人を救済する、なんていうのが面白いとか、いうのはウソ。
そんな死ぬほどツライことをやる人って、どっかの宗教者しかいない。
直線的に、人の居場所に、ずかずかと入り込み、ここがダメ、これがよい、
と神様よろしく指図する(結局、とどのつまりは、必ず、上から、お言葉を
降ろす。かならず、ダウンワードのもの言いなのです)。しかし、そんなこと、
本当の能力者なら、たぶん、ためらう。
いや、もし間違っていたら、必ず、ものすごい仕打ちをうけるから、慎重になる。
その仕打ちの、凄まじいことといったら、人権なんてない、能力者に対してはね、
上の存在なんて、わがままで、それこそサディストみたいな、どうも、ごつごつ
した岩のように覆いかぶさってくる感じ。ごまかしは決してきかない。
もうなるようにしかならない。
そうしないと、自分がころされる。
そんな絶望の中で、他人とかかわらないといけないって、いったいどういう人たち
なのか。通常なら、廃人みたいになって引き篭もるしかないでしょ。
私には理解がむずかしい。お金、つまり、相談料なんていうのは、
やはり、体をつかって稼いで稼いで、それでも生活費が足りない、っていう場合
なんかには必要でしょうが。すくなくとも、その体を使って、という部分が、
行になっていて、これなくして、精神的な成長もない、ということ。
これを知っているから、身をもってね、だから、本当の能力者は、体をつかって
(デスクワークも含むのはもちろんですよ)、あくせんくとうして、日々のわずか
な日銭をかせぐのに追われ、貧相で、ごみ、くず、のようにボロボロで、早くおっち
ね、といわれるような老人化も早いだろうね、と誰もが思う。
そんなみじめな境遇にある。それでも、しかたないので、耐えている。
新しい世の中になると、少しかわることを知っている。だから、耐えられるのですね。
新しい世の中を、多くの方々と共につくり、共に、富を生み出し、共に儲かって、
祝杯をあげ、ごはんを食べる。そういうのが幸せっていうこと。それを知っている
人かどうか、それを基準に、能力者という方々をみてみればよい、のではないかな。
たぶん、少ないと思いますが。やってられないって、本当にそうならば。
早く楽になりたい、つまり、彼岸花の・・・(もうやめます)。沈黙。