>>272
>座禅者の、いわば氣が上半身に偏り過ぎている場合に
>それを気合とともに下半身に持っていったり、
>もちろんうつらうつらしているのを目覚めさせたり、
>もっと特殊なケースではクンダリーニが上昇し、
>結節と呼ばれている、ナディ(クンダリーニの経路)の途中にある、
>詰まっている部分に引っかかっているときそれを解いたりする作用もある。
それ、お前が考えたの?
お前以外のどっかの坊さんが考えたとして、それは真実だろうか?
誰がいつ言い始めたのだろうか、出所不明真偽不明の内容を鵜呑みにするのは愚の骨頂ではないか?
インドを始めとする日本以外の国では言われておらず、日本でも初期に禅を伝えたマスターはやっておらず、江戸時代以降突やり始めた

>あれを体罰などと受けてっているようでは話にならない。
しかし、インドで始まった何千年という瞑想の歴史の中にこのようなやり方はなく、極東の島国でこの200年前後のうちに付け足された限定ルールにすぎない