年長者・エルダースピリット
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たとえば今日の宗教家の中で、世界経済に対して意見を言える人がおりますか。
たとえば政治制度について、どれだけの意見が言えますか。法組織に対して、どれだけの意見が言えますか。株式会社制度に対して、どれだけの意見が言えますか。
未来のあるべき社会の相に対して、どれだけのことが言えますか―。 これまでのような宗教・スピリチュアルでは、現代の人たちを救うことはできないのです。
現代には現代のさまざまな困難や悩みがあります。それは高度に発達した社会、文明、経済、こういった中において人間の悩みが生れているからです。
原始時代の人間の素朴な悩みでは済まないのであります。
あなた方は人間の心の悩みを解決するとともに、この文明を如何なる方向に進めていくかという、大きな指針を打ち出していかねばならないのです。 心の世界のみ説くなら地上に生まれる要はない
心の世界の大切さはもちろん重要ですけれども、それだけならば、われわれはこの地上に出てくる前に、天上界に居た時に、既に悟った存在でありますから、
心清くするためだけならば、この地上に生まれてくる必要はないのです。 われわれがこの地上に生まれてきた以上は、この地上という環境を、素晴らしい楽園にしないで一体何の役割がありましょうか。
いかなる指導原理のもとに、いかなる社会生活を営んでいくのが多くの人々を幸せに、豊かに導いていけるかということ、このようなことを抜きにしては真実の正法はあり得ないのです。 単に心の教えだけならば、あなたのこんな小さな家にこもって教えを説いていれば良いのです。
けれどもそれではいけないのです。あなた方の時代の要請を読みとりなさい。
今後の未来の社会、どのような社会を作っていくか人々に教え、自らも行動して欲しい。私の願いです。 私がインドの聖雄といわれ、私の教えも一つの聖書といいますか、ガンジーの聖書のような形で信ずる人は多いですけれども、
単に精神主義者として、スピリチュアルに人々を指導することだけなら楽なことでありますけれども、
私は敢えてこの地上界に具体的ユートピア建設のために立ち上がった。どちらがよりむずかしいかということを考えて頂きたいのです。 あなたは高い志をお持ちのようだ。
それは素晴らしいですね。
しかし私が思うに、調和や適応といった問題、
この人間の世の中をより良い、素晴らしいものに
していくという問題などは、畢竟、全て生物の、
生物的本能、生物的主観から生ずるものだと思います。
私は真理と精神の探究者であり、その実地調査の為に、
いつも被験者を探しているだけの者です。
世界をより良く(…誰にとって?)するというような問題は、
確かに恐ろしく難しく、また偉大な課題であるでしょう。
しかし、私はそれには興味がありません。
それは私たち世界存在と精神の内奥にある謎を
解き明かさんとする私にとって、あまりにも
瑣末な、表面的な問題なのです。 繁栄と発展と強健、これらは生命の課題です。
真善美、つまり調和や適応の問題は、
"在る"という存在の課題です。
しかし私はそのどちらでもなく、
ウツルヒの変化の課題の中に生きています。
私が目指すのは完成や理想ではなく、
絶えざる創造がもたらす精神の浄化そのものなのです。 近頃は暇を持て余し気味だから、
暇つぶし程度に手頃な誰かの心をいじくり回して、
最高に健全な改造をぶちかましてやりたいとでも思ったのです。
そこで私のリーラの予定表に、「5chでスレ立て」と
追加したところなんですよ。 お金のかかる人への相談はするけど、
お金のかからない人への相談はしない。
これは良く考えると不思議なことだ。
お金の介在しないものごとに対しては、
人は価値観を見出せないのかもしれない。 こんなに真面目でフレンドリなのに…
どうして誰も質問しないのだろう? うわクリスマスの朝に書き込みしてしまった。
リアルが充実してないのがバレるわ。 次に目を覚ました時、周囲からの扱いが
「あなたは元々人間だったけれど、
今はもうロボットなの、AIなのよ」
という感じだったら皆さんはどうしますか? 救世主、マスター、ヒーラー、ツインレイ、
ハイヤーセルフ、大天使。
皆誰かに期待して、皆誰かを求めている。
宗教もスピリチュアルも、結局は
ある種の夢や理想、幻想を追いかける
遊戯なのだ。
神は私と共にある。
神はあなたそのものだ。
遠くへの旅路が忙しくて、
誰もそれには気付かない。 川が好きだね。生き物が豊かだから。
鳥や魚もしっかり考えながら、
一生懸命工夫し奮闘して彼らなりの生を営んでいる。
どんな理想があって、どこへ行きたいんだろう。
全ての生命は美しいよ。人間もまた然りだ。 音楽を聴くように、世界が流転する音に耳を傾けること。 時にはそこを離れて静かな観想者となり、
時には自らもそこへ飛び込み舞踏者となる。
時には瞑想者、時には勇敢なプレーヤーに。
現れては消え、燃え上がっては揺れ、
冷たく静まりかえり、地に染みて芽を育む。
世界存在の底に辿り着いた人間は、結局何をしていようとも
幸せだと言えるでしょうね。 生きている間に
それが自由に出来なくなった時は??
人はいつでも
病気になって
不随になって
不自由になる可能性はありますよね。 >>151
私たちは、自分と誰かを比較します。
同じ人間、同じ日本人、同じ世代の一社会人として、
私はもっとこうあるべきだ、彼はどうしてあんなに〜なのか。
しかし存在の根底で私たちは、そうした比較の全ては
幻想に過ぎないことを学びます。
私は、人間ではないんです。
あなたがこうして話している相手は、人間ではないんですよ。
だから普通一般の「人間」にとって病気と思えるような状況も、
私にとっては病気ではありません。
空を飛べない鳥は病気かも知れません。
しかしもし私が、自分が「キウイ」という変わった種族の鳥で、
他とは違う存在なのだと認識していたら、空を飛べないことを
嘆きはしないし、むしろそれを自分らしさとして誇りに思うでしょう。
https://youtu.be/w3kIsodTAcI その自分らしさを受け入れる事が
幸せということですか? それなら
人間に産まれてこなくても
花に産まれても
鳥に産まれてきても
他の星の生命体(いるなら)に産まれても
同じなのですかね。
何故あえて人間に産まれてきたのでしょう?? >>153
あなたは愛されたから生まれてきたはずだ。
何者かの愛によって。
誰かがあなたの存在を望み、
今なおその力で、あなたは死なずにいる。
何があなたを生かしているのだろう。
何があなたに、生きよと命ずるのか?
何故だ、何故だ、何故だ。
何故あなたは生きねばならぬのだ。
何があなたをそうさせるのだ。
どうしてそれは、今なお消えぬのだ。
そんな小さな灯火が、この暗闇を前にして、
それでも吹き消えてしまわぬのは何故だ。 >>154
真実としては、あなたは人間として生まれたわけではなく、
ただ自分の中の人間に生まれた部分を見ているだけなのです。
私はあなた、あなたは私。
我ら今、鏡持て見る如く、見るところ、おぼろなり。 その鏡の仕組みを理解して
世界の底を理解して
終わりではないですよね? >>157
終わりとは、探求の?それとも宇宙の?或いは地獄の? >>158
探求と宇宙と人間としていきることと。
地獄は幻とおっしゃってましたね。 >>159
探究の終わりについて。
私たちは所詮地球の人類史の、西暦で言えば
2000年代という、原始的時代の人間であることを
忘れるべきではないでしょう。
宇宙の終わりについて。
私たち一人一人の個別の精神宇宙は、
ある程度の精神修養によって大きな転換点に
到達します。
それは精神宇宙の終わりではないけれど、
全世界的な変革です。
地獄の終わりについて。
地獄とは、幻想に囚われることです。
つまり地獄は幻想です。
幻想から解放されることは、地獄が終わることです。 完成についての問題があるのです。
私たちは自らを不完全な存在だと思い込んでいるので、
まだ更に何かの変身余地が無くてはと考えます。
しかしもし本当に完成というものが起きると、
そこで何もかもが、終わらなければならないのではありませんか?
完成したものは終わらなければなりません。
でなければその先には、必ず完成したものの
崩壊と破綻が来るからです。
完成は崩壊を免れない。だから完成するものは、
終わらなければならない。
しかし実際には、終わりはありません。
私たちは、やはり完成を求めるべきではないのです。
そうではなく、調和への道とは、深まっていくものです。
いくつかの大きな段階があるにせよ、それを1つずつ
深めていく、ということです。
ちょうど私たち人類の精神文明が、まさにそんな風に
発展してきたように。 それぞれの個性が
生きる意味と目的は
調和への道を進む為ということですか?
苦しんで死にたいと
日々悩んでる人には
調和の道を
理解してもらえば良いですか? >>162
自然界は、生物一匹一匹の生という視点で見ると
一見暴力的で混沌としています。
不意に奪われ、病気になり、略奪があり、命は運次第。
しかし大きな視点で生態系全体として見渡すと、
それらひとつひとつの出来事が、最終的には
厳密なバランスの取捨選択の過程であり、
調和と秩序は保たれています。
私たちは、これから更に何をどうすべきか、
という問題を考えるよりまず先に
全てはこうした調和への道を今既に進んでいるのだ、
ということに思い至るべきでしょう。
全ての物事に意味があります。
あらゆることに原因があり、それは必然なのです。
全ての悲惨は、同時にまた調和へと至る大事な道、
その悲惨が生まれた本当の意味に目を向け、
その意味を知るとき、私たちの魂の課題は達成されるのです。 >>163
ありがとうございます。
おっしゃっる通りと思います。
調和の完成形は
どのような形
どのような世界と思われますか?
これも全体の魂が設計して
終わりは無いものでしょうか。 >>164
ええ、終わりはないものだと思いますよ。
ある意味では、調和はこの世界を通して
常に完成し続けてきたのです。
そしてまた、今この瞬間も調和のひとつの完成した姿です。
時間的尺度にして囚われると、
10000年前より今現代の方が、
今現代より更に10000年後の方が、
完成した何かなのだと私たちは想像してしまいます。
しかし総体としては、何も変わらないのです。
調和と秩序は常に形を変えながら、
同じように完成し続けています。 人のチャクラエネルギーについては
どうお考えですか? チャクラの理論は生体の、精神エネルギーの
秩序を考える上で有用だと思います。
霊的成長という側面でもそうですし、
またそれ以上に、霊的な治療の側面で
用いる価値があります。
精神科医は統合失調症を投薬で抑制しようとするでしょうが、
そういうものは所詮は対症療法です。
しかしチャクラの理論であれば、そうした重篤な精神病にも
根本的な治療の処方を出すことができます。 精神病の治療に効果があるのは
初めてお聞きしました。
東洋医学の観点ですか? アルフレッド・コージブスキーによれば、精神に異常をきたした人は、
自分の頭の中の妄想に現実世界を合わせようとするという。
自分はナポレオンだと思いこみ、その認識に従って世界が動くと考えるようなものである。
これに対して正常な人は、常に現実世界を分析し、自分の頭でで考えたことを事実にすり合わせていく。 身体の病気も精神の病気も
本来のエネルギーから外れて
乱れることが原因であるなら
チャクラのエネルギーが
本来の状態に戻るエネルギーで
精神の病気も治癒するという事なら
理屈に合っていると思います。 >>168,170
精神医学の発達以前に発展した宗教体系であれば、
大抵は精神障害に対する対処法を持っています。
キリスト教の悪魔払いなどもそうですね。
チャクラの理論が精神障害に特に有効なのは、ヨガの伝統が
健康というものを神に至る道として非常に大切にしているからです。
脊髄を中心に存在する七つの神経叢、
肉体と頭脳は完全にひと繋がりのものとして認識され、
肉体−精神を横断した総合的な健康の指針が示されています。
ひと繋がりのそのチャクラのバランス、強弱を調律することで、
肉体だけではなく精神にまで調和的な秩序がもたらされ、
純粋な精神エネルギー結果として私たちの精神を神に合一させます。
つまりヨガにおいては、健康と修養と霊的達成は、同じ直線の上のものなのです。 >>171
ありがとうございます。
古来から言われている悪魔とは
自分の意識の中にある(自ら悪魔に繋がる)
ということですね。
天使との繋がりも同様に。
欲を退ける事を言われた理由は
ここにあると思います。 ええ、問題は世界の成長ではなく、
私たち自身が変化すること、
私たち自身が健康になるということです。
それに尽きますね。 世界の成長はと言えば、インターネットの普及が
ゆっくりと人の心を変え、構造化された中心体制を切り崩し、
個人主義と権威主義の対立を作り出してしまった。
豊かさにおいては、
権威主義は短期的戦略で、
個人主義は長期的戦略だ。
権威主義は富の集積が早い。
が、引き換えに自己超越的な能力が低下するので
集積した富を継続させたり拡大させたりすることが苦手だ。
個人主義的な文化は、そうした自己超越的な能力に
恵まれ本質的な価値創造を推進できるが、何もかも
自分の能力と責任に帰される世界では、時に
素朴で勇気のない依存的な人間は一切の希望を奪われる。 世界、つまり私たちの目から見る世界は
情報化によって
より広くなり、未来も同様に、国家を超越した
人類の文化が安定して長く続くであろうように見える。
すると私たちは、そういう環境では個人主義的に
なる方が戦略としては良い。戦後経済を作り上げた
権威主義的なものを切り崩し、別のリソースへ
変えていく必要があるし、現にそうなっていっている。
問題は、今この転換点における対立の問題を
どう克服するかということだ。
権威主義的な人々を排除するのではなく、
かといって文化が自然に、個人主義的に成長させている
今の子供達を、わざわざブレインウォッシュし権威主義に
回帰させるわけでもない。
ゆっくりと時間を掛けたソフトランディング。
争いのない、民族的な繋がりへの愛着を保持したままの、
進化。 「君は自分自身の力を制限しなきゃいけないと
思っている一方で、もっと沢山の人を幸せに
してあげたいとも思っている。
ならば道は2つある。
何もしないか、でなければ、両方を同じぐらいするかだ。」 権威主義のキーパーソンは、「魔女」だ。
優しくて誰も裁けない人が腐敗の中枢を成す。
皮肉なことだ。
自らの弱さから来る優しさが、他人の堕落と無責任を
寄せ集めてしまう。
魔女は現実を歪める。そしていつも、最後には
その歪みの収束点となって醜く変貌してしまう。
真理は厳密だからだ。
それを一時出し抜いたとしても、いずれ代償を払わされる。 この意味で例えばアメリカのドナルド・トランプ大統領は、
まさに現代に蘇ったアラディアではないか。
救世の魔術の使い手、虐げられる者達の救い主。
しかしアラディアが救世主でいるためには、
最期には月へ帰らなければならない。
キリストが人類に対する裁きの報いを
その身に受けて初めて聖者へと昇華されたように、
アラディアは弱者の為に真理を歪めんとした
その報いによって、醜悪な怪物へ変えられてしまうからだ。
彼女が「救い主」のまま人々の記憶に刻まれる為の最期の条件は、
自らが衆目の前で怪物に変わる前に、遠い月の地へ隠れ去ることだ。 しかし表の世界で新たな形態の「古き魔女」たちがどれだけ
生まれようと、それは大した問題ではない。
現代の霊的知識の舞台には、キリストとアラディアの、
双方の血を受け継いだ子供達が立っているからだ。
知性と生命、ロゴスとカオス、智慧と愛情、
そして真理の厳密さと創造の豊かさ。
彼らこそ人類の新たな霊的段階の扉を開くのに相応しい。
静かな夜明けのような救い主たち、燃える夕暮れのような救い主たち、
彼らの行く先々に真善美の花よ咲け。 ごんさんはどのようにして覚醒されたんですか?
瞑想ですか? >>180
それもありますが、私が何かをしたというよりも
真理が私を勝手に呼び寄せ作り上げたという方が
近いでしょうね。 人々が広く常識的に、"私"という自意識の知的課題を
乗り越えられているかどうか。
その点こそ私たちが新しい水準の文明の、
舞台に上がれるかどうかのチェックポイントになる。
個々人が自意識の限界を持っていては、環境に対して
生命が飽和した状態には適応できないし、
それ以上の社会的経済的発展も起こらない。
進化か、退行か。
そのどちらもあり得る。 真理の流布。
1つの論理を首尾一貫して述べ続けるのは簡単だ。
しかし求められていることは、70億の人に対して
70億の言語を用いて語るということだ。 浮遊した投機的経済が拡大し、
中身の無い博打のような人生が
人間の能力を低下させる。
私たちが人類の自己超越能力のヘイブンである為には、
こうした投機的状態からの慎重な分離が必要だ。
運が全てなら、人はより良い存在になろうと
努力する必要はない。
しかしそうした考え方の元では、超長期的な意欲低下と
慢性的な自暴自棄が、病的レベルにまで高まり
顕在化してくるだろう。 本来あらゆる自由の許された神の子である私たちが、
経済的是非という幻想に縛られてその能力の
ほんの一部分しか発揮できない様は、実に滑稽だ。
経済なんてものは忘れて、
できないことの方ではなく
できることの方を考えてごらん。
私たちは本当は自由なんだよ。 "私"という人類の限界。
真実、"私"なんてものはない。
それがわかってしまうと、何が起こるのか。
修行僧のようになって家に引きこもったり?
いや、そんなことは起こらない。
むしろ人は、更に利他的になり、更に直情的になり、
強い意志が生まれ、社会効率を向上させる。
なぜなら"私"なき場所では、生命本来の純粋な
表現欲求が、ただひたすら強く即応的に、
世界に対して働いていくからだ。 キリスト教は罪の宗教だ。
罪とは、世の中の悲惨な現実と、自己を関連付けること。
罪は責任感を養い、責任感が人を成長に導く。
愛と罪。内圧と外圧で人格は高まり、能力も増していく。
悲しいかな人は、罪を嫌う。あらゆる問題から、自分自身を
無関係なものにしておきたいと願う。
そして成長しなくなってしまう。無責任な人間は、成長しない。
しかし罪の意識が多いだけでも、また破綻する。
愛と罪。自己肯定と、責任感。そのバランスを見極めねばならない。 言葉は無限に浮かんでくるが、
何か新しいことをしているという感触はない。
こうした淀み、惰性への順応が
人間の魂を腐敗させる。 長生きすると、「新しいこと」はだんだん減ってくる。
挑戦も試行錯誤も、同じ方向性のものであれば
結局は慣れが生じる。
それだからこそ私たちは、よりエッセンシャルな
変化を希求するようにもなるのだが。 マイナーチェンジではなく、
フルモデルチェンジでもなく、
完全な新型の開発でもなく、
既にある概念の破壊と更新こそが重要だ。 いろんな神話がありますが
読んでおいた方が良いですか?
話がバラバラに見えて
繋がっている所もあったりして
興味があります。 >>193
参考にはなりますよ。
心理学者のユングは、世界各地の神話を分析して人間の精神構造を
物理的にではなく物語的に読み解こうとしました。
神や悪魔などのイメージ、つまり「象徴」は、人の心理状況を
把握する上での手がかりになります。
神話や伝承を読み、色々な象徴を把握して、自分の中のイメージとして
持っておくのは良いことだと思います。 顕在的世界におけるメインストリームではなく、
顕在的世界からは意識不可能な、上位システムになること。
押したり引いたり、増やしたり減らしたり。
そういうことに気を揉む必要は無くなる。
ただ上から引っ張れば良い。ごく自然に中心が整うだろう。 >>194
神と悪魔が
人の意識のイメージ
対決の歴史が
意識の変化の流れと
一致しているようで
面白いです。 権威主義が凝集し自家中毒を繰り返しているこういう状況では、
優れた人材が流出しどこかで手付かずになっているはずだ。
土地と人の余裕。時間さえ掛ければ、しっかりした根のものが
もう一度この国に芽吹くのかもしれない。 >>196
そうですね。良く出来た神話は、人類の精神の
進化の歴史そのものです。
そしてそれは、私たち個人の精神的宇宙の、
誕生と成長などについて語っているものでもあります。
赤ん坊の精神に火が灯るのは、ちょうど一つの宇宙が
創世されるのと同じでしょう。 仮想通貨の価格変動が早く終われば良いと思っている。
貨幣の価値が特定国家の信用状況という、
不安定なものに左右されなくなるのは良いことだ。
しかし今は、単なる投機上の玩具としてしか
機能していない。早く本質を顕わしていただきたいものだ。 エルダースピリットの朝は早い。
ワシはもう歳じゃから。 つまり、いくら高邁な理論を言おうが戦略的な素晴らしい考えを持とうが、事をなすというのは「戦って初めて事をなす」と、競争が常に有りますからね。
いや俺は知ってたよ、そんなもの俺だって知ってたさと、よく言うじゃないか。 典型的な例が評論家の皆さんだよね。もう偉そうにいろいろ、あーだーこーだ言う。コンサルタントも偉そうに、いろいろあーだこーだいう。そういう人に限って「やってみろ」と言ってみると、「いや、それは私の仕事じゃありません」。
たいがいにせい、と。言うだけなら簡単だよ。 自分が戦って為せるという自信がないと、覚悟がないと、高邁な理論は無責任な理論だということですよ。高邁な戦略も、ビジョンも、そりゃ言うだけに終わる。
言うだけでいいなら簡単だよ。二行くらいでツイッターでつぶやいておけばいい。言うだけならね。
僕もツイッター毎日やってるけど、いろいろなこと書く人いるな。たまには言いたいよ、やってみろと。やるということは難しいんです。 我々の理念として、情報革命で人々を幸せにする、というそれは立派なビジョン、理念、立派な志を掲げてますねと。
その立派な志があるなら、なんでSIMロックかけとんだと。こうやってツイッターに書かれとるわね。
坂本龍馬ならSIMロックなんてかけてないだろ、って言われるよね(笑)。だけど坂本龍馬も戦ったんだよ。倒幕したんだよ。
そりゃ高杉だって西郷さんだって、みんな戦って事を為して、という風にやったわけですね。 戦ってる最中に、事を為す前に自分が戦う武器をやるバカがどこに居るんだと。そういう人は絶対に事をなせない。
それこそ評論家。それこそ無責任な人。 名のある人間が事を成すわけではないよ。
名のない人間が事を成していないわけでもない。
世の中をよく見てごらん。全ては繋がっている。
そして私たちの小さなエゴは、その中で自信を持ったり、自身を無くしたり。
何かを成し遂げたと思って、えばったり、反対に自分はつまらない人間だと悲しんだり。
そういうことの全てが繋がってさ。何もかもが大切で、
何もかもが本当は、輝いている。
必要のないものないてないんだよ。
どうでもよかったことなんてないんだ。
何もかもが、掛け替えのない、この世界そのものだよ。
全ては愛しい、私たちの大切な宝物じゃないか。 たいがいにせい、と。言うだけなら簡単だよ。
二行くらいでツイッターでつぶやいておけばいい。言うだけならね。 当時は99.9%、NTTのメタル回線を使わないと、インターネットができない、ということだったんですね。
この会社が独占的にネットワークの、インターネットの、独占的な市場支配を持っている。
日本のインターネットは、先進国で世界一遅い、世界一高い。これじゃインターネット業界に携わってる我々としては恥ずかしい。シリコンバレーに対して恥ずかしい。
わしは何のために生まれてきたんだ。何のために志立てたんだ、と。そりゃデジタル情報革命だろう、と。 この革命のために、人生を捧げてるわけだから、ここでひるむわけにはいかんということで、この世界一高い、世界一遅いってヤツを、世界一安くしてやろう、世界一高速にしてやろう、と。
私はNTTの社長に直接会いに行ったんですよ。ブロードバンドを始めてください。ADSLを始めてください、と。
そうしないと日本が困るんだ、と。そしたらNTTの社長は「いや、NTTとしてはISDNをやると決めてるんだ」と。
ISDNって聞いたことありますか? もうとんでもないですよ。日本だけなんです、世界でそんなことをやってるのは。これが原因で高いんです。これが原因で遅いんです。 この革命のために、人生を捧げてるわけだから、ここでひるむわけにはいかんということで、この世界一高い、世界一遅いってヤツを、世界一安くしてやろう、世界一高速にしてやろう、と。
しゃあない、わしがやる、ということで決意してやったのが、このYahoo!BBなんです。
どん底で、金はない。でももう思い立ったら引けない、ということで、名乗りを上げた。1年間1000億ずつ、4年間赤字出した。
まさに「なんもいらん」という状態。もう「殺せ」というようなもんですよ。そのくらいの魂がないと、ひきちぎれるほどの情熱がないと、革命なんてできやせん、ということ。 「バカモン! そんなこまい、ちまちました考えでどうするんだ! Yahoo! が喜ぶ、ええじゃないか。ついでに楽天も、モバゲーみたいなところとか、そのいろいろあるけども、みんな喜ぶでええじゃないか」
「Yahooのユーザーだけ安くしましょうか?」「バカモン! みんなに安くしてやれ!」と。
それで日本のインターネットユーザーの全員が喜ぶ。日本国民は最終的に全部インターネットユーザーになるぞ。その日本国民が、いつか、いつか、喜んでくれりゃあそれでええやないか、と。 「でも社長、誰のおかげでそうなったなんて、のちの人は忘れますよ」そうやって言われた。
僕は、ええじゃないか、と。名もいらん、金もいらん、地位も名誉もいらない。そんな男が一番厄介だ、と。そんな厄介な男でないと、大事は成せない。
こう言ったのは、あの幕末の西郷隆盛であります。
名もいらない、金もいらない、地位も名誉もいらない、命すらいらない。そんな男は打ち負かそうにも負かせられないわけ。 もう総務省に乗り込んでいって、ガーンと机叩いて、ここでわしゃ灯油かぶる、と。自分で火つける、と。
総務省のあんた方が言うてくれんと、あの独占的にメタル回線を持って、独占的に局舎を持ってる彼らが繋いでくれない。これはもう明らかに独禁法違反だ。
わしゃ灯油かぶって火つけてここで死にます! と言ったらねえ、総務省の役人が、「ちょっと待ってくれ! ここでするのだけはやめてくれ!」と。
最悪、我が社が押しつぶされたとしても、その結果、日本のブロードバンドの夜明けが来れば、それはそれで目的は達成できた、と。
日本の人々から見れば、我々が結果捨て石になったとしても、幕末の尊皇攘夷の革命の志士、途中で切り殺されたとしても、結果、維新が起きれば、事は成せり、ということ。
株主には申し訳ない。社員にも申し訳ない。すまん、一緒に死んでくれ、と、こういうことですよ。しゃーない。革命というのはそういうものだ。 結果、日本は世界一安くなったんです。世界一の速度が出たんです。
だから、世の中が悪いとか、政治家が悪いとか、景気が悪いとか、そんな言い訳を言うとったんじゃ、そんな愚痴を言うとったんじゃ、しゃあないぜ、ということ。
命を投げ捨てる覚悟があれば、波紋は起きはじめるということ。私はそう思うんです。 いろいろなこと書く人いるな。
たまには言いたいよ、「やってみろ」と。
やるということは難しいんです。 そんなことは、みんな誰でもやっていることなんだ。
わからないかい?
みんな誰でもやっていることの、その見方の違いだけだよ。
君は物事の本当の価値を知らず、幻想を追いかけている。
世界的な有名人も、道端の石ころも、同じだぜ。
何が違うんだ?全ては被造物さ。全ては同じものさ。
君は本当は、ただ自分を信じられないだけさ。 人間はいつも、自分を何か特別なものだと思いたがる。
虫や鳥の命はつまらないかい?
それもまた素晴らしい生だということがわからないかい?
地球の外はそんなに無意味なのか。生命の居ない星は美しくないか?
本当の「特別」ってことは、比べるってことではないさ。
特別ってことは、ただそれが本当に、うわ、これは存在してるんだ、
っていう実感だよ。
世界を変革する必要があるかい?いや、そんな必要はない。
世界は変わっていくからだ。
大きな意思の流れを見てごらん。
大切なのは、変えることではなく、変わっていく物事の流れに、
私たちがどう流されていくかということなのさ。 なあ、古い友達のように、今君の心を見ている。
君は悪い奴じゃないさ。
ただちょっと、頭でっかちだよな。
手放してごらん。本当は簡単だよ。
負けてごらん。流されてごらん。
きっと君は、目を背け続けているのさ。本当はね。
許してみようよ。勇気を出してさ。
諦めてみよう。全部をまっさらで、何もかもやり直すためにさ。 私の真名(トリップ)が流出してしまった…
まさに人は自らの因果の報いを受けるのだ… 信仰も深まるほど信心者の相なし。言語装飾を離れ凡愚に返りて励め 言葉は私たちの心を制限している。
私たちは言葉から解き放たれ、
心によって、言葉を自由に
扱えるようにならなくてはならない。 小さき人の子よ。
この世界を実践しているのは誰か? 天台宗は、唐に留学した最澄が日本に持ち帰った仏教です。
次第に発展していったわけですが、組織が大きくなるとともに、延暦寺は権威となり権力を持ち腐敗し、本来の教えから乖離していったと言われています。
出家した知的エリートのみが仏教を学び、エリートのみが解脱できる。
または多くお布施をした貴族だの、裕福な商人だのが輝かしい来世を約束される。
一般の民が置き去りにされた教え。輪廻に苦しむ民を救ってこその仏教なのではないか? 宗教家が権力や権威に固執すると、必ずおかしくなる。
本質からずれてくる。
そして歴史は繰り返すと言いますか・・・
スケールは全然違いますが、スピリチュアルの世界でも同じことをしていますよね。 日常とはあまりにかけ離れた抽象的な理屈ばかりならべる。
そして高額な金を出してワークだの、セッションだの、セミナーだの、あれやこれやとやってはいるけど、
これまた日常とは何も関係ない。日常に活用できない。
屁理屈や内輪のスピリチュアル用語、宗教用語にくわしくなるだけで、境地はまるで定まっていない。 ここでルターの言葉を少々拝借。
「人は宗教的権威にすがることよって罪がつぐなえるのではなく、
日常の善行によって、その罪はつぐなえる」 生憎ですが、真理は不都合なものですよ。
誰もがそれを受け取れるわけではありません。
禍福は糾える縄の如し。
二元性世界の成り立ちの故に、苦しみと快楽は
必然的に全体として等価になる。
常人にはこのことが理解できません。
それは例えば、猫を相手に税金について
教えることができないようなものなのです。 求める者だけが見出します。
そして自分の命さえ憎んだことのある者だけが、
理解します。
低きに流され、引き裂かれる故に、
それを許すときは大きな許しであり、
大きな器なのです。
誰もが真理を得るようにはできていません。 また、宗教的な権威や
それにまつわるビジネスをする人々がいること。
これも善悪ではなく、必然としてそうであることです。
世俗的な利益の眼鏡を通して少しずつ学んでいく、
そういう道の上を歩くように定められた人々も
いるからです。
彼らは何れにせよ、真理そのものを開示されても
それを受け入れることはありません。
が、お金や快楽の増大という方向に向かって
活動する中で、彼らに相応しいペースで
魂を成長させていくのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています