優越させることで、それを人格の統合の核として
仕立て上げることができるのではないか。
(その為には恐らく、恵みをもたらす地母神である母親の
偶像を断ち切る、という苛酷な試練が待っているだろう)
仏教的なアプローチでは、軟酥の法がすぐに思い付く。
が、仏教の修行方法は根本的に健全さというものを
前提に置いているから、精神病にまで達した
心理構造の調整にはあまり向いてはいないだろう。 だが思うに、悪魔祓いは神の権威が一般的に容認された
男性優位の社会でしか通用しないものではないか。
その儀礼はつまり混沌とした精神世界の中にキリスト教的な
バランスを持ち込むということであり、首尾よくそれを
取り込めたとしても、後にその精神内界の秩序は改めて
外部の世界との相互干渉に晒されることになるからだ。
そして、社会の方がそうした超自我イメージをしっかりと
優越させた状態に保てていない限りは、遅かれ早かれ
「悪魔」は力を取り戻してまた地の底から這い上がり、
その大地の亀裂が世界を再びバラバラに
砕いてしまうだろう。 そこで今私が考えるのは、超自我を増強する
補強剤としての「神」イメージをより「自然」な形態へと
更新し、裁く神ではない別の神による悪魔祓いの形態を
作ることだ。
自然なというのは、生命を否定しない形での、
という意味だ。(そもそも生命を肯定できないことこそ
前時代の宗教の欠点ではないと私は確信する)
だからそれは、もはや「悪魔」祓いと言うべきではない。
それはただ単に、折に触れ見直すような、賢明で、
幸多い何かだ。
超自我は高みに居るが、等身大の個人を強引に
引き上げたりはしない。そうではなく、待っていてくれるのだ。
失敗も成功も、喜びも自業自得の苦しみも、全てを
包んで「それで良い」と見守っていてくれる、そういう
超自我イメージを新たに創造すべきではないか。
それは宗教家の観点として言えば、断じて身勝手な
創作などではなく、私たちの倫理観と精神構造を
より真理に、真実に近付け、進化させるということなのだ。 × 生命を肯定できないことこそ前時代の宗教の欠点ではないと
○ 生命を肯定できないことこそ前時代の宗教の欠点であると 真にハートチャクラが開いてるひとは イエスキリストの様に 何もしなくても 病は、臨在と接触するだけで治ります。瞑想してヒーリングが出来るようになったひとは沢山居ます。
それはテクニックではなく、全て そのひとの波動からです。 それから 真に悟ったひとは悪魔を寄せ付けません。闇は光を嫌います。臨在の中に闇は消滅され、病や不浄なものは消される。 いや、真に悟った人はもっとすごいよ。
指先一本触れるだけで、この世の全ての闇を消しちまうんだ。
え?そんなすごい人が今どこに居るかって?
そりゃもう、ある時「この世の全ての闇よ、消えろ!」と
おっしゃってな、杖かなんか振り回したんだ。
そしたら驚いた、そのお方自身も、きれいさっぱり
消えて無くなっちまったのさ!ハ、ハ、ハ! 虚像で膨らませたものなんて、
最後は萎れるだけだろう。
中身のない風船なんだから。
それはアーバンレジェンドなんだよな。
それはオカルトとしては、まあ合格点だろう。
でも宗教というのはその正反対で、中身、つまり
個々人の手足身体の感覚が、外側の辻褄より
優先する世界。
そしてスピリティズムも、どちらかといえば
そうした個的感覚から始まる精神文化の一形態。
ここのみんなは、オカルトは求めていない。
風船は、楽しくない。 この地球で最も賢い人間に、私は問いたい。
「この宇宙が存在しなければいけない論理的な理由は?」
人類はまた、この単純な無知を
学びなおさねばならない。 宇宙を認識しようとするのは、人間は...
人間の認識は、部分的な論理による整合性によって、真理を獲得しようとする。
真理への理解とは、言葉によってなされ、
体系的、必然的な関係集合で行われる。
しかし、思考という行動)は、外部、内部から刺激によって
その感性は無条件に無意識に振動し、自己認識は混乱し散乱する。
この混乱を再度不快と感じると、思いとしてまた整えようとする。
宇宙はこの散乱と集まりを繰り返すことで、
人に対し、論理のエネルギー(刺激)を与えている。
さて、どうだ.. お前の無知に気づけたかな? ◆ 宇宙の刺激と人間の思考
宇宙を認識しようとする人間は...
部分的な論理の整合性によって、真理を獲得しようとする。
そこには、近未来的な損得によって評価決定が行われる。
真理への理解は、言葉によって、
体系的、必然的な単語の配置関係で行われる。
思考は、外部、内部から刺激によって
感性が無意識に乱され、認識の関係も乱れる。
この乱れを不快と感じ、再度、整理しようとする。
宇宙エネルギーらは、乱れと集まりを繰り返す。
この繰り返しによって、論理思考のエネルギー(刺激)も大きく影響される。 そんなに沢山書かないと
ダメなのかな?
別によいけどね。 ◆ 分霊(分魂)と生まれ変わりでの成長過程
シルバーパーチの分霊と生まれ変わりという記述があるが....
神智学の「モナド」という魂は、さまざまな波動体の中心点として存在し、
その周囲に様々な波動を引き付ける。これが、魂の個性と霊格になる。
個々の魂に周囲の集まった波動点は、
「個々の概念波動」一部としてをも同時構成する。
これが霊界の多次元で、同時に起こり変化する、
中道、愛、慈悲、などの曖昧な概念は、
このような発展過程によって、人類全体の共通概念として成長する。
言葉の概念成長は、時間と時代とともに変化し成長し
全世界の概念として、三次元の物質社会に影響し、人類全体の意識が変化する。 転生してきたって噂のあの子は、
こんな風にあっさりと言ってのけたよ。
「宇宙が存在しなければいけない理由?
僕が答えさ。それ以上必要ある?」
彼の噂の真偽はさておき、私はその答えが好きだった。 幸せに生きれば充分だと思いますが
それではダメですか?先生? 良いともさ。幸せに生きることだよ。
だが中々、心からそのように思えないのが
人間だから、修行するんだろうね。
或いは、という迷いがなくなるまで。
もっと、という不満が満たされるまで。
もしかしたら、という不安が消え去るまでね。 皆さん意識しなくても
一番の望みは幸せに生きることだと思います。
その為に沢山の経験を積み重ねて。 >>651
経験すれば、よくなる、幸せになるのか?..
なりません。これにも気づくべきです。
経験したことを、どのように感じ、解釈すべきか?
これが生きるテーマであり、各自の問題なのです。
このために宗教が存在し、哲学があるのです。
勉強すべきは、この解釈の正しさと多様性なのです。
自己探求には、基本の方法があります。このことを知るべきです。
自己流は、悪い結果を引き寄せます。
人生の問題は解決す、べて自己解決が基本であり、自己責任になります。
ただし、自己責任はカルマでの罪や罰ではないのです。
@ どのような結果であっても、それを受け入れる気持ち
A 神によって導かれるという、安易な選択の拒否意識。
これが、ツインソウルや指導霊から導き、愛の妄想という自己愛を引き起こし
悟りと霊格追求いう超能力を求めることになるのです。
解釈勉強こそが、霊性を高めるという訓練になるのです。 命に欠けている。
一生もひとごとのように過ぎてく。
それではだめだ。
私たちは欠けている。
人間になりたいピノキオのように
「有るはず」の「無いもの」を手に入れたい。
https://youtu.be/eq8r1ZTma08 闇を知り光を知り、それらの誘惑に負けることなくそのすべてを超克したい。
どちらか片方だけではだめなのだ、と最近考えています。
己の中の獣と戦わず、命じることができるようになりたい。
「自己」のあるじであることを極めたい。
そして最終的にはその舟をも手放したい。 フランクルは言っているよ。
人は人生の意味を問うが、その有様は矛盾そのものだ。
むしろ本当はこの世界、その人生そのものが、
君が何者であるかを問うているのだから、と。
君は自分を、獣を飼いならす主人だと思っている。
だが本当は、君は主人ではなく、飼いならされる
獣の方なのかもしれない。
或いはそこには、主人など居ないのかも。
ただ一匹の獣だけが…
言葉に囚われてはいけないよ。
言葉は影なのだ。それは作られた世界だ。
心は言葉より前に存在している。
獣を飼いならしたければ、獣について学ぶべきだよ。
猫は何を感じ、魚はどんな心を持つ?
クラゲは「海」を知っているのか。
ミドリムシに、心はあるか? ごんべさんサンキュー
なんかこう、今はかたくなになっているみたい。
理想についていけなくてきついんだ そうだね。理想は迫害的なものだから。
それは君を否定しているんだよ。
だが本当に君を否定しているのは、
ある理想を自己の理想たらしめている、
君自身の飢えた心なのだ。
まあ、苦労はいずれ報われよう。
仮に君が立ち止まっていても、世界は動く。
兎に角なるようにはなる… 内在する神様は素晴らしいです。
癒しの力は他の何にも
負けません。 生まれつきの自己治癒能力は、何億年という生の果て。
それは確かに、とてつもない力を持っていることだろうね。 過去の覚者の方々によれば、サマディは長ければ長いほど良いとされています 俺ももうこんな歳になってようやく気付いたんだが、
金持ちになりたい奴、有名になりたい奴っていうのは
そこら中にごまんといるものだ。
そんなのは探すまでもない。
まあ、人間の普遍的な欲望なんだろうな。
でも、悟りたいという人間はごくごく一握りだ。
悟りたいというか、世の中を見極めたい、自らの
存する意味を見定めたい、という奴だな。
そういう人間は本当に少ないよ。 実際のところ、金持ちになるより悟りに至る方が簡単だ。
だが人は思うんだな。「悟りを得たら、私も何事かの
第一人者として、一端の権威として、もっと
有名でお金持ちになれるのだろうか?」とな。
だが皮肉なことに、金や名声は人を悟りから遠ざける。
また一方で、金や名声は心を飢え苦しませ、
決して虚ろな心根を満たすことがない。
しかしそれでも、それを求めるようにできておる。
人間というのはな。これもまた不思議なことよ。 愛というのはね、水のようなものですよ。
私たちはその中に浮かんでいるのだけれど…
それがあんまりにも自然なので、かえって
わからなくなってしまうのでしょう。
愛は与えられるものではなくて…
それはただ気付くべきもの。
それは満たしているもの。あなたを。この世界を。
つまりそれは、あなた自身の全て。愛は…
愛はあなた。あなた自身。
愛して。きっとわかるから。ほんの小さなものでも。
あなたの愛する何かが、きっとあなたを、支えるから。 愛は足元の王国
あなたはもうそこに立っている
遠い山に手を伸ばさないで
振り返って しゃがみ込んで
手のひらに滑り込む柔らかな土の中
そこで全てが見つかる
何もかも、そこにある
時の起こりの、そもそものはじめから
https://youtu.be/sKupzannWko ありがとう
やっぱり私は愛を学ぶために生まれてきたのだと思います 自分で言うのもなんですが、周りの人に保護欲を起こさせるような容姿で生まれてきました
今世での課題を達成するために、いちばん適した状態を選んだのでしょう
機能不全家庭で育った影響もあってか、どうしても信じられず、こわいです
愛を受けとるのが、人を信頼することが、こわくてたまらない
でも神様は、これでもかこれでもかと私に試練をくださいます
きっと、心から人を信頼し受けとれるようになるまで続くのでしょう
守護霊様や、周りの人々が、愛はすぐ側にあると、何度も何度も教えてくださっているのに
私にはどうしても、いちばん遠いもののように感じてしまいます ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています