年長者・エルダースピリット
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>>517
答え
人類...道具や材料があっても使う人がいる。
宇宙...存在には空間。認識には確定がいる。
あなた... 一人ではなく、複数でないと機能しない。 >>519
人類 なぜ使わなければいけないのですか?使わなくても良いのでは?
宇宙 認識する必要はありません。
あなた 機能しなければならない理由は? >>520
反論する場合は、よく考えてからにしなさい。 考えるまでもなく、あなたには答えられないことが
わかっている。
あなたに限らないよ。人類の誰も、この問いに論理的な
答えを提示することはできない。 >>522
下からは、上はわからない。
馬鹿もほどほどに... >>523
答えられたら認めてあげるよ。無理だけどね。
生身で大気圏外に行ける?行けないでしょ。それと同じ。
この問いには人類の誰一人、答えられない。
そういう仕組みだから。
子供でもわかる道理さね。 >>524
遊びたいだけなら..一人でどうぞ... >>525
最初からそう言ってるだろう。
君に、俺を分からせる技術は無い。
無意味な口出しは止めるんだな。 正しくは人類に答えられるか答えられないかは人類にはわからないであって
人類には答えられないというのは間違い
応えられるか答えられないかは人類にもごんにもわからない >>527
観測技術の問題として捉えればそうだ。
しかし私が言っているのは、論理という概念の構造それ自体に限界が
あり、論理では回答不能な課題を創出することができるということだ。
つまりこの問いは、構造上絶対に、論理的に回答することはできないんだよ。
人類であろうと、宇宙人であろうと、異次元人であろうとね。 「この世界が存在しなければいけないという理由は?」 論理的に回答不能かどうかを論理的に回答不能でしょ
絶対はないという論理に絶対はないと絶対に言えるか?というのパラックスと同じだよ
目で目を見ることはできない
人類に人類が何であるかはわからない
だから人類に答えられるか答えられないかはわからない
悟った人のようにもはや人類でなくなったらまた話は別だけどね
ごんがもう少し我が取れたらわかるよ >>530
そして私たちは深刻なパラドックスに落ちてしまう。
人類に答えられるか答えられないかはわからない、
「かどうかはわからない」。
人類には答えられないというのは間違い、というのは間違い。
というのも、実は間違いだ。ここから先は無限退行して、
結局最初から何も言っていないのと同じことになる。
ほら、賢いでしょ?私はこういう無意味なトートロジー、
ドングリの背比べが実に好みでね。
だけど今は、そういう話をしているんじゃない。
「この問いには論理的に回答できない」、つまり
「この問いに論理を差し向ければ無限退行に陥る」、つまり
「この問いに対して論理は無力である」
伝えたいことはここまでで十分だ。 まあ好きにしたらいいよ
言いたいことがあるうちは言ってしまうしね 人間の猿知恵など所詮幻想だ。
言葉と鳴き声の間の境界線は実在しない。
私たちは、ただその場の感情に浸って音を発しているだけ。
論理は美しい嘘だ。美しいが根本的に何ら意味を持たないそれは、
私たち人類の中における「男性」という存在と全くよく似ている。
神は論理の中で死んでいる。だが、本当は死んだわけじゃない。
ただ単に、人間の小さな論理の世界がまとわりつくのが
うっとうしくなって、それを脇にどけただけだ。 他人の自意識を操作し、精神を絡め取る。
そんなものはただの技術と知識だ。
重要なのは動機。その技術を何に使うのかということだと思う。 「存在している」なら
「存在する理由にに、必要な条件を考える」
「存在することで起こる問題を考える」なら意味があるが、
すでに存在しているのに、
「存在しないければならない理由」を考えて何になる。
自慰行為 論理というのは、
パラソックスにならないように考えることであって
パラソックスを考えて遊ぶことではない。
>>536
半分は正解だね。矛盾を回避しなければならないが、
論理そのものが矛盾を抱えていることに気付かねばならないよ。
ちなみに、ファンタジーの世界は矛盾無しに拡大していくことが可能だ。
設定を追加すれば良いだけだから。
普遍的な真実との整合性を検討しないとしたら、それは論理というか、
個人的な幻想、妄想の類いだ。そんなことを言っていてもしょうがない。
まあ、やるなら一人でどうぞ、と言った所だね。 >>535
そうだ。論理など無意味な幻想だ。
既に存在している。
論理はその事実そのものに対して、何も言うことがない。
せいぜいそこにコテコテと別のものをくっつけていくだけ。 コテコテくっつけていくだけ。それはただの遊びだろ?
君がやっている知識の体系化だってそうだ。ただの遊びだよ。
俺がやっていること。これももちろんそうだ。ただの遊び。
だから、そんなことに大げさな、自分自身の知識体系なんて
必要ないな。意味無いもの。 体系化と、遊びとは大違い。
自分ですれば、能力差は歴然。
簡単に見えても、あなたには不可能ですよ。
あなたが、体系化しようとしたら、
A4で最低で1万枚以上かかりますよ。
ひっとすると10万以上書いても、きっとできないでしょう。 1万メートルの上からみれば、下の様子は人目でわかるけど、
下からみても、山の上の様子も自分の周辺もわからない。 あなたも、神の真理という法則を、
自分の経験と心の中から「100000」ほど抽出し、
立体曼荼羅として自分の魂を中心にして、
意識の世界に配置してください。
そうすれば、私の言葉の真偽が解るでしょう。 >>541
下から見ても上の様子はわからない。その通り。
だから、そんなことを気にしてもしょうがない。
小池のカエルに、人間の貴族の生き方を説いて何になる?
カエルはカエルのペースで進化していくのだから、放っておけば良い。
自分のことをしっかりやるだけだ。
上とか下の世界を気にする時間など、無駄なだけだ。 >>540
全くもって、私には不可能だ。
一生やらないだろうね。興味も無いし。
それで、そうだな、君がその体系化とやらで貴重な時間を
無駄にしている間に、私はこの世の素晴らしい物事を、
様々味わい尽くすこととしよう。
では賢者よ、そういう役割分担でよろしく。
体系化は君に任せたぞ。私は遊びに行ってきます。 愛は全て。
愛こそ世界の存在理由。
愛より大切なものなどない。 ◆ 愛という魔物の世界
愛は麻薬です。得に相手の思考を停止させるには最も効果的です。愛に助けられ、愛に癒され、愛を求め、やがて愛に溺れる。思考停止。
必死で生きるべき魂が、
生きる屍となって、天国という牢獄で、
愛の奴隷として永遠に暮らす。
愛を癒しの手段として理解し、
捉えること自体が間違っているように思える。
愛の目的は癒しではなく、
相手を理解しようとする意思であり
相手に関心を持とうとする意思をいう。
その行為によって、高慢な魂は、勇気を与えられたと錯覚し、
弱者は自己愛が癒されたと錯覚するだけである。
愛を唱える連中らは、
この1年で、
カンボジアにいくら献金したのだろうか?
国境なき医師団にいくら献金したのだろうか?
献血を何回したのだろうか?
反戦の平和デモに参加したのか
今まで、何回ボランティア活動に参加したのだろうか?
また、老人ホームの慰問に出かけたことがあるのか?
口先だけの愛ではなかろう。 自分は霊性が高いと、自慢している愚か者。
自分の嘘に気づいているのか?
自分の自己愛の醜さに、気づいているのか?
自分は霊性が高いと、自慢している愚か者。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永いあいだ迷わせてきたようです。
実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、
それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。
祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い選ばれし者の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。
問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。 愛は優しさではない。
愛は感情ではない。
愛は善でも悪でもない。 愛は存在の肯定。
愛は酸素。それは原理。それはエネルギー。
愛は、この世界の存在理由。 どんなに辛く苦しくても
どんなに理不尽に打ちのめされても
醜くても、絶望しても
それでもまだ、「生きて」と
あなたの背中を押す何か。 日常生活において霊的真理の意義を生かした生き方をしていなければ、自分たちを「スピリチュアリスト」と呼んでみても何の意味もありません。
大切なのは、自分たちはこういう者ですと名のることではなく、実生活において何をしているかです。 世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。 愛の意識で、人間のが変えられるのなら
戦争は起こらないし、続いていない。
愛で弱者が救われるのら、飢えで死ぬ人はいない。
口先の愛。自己愛、自分が尊敬されたい愛なんて...虚しい 真理の言葉によって、
他人から批判されることを恐れるな。 愛は感情ではない。
愛は優しさではない。
愛は善も悪も生み出す。
愛はあらゆるものを生み出す。
素粒子の存在を支えるもの。
ビッグバンの基礎となったもの。
時間を継続させるもの。
この宇宙を、今正に創造し続けているもの。 愛は感情ではない。
愛は存在の肯定。
それに寄り添うこともできる。
そうすれば豊かな満たされた世界が訪れるだろう。
それに刃向かうこともできる。
そうすれば、やがて飢え縮んで、世界から
消え去っていくだろう。 愛は観察。愛は疑問。愛は好奇心。
愛は開かれた心。愛は自由。愛は共感。
愛は共有。愛は満たすもの。
人に与えることで、神はあなたに与える。
人を愛することで、神はあなたを愛する。 あなたは、愛されている。
あなたは、次の瞬間も、存在する。
あなたは、この世界を愛している。
だから手放せないのだろう?
だから、旅立たないのだろう?
愛は全て。愛はあなた。愛は満たすもの。
あなたの存在を、形作る。 愛とは、この世界の存在を肯定するエネルギー。
また私たちは、人がそれに寄り添う態度のことも
同様に「愛」と呼んでいる。
そして、存在を否定する態度を「憎しみ」と呼ぶのだ。 ごん..やっぱり馬鹿です。
神の真理では、
愛は欲望であり、砂糖のようなもの。
騙された易い「ごん」のような馬鹿に、悪魔が好んで利用する。 友よ、同感だ。
しかしあなたは愛について語っているのではなく、
嘘と不善について語っているのだ。
愛はそういう次元には探せないであろう。
なぜならば、愛はまさに、善と不善の全てを包み込んで、
この世界の存在を肯定しているからだ。 西の国では今日も子供が奴隷になり、
東の国では今日も女が売られている。
神はその全てを知っている。
知っていてやっているのだ、もう140億年。
神は言う。「在れ」と。
だから私たちは、生き、喜び、悶え、苦しみの底に落ちる。
愛はその全てだ。神は言う。「在れ」と。
神は、その全てを知っている。人間一人ひとりの、
私のまたあなたの、小さな胸の内の全てを。
神は恵まれた人の喜びに微笑むだろう。
そして、今正に飢え死ぬ小さな子供の身の内にあって、
その絶望を共にし、その冷たさに血の涙を流すのだ。
もう140億年やっている。
それでも、「生きて」と叫ぶ。 だから君は自分や他の人たちを、
大切にしなくてはいけないよ。
もちろん、君にできる限りの範囲でね。 >>564
貴方が言うのは愛情だ、愛情は欲望と私利私欲なる悪魔のような魅惑だ、それは肉欲であり真理ではない、
愛は ただ在るだけだ。
肉欲に愛などない。 人生目標として、
愛の追求という愚かな偶像(悪魔意識)は持つな。 愛と愛でないものを分けるのは愛ではないとクリシュナムルティが言ってましたな >>574
クリシュナムルティは 死ぬ前に 私の話しを聞いても悟れないよと欺いたんだよね。 高名なグルであるラマナマハルシも
「来て去る神は神ではない」と述べた。
生憎彼は、すでにこの世から去ったわけだが。 マザーテレサについても同様だ。
彼女は信仰を具体化したが、その裏には
キリストへの絶望と心の渇きがあったことが
後に明らかになった。 クリシュナムルティは病的な嘘つきだった。
バグワンラジニーシは最終的に、アメリカから
強制退去させられた犯罪者だった。 現実的に考えて、ナザレのイエスは不義密通によって
生まれた子供であっただろう。
ブッダは自分の国を守らなかった。妻も民も、
彼の身勝手な知性主義の犠牲となった。 人は自分の目に見えるものだけを見ようとするものだ。 不毛だよ、こんなことは。
何を信じ、何を解するか。
それは私たちの心に委ねられているのだ。
もしあなたが賢い人なら、心を開いておくがいい。
それは実り多い。
だが自分の知る事実と他人の知る事実に
食い違いが
あるからと言って、それを一致させようなどとは
思わないことだ。
何が真実で何が偽りか。それを自分自身の中で
見極められたなら、それだけで十分ではないか。 EO氏イズム...びっくり、何これ..
こんな言葉あるの。。知ってる奴は、病気ですね。 >>582
あんたも充分 病気だよ、自覚なしか。笑笑 EOというよりダイジっぽい
別にいいけど
でも道半ばの人が惑うような言い方はしない方がいいかな 愛を否定するものは 真実の愛に達していない証拠だ。愛に到達できたものは愛を決して否定しない。何故なら 愛そのものが実在でそれ以外は何も無いのだから。 わたしもあなたも無い、無いも無い、だが、愛だけが在る。 ちょっと聞いていいですか?
愛が在るということを、ごんさんと名無しの方が使用していますが
これは何かの本に書いてあったのですか? >>588
体験でしかない。
体験でしか説明不可能、
霊的太陽が向かい入れたとき 貴方は消え去る。
だが、また再び 夢に引き戻される、肉体と言う
檻がある限り。 >>589
どもです。
体験ですか
でも、体験からなら同じ「愛が在る」という言葉にで表現するとも限らない気がするんですが
体験するとみなさん愛が在るという言葉を使用するんですかね
別の表現方法も考えられる気がするんですが >>590
閃光な白光体とでも言えるかな、
ダイヤモンドの原石とでも言える。 愛という言葉の定義も人それぞれ違うし、愛が在ると言っても同じことを言ってるのかわからないよね
別に愛という言葉を使わなくてもいいし、愛が在るとき愛が在るなんて言わなくてもいいかもしれない >>591
なるほど。ありがとうございます。
変な質問してすんませんw >>592
ネットの文章だけじゃ本当にわかってるのか?ってのが率直なところです。
必ずしも言葉にできる人だけが知ってるわけでもないでしょうし。 わかってないで言ってる人も多いでしょ
他人の言葉を自分のことのように言いたかったり、自分の願望から言ってしまったり
その人の体験、境地からその言葉を言ってるとしても、体験境地にも違いや深さがあるよね
体験が浅いのに言ってしまってる人の言葉は、そこを通過してる人にはわかるもんだよね 今も、NHKでシリア難民の放送があった。
多くの子供が殺されている。
愛情主義者ども、お前はどうするの...
神様に祈って、解決すればいいのに...
わたしは、愛に包まれたと喜ぶ時間があったら、
虐殺された子供の魂を、天国へ成仏させてやれ...
無意味な自己愛を放棄しなさい >>596
それは 私たちがどうこう出来るものでもないし、関与するものでもない。
そう見せられて 何とかしなければならないと
思い込ませられているだけだ、
貴方はその現場をその場で見て来たのか?
それこそ 無惨だ、可哀想だ、と言う自己愛ではないのか?だったら、まず 自分を救ってから言え。 >>588
万教同根という言葉がある。
教えは数多あるが、真理はひとつ。
あらゆる宗教道徳神秘は、突き詰めれば
同じ所に行き着く。
愛については、キリスト教に知見が多い。
聖書にもある。預言者が神に名を尋ねると、
神は答えた。「私は"在る"というものだ」
ヒンドゥ教の経典の中でも愛は重視される。
ヨーガの偉大なグル達は愛を「あるがまま」という
言葉で表す。
仏教徒は欲望を嫌うので、愛を隠そうとするが
最終的には
様々な教えが愛について語る。
それはつまり、真理だから。 おや?
仏教徒も最終的には入鄽垂手ということになる。
まあ方便としては、そんなことはない、と
言わざるを得ないが。 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、
内心はさながら夜叉。
常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。
ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。
これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、
それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。 >>600
素晴らしいじゃないか、うぬぼれと高慢だと言う思いを貴方にみせてくれている。
その概念が貴方の中にあると言う鏡の役目を果たしてくれている。
それに気づいていればいいだけだろう。
何かそこに問題でもあるのか? 俺とお前では、天と地の差があるな。
悔しかろ?だが事実だぜ。 >>604
俺とお前ともは、天と地の差がある。
知識はゴンが上ですが... >>598
宗教のlことよく知らないので助かります。
どれも行き着く先は同じなんですね。 ◆ 本物と偽物の世界とその違い
死後の世界そのものが、非常に疑問です。
「愛」「死後の世界」「天国」「地獄」これらはすべて
人間の「欲と支配」「恐怖」「エゴ」のよって作り出された
思いの濃い、妄想世界。
「神の真理」の言葉は
「未来」「可能性」「自由」「制約」「工夫」「共同」「成長」「慈悲」「関連」
によって作られた、創造と自由に満たされたな、思いの純粋な無色透明な世界。
この違いわかりますか。
つまり偽物言葉を使う人は要注意です。
◆ 嘘をつく利益と損失
自分につく嘘は、一生自分を苦しめる。
神につく嘘は、無意味でなんら効力がない。
他人につく嘘は、場合によって利益を得るが、得た利益は短期的に消えやすい。、
その嘘がバレることから不安が生まれ、嘘がさらに嘘を生む肥大化が起こる
そして、
逆に他人から与えられた真理の言葉さえ疑うようになり、
そのことで、生じる無駄な時間の損失は、非常に膨大になる。 >>608
貴方は本物と偽物と区切る時点で二元の視点で分離して物事を見ている、それぞれの認識の差はあれど、そこに区切りなどないんだよ。
天国と地獄の境もないの、 >>609
これも思考でものごとを判断している。
ジャッジは二元の視点だ。 損失だろうが、利益だろうが、嘘だろうが 誠であろうが、全てが学びだろ。嘘があるから真実があるんだろ。騙されて 本物を知るんだろ?
分けようがない。判断するのは思考だ。 >>610
本物、偽物という言葉を定義することを恐れる、おバカさん。
二元論を否定する自分に酔っていることに気づけ。
その心は、悟り、空、中道という言葉によって支配され
それに反することを恐れている。.....
3流の悟りとは、悟りという言葉に恐れ、そこから離れる自分に恐れる。
◆ 認識という真理を知れ
考察とは、2点の意味の対峙によって意識され、
3店の関係によってその性質’存在)が明らかになり、
4点の三角錐によって3次元の立体構となりることを知れ。
◆ 認識の真理を知れ
意識を高めることは無になることではない。
無や空という言葉、
現実の実態は、いつも変化することを述べたに過ぎない。
実際の思考において、その変化がかに生じるかを
誰一人、(道元さえ)明らかにできなかった。
そのため、間違った欲望意識が、幽霊のように彷徨う。
すべては、1 に始まり
2 によって、互いに引かれ、反発し
3 によって、一つの関係、弱い結合と強い結合が生まれる。
4 によって、はじめて空間で機能が生まれ
多次元の関係によって、その価値は決定する。
価値の変化は、この結合の崩壊と再結合によって生まれるもので、
基準点そのものは消滅しない、 囲碁を学び強くなると、この意味が思考体験として認識できる。 横暴を振るものに対しては、横暴が許される。
それだけだよ。
ここは匿名掲示板だから、その場に相応しい
コミュニケーションというのはある程度定まってくるだろう。
リアルと5ちゃんねるは違うし、そうだなぁ、
例えば5ちゃんねると爆サイも違うよね。
相応しい場所を選びな。君がよほど好きものでないのなら。
他人のことなんか気にしてると、時間を無駄にするよ。 >>610
天国、地獄..
人間の欲望と恐怖が作った言葉...
存在しない言葉は、真理の考察から除外せよ。(創造の場合は使用OK) >>613
ちゃんと読めよ。二元論を否定してなどいない、貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけと書いただけ。
無とか空は言葉ではないぞ?善悪と言うのは
全てが学びであって、判断するのは思考であって 全て許された世界なんだ。
わかるか?だから 良いも悪いも境界線と言うのはないの。頭が堅いぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています