年長者・エルダースピリット
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手強い敵。 手強い敵が用意されることの中に、神との距離を感じた。 つまり隔たりと言う名の、繋がりを。 もっと高い所へ、私は呼ばれているのだ。 相手の一挙手一投足が憎しみに鈍る最中に、 私は彼の目の燃える黒色を自分自身の心の 内容物として、精神の深淵を映す一種の 澄んだ鏡として、覗き込み見透かした。 敵を屠り、結果として私の側が生き残った後で、 私は神から与えられた機会に感謝し、敵の為に祈り誓った。 あなたの命の重さの分も加えて、私は先に進まねばならない。 そしていつかこうした残酷な戦いを、私たちの手で 終わらせるだろう。いつか敵同士ではなく、 友人として出会える日に。 私がまだずっと若い頃、この星はそんな風だった。 オーストラリアのユーカリは、土地柄、雷から頻繁に生じる 山火事を好むらしい。 火に包まれると開く種を持っていて、他の植物が火災で 軒並み駆逐される頃、ただ一種のうのうと、その焼け野原に のびのび新しい種を撒き増えていくのだとか。 火と共存して、それを利用しているんだな。興味深いよ。 そして人類もまた自然の一部だ。 地球は我々に何かを望んでいる。 ガイア理論か 地球は人類を、自然を蝕む害虫だと思っていないだろうか? さあ、どうだろうね。 ちょうど今は花粉症の時期だけれど、 私たちも自分自身の免疫能力を嫌ったりする。 元々の意味からずれて、望ましくなくなることは あるだろう。 小さなレベルでは、修正は常に行われている。 人間に対して最も効果のある自然の特効薬は、 人間だよ。 あまり世間のつまらない流れなど気にするな。 疲れるだけだぞ。 ちゃんと自分自身の意味のあることをやっていくんだ。 https://youtu.be/msCOLv8B_Jo 人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。 だが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。世のすべての書を読みつくしても、人はいぜん無力です。 それに至る道はただ一つ、日常の貴方の生活のみです。どんなに願い、憧れ、欲求しても無駄です。肝心なのは人類への現実の奉仕です。 どうか、自分のなすべき物質界の事にベストを尽くされるよう。 そう。先ずは呼吸、睡眠、栄養。それより早い近道はない。 ムラダーラ(会陰)からサハスララ(頭頂)へ至る精神の道。 生命は、維持、複製、増大、共感、協調、洞察、解放という 7つのステップを経て解脱に至る。 伝統的な宗教的世界観の中で生きる人々は、ただ単に健康であれば、 下の段階から自然な流れで上へ上へと登っていく。 が、そうした霊的知識の失われた現代の日本人の場合は、 大抵この流れがめちゃくちゃになっている。 正常なピラミッド構造を回復するために、弱っているチャクラを 調整してバランスを整えてやるというのが、霊的な治療の一理論である。 グラウンディングはムラダーラに、呼吸はマニプラに、 歌はアナハタとヴィシュッダに、分析法はアジュナーに。 対応するワークのレパートリーが豊富であればあるほど、 複雑な調整が可能になる。 が、未だ不完全だ。私ははっきり言って、全ての精神病、 全ての霊的障害に対応することはできない。 何かもうすぐ死にそうだから一応教えとくわ。 あとは君らで上手いことやってくれ。 ・自然に触れること(散歩) ・栄養 ・睡眠 ・丹田呼吸 ・エンディングノート又は遺書を書くこと ・瞑想(止行) ・体操/運動 ・アファメーション ・鉱石を学び用いること ・SITH ・奉仕活動 ・瞑想(象徴) ・ただ単に話をさせること ・フォーカシング ・歌を歌うこと ・瞑想(観行) ・傾聴を身に付けさせること ・和法 ・二面分析 ・様々な生物の生態を学ぶこと ・各種の聖典に通じること 挙げればいくらでもある。チャクラそのものの性質を知っていれば、 あらゆる事を治療と修養に応用できるよ。絵を画いたり、映画を見たりね。 君の工夫次第だ。その点を忘れないように。 所詮人間の身体は儚いから。 それに俺は宿り木みたいなもので、生命力を奪ってるからね。 身体の方はいつも早死にしてるよ。 ごんさんの話は興味あるんだけど 何を聞いていいか、教えてもらいたいかがわからん。 知識不足でどこから手を付けていいかまったく ごんさんにみんなに何を言いたいのか何をおしえたいのか聞いてそれをおしえてもらったらいい 聞きたいことを聞けば良いよ。 幸せになる方法でも、死後の世界でも 人から好かれる方法でも何でも。 聞きたいことがないなら、それは今はまだ 縁が無いのさ。 でも多分、そうだな、こう言っておこう。 大事なのは私の知識ではないし、この世界の 平和や、神の真実などではない。 そんなものはどうでも良い。そんなものは。 大事なのは、あなただ。あなたの哲学のテーマは、 常にあなた自身だ。あなた自身のこと以外は、 どうでも良い。 西暦2018年、人間として生きていたあなたは、 どんなことを知りたかったの? 確かに学校やセミナーでは、聞いて良いことと 悪いことが予め決まっているのだろう。 しかし真理は、生きている知識は、 もっとずっと柔らかいものだ。 そこにおいて答えは重要じゃない。 何故ならそれは、作られていくものだから。 質問と応答によって生きているんだよ。 音楽みたいなものだ。 音楽には難しいテーマもあれば易しいテーマもある。 しかしどちらがより良いとは言えないね。 どちらも良いものだよ。 指導者や教育者なら、先ずラポールを取ることを第一優先に考えろ。 取っ手のないドアは開けられない。 手綱のない馬は操れない。 だから、他人を尊重しろ。理解できないにしても、別の事情ややり方、 別の環境や別の生き方があるのだと把握しろ。 そうすれば、信頼される。 日々、愛を試してみよう。 自らが愛を持てるかどうかを。 目の前で言い争いをしている人たちが居たら あなたはどうすれば良いか? 穏やかにコーヒーでも飲んでいるのが一番だ。 関わらず、さりとて無視もせず。 大した問題ではない、という風にね。 人は空想の中の悪魔をもて遊ぶものなんだよ。 そして空虚な悪魔は、実体を得るために 物理的な証拠や、周囲の人間のリアルな 怒り憎しみなどを好むものだ。 何でも学びだよ。無駄なことはない。 良い教材として使う意識を持つことだ。 >>447 どちらか一方を手助けしたくて仕方がない時どうすればいい? それもよくないかな? >>448 どちらか片方に加勢すれば、対立は悪化する。 対立している人々を調和させるための 最短距離という視点で考えると良い。 多くの場合、最後まで戦いを完了させることが 最善だ。どちらかが余りにも傷付くようなら 法律や社会秩序を理由に、双方を引き離す必要はあるが。 >>449 ありがとうございます。 状況に応じて調整弁としての役割なら大丈夫そうですね。 ごんさんって今までに分からないことがあったときってどうしてました? 人に教えを乞うたことはありますか? >>450 まあ、隔離できるなら隔離して何も手出ししないのが一番良い。 手出しすればそれが誤解や憶測の材料になるから。 それに、あなたは知らないかもしれないけれど、一種の大衆操作においては 最初の「小競り合い」は演出されたものだ。 韓国と日本を見てみると良い。長年の鬱積は乾いた藁のようなもので、 火種があれば容易に燃え上がる。 公共の場で、韓国人が日本人をリンチしたというニュースが流れるとする。 両国の人民は燃え上がり、経済の流れや民衆の不満の矛先がすり替えられる。 最初のリンチ事件は、もしかしたら中国やロシアが演出したものかもしれないし 韓国或いは日本の自作自演で、リンチ事件の加害者も被害者も仲間同士、 影ではほくそ笑んでいるのかもしれない。 正義は時に盲目だ。正しさが虚偽に力を与え、道義が大衆の憎悪を駆り立てる。 良くわからないものに良くわからないまま、あまり熱を入れるのはよした方が良い。 大衆操作が不可能な人間、冷静な人間が多ければ多いほど、 こうした大局的な洗脳技術は機能することもできないものだ。 基本的に、わからないときは調べるだけだよ。 考えることはあるが、線的な思考に実入りは少ない。 それよりむしろ思い付きや直感、突然訪れる連想を重視すべきだ。 寝入り際に物事を考えるのは良い。朝起きると、突然物事を理解していたりする。 調査と観察が発想の材料だが、調べても、事実を受け入れることは時に難しい。 だから自分自身の偏見や固定観念を予め手放せなくてはならない。 誰から教わるか。それは重要じゃない。 シャンカラのグルは自然の四大元素だった。 世界のあらゆることがらが私たちに知識と経験を与える。 例えグルが、人の形をしていようと、していまいと。 >>451 >>452 何をいいたいのか、自分の文章に酔っているのか? 投稿目的も見えないし、その価値の中心なるものがない。 場当たり的で、全体を流れる根拠がない。 調和とは何か? 自分の立場とは何か? ただ逃げながら、言い訳の人生を送ったのか? そうだな。別に何かが言いたいわけではないよ。 気に障ったならごめんな。 >>454 ならば、今後投稿するな。 あなたなら、こう発言する。 または スルーしなさい。かかわるなと... あたかもそれが、悟りの世界であるかのように... >>454 投稿目的が、 @ 自己探求であれば、そこに悟りの感情はない A 他への情報提供であれば、強制も指導 善悪の価値観もない。 B 自分の思いであれば、希望の願いがある。 はたして、このことに気づいているのだろうか... ごんはこういうやり方で修行してるんだろう ちょいちょい個我に巻き込まれているところは気づいたほうがいいとは思うけど まあ放っておいてあげなさいよ ひとそれぞれの道がある >>455-456 はてさて、何を言いたいのか、何を聞きたいのか。全く伝わらないな。 何が言いたいんだ? レスの目的も見えないし、批判する割りに理論のどの部分を 批判しているのかはっきりと明示することもできていない。 まるで自分の文章に酔っているような印象しか受けないが。 主体性についてどう思う? 積極的に何かを成そうとすることと、完全に開かれて受動的であること。 覚醒した人間は両方を同時に行っている。 どちらも行っていない、とも言えるが。 主体と対象を見て、何かを抑制しようとしたり発展させたり することができると考えている内は、まだまだ未熟者だよ。 俺が何かをしていると思うか?俺は何もしていないよ。 俺は何もせず文句を垂れているだけだと思うか? とんでもない。俺はこの世界の全てを変えようとしてるのさ。 君は俺がちゃんとした形を持っていないと考える。 小さき人よ。丘の上の一本の木よ。 お前は大風をその腕に抱き留められるか? >>460 相手の意見を、コピーをすると..ドボンです。 .....もう壊れています >俺はこの世界の全てを変えようとしてるのさ 何を、どのように変えたいのですが。(具体的に) 何の世界ですか? あなたの変えるという意味は、 現状が、未来に向かって、どのようになることですか? そのための準備はととのっているのですか。 それは、あなた一人でできることですか? 多数決で決めることですか? >>461 自己満足の妄想を、投稿することが 世界を変えることになるのですか。 誰も理解できないあなたを、理解させることですか? >>462 どのように世界を変えたいか。 君の病気を治す。いずれはね。 >>463 それには、自分が病気であることの 自己認識が必須です。 上からは下の様子は。みるだけでその様子が詳細にわかりますが、 下から上をみても、ただ広いだけで、なにも見えません。 >>495 上に行くエレベータは、あなたの目の前にあります。 それをみつけて、ボタンを押すと、一気に1万メートルのj上空に行けます。 エレベーターは、途中では止まらないので、ボタンを押す前には 深く呼吸して、1分ほど息を止める必要がります。これが注意点です。 >>451 いろんな思惑が入り乱れているんですね。 正義は扱い方を間違えると確かに危険だと感じます。 私も悪い癖で、ついつい悪乗りというかあえてそういう争いを楽しむところがあるのでちと注意せねば。 >>466 それで、「自分が病気であることの自己認識」という奴は持てたかい? >>452 ありがとうございます。 思いつきや直観、突然訪れる連想・・確かに、 なんかつかめるようになってきたときって大体それらの積み重ねで起こってる気がします。 結局自分で練り上げていかんとかんなぁ〜と >>467 そう。でもそれが常に、深い思惑というわけでもないんだよ。 他人を操作することで安心する人間もいるから。 自己効力感というのかな・・・ほんの些細な扇動でも良いんだ。 他人を支配している感触を得ることで、千切れそうな自分の心を 繋ぎ止めているんだよ。 信念の無い悪意は、時に最も厄介なもの。 人間は弱い。そして自分自身の毒と穢れの中で溺れてしまうものだ。 >>469 その通り、自分で確かめていくことが大事だ。 「理解」と「信じる」の間には、実は大した差はない。 子供は何でも信じるものだ。 そして信じる事が少なくなってくると、それを「理解」という。 一般には別ものだと思われているけれど、私に言わせれば オタマジャクシとカエルの違いでしかない。 >>471 誰かが見てるという意識だけで、 人間は大きく変わる。 ごんもヒマそうにしてたけど相手があらわれてよかったな >>472-473 全くだ。尻尾が無くては掴めないからな。 罪の子。 俺はお前を憎みはしないよ。 俺はお前に怒ってはいないんだよ。 溺れた人間は必死で、自分が何を しているかなんてわからない。 そんなの当たり前じゃないか。 そして差し伸べた手はめちゃくちゃに掻き毟られ 君は救い上げるはずの腕は血まみれになって、 千切れて落ちて消えてしまう。 君は相変わらず溺れていて、俺はどうすることもできずに その君をずっと上から眺めている。 だけど、たった一瞬でさえ 君を憎んだことなんてなかったんだ。 いつか君を救うだろう。 それが今でなくても。 来世かもしれない。 もっとその先かもしれなくても。 私はそのチャンスを待っている。 私はそのタイミングを、見逃さない。 今は何もできなくても。 今は君に、恨まれていても。 でも、あまりこんなことを言っていても あなたを悲しませるだけでしょう。 だから、やめたの、私は。 私は、悪魔でいる方が… 今はその方が相応しいのよ。 "なぜかは知らず 生きている以上 生きものの味方をして" https://youtu.be/07pqC7yjQ_c なんかつまらんときってどうすればいいと思います? 目標があって取り組んでるときは楽しいんだけど ゴールが見えてくると途端につまらなくなって。 変化は生理的に必要なものだ。 食欲や睡眠欲と同様に。 君はもう飽きている。 慣れ親しんだ自分の行動パターンに、いつも通りの 退屈な「挑戦」に。 それは、本当の変化ではない。 完全に新しくなるためには、一度死ななければならない。 例えば、そうだな…計画を立てて何かを 遂行するというよりも、行ったことの無い場所に あてもなく行ってみたり、やったことのないことを 勇気を出して試してみたり。 こういうことの方が重要だ。未知や課題。 ある意味で受動的な変化が必要なんだよ。 自分が何をしたいのか、それすらわからないのなら フォーカシングをしてみると良い。 願望のない人間はいない。 しかし大抵は、胸の中の真の願望と、 頭で思い描いた「べき」の願望はミスマッチだ。 やりたくないことをやっても、 長続きしないというのは道理だ。 コミュ力が上がる、すごいエネルギーが体から湧いてくる。 不安が常に軽減される 本質的な身体能力が上がる方法があると聞いたらどうしますか? http://goodlg.seesaa.net/article/455861872.html >>482 >>483 言葉に中身がない。空虚。羅列.. 目的がない。 思いのほか賢い人が居るようだから、少し質問でもしてみようか。 梵天勧請。 修行の末あらゆる執着を手放し、涅槃の境地に至ったはずのブッダ。 その偉大なる解脱者がどうして、尚も弟子を取り、それを教え導き、 あまつさえ広く民衆を教化しようなどと考えたのか。 結局、執着しているではないか。一体何への執着の為に、未だ彼は 本当の解脱者になれず、俗世にしがみついているのか。 この問いに答えられる人は? >>489 それは執着ではなく、大いなる愛だからですよ。 自他がなく心身から自由なとき行為に執着はないよ 心身がただ心身のままに継続するだけ それがわかってない他人からみるとその人の執着に見えるだけ 悟っても肉体はあるしそこに心身があるからその活動は継続する それはただの心身で自分ではないけどね クリシュナムルティは悟っても個性は残るという言い方をしてたね それからごんは自分が完全に悟るまであまり他人を試さないほうがいいだろうね キリストはここから戻っていったのだと、 だから救世主と呼ばれるのだと、 そこで大感動するのです。 弟子は師と同じ道を歩むのです。 「もはや、わたしはあなたがたを僕と呼ばない。友と呼ぶ。」 男性において不全感は野心を生み出し、 それによって悟りに至るものだ。 女性において不全感は嫌悪を生み出し、 それによって悟りに至るものだ。 これは不全感が生命の木の、枝葉で作用するか、 それとも根幹で作用するかの違いである。 男性の不全感は遠くに行こうとするが、 女性の不全感はまとわりついているのだ。 >>475 476 私の大事な人からのメッセージだと思いました 書いてくださってありがとう >>489 まとわりついていた執着と一度すべて払い落とすことで 自分自身が本来持っていた大切な執着を見いだせたんじゃないですか? 執着を手放すのは最終地点ではない。 >>483 >>482 無計画で動くことは今私が求めている刺激だと思います。 とことんやりだすと強迫的になる癖があって、他のこと全部どっかいっちゃうんです。 だから、ぐだぐだしてるときも気分転換とかがうまくできずに調子が狂ったり。 うむむ、確かに願望のミスマッチは考えられます・・ 息抜きしつつ、一度見直してみます。。 >>496 何かが伝わったのなら、それは良いことだ。 >>497 不要なものが削れ落ち、必要なものが残った。 控えめだが的確な捉え方だ。 >>498 走り続ければ良い。壊れない限りは。 壊れたら止まるしかない。止まりたくはないものだ、誰だって。 ここの議論は、 園児が必死に、かっこつけて走ってるので、 親から見えれば、危なっかし限りですね。 子供は駆け回るもの。 それを止めようもない。 そして時には命を落とす。 が、それを止めようもない。 結果ばかり見ていると、今を見失う。 不安か。怖いか?それで良い。 正味我々は、いつでも死に瀕しているのだから。 だがそれを、止めようもない。 自分を手放すということは、女性より男性の方が簡単だ。 男性は元々枝葉の生き物で、自己の根幹に興味が薄いからだ。 だが、女性に「手放せ」と言おうものなら、大変な抵抗が 待っていることだろう。 同様に、余計なことを忘れることについては、女性の方が簡単だ。 女性は元々根幹の生き物で、枝葉のことに興味がないからだ。 一方で男性に「いちいち気にするな」、「今はそれは忘れろ」と教えても 男性は中々そうはできないのだ。 女性は許してやることが大事だ。 男性は賞賛してやることが大事だ。 どうだ、簡単だろう。 この至極簡単なことが、人を育てるコツなのだよ。 >>504 本当に、そうですね。 何故、わかるのですか? >>502 男性の良さと女性の良さを両方手に入れることはできませんか? そのような無謀なことはしないほうがいい? >>505 肉体の構造と、精神の発達の仕組みから。 このようなことは医学を通して、学者たちが長年研究してきました。 >>506 両方の良さを手にすること。正にそのようでなくてはなりません。 一人の人間は皆、肉体の中に男と女を住まわせています。 男は智慧、思考、適応です。女は創造、感情、活動です。 人間の背骨は女、その肉と手足は男。 どちらも理解し、どちらも上手く使いこなせているそういう人こそ、 完全な「自分自身に出会ったことのある人」だと言えるでしょう。 >>507 ごん...馬鹿です。馬鹿の答えは、漫才のネタです。 ただ、間違ったことを書くのは、将来に問題を生みます。 ゴンは投稿する時、自分の高慢と馬鹿を自覚しなさい。 >>507 男と女の関係は、 @ 男は女を、力(腕力)で奴隷にとして支配し、肉体を求めることで、 満足を得ます。 しかし、これでは満足が得られるのは1頭になります。 他の雄は、女を「腕力で支配しようとしてもより強い雄(男)に殺されます。」 このため、隠れて女の気を引く、「女の心の奴隷」になることで、その快楽を求 めようとします。 A 女は、男を肉体で引き寄せますが、強い雄が自分にとって危険でもあるので す。また強い雄は、若い肉体を好むのです。このため、年齢が行くと 男を引き寄せることができなくなります。 自分にとって、安全に男を引き寄せようるため。 化粧、若い肉体の保全、色気が必要であり、女の闘争の武器になります。 また、愛という言葉をちらつかせ、自分に危害が及ばないように 男の心を矯正し、女は「愛」と「美」を追求するで、 自己愛を達成しようとします。 ◆ 女の男選択 男の中で、女から見て 金、権力、知性のない馬鹿男は この世から無視される。 こういう弱者の生きる道は、 「女の愛の奴隷」になって女に好かれようと必死になる。 しかし、多くの女は、金と権力に引かれるのです。 簡単にいうと、軽の車より、フェラーリに乗るのです じゃあ問題ないじゃん。 馬鹿男が愛の奴隷になっても、結局女には 相手にされないってことでしょ? そのまま放っておけば馬鹿男は遺伝的に駆逐されて win-winじゃないか。 やぁ、素晴らしい。世の中って上手くできてるね。 >>511 システム問題は、もともとないのです。 自分と社会との関係で、 自己愛の損得をどこにおいて、社会と妥協し 選択しながら、自己の欲望を達成する、 個々の自分にとってもっとも有利であるかでしかないのです。 これが、全体として天国の環境を作るのです。 じゃあ俺は好きにやれば良いってことだな! やっほい!! >>513 神でも、あなたに命令はできません。 いかに自由にいきるかが、人間の運命なのです。 人類。賢い猿。論理の終焉。 「人類が存在しなければいけないことの論理的理由は?」 「この宇宙が存在しなければいけないことの論理的理由は?」 「あなたが存在しなければいけないことの、論理的理由は?」 女にとっては容易く、それでいて男には難しい問いがある。 論理の終焉。論理の解体。論理の変形。論理の新生。 両性的な思考。次の時代の新しい知性。 >>517 答え 人類...道具や材料があっても使う人がいる。 宇宙...存在には空間。認識には確定がいる。 あなた... 一人ではなく、複数でないと機能しない。 >>519 人類 なぜ使わなければいけないのですか?使わなくても良いのでは? 宇宙 認識する必要はありません。 あなた 機能しなければならない理由は? >>520 反論する場合は、よく考えてからにしなさい。 考えるまでもなく、あなたには答えられないことが わかっている。 あなたに限らないよ。人類の誰も、この問いに論理的な 答えを提示することはできない。 >>522 下からは、上はわからない。 馬鹿もほどほどに... >>523 答えられたら認めてあげるよ。無理だけどね。 生身で大気圏外に行ける?行けないでしょ。それと同じ。 この問いには人類の誰一人、答えられない。 そういう仕組みだから。 子供でもわかる道理さね。 >>524 遊びたいだけなら..一人でどうぞ... >>525 最初からそう言ってるだろう。 君に、俺を分からせる技術は無い。 無意味な口出しは止めるんだな。 正しくは人類に答えられるか答えられないかは人類にはわからないであって 人類には答えられないというのは間違い 応えられるか答えられないかは人類にもごんにもわからない >>527 観測技術の問題として捉えればそうだ。 しかし私が言っているのは、論理という概念の構造それ自体に限界が あり、論理では回答不能な課題を創出することができるということだ。 つまりこの問いは、構造上絶対に、論理的に回答することはできないんだよ。 人類であろうと、宇宙人であろうと、異次元人であろうとね。 「この世界が存在しなければいけないという理由は?」 論理的に回答不能かどうかを論理的に回答不能でしょ 絶対はないという論理に絶対はないと絶対に言えるか?というのパラックスと同じだよ 目で目を見ることはできない 人類に人類が何であるかはわからない だから人類に答えられるか答えられないかはわからない 悟った人のようにもはや人類でなくなったらまた話は別だけどね ごんがもう少し我が取れたらわかるよ >>530 そして私たちは深刻なパラドックスに落ちてしまう。 人類に答えられるか答えられないかはわからない、 「かどうかはわからない」。 人類には答えられないというのは間違い、というのは間違い。 というのも、実は間違いだ。ここから先は無限退行して、 結局最初から何も言っていないのと同じことになる。 ほら、賢いでしょ?私はこういう無意味なトートロジー、 ドングリの背比べが実に好みでね。 だけど今は、そういう話をしているんじゃない。 「この問いには論理的に回答できない」、つまり 「この問いに論理を差し向ければ無限退行に陥る」、つまり 「この問いに対して論理は無力である」 伝えたいことはここまでで十分だ。 まあ好きにしたらいいよ 言いたいことがあるうちは言ってしまうしね 人間の猿知恵など所詮幻想だ。 言葉と鳴き声の間の境界線は実在しない。 私たちは、ただその場の感情に浸って音を発しているだけ。 論理は美しい嘘だ。美しいが根本的に何ら意味を持たないそれは、 私たち人類の中における「男性」という存在と全くよく似ている。 神は論理の中で死んでいる。だが、本当は死んだわけじゃない。 ただ単に、人間の小さな論理の世界がまとわりつくのが うっとうしくなって、それを脇にどけただけだ。 他人の自意識を操作し、精神を絡め取る。 そんなものはただの技術と知識だ。 重要なのは動機。その技術を何に使うのかということだと思う。 「存在している」なら 「存在する理由にに、必要な条件を考える」 「存在することで起こる問題を考える」なら意味があるが、 すでに存在しているのに、 「存在しないければならない理由」を考えて何になる。 自慰行為 論理というのは、 パラソックスにならないように考えることであって パラソックスを考えて遊ぶことではない。 >>536 半分は正解だね。矛盾を回避しなければならないが、 論理そのものが矛盾を抱えていることに気付かねばならないよ。 ちなみに、ファンタジーの世界は矛盾無しに拡大していくことが可能だ。 設定を追加すれば良いだけだから。 普遍的な真実との整合性を検討しないとしたら、それは論理というか、 個人的な幻想、妄想の類いだ。そんなことを言っていてもしょうがない。 まあ、やるなら一人でどうぞ、と言った所だね。 >>535 そうだ。論理など無意味な幻想だ。 既に存在している。 論理はその事実そのものに対して、何も言うことがない。 せいぜいそこにコテコテと別のものをくっつけていくだけ。 コテコテくっつけていくだけ。それはただの遊びだろ? 君がやっている知識の体系化だってそうだ。ただの遊びだよ。 俺がやっていること。これももちろんそうだ。ただの遊び。 だから、そんなことに大げさな、自分自身の知識体系なんて 必要ないな。意味無いもの。 体系化と、遊びとは大違い。 自分ですれば、能力差は歴然。 簡単に見えても、あなたには不可能ですよ。 あなたが、体系化しようとしたら、 A4で最低で1万枚以上かかりますよ。 ひっとすると10万以上書いても、きっとできないでしょう。 1万メートルの上からみれば、下の様子は人目でわかるけど、 下からみても、山の上の様子も自分の周辺もわからない。 あなたも、神の真理という法則を、 自分の経験と心の中から「100000」ほど抽出し、 立体曼荼羅として自分の魂を中心にして、 意識の世界に配置してください。 そうすれば、私の言葉の真偽が解るでしょう。 >>541 下から見ても上の様子はわからない。その通り。 だから、そんなことを気にしてもしょうがない。 小池のカエルに、人間の貴族の生き方を説いて何になる? カエルはカエルのペースで進化していくのだから、放っておけば良い。 自分のことをしっかりやるだけだ。 上とか下の世界を気にする時間など、無駄なだけだ。 >>540 全くもって、私には不可能だ。 一生やらないだろうね。興味も無いし。 それで、そうだな、君がその体系化とやらで貴重な時間を 無駄にしている間に、私はこの世の素晴らしい物事を、 様々味わい尽くすこととしよう。 では賢者よ、そういう役割分担でよろしく。 体系化は君に任せたぞ。私は遊びに行ってきます。 愛は全て。 愛こそ世界の存在理由。 愛より大切なものなどない。 ◆ 愛という魔物の世界 愛は麻薬です。得に相手の思考を停止させるには最も効果的です。愛に助けられ、愛に癒され、愛を求め、やがて愛に溺れる。思考停止。 必死で生きるべき魂が、 生きる屍となって、天国という牢獄で、 愛の奴隷として永遠に暮らす。 愛を癒しの手段として理解し、 捉えること自体が間違っているように思える。 愛の目的は癒しではなく、 相手を理解しようとする意思であり 相手に関心を持とうとする意思をいう。 その行為によって、高慢な魂は、勇気を与えられたと錯覚し、 弱者は自己愛が癒されたと錯覚するだけである。 愛を唱える連中らは、 この1年で、 カンボジアにいくら献金したのだろうか? 国境なき医師団にいくら献金したのだろうか? 献血を何回したのだろうか? 反戦の平和デモに参加したのか 今まで、何回ボランティア活動に参加したのだろうか? また、老人ホームの慰問に出かけたことがあるのか? 口先だけの愛ではなかろう。 自分は霊性が高いと、自慢している愚か者。 自分の嘘に気づいているのか? 自分の自己愛の醜さに、気づいているのか? 自分は霊性が高いと、自慢している愚か者。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永いあいだ迷わせてきたようです。 実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、 それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。 祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い選ばれし者の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。 問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。 愛は優しさではない。 愛は感情ではない。 愛は善でも悪でもない。 愛は存在の肯定。 愛は酸素。それは原理。それはエネルギー。 愛は、この世界の存在理由。 どんなに辛く苦しくても どんなに理不尽に打ちのめされても 醜くても、絶望しても それでもまだ、「生きて」と あなたの背中を押す何か。 日常生活において霊的真理の意義を生かした生き方をしていなければ、自分たちを「スピリチュアリスト」と呼んでみても何の意味もありません。 大切なのは、自分たちはこういう者ですと名のることではなく、実生活において何をしているかです。 世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。 愛の意識で、人間のが変えられるのなら 戦争は起こらないし、続いていない。 愛で弱者が救われるのら、飢えで死ぬ人はいない。 口先の愛。自己愛、自分が尊敬されたい愛なんて...虚しい 真理の言葉によって、 他人から批判されることを恐れるな。 愛は感情ではない。 愛は優しさではない。 愛は善も悪も生み出す。 愛はあらゆるものを生み出す。 素粒子の存在を支えるもの。 ビッグバンの基礎となったもの。 時間を継続させるもの。 この宇宙を、今正に創造し続けているもの。 愛は感情ではない。 愛は存在の肯定。 それに寄り添うこともできる。 そうすれば豊かな満たされた世界が訪れるだろう。 それに刃向かうこともできる。 そうすれば、やがて飢え縮んで、世界から 消え去っていくだろう。 愛は観察。愛は疑問。愛は好奇心。 愛は開かれた心。愛は自由。愛は共感。 愛は共有。愛は満たすもの。 人に与えることで、神はあなたに与える。 人を愛することで、神はあなたを愛する。 あなたは、愛されている。 あなたは、次の瞬間も、存在する。 あなたは、この世界を愛している。 だから手放せないのだろう? だから、旅立たないのだろう? 愛は全て。愛はあなた。愛は満たすもの。 あなたの存在を、形作る。 愛とは、この世界の存在を肯定するエネルギー。 また私たちは、人がそれに寄り添う態度のことも 同様に「愛」と呼んでいる。 そして、存在を否定する態度を「憎しみ」と呼ぶのだ。 ごん..やっぱり馬鹿です。 神の真理では、 愛は欲望であり、砂糖のようなもの。 騙された易い「ごん」のような馬鹿に、悪魔が好んで利用する。 友よ、同感だ。 しかしあなたは愛について語っているのではなく、 嘘と不善について語っているのだ。 愛はそういう次元には探せないであろう。 なぜならば、愛はまさに、善と不善の全てを包み込んで、 この世界の存在を肯定しているからだ。 西の国では今日も子供が奴隷になり、 東の国では今日も女が売られている。 神はその全てを知っている。 知っていてやっているのだ、もう140億年。 神は言う。「在れ」と。 だから私たちは、生き、喜び、悶え、苦しみの底に落ちる。 愛はその全てだ。神は言う。「在れ」と。 神は、その全てを知っている。人間一人ひとりの、 私のまたあなたの、小さな胸の内の全てを。 神は恵まれた人の喜びに微笑むだろう。 そして、今正に飢え死ぬ小さな子供の身の内にあって、 その絶望を共にし、その冷たさに血の涙を流すのだ。 もう140億年やっている。 それでも、「生きて」と叫ぶ。 だから君は自分や他の人たちを、 大切にしなくてはいけないよ。 もちろん、君にできる限りの範囲でね。 >>564 貴方が言うのは愛情だ、愛情は欲望と私利私欲なる悪魔のような魅惑だ、それは肉欲であり真理ではない、 愛は ただ在るだけだ。 肉欲に愛などない。 人生目標として、 愛の追求という愚かな偶像(悪魔意識)は持つな。 愛と愛でないものを分けるのは愛ではないとクリシュナムルティが言ってましたな >>574 クリシュナムルティは 死ぬ前に 私の話しを聞いても悟れないよと欺いたんだよね。 高名なグルであるラマナマハルシも 「来て去る神は神ではない」と述べた。 生憎彼は、すでにこの世から去ったわけだが。 マザーテレサについても同様だ。 彼女は信仰を具体化したが、その裏には キリストへの絶望と心の渇きがあったことが 後に明らかになった。 クリシュナムルティは病的な嘘つきだった。 バグワンラジニーシは最終的に、アメリカから 強制退去させられた犯罪者だった。 現実的に考えて、ナザレのイエスは不義密通によって 生まれた子供であっただろう。 ブッダは自分の国を守らなかった。妻も民も、 彼の身勝手な知性主義の犠牲となった。 人は自分の目に見えるものだけを見ようとするものだ。 不毛だよ、こんなことは。 何を信じ、何を解するか。 それは私たちの心に委ねられているのだ。 もしあなたが賢い人なら、心を開いておくがいい。 それは実り多い。 だが自分の知る事実と他人の知る事実に 食い違いが あるからと言って、それを一致させようなどとは 思わないことだ。 何が真実で何が偽りか。それを自分自身の中で 見極められたなら、それだけで十分ではないか。 EO氏イズム...びっくり、何これ.. こんな言葉あるの。。知ってる奴は、病気ですね。 >>582 あんたも充分 病気だよ、自覚なしか。笑笑 EOというよりダイジっぽい 別にいいけど でも道半ばの人が惑うような言い方はしない方がいいかな 愛を否定するものは 真実の愛に達していない証拠だ。愛に到達できたものは愛を決して否定しない。何故なら 愛そのものが実在でそれ以外は何も無いのだから。 わたしもあなたも無い、無いも無い、だが、愛だけが在る。 ちょっと聞いていいですか? 愛が在るということを、ごんさんと名無しの方が使用していますが これは何かの本に書いてあったのですか? >>588 体験でしかない。 体験でしか説明不可能、 霊的太陽が向かい入れたとき 貴方は消え去る。 だが、また再び 夢に引き戻される、肉体と言う 檻がある限り。 >>589 どもです。 体験ですか でも、体験からなら同じ「愛が在る」という言葉にで表現するとも限らない気がするんですが 体験するとみなさん愛が在るという言葉を使用するんですかね 別の表現方法も考えられる気がするんですが >>590 閃光な白光体とでも言えるかな、 ダイヤモンドの原石とでも言える。 愛という言葉の定義も人それぞれ違うし、愛が在ると言っても同じことを言ってるのかわからないよね 別に愛という言葉を使わなくてもいいし、愛が在るとき愛が在るなんて言わなくてもいいかもしれない >>591 なるほど。ありがとうございます。 変な質問してすんませんw >>592 ネットの文章だけじゃ本当にわかってるのか?ってのが率直なところです。 必ずしも言葉にできる人だけが知ってるわけでもないでしょうし。 わかってないで言ってる人も多いでしょ 他人の言葉を自分のことのように言いたかったり、自分の願望から言ってしまったり その人の体験、境地からその言葉を言ってるとしても、体験境地にも違いや深さがあるよね 体験が浅いのに言ってしまってる人の言葉は、そこを通過してる人にはわかるもんだよね 今も、NHKでシリア難民の放送があった。 多くの子供が殺されている。 愛情主義者ども、お前はどうするの... 神様に祈って、解決すればいいのに... わたしは、愛に包まれたと喜ぶ時間があったら、 虐殺された子供の魂を、天国へ成仏させてやれ... 無意味な自己愛を放棄しなさい >>596 それは 私たちがどうこう出来るものでもないし、関与するものでもない。 そう見せられて 何とかしなければならないと 思い込ませられているだけだ、 貴方はその現場をその場で見て来たのか? それこそ 無惨だ、可哀想だ、と言う自己愛ではないのか?だったら、まず 自分を救ってから言え。 >>588 万教同根という言葉がある。 教えは数多あるが、真理はひとつ。 あらゆる宗教道徳神秘は、突き詰めれば 同じ所に行き着く。 愛については、キリスト教に知見が多い。 聖書にもある。預言者が神に名を尋ねると、 神は答えた。「私は"在る"というものだ」 ヒンドゥ教の経典の中でも愛は重視される。 ヨーガの偉大なグル達は愛を「あるがまま」という 言葉で表す。 仏教徒は欲望を嫌うので、愛を隠そうとするが 最終的には 様々な教えが愛について語る。 それはつまり、真理だから。 おや? 仏教徒も最終的には入鄽垂手ということになる。 まあ方便としては、そんなことはない、と 言わざるを得ないが。 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、 内心はさながら夜叉。 常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。 ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。 これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、 それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。 >>600 素晴らしいじゃないか、うぬぼれと高慢だと言う思いを貴方にみせてくれている。 その概念が貴方の中にあると言う鏡の役目を果たしてくれている。 それに気づいていればいいだけだろう。 何かそこに問題でもあるのか? 俺とお前では、天と地の差があるな。 悔しかろ?だが事実だぜ。 >>604 俺とお前ともは、天と地の差がある。 知識はゴンが上ですが... >>598 宗教のlことよく知らないので助かります。 どれも行き着く先は同じなんですね。 ◆ 本物と偽物の世界とその違い 死後の世界そのものが、非常に疑問です。 「愛」「死後の世界」「天国」「地獄」これらはすべて 人間の「欲と支配」「恐怖」「エゴ」のよって作り出された 思いの濃い、妄想世界。 「神の真理」の言葉は 「未来」「可能性」「自由」「制約」「工夫」「共同」「成長」「慈悲」「関連」 によって作られた、創造と自由に満たされたな、思いの純粋な無色透明な世界。 この違いわかりますか。 つまり偽物言葉を使う人は要注意です。 ◆ 嘘をつく利益と損失 自分につく嘘は、一生自分を苦しめる。 神につく嘘は、無意味でなんら効力がない。 他人につく嘘は、場合によって利益を得るが、得た利益は短期的に消えやすい。、 その嘘がバレることから不安が生まれ、嘘がさらに嘘を生む肥大化が起こる そして、 逆に他人から与えられた真理の言葉さえ疑うようになり、 そのことで、生じる無駄な時間の損失は、非常に膨大になる。 >>608 貴方は本物と偽物と区切る時点で二元の視点で分離して物事を見ている、それぞれの認識の差はあれど、そこに区切りなどないんだよ。 天国と地獄の境もないの、 >>609 これも思考でものごとを判断している。 ジャッジは二元の視点だ。 損失だろうが、利益だろうが、嘘だろうが 誠であろうが、全てが学びだろ。嘘があるから真実があるんだろ。騙されて 本物を知るんだろ? 分けようがない。判断するのは思考だ。 >>610 本物、偽物という言葉を定義することを恐れる、おバカさん。 二元論を否定する自分に酔っていることに気づけ。 その心は、悟り、空、中道という言葉によって支配され それに反することを恐れている。..... 3流の悟りとは、悟りという言葉に恐れ、そこから離れる自分に恐れる。 ◆ 認識という真理を知れ 考察とは、2点の意味の対峙によって意識され、 3店の関係によってその性質’存在)が明らかになり、 4点の三角錐によって3次元の立体構となりることを知れ。 ◆ 認識の真理を知れ 意識を高めることは無になることではない。 無や空という言葉、 現実の実態は、いつも変化することを述べたに過ぎない。 実際の思考において、その変化がかに生じるかを 誰一人、(道元さえ)明らかにできなかった。 そのため、間違った欲望意識が、幽霊のように彷徨う。 すべては、1 に始まり 2 によって、互いに引かれ、反発し 3 によって、一つの関係、弱い結合と強い結合が生まれる。 4 によって、はじめて空間で機能が生まれ 多次元の関係によって、その価値は決定する。 価値の変化は、この結合の崩壊と再結合によって生まれるもので、 基準点そのものは消滅しない、 囲碁を学び強くなると、この意味が思考体験として認識できる。 横暴を振るものに対しては、横暴が許される。 それだけだよ。 ここは匿名掲示板だから、その場に相応しい コミュニケーションというのはある程度定まってくるだろう。 リアルと5ちゃんねるは違うし、そうだなぁ、 例えば5ちゃんねると爆サイも違うよね。 相応しい場所を選びな。君がよほど好きものでないのなら。 他人のことなんか気にしてると、時間を無駄にするよ。 >>610 天国、地獄.. 人間の欲望と恐怖が作った言葉... 存在しない言葉は、真理の考察から除外せよ。(創造の場合は使用OK) >>613 ちゃんと読めよ。二元論を否定してなどいない、貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけと書いただけ。 無とか空は言葉ではないぞ?善悪と言うのは 全てが学びであって、判断するのは思考であって 全て許された世界なんだ。 わかるか?だから 良いも悪いも境界線と言うのはないの。頭が堅いぞ。 わかるか?とは書いたがわかれとは言ってないぞ。笑笑 貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけ >>623 頭が堅いぞが二元と言いたいのか?私が頭が 柔らかいと言うならそうだろうな。 だが そこにも表裏一体で少しも別れてないだろう。 頭が堅い、柔らかいに 何の差も無いだろう。 頭が堅いのが悪か?頭が柔らかいのが善か? じゃあ 頭の堅い基準てどこから? 頭が柔らかい基準てどこからなんだ? >>623 >>624 個々の価値観で、個々が言い合っている。...無意味 二元論の是非を。三元論、正反合は三元論の一部でしかない。 価値という意識の基本原理を議論しなさい。 認識とは、言葉の曼陀羅であることを考えなさい。 >>626 価値観なんてないよ。言葉のキャッチボール。 意識は価値じゃないしね。 具体的な修養方法。 呼吸について。 吸った空気を足下側へ押し付けて、下腹を膨らませる。 次に下腹部を凹ませながら、それを吐き出す。 すると随意的な筋肉で呼吸をサポートする形になる。 精神が動揺すると、人間は胸で浅い呼吸をするようになる。 酸素の供給量が減り、重心が高くなって、身体が落ち着かなくなる。 その逆。重心を足下側へ降ろしておく。 一日数回意識して、下腹部で呼吸すると良い。 すぐにクセが付くだろう。 胸で吸う、下に押し付ける、腹を凹ませる。 この3ステップ。 あまり長い時間呼吸を止めるのは良くない。 自律神経のバランスが乱れるから。 急性期の統合失調症へのアプローチについて。 キリスト教的な枠組みで考えれば、有益と思えるのは 悪魔祓いだ。恐らく、外部から意図的に超自我を増強し 優越させることで、それを人格の統合の核として 仕立て上げることができるのではないか。 (その為には恐らく、恵みをもたらす地母神である母親の 偶像を断ち切る、という苛酷な試練が待っているだろう) 仏教的なアプローチでは、軟酥の法がすぐに思い付く。 が、仏教の修行方法は根本的に健全さというものを 前提に置いているから、精神病にまで達した 心理構造の調整にはあまり向いてはいないだろう。 だが思うに、悪魔祓いは神の権威が一般的に容認された 男性優位の社会でしか通用しないものではないか。 その儀礼はつまり混沌とした精神世界の中にキリスト教的な バランスを持ち込むということであり、首尾よくそれを 取り込めたとしても、後にその精神内界の秩序は改めて 外部の世界との相互干渉に晒されることになるからだ。 そして、社会の方がそうした超自我イメージをしっかりと 優越させた状態に保てていない限りは、遅かれ早かれ 「悪魔」は力を取り戻してまた地の底から這い上がり、 その大地の亀裂が世界を再びバラバラに 砕いてしまうだろう。 そこで今私が考えるのは、超自我を増強する 補強剤としての「神」イメージをより「自然」な形態へと 更新し、裁く神ではない別の神による悪魔祓いの形態を 作ることだ。 自然なというのは、生命を否定しない形での、 という意味だ。(そもそも生命を肯定できないことこそ 前時代の宗教の欠点ではないと私は確信する) だからそれは、もはや「悪魔」祓いと言うべきではない。 それはただ単に、折に触れ見直すような、賢明で、 幸多い何かだ。 超自我は高みに居るが、等身大の個人を強引に 引き上げたりはしない。そうではなく、待っていてくれるのだ。 失敗も成功も、喜びも自業自得の苦しみも、全てを 包んで「それで良い」と見守っていてくれる、そういう 超自我イメージを新たに創造すべきではないか。 それは宗教家の観点として言えば、断じて身勝手な 創作などではなく、私たちの倫理観と精神構造を より真理に、真実に近付け、進化させるということなのだ。 × 生命を肯定できないことこそ前時代の宗教の欠点ではないと ○ 生命を肯定できないことこそ前時代の宗教の欠点であると 真にハートチャクラが開いてるひとは イエスキリストの様に 何もしなくても 病は、臨在と接触するだけで治ります。瞑想してヒーリングが出来るようになったひとは沢山居ます。 それはテクニックではなく、全て そのひとの波動からです。 それから 真に悟ったひとは悪魔を寄せ付けません。闇は光を嫌います。臨在の中に闇は消滅され、病や不浄なものは消される。 いや、真に悟った人はもっとすごいよ。 指先一本触れるだけで、この世の全ての闇を消しちまうんだ。 え?そんなすごい人が今どこに居るかって? そりゃもう、ある時「この世の全ての闇よ、消えろ!」と おっしゃってな、杖かなんか振り回したんだ。 そしたら驚いた、そのお方自身も、きれいさっぱり 消えて無くなっちまったのさ!ハ、ハ、ハ! 虚像で膨らませたものなんて、 最後は萎れるだけだろう。 中身のない風船なんだから。 それはアーバンレジェンドなんだよな。 それはオカルトとしては、まあ合格点だろう。 でも宗教というのはその正反対で、中身、つまり 個々人の手足身体の感覚が、外側の辻褄より 優先する世界。 そしてスピリティズムも、どちらかといえば そうした個的感覚から始まる精神文化の一形態。 ここのみんなは、オカルトは求めていない。 風船は、楽しくない。 この地球で最も賢い人間に、私は問いたい。 「この宇宙が存在しなければいけない論理的な理由は?」 人類はまた、この単純な無知を 学びなおさねばならない。 宇宙を認識しようとするのは、人間は... 人間の認識は、部分的な論理による整合性によって、真理を獲得しようとする。 真理への理解とは、言葉によってなされ、 体系的、必然的な関係集合で行われる。 しかし、思考という行動)は、外部、内部から刺激によって その感性は無条件に無意識に振動し、自己認識は混乱し散乱する。 この混乱を再度不快と感じると、思いとしてまた整えようとする。 宇宙はこの散乱と集まりを繰り返すことで、 人に対し、論理のエネルギー(刺激)を与えている。 さて、どうだ.. お前の無知に気づけたかな? ◆ 宇宙の刺激と人間の思考 宇宙を認識しようとする人間は... 部分的な論理の整合性によって、真理を獲得しようとする。 そこには、近未来的な損得によって評価決定が行われる。 真理への理解は、言葉によって、 体系的、必然的な単語の配置関係で行われる。 思考は、外部、内部から刺激によって 感性が無意識に乱され、認識の関係も乱れる。 この乱れを不快と感じ、再度、整理しようとする。 宇宙エネルギーらは、乱れと集まりを繰り返す。 この繰り返しによって、論理思考のエネルギー(刺激)も大きく影響される。 そんなに沢山書かないと ダメなのかな? 別によいけどね。 ◆ 分霊(分魂)と生まれ変わりでの成長過程 シルバーパーチの分霊と生まれ変わりという記述があるが.... 神智学の「モナド」という魂は、さまざまな波動体の中心点として存在し、 その周囲に様々な波動を引き付ける。これが、魂の個性と霊格になる。 個々の魂に周囲の集まった波動点は、 「個々の概念波動」一部としてをも同時構成する。 これが霊界の多次元で、同時に起こり変化する、 中道、愛、慈悲、などの曖昧な概念は、 このような発展過程によって、人類全体の共通概念として成長する。 言葉の概念成長は、時間と時代とともに変化し成長し 全世界の概念として、三次元の物質社会に影響し、人類全体の意識が変化する。 転生してきたって噂のあの子は、 こんな風にあっさりと言ってのけたよ。 「宇宙が存在しなければいけない理由? 僕が答えさ。それ以上必要ある?」 彼の噂の真偽はさておき、私はその答えが好きだった。 幸せに生きれば充分だと思いますが それではダメですか?先生? 良いともさ。幸せに生きることだよ。 だが中々、心からそのように思えないのが 人間だから、修行するんだろうね。 或いは、という迷いがなくなるまで。 もっと、という不満が満たされるまで。 もしかしたら、という不安が消え去るまでね。 皆さん意識しなくても 一番の望みは幸せに生きることだと思います。 その為に沢山の経験を積み重ねて。 >>651 経験すれば、よくなる、幸せになるのか?.. なりません。これにも気づくべきです。 経験したことを、どのように感じ、解釈すべきか? これが生きるテーマであり、各自の問題なのです。 このために宗教が存在し、哲学があるのです。 勉強すべきは、この解釈の正しさと多様性なのです。 自己探求には、基本の方法があります。このことを知るべきです。 自己流は、悪い結果を引き寄せます。 人生の問題は解決す、べて自己解決が基本であり、自己責任になります。 ただし、自己責任はカルマでの罪や罰ではないのです。 @ どのような結果であっても、それを受け入れる気持ち A 神によって導かれるという、安易な選択の拒否意識。 これが、ツインソウルや指導霊から導き、愛の妄想という自己愛を引き起こし 悟りと霊格追求いう超能力を求めることになるのです。 解釈勉強こそが、霊性を高めるという訓練になるのです。 命に欠けている。 一生もひとごとのように過ぎてく。 それではだめだ。 私たちは欠けている。 人間になりたいピノキオのように 「有るはず」の「無いもの」を手に入れたい。 https://youtu.be/eq8r1ZTma08 闇を知り光を知り、それらの誘惑に負けることなくそのすべてを超克したい。 どちらか片方だけではだめなのだ、と最近考えています。 己の中の獣と戦わず、命じることができるようになりたい。 「自己」のあるじであることを極めたい。 そして最終的にはその舟をも手放したい。 フランクルは言っているよ。 人は人生の意味を問うが、その有様は矛盾そのものだ。 むしろ本当はこの世界、その人生そのものが、 君が何者であるかを問うているのだから、と。 君は自分を、獣を飼いならす主人だと思っている。 だが本当は、君は主人ではなく、飼いならされる 獣の方なのかもしれない。 或いはそこには、主人など居ないのかも。 ただ一匹の獣だけが… 言葉に囚われてはいけないよ。 言葉は影なのだ。それは作られた世界だ。 心は言葉より前に存在している。 獣を飼いならしたければ、獣について学ぶべきだよ。 猫は何を感じ、魚はどんな心を持つ? クラゲは「海」を知っているのか。 ミドリムシに、心はあるか? ごんべさんサンキュー なんかこう、今はかたくなになっているみたい。 理想についていけなくてきついんだ そうだね。理想は迫害的なものだから。 それは君を否定しているんだよ。 だが本当に君を否定しているのは、 ある理想を自己の理想たらしめている、 君自身の飢えた心なのだ。 まあ、苦労はいずれ報われよう。 仮に君が立ち止まっていても、世界は動く。 兎に角なるようにはなる… 内在する神様は素晴らしいです。 癒しの力は他の何にも 負けません。 生まれつきの自己治癒能力は、何億年という生の果て。 それは確かに、とてつもない力を持っていることだろうね。 過去の覚者の方々によれば、サマディは長ければ長いほど良いとされています 俺ももうこんな歳になってようやく気付いたんだが、 金持ちになりたい奴、有名になりたい奴っていうのは そこら中にごまんといるものだ。 そんなのは探すまでもない。 まあ、人間の普遍的な欲望なんだろうな。 でも、悟りたいという人間はごくごく一握りだ。 悟りたいというか、世の中を見極めたい、自らの 存する意味を見定めたい、という奴だな。 そういう人間は本当に少ないよ。 実際のところ、金持ちになるより悟りに至る方が簡単だ。 だが人は思うんだな。「悟りを得たら、私も何事かの 第一人者として、一端の権威として、もっと 有名でお金持ちになれるのだろうか?」とな。 だが皮肉なことに、金や名声は人を悟りから遠ざける。 また一方で、金や名声は心を飢え苦しませ、 決して虚ろな心根を満たすことがない。 しかしそれでも、それを求めるようにできておる。 人間というのはな。これもまた不思議なことよ。 愛というのはね、水のようなものですよ。 私たちはその中に浮かんでいるのだけれど… それがあんまりにも自然なので、かえって わからなくなってしまうのでしょう。 愛は与えられるものではなくて… それはただ気付くべきもの。 それは満たしているもの。あなたを。この世界を。 つまりそれは、あなた自身の全て。愛は… 愛はあなた。あなた自身。 愛して。きっとわかるから。ほんの小さなものでも。 あなたの愛する何かが、きっとあなたを、支えるから。 愛は足元の王国 あなたはもうそこに立っている 遠い山に手を伸ばさないで 振り返って しゃがみ込んで 手のひらに滑り込む柔らかな土の中 そこで全てが見つかる 何もかも、そこにある 時の起こりの、そもそものはじめから https://youtu.be/sKupzannWko ありがとう やっぱり私は愛を学ぶために生まれてきたのだと思います 自分で言うのもなんですが、周りの人に保護欲を起こさせるような容姿で生まれてきました 今世での課題を達成するために、いちばん適した状態を選んだのでしょう 機能不全家庭で育った影響もあってか、どうしても信じられず、こわいです 愛を受けとるのが、人を信頼することが、こわくてたまらない でも神様は、これでもかこれでもかと私に試練をくださいます きっと、心から人を信頼し受けとれるようになるまで続くのでしょう 守護霊様や、周りの人々が、愛はすぐ側にあると、何度も何度も教えてくださっているのに 私にはどうしても、いちばん遠いもののように感じてしまいます おいしいものを食べたとき、おいしいと思うでしょう 好きなものを手にしたとき、うれしいと思うでしょう どうしてそう思えるのか? 信頼してるとかしてないとか、そういうのと関係なく、心は動く どうしてそうなるのか? それは愛があるから 受け取るとか受け取らないとか、そういうことに全く関係なく、愛はいつでも変わりなくそこにあるから あれが愛だろうか、これは愛だろうかと気にしなければ、自分自身が愛だったのだとわかるから 遠いとか近いとか、そういうことではなく、愛はどこにでもあるし、愛でないものは何ひとつないから なるほど… では、よろしければお聞きなさい。 あなた自身が愛である時に、どうしてあなたは、 それを他人から受け取る必要があるだろう。 愛されるということは、愛するということよりは、 偉大ではない。これがこの世の神秘。 あなたにそれを教えてくれるのは、優れた人? 強い人、大きな人? いいえ。 あなたに愛を教えてくれるのは、小さな人、 遅い人、弱い人。 なぜなら、あなた自身が愛だからです。 愛を見出すということは 受け取ったり、与えられること、というよりは 思い出すことであったり、それに気付いていくということ。 あなたが、愛なのです。 親愛なる人よ。 遠い山に手を伸ばさないで 振り返って、しゃがみ込んで 手の中に滑り込む柔らかな土 その土の中生きる真っ黒な一匹のアリ 全てそこにある それは輝きを放つ ああ、真実の話 何もかもが影に過ぎないのだ あなた自身が、太陽である時に。 弱くていい、愚かでもいい 間違っていても 正しくなくても かっこ悪くて 泥まみれでも良いよ その何もかもに 至らない不完全な、この世界に あなたの愛が意味を与えるから https://youtu.be/7_1y1DDLcKU 進んだ人とは 認知症が進んだ人と 意志疎通、会話ができる人。 わりと本当に。 ◆ 囲碁ので「部分と全体の価値観」の比較 全体効率とは、着手効率の可能性保持の法則になる。 (評価が非常に困難である) @ 全体目標と部分目標は価値観が異なる。 A 全体効率は、部分効率より優先される。 B 悪手が最善手になることがある。 C 部分効率の総和が全体効率の大きさではない。 全体と部分との効率差は、概念(価値観)が異なる。 D 部分の追求が全体の追求になることが多いが 悪手になることもある。 E 石を取る手、地を囲う手、分断する手など、すべての手が、いい手でもなく悪手でもない。 F 基本ルールという制約があり、 1 生死が最大の制約になる。 2 打った石は動かせない。 3 地の確定、生きの確定 (結論) 全体効率においては、可能性の保持が価値となり、 部分効率においては、確定性が価値(活用)となる ◆ スピリチュアルとの囲碁の価値観との対比 神の目標とは、未来方向(進化)への可能性保持の法則になる。(評価が非常に困難である) @ 神の達成目標と個々(人間)の達成目標とは異なる。 A 神の目標は、人間の目標より優先される。 B 進化の法則では、人間社会における善悪や道徳は無視されることがある。 C 個々の人間幸福の総和が、宇宙進化の方向ではない。 D 全体の幸福追求は、進化する方向性と合致するが多いが、追求することが、逆方向の場合がある。 E 幸福追求、因果法則、必然の法則、愛の追求、自由の拡大、等などすべてが、部分法則でしかない。 F 法則という制約がり、 1 人間の意志決定では生死が最大制約になる 2 エネルギーと力学的な法則がる。 3 物質の能確定の法則がある。 (結論) 神の目標は、全体の可能性の拡大と保持であり、 人間の目標は、真理、愛情、法則のなどの部分確定の発見と価値評価などの経験の蓄積と活用になる。 そして神の深遠なるはかりごとは、そもそもが 人間というような小さな生き物には無縁のものだ。 脳の容量が足りないからね。問題はただひとつ、 それでもなお、人間は自分を神のように見る目線から 自由になれないということだ。 全ては遊びなんだ。それが分かると大分楽になる。 呪いが解けたみたいに。 イエスは 自分は神の子だと言ったんだ。 我は霊なり とね。 ひとは死んだら 真っ暗闇を彷徨うよ、悟ったひとも 自由だから好きなことしても大丈夫だと 溺れて 闇を彷徨う。だって、僧侶でさえ 彷徨うんだよ。ここは遊びのようで誘惑のぬかるみなんだ。 消えて無くなるわけじゃないよ、個は残る。 ちゃんと、神を目指した人のみ 帰依できる。 みんな知らない。それを知ろうともしない。 暗闇をただ ただ歩いてるんだ。あなた死んだんですよ、と言っても 信じないで ただ ただ歩いてる。記憶が消えるまで。知らないから 遊びだとか言ってるんだ。知らないんだ。 >>677 >>678 ここで最も重要なこと。 この2つの意識は 部分意識 ⊂ 全体意識 の「抱合関係」ではなく 部分意識 < 全体意識 の「制約関係」になっているのです。 これは、いくら部分意識を考察しても、全体意識(神の目標)である霊的意識 の本質に気づくことができいだけでなく、 公理 愛の修行や真理の追究を必死に行っても、 全体意識(神の目標)の本質に気づけない。 さらに、全体意識の概念のない者は 低級な霊的成長は得られるが、 高級な霊的成長は得られない。 これらのことは、 囲碁における上達過程での根本原因として 実証証明されているのです。 、 >>686 このことは、 シルバーバーチの教えの矛盾であり、 その教はが、もう過去の者である。 という証になるのです。 >>684 >>685 仮にそうだとしても、そんなことを知っている 必要があるのだろうか。 鳥は宇宙について知っているか。アザラシは 原子と分子を区別するか。 人間は神について知っている? 知らなくて良い。必要がない。 寧ろ問題は、自分が何をしたいのか 何を望んでいるのか、それを嗅ぎ分ける 嗅覚の無い人間が多いことだ。 これは大問題だよ。腹を空かせているのに 水ばかり求めるような生き方に繋がるからね。 >>688 あると思います、だから 人は真理を求めるのです。 悟ったと言っても 増長慢になって、ばたばたと自滅するのです。 だから 覚者は必要なんです。 より多くの知識、より確かな理論、 そんなものを求めていると、まさに 無意味に暗闇を迷い続けることになる。 あなたは何年め? 命はもう40億年の時を経ている。 私たちは100万回を生きて、今や食物の中の栄養と 毒素とを正確に嗅ぎ分ける。 獣のように生きろよ。日々の感性に、強く鋭敏な 反応を従わせて。 それが真実さ。君は神じゃない。 肉体から生じる思考という意味では、ね。 それは全て命の持ち物だ。 君は一匹の獣を見ているんだよ。 そしてそのことに、完全に気付いている時、 それを完全に意識し、獣として全く目覚めているときに、 実に君は、君を通して神が生きていることさえ見るのだ。 >>689 若い人よ。必要ということはない。 覚者は生まれてくる。それは必然だが、必要ではない。 アリに兵隊アリと巣アリがいるのと同じだよ。 どちらも生まれてくる。 が、別にどちらが偉いということもない。 自滅するときは何であれ自滅する。 所詮アリだからな。 人間の覚者もこれと何ら変わらない。 生まれてくるが、別に重要ということはない。 >>690 神の子は神の子です。 疑いようがない。 私は獣でもないし、人間でもない。 貴方は 神の光を啓示されてないの? 神は目の前に現れる、閃光の輝きとして。 う 部分意識 ⊂ 全体意識 の「抱合関係」ではなく 部分意識 < 全体意識 の「制約関係」になっているのです。 生きるという使命と目的において、 部分意識 と 全体意識の制約関係、対立関係、共存関係を を学び、その本質を知った上で、 現実社会において、未来意識を持ちながら、調整適合させることで、 自分の魂の霊的で高度な成長が達成できるのです。 >>692 わが子よ。問題はそこではない。 問題は、自己の定義だ。 君は自分が神の子だと言う。それは良い。 だが、その"自分"とは何だ。例えば君の爪や髪は、 君という存在と不可分か。 だとすればある一本の髪が抜け落ちただけで、 神の子としての君の完全さは破壊され失われてしまう。 では手足は、骨は、内臓は、脳神経は或いは 排泄物はどうだ? それから、ああ、耳の中の音だよ。 頭の中にこんこんと湧いているその音と言葉。 それは君自身と言えるのか。本当に? さて…神の子はどこにいるのだろうな。 つまり、君は一体、"自分"というものを何だと 捉えているのだ? >>695 だから 私は人間ではないと言っている、 私は光だ。貴方は光の自覚をされたのか? 光には姿かたちはない。 だが 神と一体になったとき 私は神の子であったと知る。神に向かい入れられる。 或いはこう言おう。 怯えるな、娘よ。 自分を信じろ。 お前はそんなに無力ではないぞ。 他人などもう気にしなくて良いんだ。 お前が本当に飛び去りたい方向へ。 自分の世界を作れ。 この土の上にだって、本当の意味での お前の居場所を作れるよ。 君は自分を非難する代わりに、 他人を非難しているんだ。 いつも自分自身に失望を抱いてしまうのに、 その失望を自分で抱えていたくはないからさ。 君が本当に信じられないのは、 君が本当に許せないのは、 君自身なんだよ。 >>700 残念ながらそれもない。 思い通りだよ、 ああ、だから敢えて言おう。 友よ、君ほど実在の領域に精通する人物が、 一体この世にどれほどいると言うのだ? その君が自分の才能やエネルギーを、他人に向けて 注ぎ費やしているというのは何とも馬鹿げた損害ではないか。 踏み出せ。大丈夫だ。 何をやろうと、君は既に創造の領域にいる。 楽しめよ、自分の魂の音響を。 君はそれを手に入れたんだから。 その逆なんだ。私は今まで思い通り 好きなようにいきてきた、思ったことは自由自在だった、 ところがある日 光が降りてきて 私は人間ではなかったと知った、強制的に終了させられたんだ。 皆 人間をやっているが、自分は人間ではないと気づく時がくる。私は人間が楽しかったが なんと人間とは虚しいか、それに気づいたら神に出会う。 スピリチュアル漫才? スピリチュアルコント? 意味のない論争、いい加減に止めなさい。 >>706 君は神に出会い、自分が人間ではないと気付いた。 素晴らしいね。そういう人はどんな生き方をするのだろうな。 神の子よ。私は人間だよ。 これもまた素晴らしいことだ。 お互いの与えられたものを楽しもう。 君は神の道を、私は人間の道を。 人間ほど、「言葉遊び」を知らん生き物もおるまいね。 言葉に遊ばれる側なのだから。わっはっは。 皆、言葉遊びが大好きで 言葉に遊ばれるのも 好きなんですよ。 そう。それだけなんだよな。 こんな楽なことはないよ。 確かに、海の魚や森の山野草、 こういうものには言葉は通じない。 だけどそれもまた良いものだ。 夏の朝に森の中の涼しい日陰を歩く時など、 彼らとも本当に良い関わりを築いていると実感するよ。 ここにいる先生方に質問ですが 世の中には真理を伝えても 伝わらないかたがいると思います。 (例 耳が聞こえない、認識できない等) その方々には どのように伝えますでしょうか? 伝えるとか伝わらないとかいうのは見かけ上そう見えるだけのことで 実際はもう伝わっていることを本人がわかるかどうか そういう意味では真理は他人である誰かが伝えるものではなく誰でも自分でわかるもの 自分さえわかるときがくればわかれることができるもの だから相手がどうあれどう接しても伝わるときには伝わるし どう接しても伝わらないときには伝わらない そうなりますね。 また別の言い方をすれば、穴熊は言葉を解さないが、 人間は言葉を解します。そのように、真理を 解する者と、そうでない者とが居る。それだけです。 また別の方向性を見ましょう。指導者は盲目の者に 如何に教えうるか、その論理と方法を考えます。 が、結果にはこだわりません。教材はあると良いけれど、 それにしても、学ぶ側の心の準備が整わなければ、 何も学ばせることはできないからです。 私たちも多少は、教えるということを 進化させようと努めてはいるのだが。 それとても小さな獣の、ささやかな生の営みに 過ぎないね。 http://herbarium.main.jp/wahou.epub 真心で接すれば 全てが伝わりますね。 人以外に動物や植物や 全てのものに あなたへ届けトゥルーハート! 世界を繋げる想いの力、アイアンフィスト!! ねぇ、こんな場所に1人で居るなんて駄目だよ! 私あなたと友達になりたいの! コ ブ シ で !! >>717 @ なぜ、伝わないのかを原因を考える。(自分のために) ↓ A 原因が自分なら、改善しもう一度伝える。 B 原因が相手なら、放置し、黙って去る。 理解できない人に理解させようとしない。 高齢になるほど、価値観が固まっているので、無可能です。 すべてを忘れる液体を飲ませるしか方法がない。(死んで、生まれ変わる...) >>724 そうですね。 生まれ変わるのはステキです。 毎日生まれ変わりたい♪ まぁ頭で考えた 想定通りに行かないのも 人生の楽しさの1つですね。 徐々に 自分が自分で無くなっていく感覚に 不安と苛立ちで生きている人に どうやって癒してあげれば良いの? 全てにおいて 答えは1つ 言葉は必要なのか? 頭で考えることは必要なのか? 必要なのは 愛じゃろ(’-’*)♪ 必要はない。だが有っても良い。 言葉も思考も、なんら特別ではないから。 児戯は児戯。人は人。 だが捨てたものではない。 何なら人生というものは、子供の時分の方が 輝いている。 重くなり、輝かなくなるものだ。言葉や思考さえ。 だがそこから自由で居ることも出来よう。 言葉遊戯なら ユーモアセンスが 溢れる方が知性的かな。 日本人は昔から言葉遊びが好きなんです。 何にも依らず 心は自由に 哲学とは思考の芸術である byルドルフ・シュタイナー 書くという欲求は生きることの拒否に包まれている。 ジャン・ポール・サルトル 哲学的な装飾を深めれば、こう言うことも出来る。 「生はそれ自体が、生からの逃避である」 まさにこうした矛盾によって、主体的視点と、 論理における"私"という聖域は作られる。 定義することが 矛盾を作るということですか。 古代から人は定義するのが 好きなようで。 或いは「意図する」ということが。 意志を持つことは主体的な作用だが、その主体は幻想だ。 こういう観点から前述のサルトルの命題を省みれば、 生とは、生なきものによる、生なき場所からの逃避だ。 そしてそのとき無から捻出される質量こそが、 実存なのだと言えるだろう。 でもな。こんなことを言って、全体何の意味があるんだい。 生きたプシュケーの無い哲学は虚しいものだ。 あらゆる理知は情感を伴っていなくてはならないだろう。 労働と充実について。 欲求5段階仮説を拡張して、 @理想形(完全な形の欲求ピラミッド) A個人の充足(労働前の、実際のピラミッド) B労働の要求(充足から支払われるべき部分) C労働における提出(実際に支払われる充足) D労働における獲得(労働を通して付与される充足) という5項目の概念を設定したい。 充足から提出を引き、獲得を付与した後の 「労働後の充足バランス」が理想形に近ければ、 その労働は労働者とのマッチングが上手く 行っていると言える。 一例として、 多くの場合、単純な労働のために提出が求められるのは 生理的欲求と安定的欲求である。 (実際はより上層のものも提出はしている) 労働者はそれらを提出する一方で、 社会的欲求や承認の欲求などを獲得するだろう。 労働対価としての金銭は、共通価値としての性質上、 理想形のピラミッドに近い獲得をもたらすものであろう。 これらの収支の結果、労働後のピラミッドが 理想形に近い形になっているならば、労働者は その労働において充実していると言える。 もしそうでなければ、労働者ないし労働を要求する側の いずれかにおいて改善を要するか、労働の不一致が 起きている状態だと言える。 感情労働や単純作業、理念なき金儲け、の魅力が 低いのは、そもそもが欠乏しがちな、欲求段階の 上層からも充足を提出させようとしたり、 上層における獲得が見込めない為に、 労働後の充足ピラミッドが理想形に近づかないからだ。 そういう状態では、余暇活動や自己啓発活動などで 相応の埋め合わせが必要だが、それらの補償活動の 全てを通して、充分な金銭が要求されることは 言うまでもない。 日本は宗教が薄い。欲求上層は多分に宗教的な 領域でもあるが、そこから宗教を排するとしたら 他の何かは神格化されねばならない。 日本人は長く、労働を神格化して来たのではないか。 もしグローバリズムや技術の発展によって 労働の神性が失われつつあるのだとしたら 我々は意図してそれに備えなければならないと思う。 三途の川の岸辺には、奪衣婆と言うのがおってね。 まあなんだ、生前の罪を測る時に邪魔になるというので、 やって来た亡者を身ぐるみ剥がすのだよ。 要らん部分だけ奪っていくわけだな。 間引きみたいなもので… 余計な部分は全部取れて、必要な所だけは残る。 新陳代謝と言うのは、ある意味自発的な死だね。 死があるから生がある。そうしたサイクルの影響を 受けてなお形が維持される部分こそ、本当に必要な 部分なのだよ。 みんな毎日トイレに行って スッキリしてるのに 忘れてるんですね。 心地よく軽やかに ごんさん、おはよう。 ごんさんも天国に入ったことある? 天国か。あるよ。確か草津だったかなぁ。 極楽の湯と地獄の湯って言うのがある温泉。 もちろん地獄にも入ったよ。 皆さまに最後のお願いをしに来ました。 わたしは遂に地縛霊との対決に終止符を打とうとしていますが、 それと引き換えに私の気力も衰えを見せ始め、想念を持つことが 難しい状態へと進行しつつあります。 その為、私が地縛霊の人達から聞き出すことが出来た神の秘密は 私自身、これから話し続ける体力が残されているかわかりません。 是非、皆さんで以下のスレッドを閲覧頂き、 私が、悪魔たちから何を聞くことが出来たのか、それを纏めて頂き ますようお願い致します。 それでは、お手数をおかけしますが、宜しくお願い致します。 王路(引き寄せの法則)おまえらの力が必要だ! https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ まだ、話の全体像を掴めないと思うので、要点だけ述べておきます。 一、聖書はイナンナによって作られたこと。 二、イナンナはその後、イシュタルと名前を変え、ファラオ(アーメン・ラー)とイエスに仕事を託して身を隠したこと。 三、イシュタールは、アストラル界を作り、アシュタールを発足させたこと。 四、イースター島のモアイは、イクナートンの顔であり、何体もある由来は、コピーが作られているということ。 五、永遠の命の承認を得た死者は、生まれ変わりがなくなり、地上の人間の雛形として御霊分けをお願いされること。 六、イエスはアシュタールを使って人間が想像する思考を限定し、神への容疑を持たせないようにしていること。 七、悪人であっても、イエスのボディガードをする死者は生まれ変わりを命じられず、霊界で生き延びていること。 八、イエスのボディガードをする死者は、人間を誘惑し、その者が死んだ後、イエスの許しを乞うように働きかけるということ。 九、天使は、生まれてすぐに亡くなった赤ちゃんの性格と大人の霊の性格を合体させることで作り上げている存在だということ。 十、これらの計画はすべて、金星の守護神、イシュタルによって計画されていたのだが、イエスが主役として祀り上げられているということ。 ごんさん逝ってしまったのかな? もう少しお話聞きたかったな これからも真理探究の旅をお続けください。 求め続けるのです。 きっと与えられます。 要求が拒絶されることは決してありません。 ただし、回答は必ずしもあなたが期待したとおりのものであるとはかぎりません。 あなたの成長にとって最善のものが与えられます。 時として酷しい環境に閉じ込められ、 それが容易に克服できないことがあります。 しかし、正しい信念さえ失わなければ、 そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。 そんな時は神の象徴であるところの太陽に向かってこう述べるのです。 自分は神の一部なのだ。 不滅なのだ。 永遠の存在なのだ。 無限の可能性を宿しているのだ。 その自分が限りある物質界のことで挫けるものか、と。 そう言えるようになれば、決して挫けることはありません。 パオーです ウエイト板で小堀さんに負けてしまいました 謝罪文を書き込めば許して貰えるとの事でした 仏様のような方で助かりました 申し訳ありませんでした 西村さんにも謝罪します \___________/ ∨ ____ ,/:::::::::::::::::::::\ /::::::::::::::::::::::::::::::::::\ |:::::::::::|_|_|_|_|_| |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ |::( 6 ー─◎─◎ ) |ノ (∵∴∪( o o)∴) | < ∵ 3 ∵> /\ └ ___ ノ .\\U ___ノ\ \\____) ヽ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 元宇宙人が教える ノーザンコペルニクス 情報料\25000で貴方も月収100万 !? 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