(問) 自殺した者は死後どうなるのでしょうか。

(答)それは一概には言えません。自殺するまでにどんな地上生活を送ったかにもよりますし、どういう性格だったかにもよります。
何といってもその動機が一番です。キリスト教では自殺のすべてを一つの悪の中にひっくるめていますが、あれは間違いです。
中には情状酌量の余地のあるケースがあることも事実です。

(問) でも、自殺してよかったと言えるケースはないでしょう。

(答)それは絶対にありません。自分の生命を縮めて、それでよいはずはありません。
しかし、「自殺した者はみんな、死んだ後は暗黒の中で何千年、何万年も苦しむ」という説は事実に反します。

(問)「神は耐えきれないほどの苦しみは与えない」とおっしゃったことがありますが、自殺に追いやられる人は、
やはり耐えきれない苦しみを受けるからではないでしょうか。

(答)それは違います。大多数は、私に言わせれば「臆病者の逃避行為」にすぎません。

果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れる一番楽な方法だと考えるわけです。
ところが死んでも、というよりは死んだつもりなのに、相変わらず自分がいる。
そして逃れたはずの責任と義務の観念が依然として自分につきまとう。

その精神的錯乱が暗黒のオーラを造り出して、それが外界との接触を遮断するのです。
そうした状態のまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。