年長者・エルダースピリット
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>>467
そう。でもそれが常に、深い思惑というわけでもないんだよ。
他人を操作することで安心する人間もいるから。
自己効力感というのかな・・・ほんの些細な扇動でも良いんだ。
他人を支配している感触を得ることで、千切れそうな自分の心を
繋ぎ止めているんだよ。
信念の無い悪意は、時に最も厄介なもの。
人間は弱い。そして自分自身の毒と穢れの中で溺れてしまうものだ。 >>469
その通り、自分で確かめていくことが大事だ。
「理解」と「信じる」の間には、実は大した差はない。
子供は何でも信じるものだ。
そして信じる事が少なくなってくると、それを「理解」という。
一般には別ものだと思われているけれど、私に言わせれば
オタマジャクシとカエルの違いでしかない。 >>471
誰かが見てるという意識だけで、
人間は大きく変わる。 ごんもヒマそうにしてたけど相手があらわれてよかったな >>472-473
全くだ。尻尾が無くては掴めないからな。 罪の子。
俺はお前を憎みはしないよ。
俺はお前に怒ってはいないんだよ。
溺れた人間は必死で、自分が何を
しているかなんてわからない。
そんなの当たり前じゃないか。
そして差し伸べた手はめちゃくちゃに掻き毟られ
君は救い上げるはずの腕は血まみれになって、
千切れて落ちて消えてしまう。
君は相変わらず溺れていて、俺はどうすることもできずに
その君をずっと上から眺めている。
だけど、たった一瞬でさえ
君を憎んだことなんてなかったんだ。 いつか君を救うだろう。
それが今でなくても。
来世かもしれない。
もっとその先かもしれなくても。
私はそのチャンスを待っている。
私はそのタイミングを、見逃さない。
今は何もできなくても。
今は君に、恨まれていても。 でも、あまりこんなことを言っていても
あなたを悲しませるだけでしょう。
だから、やめたの、私は。
私は、悪魔でいる方が…
今はその方が相応しいのよ。 "なぜかは知らず 生きている以上 生きものの味方をして"
https://youtu.be/07pqC7yjQ_c なんかつまらんときってどうすればいいと思います?
目標があって取り組んでるときは楽しいんだけど
ゴールが見えてくると途端につまらなくなって。 変化は生理的に必要なものだ。
食欲や睡眠欲と同様に。
君はもう飽きている。
慣れ親しんだ自分の行動パターンに、いつも通りの
退屈な「挑戦」に。
それは、本当の変化ではない。
完全に新しくなるためには、一度死ななければならない。 例えば、そうだな…計画を立てて何かを
遂行するというよりも、行ったことの無い場所に
あてもなく行ってみたり、やったことのないことを
勇気を出して試してみたり。
こういうことの方が重要だ。未知や課題。
ある意味で受動的な変化が必要なんだよ。
自分が何をしたいのか、それすらわからないのなら
フォーカシングをしてみると良い。
願望のない人間はいない。
しかし大抵は、胸の中の真の願望と、
頭で思い描いた「べき」の願望はミスマッチだ。
やりたくないことをやっても、
長続きしないというのは道理だ。 コミュ力が上がる、すごいエネルギーが体から湧いてくる。
不安が常に軽減される
本質的な身体能力が上がる方法があると聞いたらどうしますか?
http://goodlg.seesaa.net/article/455861872.html >>482 >>483
言葉に中身がない。空虚。羅列..
目的がない。 思いのほか賢い人が居るようだから、少し質問でもしてみようか。
梵天勧請。
修行の末あらゆる執着を手放し、涅槃の境地に至ったはずのブッダ。
その偉大なる解脱者がどうして、尚も弟子を取り、それを教え導き、
あまつさえ広く民衆を教化しようなどと考えたのか。
結局、執着しているではないか。一体何への執着の為に、未だ彼は
本当の解脱者になれず、俗世にしがみついているのか。
この問いに答えられる人は? >>489
それは執着ではなく、大いなる愛だからですよ。 自他がなく心身から自由なとき行為に執着はないよ
心身がただ心身のままに継続するだけ
それがわかってない他人からみるとその人の執着に見えるだけ
悟っても肉体はあるしそこに心身があるからその活動は継続する
それはただの心身で自分ではないけどね
クリシュナムルティは悟っても個性は残るという言い方をしてたね
それからごんは自分が完全に悟るまであまり他人を試さないほうがいいだろうね キリストはここから戻っていったのだと、
だから救世主と呼ばれるのだと、
そこで大感動するのです。
弟子は師と同じ道を歩むのです。
「もはや、わたしはあなたがたを僕と呼ばない。友と呼ぶ。」 男性において不全感は野心を生み出し、
それによって悟りに至るものだ。
女性において不全感は嫌悪を生み出し、
それによって悟りに至るものだ。
これは不全感が生命の木の、枝葉で作用するか、
それとも根幹で作用するかの違いである。
男性の不全感は遠くに行こうとするが、
女性の不全感はまとわりついているのだ。 >>475 476
私の大事な人からのメッセージだと思いました
書いてくださってありがとう >>489
まとわりついていた執着と一度すべて払い落とすことで
自分自身が本来持っていた大切な執着を見いだせたんじゃないですか?
執着を手放すのは最終地点ではない。 >>483
>>482
無計画で動くことは今私が求めている刺激だと思います。
とことんやりだすと強迫的になる癖があって、他のこと全部どっかいっちゃうんです。
だから、ぐだぐだしてるときも気分転換とかがうまくできずに調子が狂ったり。
うむむ、確かに願望のミスマッチは考えられます・・
息抜きしつつ、一度見直してみます。。 >>496
何かが伝わったのなら、それは良いことだ。
>>497
不要なものが削れ落ち、必要なものが残った。
控えめだが的確な捉え方だ。
>>498
走り続ければ良い。壊れない限りは。
壊れたら止まるしかない。止まりたくはないものだ、誰だって。 ここの議論は、
園児が必死に、かっこつけて走ってるので、
親から見えれば、危なっかし限りですね。 子供は駆け回るもの。
それを止めようもない。
そして時には命を落とす。
が、それを止めようもない。
結果ばかり見ていると、今を見失う。
不安か。怖いか?それで良い。
正味我々は、いつでも死に瀕しているのだから。
だがそれを、止めようもない。 自分を手放すということは、女性より男性の方が簡単だ。
男性は元々枝葉の生き物で、自己の根幹に興味が薄いからだ。
だが、女性に「手放せ」と言おうものなら、大変な抵抗が
待っていることだろう。
同様に、余計なことを忘れることについては、女性の方が簡単だ。
女性は元々根幹の生き物で、枝葉のことに興味がないからだ。
一方で男性に「いちいち気にするな」、「今はそれは忘れろ」と教えても
男性は中々そうはできないのだ。 女性は許してやることが大事だ。
男性は賞賛してやることが大事だ。
どうだ、簡単だろう。
この至極簡単なことが、人を育てるコツなのだよ。 >>504
本当に、そうですね。
何故、わかるのですか? >>502
男性の良さと女性の良さを両方手に入れることはできませんか?
そのような無謀なことはしないほうがいい? >>505
肉体の構造と、精神の発達の仕組みから。
このようなことは医学を通して、学者たちが長年研究してきました。
>>506
両方の良さを手にすること。正にそのようでなくてはなりません。
一人の人間は皆、肉体の中に男と女を住まわせています。
男は智慧、思考、適応です。女は創造、感情、活動です。
人間の背骨は女、その肉と手足は男。
どちらも理解し、どちらも上手く使いこなせているそういう人こそ、
完全な「自分自身に出会ったことのある人」だと言えるでしょう。 >>507
ごん...馬鹿です。馬鹿の答えは、漫才のネタです。
ただ、間違ったことを書くのは、将来に問題を生みます。
ゴンは投稿する時、自分の高慢と馬鹿を自覚しなさい。
>>507
男と女の関係は、
@ 男は女を、力(腕力)で奴隷にとして支配し、肉体を求めることで、
満足を得ます。
しかし、これでは満足が得られるのは1頭になります。
他の雄は、女を「腕力で支配しようとしてもより強い雄(男)に殺されます。」
このため、隠れて女の気を引く、「女の心の奴隷」になることで、その快楽を求 めようとします。
A 女は、男を肉体で引き寄せますが、強い雄が自分にとって危険でもあるので す。また強い雄は、若い肉体を好むのです。このため、年齢が行くと
男を引き寄せることができなくなります。
自分にとって、安全に男を引き寄せようるため。
化粧、若い肉体の保全、色気が必要であり、女の闘争の武器になります。
また、愛という言葉をちらつかせ、自分に危害が及ばないように
男の心を矯正し、女は「愛」と「美」を追求するで、
自己愛を達成しようとします。
◆ 女の男選択
男の中で、女から見て
金、権力、知性のない馬鹿男は
この世から無視される。
こういう弱者の生きる道は、
「女の愛の奴隷」になって女に好かれようと必死になる。
しかし、多くの女は、金と権力に引かれるのです。
簡単にいうと、軽の車より、フェラーリに乗るのです じゃあ問題ないじゃん。
馬鹿男が愛の奴隷になっても、結局女には
相手にされないってことでしょ?
そのまま放っておけば馬鹿男は遺伝的に駆逐されて
win-winじゃないか。
やぁ、素晴らしい。世の中って上手くできてるね。 >>511
システム問題は、もともとないのです。
自分と社会との関係で、
自己愛の損得をどこにおいて、社会と妥協し
選択しながら、自己の欲望を達成する、
個々の自分にとってもっとも有利であるかでしかないのです。
これが、全体として天国の環境を作るのです。 じゃあ俺は好きにやれば良いってことだな!
やっほい!! >>513
神でも、あなたに命令はできません。
いかに自由にいきるかが、人間の運命なのです。 人類。賢い猿。論理の終焉。
「人類が存在しなければいけないことの論理的理由は?」
「この宇宙が存在しなければいけないことの論理的理由は?」
「あなたが存在しなければいけないことの、論理的理由は?」
女にとっては容易く、それでいて男には難しい問いがある。
論理の終焉。論理の解体。論理の変形。論理の新生。
両性的な思考。次の時代の新しい知性。 >>517
答え
人類...道具や材料があっても使う人がいる。
宇宙...存在には空間。認識には確定がいる。
あなた... 一人ではなく、複数でないと機能しない。 >>519
人類 なぜ使わなければいけないのですか?使わなくても良いのでは?
宇宙 認識する必要はありません。
あなた 機能しなければならない理由は? >>520
反論する場合は、よく考えてからにしなさい。 考えるまでもなく、あなたには答えられないことが
わかっている。
あなたに限らないよ。人類の誰も、この問いに論理的な
答えを提示することはできない。 >>522
下からは、上はわからない。
馬鹿もほどほどに... >>523
答えられたら認めてあげるよ。無理だけどね。
生身で大気圏外に行ける?行けないでしょ。それと同じ。
この問いには人類の誰一人、答えられない。
そういう仕組みだから。
子供でもわかる道理さね。 >>524
遊びたいだけなら..一人でどうぞ... >>525
最初からそう言ってるだろう。
君に、俺を分からせる技術は無い。
無意味な口出しは止めるんだな。 正しくは人類に答えられるか答えられないかは人類にはわからないであって
人類には答えられないというのは間違い
応えられるか答えられないかは人類にもごんにもわからない >>527
観測技術の問題として捉えればそうだ。
しかし私が言っているのは、論理という概念の構造それ自体に限界が
あり、論理では回答不能な課題を創出することができるということだ。
つまりこの問いは、構造上絶対に、論理的に回答することはできないんだよ。
人類であろうと、宇宙人であろうと、異次元人であろうとね。 「この世界が存在しなければいけないという理由は?」 論理的に回答不能かどうかを論理的に回答不能でしょ
絶対はないという論理に絶対はないと絶対に言えるか?というのパラックスと同じだよ
目で目を見ることはできない
人類に人類が何であるかはわからない
だから人類に答えられるか答えられないかはわからない
悟った人のようにもはや人類でなくなったらまた話は別だけどね
ごんがもう少し我が取れたらわかるよ >>530
そして私たちは深刻なパラドックスに落ちてしまう。
人類に答えられるか答えられないかはわからない、
「かどうかはわからない」。
人類には答えられないというのは間違い、というのは間違い。
というのも、実は間違いだ。ここから先は無限退行して、
結局最初から何も言っていないのと同じことになる。
ほら、賢いでしょ?私はこういう無意味なトートロジー、
ドングリの背比べが実に好みでね。
だけど今は、そういう話をしているんじゃない。
「この問いには論理的に回答できない」、つまり
「この問いに論理を差し向ければ無限退行に陥る」、つまり
「この問いに対して論理は無力である」
伝えたいことはここまでで十分だ。 まあ好きにしたらいいよ
言いたいことがあるうちは言ってしまうしね 人間の猿知恵など所詮幻想だ。
言葉と鳴き声の間の境界線は実在しない。
私たちは、ただその場の感情に浸って音を発しているだけ。
論理は美しい嘘だ。美しいが根本的に何ら意味を持たないそれは、
私たち人類の中における「男性」という存在と全くよく似ている。
神は論理の中で死んでいる。だが、本当は死んだわけじゃない。
ただ単に、人間の小さな論理の世界がまとわりつくのが
うっとうしくなって、それを脇にどけただけだ。 他人の自意識を操作し、精神を絡め取る。
そんなものはただの技術と知識だ。
重要なのは動機。その技術を何に使うのかということだと思う。 「存在している」なら
「存在する理由にに、必要な条件を考える」
「存在することで起こる問題を考える」なら意味があるが、
すでに存在しているのに、
「存在しないければならない理由」を考えて何になる。
自慰行為 論理というのは、
パラソックスにならないように考えることであって
パラソックスを考えて遊ぶことではない。
>>536
半分は正解だね。矛盾を回避しなければならないが、
論理そのものが矛盾を抱えていることに気付かねばならないよ。
ちなみに、ファンタジーの世界は矛盾無しに拡大していくことが可能だ。
設定を追加すれば良いだけだから。
普遍的な真実との整合性を検討しないとしたら、それは論理というか、
個人的な幻想、妄想の類いだ。そんなことを言っていてもしょうがない。
まあ、やるなら一人でどうぞ、と言った所だね。 >>535
そうだ。論理など無意味な幻想だ。
既に存在している。
論理はその事実そのものに対して、何も言うことがない。
せいぜいそこにコテコテと別のものをくっつけていくだけ。 コテコテくっつけていくだけ。それはただの遊びだろ?
君がやっている知識の体系化だってそうだ。ただの遊びだよ。
俺がやっていること。これももちろんそうだ。ただの遊び。
だから、そんなことに大げさな、自分自身の知識体系なんて
必要ないな。意味無いもの。 体系化と、遊びとは大違い。
自分ですれば、能力差は歴然。
簡単に見えても、あなたには不可能ですよ。
あなたが、体系化しようとしたら、
A4で最低で1万枚以上かかりますよ。
ひっとすると10万以上書いても、きっとできないでしょう。 1万メートルの上からみれば、下の様子は人目でわかるけど、
下からみても、山の上の様子も自分の周辺もわからない。 あなたも、神の真理という法則を、
自分の経験と心の中から「100000」ほど抽出し、
立体曼荼羅として自分の魂を中心にして、
意識の世界に配置してください。
そうすれば、私の言葉の真偽が解るでしょう。 >>541
下から見ても上の様子はわからない。その通り。
だから、そんなことを気にしてもしょうがない。
小池のカエルに、人間の貴族の生き方を説いて何になる?
カエルはカエルのペースで進化していくのだから、放っておけば良い。
自分のことをしっかりやるだけだ。
上とか下の世界を気にする時間など、無駄なだけだ。 >>540
全くもって、私には不可能だ。
一生やらないだろうね。興味も無いし。
それで、そうだな、君がその体系化とやらで貴重な時間を
無駄にしている間に、私はこの世の素晴らしい物事を、
様々味わい尽くすこととしよう。
では賢者よ、そういう役割分担でよろしく。
体系化は君に任せたぞ。私は遊びに行ってきます。 愛は全て。
愛こそ世界の存在理由。
愛より大切なものなどない。 ◆ 愛という魔物の世界
愛は麻薬です。得に相手の思考を停止させるには最も効果的です。愛に助けられ、愛に癒され、愛を求め、やがて愛に溺れる。思考停止。
必死で生きるべき魂が、
生きる屍となって、天国という牢獄で、
愛の奴隷として永遠に暮らす。
愛を癒しの手段として理解し、
捉えること自体が間違っているように思える。
愛の目的は癒しではなく、
相手を理解しようとする意思であり
相手に関心を持とうとする意思をいう。
その行為によって、高慢な魂は、勇気を与えられたと錯覚し、
弱者は自己愛が癒されたと錯覚するだけである。
愛を唱える連中らは、
この1年で、
カンボジアにいくら献金したのだろうか?
国境なき医師団にいくら献金したのだろうか?
献血を何回したのだろうか?
反戦の平和デモに参加したのか
今まで、何回ボランティア活動に参加したのだろうか?
また、老人ホームの慰問に出かけたことがあるのか?
口先だけの愛ではなかろう。 自分は霊性が高いと、自慢している愚か者。
自分の嘘に気づいているのか?
自分の自己愛の醜さに、気づいているのか?
自分は霊性が高いと、自慢している愚か者。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永いあいだ迷わせてきたようです。
実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、
それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。
祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い選ばれし者の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。
問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。 愛は優しさではない。
愛は感情ではない。
愛は善でも悪でもない。 愛は存在の肯定。
愛は酸素。それは原理。それはエネルギー。
愛は、この世界の存在理由。 どんなに辛く苦しくても
どんなに理不尽に打ちのめされても
醜くても、絶望しても
それでもまだ、「生きて」と
あなたの背中を押す何か。 日常生活において霊的真理の意義を生かした生き方をしていなければ、自分たちを「スピリチュアリスト」と呼んでみても何の意味もありません。
大切なのは、自分たちはこういう者ですと名のることではなく、実生活において何をしているかです。 世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。 愛の意識で、人間のが変えられるのなら
戦争は起こらないし、続いていない。
愛で弱者が救われるのら、飢えで死ぬ人はいない。
口先の愛。自己愛、自分が尊敬されたい愛なんて...虚しい 真理の言葉によって、
他人から批判されることを恐れるな。 愛は感情ではない。
愛は優しさではない。
愛は善も悪も生み出す。
愛はあらゆるものを生み出す。
素粒子の存在を支えるもの。
ビッグバンの基礎となったもの。
時間を継続させるもの。
この宇宙を、今正に創造し続けているもの。 愛は感情ではない。
愛は存在の肯定。
それに寄り添うこともできる。
そうすれば豊かな満たされた世界が訪れるだろう。
それに刃向かうこともできる。
そうすれば、やがて飢え縮んで、世界から
消え去っていくだろう。 愛は観察。愛は疑問。愛は好奇心。
愛は開かれた心。愛は自由。愛は共感。
愛は共有。愛は満たすもの。
人に与えることで、神はあなたに与える。
人を愛することで、神はあなたを愛する。 あなたは、愛されている。
あなたは、次の瞬間も、存在する。
あなたは、この世界を愛している。
だから手放せないのだろう?
だから、旅立たないのだろう?
愛は全て。愛はあなた。愛は満たすもの。
あなたの存在を、形作る。 愛とは、この世界の存在を肯定するエネルギー。
また私たちは、人がそれに寄り添う態度のことも
同様に「愛」と呼んでいる。
そして、存在を否定する態度を「憎しみ」と呼ぶのだ。 ごん..やっぱり馬鹿です。
神の真理では、
愛は欲望であり、砂糖のようなもの。
騙された易い「ごん」のような馬鹿に、悪魔が好んで利用する。 友よ、同感だ。
しかしあなたは愛について語っているのではなく、
嘘と不善について語っているのだ。
愛はそういう次元には探せないであろう。
なぜならば、愛はまさに、善と不善の全てを包み込んで、
この世界の存在を肯定しているからだ。 西の国では今日も子供が奴隷になり、
東の国では今日も女が売られている。
神はその全てを知っている。
知っていてやっているのだ、もう140億年。
神は言う。「在れ」と。
だから私たちは、生き、喜び、悶え、苦しみの底に落ちる。
愛はその全てだ。神は言う。「在れ」と。
神は、その全てを知っている。人間一人ひとりの、
私のまたあなたの、小さな胸の内の全てを。
神は恵まれた人の喜びに微笑むだろう。
そして、今正に飢え死ぬ小さな子供の身の内にあって、
その絶望を共にし、その冷たさに血の涙を流すのだ。
もう140億年やっている。
それでも、「生きて」と叫ぶ。 だから君は自分や他の人たちを、
大切にしなくてはいけないよ。
もちろん、君にできる限りの範囲でね。 >>564
貴方が言うのは愛情だ、愛情は欲望と私利私欲なる悪魔のような魅惑だ、それは肉欲であり真理ではない、
愛は ただ在るだけだ。
肉欲に愛などない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています