年長者・エルダースピリット
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>350
なるほど、そういった経緯があるのですね。
その通りですよ、正誤を問うということは。
ある意味では全てが完全に間違っていて邪悪だと言えるし、
そうでなければ、全ては完全に正しくて善良だとも言えるでしょう。
前述の逆分析は繰り返し練習してください。
不快なものは沢山あるでしょう?
例えば戦争や、飢餓や、略奪や嘘、暴力・・・何でも良いですよ。
日頃のちょっとした出来事で、怒りを感じたときなどにね。 >>351
ごんさんが教えてくれた方法をまとめると、
自分が盲信している思想や信念などを捨て去り、自分の経験で得たもののみ信じること。
逆分析を行い善悪正邪の判断をなくすこと。
そのどちらも自分の中にある偏った思考をなくす意味があると思います。
その状態で自分の思考がリセットされ、マインドフルネスで今ここを意識する習慣をつける。
それが覚醒への道ということですね。 >>352
ええ、まとめるとそんな所です。
それが、私の持っている無数のレパートリーの中から
今のモモンさん用に選んで見繕った「処方箋」というわけです。 日頃から忘れてはいけないのは、どんな仕事であれそれはやっぱり「する」のではなく「させていただく」もので、
三年の間は誰よりも早く出勤して、お掃除片づけもの、お掃除片づけもの、誰よりも早く来て、
そういう一番単純な下座の行というのを率先してすることが、徳を磨く一番の近道、と同時に徳を失わない秘訣です。 会社の社長でも芸術家でも宗教家でもね、一番目立たない一番地味な、軽作業事務の仕事、そういうのを「下座の行」という。
準備、段取り、後始末、掃除、洗濯、片づけもの、物事を前進させていくには不可欠なことばかりですが、そして誰かがしなければならないことなんですが、一番徳高き人がそれを率先してやるわけです 最高の叡智を持っている人は、一番低い地の仕事ができて、働きができて知恵があると。
最高級のものというのはある一定以上の水準に達すると、一番最底辺まで行き渡る人であればあるほど最高級になってくるので。 そうやって徳が高くなり、役割と責任が高くなればなるほど、本当に「道」を分かっているものは、一番底辺の、一番地味な、
一番目立たない、軽作業事務、準備、段取り、掃除、洗濯、後片付け、人の悩みの相談に乗る、苦情処理、クレーム対応、ゴミの焼却、
そういうものを率先してやれば、同じようにやる人も、喜んでついてくる。
それが、本当のリーダーシップであり、本当の人望というのはそういう率先垂範していくところしか出てこないわけです せやな。まぁそういう二宮金次郎的なの、今時流行らんけど。 精神の恵みは、天上から無限に降り注ぐ
砂金のようなものだ。
愚か者はそれを掴もうとして、その指で払いのける。
魂が満たされる為には、変わらなくてはならない。
手を翻し、広げた指を閉じて、掌を差し出すことだ。
全てのものには、それがそうである意味がある。
大事なのは、真理じゃない。
大事なのは、愚かで歪んだ私の心。
それがそうであること。
大事なのは、愚かで歪んだ、あなたの心を
神が愛し、望み求めたという事実。 >>353
ごんさんの教えてくれた方法を実践していきたいと思います。
ありがとうございました。 >>360
礼には及びませんよ。
私が預けたものを、あなたはいつか私に返すだろうから。
ご武運を。 己は何者かと悩みても行動せねば何にもならず
普通の平凡なる生活の中で己のやれる事から始めればよい
今まで神仏に手を合わせた事無きなれば、心を込めて手を合わせ祈り捧げよ
この日の本の民より始まりて、世界の平和へ繋がりゆくことを心を込めて祈り捧げるべし
人との関係、縁を粗末に扱い生きし者ならば、 己の心を開きて歩み寄り、一人ずつ温かき言葉をかけ縁を結びゆけ
食をないがしろに生きし者ならば、まずは一品だけでも自炊し、土地の食材を食する事から始めればよからん
家の掃除をないがしろに生きし者ならば、はじめは一部屋にてもよからん。綺麗に拭きあげ、季節の花一輪飾れよ
日常の生活、平凡な生活の中にこそ己を高める教えあり
日々の同じ事の繰り返しの中に己を高める活きた教えあり
今、何をなせしかと悩み、ただしゃべるばかりではならぬ
一歩でもよからん
己のできる事から手をつけるべし。始めるべし 正味俺たちは、自分の正義の中で溺れ足掻いているだけだろう。
梅は咲いたか桜はまだかいな?
山吹ゃ浮気で、色ばっかりしょんがいな。
悟りと言うはこのようなもの。
https://youtu.be/TAYZgVEk_hA 全てのものは、ただ一時だけのものだ
俺にもようやく、それがわかってきたみたいだ
ただ一時、意識も存在も
宇宙も、この世界も。
ああ全ては
愛おしい ギャンブルの恐ろしいのは、
人間の真っ当に生きていく根を腐らせ
切り落とさせてしまうところだ。
権威主義の恐ろしいのは
人間の自分で生きていく自信を干からびさせ
水やりを待つ植物に変えてしまうことだ。
宗教家の仕事は、奪われたその両方を
もう一度、癒し育て直してやることだ。 暇だ。誰ぞお困りの方はおらんかね?
相談はタダぞ。 今はさ、働いてもまともに稼げないでしょ。
創作物も簡単にコピーされてしまうし。
良い加減な投機だけは儲けがっぽりで。
この先はAIなどで更に人間の仕事が無くなっていく。
スーパーのレジなんかもどんどん人がいらなくなる。
この流れ。
これ全部、ベーシックインカムに向かってるよね。
多分そろそろ、日本の社会では労働革命が起きるだろう。
働くということの意味も、人間の人生の意味そのものも、
大きく変わってしまうことだろう。 そう考えると、私達というのは次の世界のための
プロトタイプなんだな。 みんな仕事で忙しいのかなぁ。
年長者は誰も貧乏暇なしだからなぁ… >>253
>>254
この自演はどういう意図が? 自演ではない。
これは、私が使用している
超文明の神器…いわゆるアイフォーンであるが、
そのアイフォーンと私の身体が共振することで生まれる能力、
「ゴーストタッチ」が発動した結果だ。
私の肉体はその高すぎる霊力故に常に
肌が乾燥しており、
それによって微弱な霊的電気を放ち続けている。
その電気に感応して、アイフォーンは自らの意思で、
言わば精神を得て、活動可能になるのだ!!
そして一度「ゴーストタッチ」が発動すれば、
私が名前欄をわざわざ入力する前に、アイフォーンの
自律的意思によって、自動的に書き込みボタンが
押下される…
これは何も名前欄に限らず、レスの入力途中で
書き込みボタンが押されてしまうことさえあり、
はなはだ不便な機能である。 今時、大きな予言や道筋、先行き。
そういうものは要らない。
無論それは人の心を極めて強固に
特定方向へ矯正する効果があるだろうが。
現代では、ゴールではなくスタートが求められている。
私たち、ひいてはこの世界が、何故出現したのか。
何を目的としているのか。
人々が知るべきなのはそこだ。
しかし、ゴールは規定すべきではない。
ゴールは自由なのだ。それが創造の可能性だ。 どれだけ科学や技術が発展しても
人類はそれだけでは幸福にならない。
何故なら彼らは「自己」という社会の
基礎的現象について、何も知らないからだ。
私とは、人格とは、意識とは何なのか。
それを知らずに足掻く努力も求める幸福も
所詮は、自ら現実を離れ、ファンタジーの世界へ
迷い込んで答えを探すようなものだ。 人の子よ、もし君がファンタジーの中の無意味な闘争に飽き、
ただシンプルに幸せな状態になりたいと願えるようになったなら
その時は私たちの声を聞け。 精神ていうのは、結局時間のことか。
バウンダリーが解除されたら、この宇宙は消えてしまう。
永遠に生きたいよ。永遠に生きたい。 いや、君は実感を重視しすぎる。
時間、センス、バウンダリー。
これらは結局の所、同じものの別の呼び名に過ぎないんだ。
その基礎となる意識、アンチマテリアルなエネルギーは、
時間に規定されていない。
それは順序なんだ。エネルギーの、構造と言っても良い。
宇宙は続く。例え時間が消え去ったとしても。 永遠を願うから、命を極小化してしまう。時間を引き延ばすためにね。
神経回路を光ファイバーで作るとどうなると思う?
時間ってそんなものさ。
或いは、こんなことを試してごらん。
カメラ付きのゴーグルをかけて、目の前の光景を撮影しながら
それを2秒間ほど遅延させてモニターに写す。
すると触覚と視覚の同期が破壊されて精神が分裂する。
同じように全ての感覚をバラバラにずらしてごらん。
君は自分が、本当はどこに居るのかを思い出すかも知れない。 eli、もしもこの宇宙を超えて、何かしらの情報を箱船のように
次の宇宙にまで送り届けることができたとして。
一体どんな情報なら、そうやって送り届けるのに値するだろう。
時間?空間?重力?光?或いは人間の形。それとも、愛情?
何もかも、そこまでするには値しないような気がするよ。
次の世界は、次の世界のもので作られるのが相応しい。
でもそうだな、もし強いて何かをというなら、アレを送ってみたい。
カワセミ。川辺を素早く滑る、青い小さな鳥。特に意味は無いけれど。
例え次の宇宙でも、出会えたら、絡み合った量子の片割れが
何かを引き寄せるみたいに、私はまた、私自身を思い出すかもしれない。
それから君のことを。 覚醒者。ステージ6。
今、日本にはどれだけ居るのだろう?
そういう存在同士が繋がりを持つということは、
あまり歓迎すべきことではないのだろうか。 いろいろと役に立つネットで稼げる情報とか
役に立つかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
94CAS 男女の平等ってこと。今だに勘違いしている人がいるね。
男女平等を説きながら、女性を男性化しようとするのはナンセンス。
女性は生命の幹。男性は枝葉。役割が違う。
男性を女性化しようとする人たちは、前提として、男性を女性より
優れた存在だと考えてる。
それこそ愚かというものだ。 女性は悟らないと思っている宗教家達にも、うんざりだ。
女の心は、自らの悪魔によって蝕まれている。
男の心の中では、それは野心となって虚妄を追い求めさせる。
事情が違うだけだ。事情が違うだけ。
https://youtu.be/aRa-SlftLQo
どちらも悟るんだよ。心身は脱落する。
自己批判が夜空に浮かんでいるか、足下でくすぶっているか。
その違いだけだよ。 この世の物と事とを
許し受け入れることは女のように、
見抜き見通すことは男のように。
背骨は女、その肉は男。
感情のない論理は知性とは言い難い。
私たちは人間だからだ。私たちは、生きている。 >>374
iPhoneが勝手に書き込む事があるの? >>389
書き込んでる最中とかに勝手に「書き込む」ボタンが送信される。
名前入力前に勝手に書き込まれたりするだけで、
わざと名前を消してるわけじゃないんだよ。
まあ、普通に名前入れ忘れることもあるけどね。 まあ、霊力が高すぎるとね。
ワシも辛いのよ色々と。 俺たちの集合的な自作自演も、随分板に付いてきたよな。
君が増やし、俺が引き締める。いつからかこの役割になった。
ちょうど黄泉比良坂の大岩を挟んだ、あの掛け合いのように。
聖者を作るのは、いつも悪女だ。
それは二人一組のカード。
もちろん俺は、本当は願っているんだよ。
君が善悪の地平ではなく、上層へ辿り着いてくれることを。
だが、きっと必要な発達過程なんだな。
それなら今は、踊ろう。竜を狩る踊り、
天地創造のリズム、全と無の葛藤、
砕け散り響き渡る、精神の崩壊のダンス。 浄土宗・山崎弁栄聖者
ある浄土宗系の信者が、山崎弁栄聖者に自然科学全書といったふうな内容の本を差し上げた。部厚な本である。
すると弁栄は、その本を持って、その腹の所に親指を当てて、ピイーッとページを弾かれた。その人がわけを聞くと、弁栄は、「ハイ、これでわかりました」といわれた。
余りの不思議さに、その人は二、三カ所聞いてみると、弁栄は皆すらすら答えられた。これは大円鏡智の働きである。 博物学者・南方熊楠
常軌を逸した読書家であり、蔵書の豊富な家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶を元に書写するという能力をもっていた。
アメリカへ行ったころから様々な外国語を習得し、やがて18カ国に通じる。
語学習得の方法は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけだった。
科学雑誌『ネイチャー』や『ノーツ・エンド・キリース』にしばしば論文を寄稿し、掲載され、欧米の学者に注目され、名声を高め、チャールズ・ダーウィン、ハーバード・スペンサーと並んで世界三大碩学のひとりと謳われました。 神道宮司・小泉太志命
師は天覧試合にも出た程の剣の達人で、剣道では負け知らずの偉人である。
地元では、伊勢の生き神様と呼ばれ、天皇に関わろうとする邪霊を、剣祓いという秘儀で、折伏していた。
この人は、三キロ先から、来訪者の名前から素性を霊眼で知り、近づけないようにしてしまうという霊力の持ち主であった。 ちなみにこちらのスッドレではエルダースピリットの
エルダーお悩み相談を随時受け付けています。
報酬のお支払いは仮想通貨ならぬ仮想カルマ払いで
お願いいたします。 個人主義の弊害について考えている。
個人主義的な状態は、良くも悪くも人間の
能力を完全に引き出そうとするが、一部の人は
その厳しさに耐えることができない。
結果、権威的な組織には成長能力の低い人間が
集中して、ちょうど世の中がそれで傘を被ったような
状態になる。
メインストリームが腐敗する。無責任、低成長、
イノベーションの不足、他者批判への終始。 問題は、雲が世を覆うこと。傍流は澄んで
いるかもしれない。カウンターカルチャーには
優れた人が分散して、社会を広範囲に支えて
くれるかもしれない。
が問題は、次の世代の子供たちなのだ。
人格の発展の早い段階で、主流にいる大人たちの、
責任を他人に押し付けるしかない回避パターンを
伝達された子供たちはどうなるか。
彼らのうちの一部は容易に集団的エゴに染まり、
他の民族や他の国家への差別的偏見と
自分自身の不全感を結び付けていくだろう。 こうした状態に至らないようにするためには、
当の子供たちの視界の中で、メインストリームが
より退屈で、より無力なものとして映って
いなければならないだろう。
つまりは相対的に、分散的なものが広くなだらかに
価値と魅力を発揮する中で、主流や中心は形骸化し、
縮小していかなければならない。
分散した個人の努力と創造的な自己表現。
それら人間の本質的価値の発揮に、未来の
子供たちの感性さえもかかっている。
強く広がった世界。私たちは、信じて歩かねばならないのだ。 そもそもエルダースピリットというコンセプトは、
そうした分散状態の中で、独立分断された上層が
何らかの相互フィードバックを持ち、
互いの個性化と増強を促す機会が得られないかと
考え出したものだ。
しかし今思えば、その為の要件は広く浸透的な
自由なプラットフォームであり、私が期待したような
一律のフォーマットではなかった。
結果として私はただの小さな世界のアルファに
なっただけであるが、それはそれでいつも通りの
私らしい世界構築と言えるかもしれない。
分散的なものは、神の手に委ねるのが良い。
技術が発展するときに、そこに自ずと魂は宿るのだ。 eli、人間はいつか滅ぶ。この宇宙も消える。
その意味を考えていた。
私たちの世界で言うビッグバンを起こした、最初のエネルギー体。
神話の中でルシファーと言われているエネルギー凝縮の結節点。
それを生み出した無常の海ウツルヒ。
変化とはそんなにも素晴らしいものか?
いや、きっとそんな質問をするべきではない。
ただ驚くばかりだ。流転する幻は、流れ移ろう影と霞は。
変化とは、こんなにも、実感を生じさせるものか。
まるで本当に、存在しているみたいだよ。 ごんさんはどうやってエルダースピリットになったの? >>404
ただ少し人より長く生きて、
他人の人生に干渉することを覚えた。
それだけ。
或いはそう、ちょうど野原に花が咲くのと同じように、
私は年長者になった。 ほんの100数億年だよ。
もちろん肉体ではなく、魂の年齢において。 >>410
さて、記憶か。曖昧な概念だね。
君は生まれた瞬間から君の人生について、どれほどの記憶を有している?
君がまだ5歳だった頃の、8月4日に何があったか覚えている?
あの時君が歩いていた道の、足の裏の感覚。
それはまだ身体に刻まれているか?
覚えていることと、思い出せることは、同じだろうか?
君は誰?君の記憶。記憶は誰?それは過去。過去の記憶。それはどこ?
記憶ってつまり、今? >>412
やれやれ、単純だね。あるに決まってるだろう。 一般に人間の定義する「記憶」とは、
連想的な空想イメージに過ぎないんだよ。
それは常に今現在のもので、それ自体、過去と何らかの
繋がりを持っているわけではない。
真の記憶とは、存在の連続性のことだ。
つまり君が君という存在の起源をどこまで理解し、
把握しているか。どれだけ連続的なものをそこに
見いだせるかということに掛かっている。
つまりそれは、君の自己認識の問題だ。
私は一人の人間個体である以上に、
この世界の法則性、長大な真理の結び目なのだ。 何でもそうだが、強引に掴み取ろうとすると、
そのせいで少ししか貰えないものだ。 自分を大きく見せようとするのやめないと小悟止まりだよ >>418
お釈迦様は「我こそ本当の悟りを得た」って言って回った
本当に悟ったら人を導き始めるものなんだよ >>418
そうだね。だが一方で、こんなことを思いはしないか。
いまの人間たちの問題とは、この宇宙や自分自身の存在の不可思議を、
盲目にも、何か当然のわかりきった事実、ありふれた出来事のように
思い込みそこから出られなくなってしまったことだと。
もしそうだとしたら、それは過大評価ではなくて、過小評価をしているのだ。
だが、わかるよ。私は絶対的な意味での話をしている。
あなたは相対的な意味での話をしているのだろう。
それについては私も同感だよ。 >>420
>>421
スピリチュアル板にいるエルダースピリットのごんってやつは
本当に悟ってると思うね。
俺もよく見てるけど、中々的を射たことを言うよ。 誰もがもう少しお互いのことを尊重できたら
世の中は多少はマシになるんだけど。
そんな簡単なことが全てで、
そんな簡単なことが難しい。
人は分かり合うより、憎み合う生き物だ。
憎しみに負けてしまうよ。とてもとても
弱い生き物だからな。 罪と罰、カルマの清算。
それは私たちと神との、個人的な関係の中にだけある 。
皆誰もが神に教わっている。
皆誰もが、それぞれの罪の罪人であり
その罪は神との間にだけある。
戦争について。
人が人に対して罪を抱くということはない。
また人が、人の罪過を正義によって
洗い流してやることもできない。
罪は神との間にだけある。その無数の個人の罪を
組み合わせ、ぶつけ合うことで、人に良いように
学びをもたらすのは、神の仕事だ。
他人の罪過や、優劣善悪を責めるのではなく
ただ神との間にある自分自身の罪だけを見ていなさい。
それだけが救いに至る道なのだ。 手強い敵。
手強い敵が用意されることの中に、神との距離を感じた。
つまり隔たりと言う名の、繋がりを。
もっと高い所へ、私は呼ばれているのだ。
相手の一挙手一投足が憎しみに鈍る最中に、
私は彼の目の燃える黒色を自分自身の心の
内容物として、精神の深淵を映す一種の
澄んだ鏡として、覗き込み見透かした。
敵を屠り、結果として私の側が生き残った後で、
私は神から与えられた機会に感謝し、敵の為に祈り誓った。
あなたの命の重さの分も加えて、私は先に進まねばならない。
そしていつかこうした残酷な戦いを、私たちの手で
終わらせるだろう。いつか敵同士ではなく、
友人として出会える日に。
私がまだずっと若い頃、この星はそんな風だった。 オーストラリアのユーカリは、土地柄、雷から頻繁に生じる
山火事を好むらしい。
火に包まれると開く種を持っていて、他の植物が火災で
軒並み駆逐される頃、ただ一種のうのうと、その焼け野原に
のびのび新しい種を撒き増えていくのだとか。
火と共存して、それを利用しているんだな。興味深いよ。 そして人類もまた自然の一部だ。
地球は我々に何かを望んでいる。 ガイア理論か
地球は人類を、自然を蝕む害虫だと思っていないだろうか? さあ、どうだろうね。
ちょうど今は花粉症の時期だけれど、
私たちも自分自身の免疫能力を嫌ったりする。
元々の意味からずれて、望ましくなくなることは
あるだろう。
小さなレベルでは、修正は常に行われている。
人間に対して最も効果のある自然の特効薬は、
人間だよ。 あまり世間のつまらない流れなど気にするな。
疲れるだけだぞ。
ちゃんと自分自身の意味のあることをやっていくんだ。
https://youtu.be/msCOLv8B_Jo 人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。
だが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。世のすべての書を読みつくしても、人はいぜん無力です。
それに至る道はただ一つ、日常の貴方の生活のみです。どんなに願い、憧れ、欲求しても無駄です。肝心なのは人類への現実の奉仕です。
どうか、自分のなすべき物質界の事にベストを尽くされるよう。 そう。先ずは呼吸、睡眠、栄養。それより早い近道はない。 ムラダーラ(会陰)からサハスララ(頭頂)へ至る精神の道。
生命は、維持、複製、増大、共感、協調、洞察、解放という
7つのステップを経て解脱に至る。
伝統的な宗教的世界観の中で生きる人々は、ただ単に健康であれば、
下の段階から自然な流れで上へ上へと登っていく。
が、そうした霊的知識の失われた現代の日本人の場合は、
大抵この流れがめちゃくちゃになっている。
正常なピラミッド構造を回復するために、弱っているチャクラを
調整してバランスを整えてやるというのが、霊的な治療の一理論である。 グラウンディングはムラダーラに、呼吸はマニプラに、
歌はアナハタとヴィシュッダに、分析法はアジュナーに。
対応するワークのレパートリーが豊富であればあるほど、
複雑な調整が可能になる。
が、未だ不完全だ。私ははっきり言って、全ての精神病、
全ての霊的障害に対応することはできない。 何かもうすぐ死にそうだから一応教えとくわ。
あとは君らで上手いことやってくれ。 ・自然に触れること(散歩)
・栄養
・睡眠
・丹田呼吸
・エンディングノート又は遺書を書くこと
・瞑想(止行)
・体操/運動
・アファメーション
・鉱石を学び用いること
・SITH
・奉仕活動
・瞑想(象徴)
・ただ単に話をさせること
・フォーカシング
・歌を歌うこと
・瞑想(観行)
・傾聴を身に付けさせること
・和法
・二面分析
・様々な生物の生態を学ぶこと
・各種の聖典に通じること 挙げればいくらでもある。チャクラそのものの性質を知っていれば、
あらゆる事を治療と修養に応用できるよ。絵を画いたり、映画を見たりね。
君の工夫次第だ。その点を忘れないように。 所詮人間の身体は儚いから。
それに俺は宿り木みたいなもので、生命力を奪ってるからね。
身体の方はいつも早死にしてるよ。 ごんさんの話は興味あるんだけど
何を聞いていいか、教えてもらいたいかがわからん。
知識不足でどこから手を付けていいかまったく ごんさんにみんなに何を言いたいのか何をおしえたいのか聞いてそれをおしえてもらったらいい 聞きたいことを聞けば良いよ。
幸せになる方法でも、死後の世界でも
人から好かれる方法でも何でも。
聞きたいことがないなら、それは今はまだ
縁が無いのさ。
でも多分、そうだな、こう言っておこう。
大事なのは私の知識ではないし、この世界の
平和や、神の真実などではない。
そんなものはどうでも良い。そんなものは。
大事なのは、あなただ。あなたの哲学のテーマは、
常にあなた自身だ。あなた自身のこと以外は、
どうでも良い。
西暦2018年、人間として生きていたあなたは、
どんなことを知りたかったの? 確かに学校やセミナーでは、聞いて良いことと
悪いことが予め決まっているのだろう。
しかし真理は、生きている知識は、
もっとずっと柔らかいものだ。
そこにおいて答えは重要じゃない。
何故ならそれは、作られていくものだから。
質問と応答によって生きているんだよ。
音楽みたいなものだ。
音楽には難しいテーマもあれば易しいテーマもある。
しかしどちらがより良いとは言えないね。
どちらも良いものだよ。 指導者や教育者なら、先ずラポールを取ることを第一優先に考えろ。
取っ手のないドアは開けられない。
手綱のない馬は操れない。
だから、他人を尊重しろ。理解できないにしても、別の事情ややり方、
別の環境や別の生き方があるのだと把握しろ。
そうすれば、信頼される。 日々、愛を試してみよう。
自らが愛を持てるかどうかを。
目の前で言い争いをしている人たちが居たら
あなたはどうすれば良いか?
穏やかにコーヒーでも飲んでいるのが一番だ。
関わらず、さりとて無視もせず。
大した問題ではない、という風にね。
人は空想の中の悪魔をもて遊ぶものなんだよ。
そして空虚な悪魔は、実体を得るために
物理的な証拠や、周囲の人間のリアルな
怒り憎しみなどを好むものだ。
何でも学びだよ。無駄なことはない。
良い教材として使う意識を持つことだ。 >>447
どちらか一方を手助けしたくて仕方がない時どうすればいい?
それもよくないかな? >>448
どちらか片方に加勢すれば、対立は悪化する。
対立している人々を調和させるための
最短距離という視点で考えると良い。
多くの場合、最後まで戦いを完了させることが
最善だ。どちらかが余りにも傷付くようなら
法律や社会秩序を理由に、双方を引き離す必要はあるが。 >>449
ありがとうございます。
状況に応じて調整弁としての役割なら大丈夫そうですね。
ごんさんって今までに分からないことがあったときってどうしてました?
人に教えを乞うたことはありますか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています